お相手は‘仲良しこよし’(このブログの81)参照。)でお会いしたサチさん (84才 女性)です。サチさんとは二度目ですが、とても慎ましやかでお優しい方です。
ソファに座り 対面での敬聴でした。サチさん (84才 女性)は群馬のお生まれで、戦時中、美智子上皇后さまが館林市の小学校に疎開されご学友になられたとのことでした。
「(美智子さまは)当時から それはそれはお綺麗で、他のクラスの子供たちも美智子さまがいらっしゃるお教室までお顔を拝見しに行ったものよ。」とうっとりと懐かしそうに、そして嬉しそうに仰いました。
「とてもお優しくてね。」とさらに続けました。
サチさんはその後 群馬から上京し、女子大の寮に4年間いたとのことでした。
「門限があり とても厳しかったけれど、その時代が一番楽しかったわ。」と仰いました。親御さんは大切な娘さんを一人で東京に遣り 生活させるのには不安があり、その点 大学の女子寮なら安心だと思われたのだそうです。
でも、サチさんご本人は「群馬の実家にいた時よりは数段自由で、見るもの聞くものが新鮮だった。」と楽しそうに仰いました。サチさんが最も輝いていた時代なのでしょうね。
サチさんはその時に‘集団生活’を経験したため「今でも(このような施設に入居しても)誰とでも仲良くできるスキルが身に着いた。」とも仰っていました。私は、にこやかで丁寧な物言いをされるサチさんなら、どなたからも好かれるだろうと思いました。
彼女は卒業後すぐにご結婚され、お相手は大学病院に勤めていたお医者さまだったそうです。その後 暫くして借金をかかえ開業されたとの事でした。「主人は大学に勤務中には、外来の他に研究もしており 帰りも遅く、給料も安くてたいへんだったの。」と涼しいお顔で仰いました。
お姑さんやお舅さんのお話もいろいろされました。お姑さんは助産婦の資格を持つ方で、とても厳しい方だったそうです。またご自宅での開業だったので、サチさんは慣れない事務仕事を手伝い、更には当時住み込みの看護師さんもいらしたので、そのお世話もあった上に、家事も一人で全部こなし大変だったそうです。
当時、理不尽に感じても、お姑さんには〝返し口〟などは絶対に出来なかったとのこと。返し口とは〝口答え、口返答〟のことだそうです。初めて聞いた言葉でした。話が逸れますが、その〝返し口〟という言葉は‘すてき’な響きに聞こえました。
お話をされているうちに・・、サチさんは辛かった思い出が懐かしさに変わっていくようでした。良かったです!
敬聴終了後には、またエレベーターまで送って下さいました。そして仰いました。「ごめんなさいね。私ばかり喋ってしまって。」と。
( 2019年10月21日(月) 16:00~17:20 )
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