2019年12月25日水曜日

86)上皇后さまのご学友?

今日はK有料老人ホームでの敬聴です。2階フロアでの敬聴を依頼されました。

お相手は‘仲良しこよし’(このブログの81)参照。)でお会いしたサチさん (84才 女性)です。サチさんとは二度目ですが、とても慎ましやかでお優しい方です。

ソファに座り 対面での敬聴でした。サチさん (84才 女性)は群馬のお生まれで、戦時中、美智子上皇后さまが館林市の小学校に疎開されご学友になられたとのことでした。

「(美智子さまは)当時から それはそれはお綺麗で、他のクラスの子供たちも美智子さまがいらっしゃるお教室までお顔を拝見しに行ったものよ。」とうっとりと懐かしそうに、そして嬉しそうに仰いました。
「とてもお優しくてね。」とさらに続けました。

サチさんはその後 群馬から上京し、女子大の寮に4年間いたとのことでした。
「門限があり  とても厳しかったけれど、その時代が一番楽しかったわ。」と仰いました。親御さんは大切な娘さんを一人で東京に遣り 生活させるのには不安があり、その点 大学の女子寮なら安心だと思われたのだそうです。

でも、サチさんご本人は「群馬の実家にいた時よりは数段自由で、見るもの聞くものが新鮮だった。」と楽しそうに仰いました。サチさんが最も輝いていた時代なのでしょうね。


サチさんはその時に‘集団生活’を経験したため「今でも(このような施設に入居しても)誰とでも仲良くできるスキルが身に着いた。」とも仰っていました。私は、にこやかで丁寧な物言いをされるサチさんなら、どなたからも好かれるだろうと思いました。

彼女は卒業後すぐにご結婚され、お相手は大学病院に勤めていたお医者さまだったそうです。その後 暫くして借金をかかえ開業されたとの事でした。「主人は大学に勤務中には、外来の他に研究もしており 帰りも遅く、給料も安くてたいへんだったの。」と涼しいお顔で仰いました。

お姑さんやお舅さんのお話もいろいろされました。お姑さんは助産婦の資格を持つ方で、とても厳しい方だったそうです。またご自宅での開業だったので、サチさんは慣れない事務仕事を手伝い、更には当時住み込みの看護師さんもいらしたので、そのお世話もあった上に、家事も一人で全部こなし大変だったそうです。

当時、理不尽に感じても、お姑さんには〝返し口〟などは絶対に出来なかったとのこと。返し口とは〝口答え、口返答〟のことだそうです。初めて聞いた言葉でした。話が逸れますが、その〝返し口〟という言葉は‘すてき’な響きに聞こえました。

お話をされているうちに・・、サチさんは辛かった思い出が懐かしさに変わっていくようでした。良かったです!

敬聴終了後には、またエレベーターまで送って下さいました。そして仰いました。「ごめんなさいね。私ばかり喋ってしまって。」と。

         ( 2019年10月21日(月) 16:00~17:20 )


photo: (c) Hiro K
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2019年12月15日日曜日

85)『うちの娘の傾聴もよろしくね!』

106才カズさんからの提言を聴いていた時、「何で俺が気持ちよく寝ていたのに、肩を揺すって起こすんだよ! あんなに強く 痛いほど。」「もう 驚いたよ、ビックリだよ!」と憤慨した声がきこえてきました。

声のする方に目を遣ると、その声の主は 最近 入居されたコウゾウさん(85才 男性)でした。

「本当にビックリしたよ!気持ちよく寝てたのにさ・・。俺がどんな悪いことをしたって言うんだよ。」「こんなこと(肩を揺すって起こした)をされるなんて・・。(あんたは)人間じゃないよ!心臓が止まっちゃうよ!」と何度もくり返し悪態をつき、やがて・・ コウゾウさんは涙まで流し始めました。

(落語家さんの噺をきいているようで、不謹慎ですが私は思わず吹き出しそうになりました。実際、声も語り口調も落語家のようでした。)

その介護士さん(40代の女性)は、「いま寝てしまうと、夜中に目が覚めて眠れなくなるでしょ。」と宥め(なだめ)ましたが、コウゾウさんの怒りは収まりませんでした。介護士さんは同意を求めるように私の顔をみました。

私も両親の介護経験があるので分りますが、確かに 長時間 昼寝をしてしまうと夜は眠りが浅くなります。夜勤の介護士さんにとっては負担が増えるのでしょう。

ただ、長時間の昼寝をコントロールするのは仕方ない(大事)とは思いますが・・。気持ちよく眠っていらっしゃる方への起こしかた(目の覚まさせ方)に少々 問題があったのではないかと思いました。双方どちらもお気の毒でしたが・・。暫く そのやり取りは続きました。

敬聴を終え8階の喫茶ルームに行くと、カズさんの姪御さんのTさん(このブログの 28)  『えっ、総理秘書?』 と 29) 『わたくし 150才まで生きたい!』 に登場。)がいらしてました。「いつも伯母がお世話になっております。」とご丁寧なご挨拶を頂きました。

そして「いつも伯母が元気なのは、あなた様のおかげね。話を聴いてくださって!」と労って下さいました。私はたいへん恐縮いたしました。

私にとっても〝カズさんとの出会い〟は貴重な得難いものでした。カズさんがいらしたから、より敬聴に対する思いが深くなり、また楽しくなった気がします。

Tさんは更に「今度はうちの娘の傾聴もお願いしようかしら。」「よろしくお願いしますね。」等と上品で丁寧な言葉遣いで仰いました。

お嬢さんは50才だそうです。そう言えば、以前お会いしたことがありました。
「悩みをきいて、いろいろと相談にのって頂きたいの。」と。(えっ、私に?)とんでもないです。冷や汗ものでした!

        ( 2019年10月 8日(火) 14:00~15:00 )


清津峡渓谷トンネル パノラマ 1

清津峡渓谷トンネル パノラマ 2




2019年11月25日月曜日

84)『マカン マカン スダ?』

ゆしまの郷のいつもの6階フロアに着くと、既にカズさん(106才 女性)は右手奥のテーブル席近くに陣取っておられました。そして隣のテーブル席にはキクさん(101才 女性)と、リツコさん(83才 女性)も座っておられました。大きな声でご挨拶すると、皆さまにこやかに応じて下さいました。

さっそくカズさんのお傍に行くと、「あなたも大変ね。総理の秘書ってお忙しいでしょ。」と開口一番、私に仰いました。

まだ  私を安倍総理の秘書だと思い込んでおられるのです。更にカズさんは「総理はあんなに激務なのに、いつもきちんとネクタイを締め、ピシッとしたスーツ姿で決めていて偉いわ! あなたのおかげね!」とも仰いました。(私・・?)困りました。何度 訂正しても、カズさんはこの件だけは分って下さらないのです。

そこへ インドネシア人の介護士 エドさんが我々の前を横切りました。するとカズさんはエドさんを呼び止めて私を紹介し始めました。エドさんは苦笑しながら「前に紹介してもらったよ。」と片言で答えました。

その後、カズさんはもう一人のインドネシア人介護士 リオさんを見つけると「※マカン マカン スダ?」と声をかけました。リオさんは笑いながら「スダ」と答えました。
私はびっくりしました! カズさんはインドネシア語まで話せるのです。なんと・・、カズさんはトリリンガルだったのです!

リオさんに尋ねると「マカンマカンスダ?」とはインドネシア語で『食事は済んだの?』と言う意味だそうです。英語のみならずインドネシア語まで話せる「106才のカズさんは凄い!」と思いました。

※「マカンmakan」とは食事のこと。そして「マカンマカン」とはインドネシア語で「食べて食べて」という意味だそうです。また 「スダ(sudah)」とは「もう~した。もう~である。」という(完了)を表す助動詞です。

リオさん曰く、マレーシア(マレー語)とインドネシア語はとてもよく似ているそうです。ゆえに、従軍看護婦時代にマレーシアに行ったことのあるカズさんは インドネシア語(マレー語)が話せるのだろと教えてくれました。

それにしても80年近く前の言葉を覚えていて 話せるなんて凄すぎます。

話題は今日の昼食に移りました。カズさんは「最近、お粥食になっちゃったのよね。」と今度はいつになく神妙に仰いました。
私が「食べやすいし消化が良いからではないですか。」と言うと
カズさんは「でも、お粥のカレーライスよ。」と不満そうに訴えました。

「食べたい物を食べて、言いたい事を言って生きたいの! ワタクシは。」と付け加えました。そうです! そう来なくっちゃ いつものカズさんではありません。「・・・を食べて、言いたい事を言って死にたい。」ではなくて 『・・・生きたい!』が前向き(?)なカズさんらしいと思いました。
106才からの提言でした! 

          ( 2019年10月 8日(火) 14:00~15:00 )

安田講堂

安田講堂

東大 三四郎池




2019年11月15日金曜日

83)106才の自覚なし!

ゆしまの郷に着くと、なにやら賑やかな音楽が流れていました。正面玄関の壁に目を遣ると、「ゆしまの郷 敬老会」というチラシが貼ってありました。楽しげな可愛らしいチラシでした!

第一部は11時からで、第二部が14時からと書いてありました。私が敬聴をさせて頂く6階は午前中に終わったようです。

さて、6階に着くと、お馴染みの方々がテーブル席に座っておられました。キクさん(101才 女性)はテーブルに凭れ(もたれ)眠そうでした。トシコさん(95才 女性)も所在無げにされていました。でも、ご挨拶すると嬉しそうに応えてくれました。

暫くすると キクさんが身体を起こされ、私と目が合いましたのでお傍に行きました。「こんにちは。お元気でしたか。今日は敬老会だったそうですね。」と話しかけると「あらっ、そうだったかしら?」ときょとんとされました。

「そこの壁にチラシが貼ってありますよ。」とやんわりお伝えすると
「ごめんなさい。そうだった・・?みたいねぇ。」と自信無げに仰いました。
でもキクさんは「いつも来て下さってありがとうね!」と仰って下さいました。

そうこうする内に、カズさん(106才 女性)が車椅子に乗り 颯爽と現れました。聞くところによると、カズさんは今やこの施設の最年長だそうで、今日、ご長寿を表彰されたとのことでした。(介護士さん談。)

私がカズさんに「おめでとうございます! カズさんは、この施設 一番の〝お姉さん〟だそうですね!」とお祝いの言葉を述べると

「そうみたいね。自覚症状はないけどね!」とのお返事。他人事のように笑って仰いました。最高です、ユーモアのセンスも抜群です。(エクセレント!)

その後、今日頂いた表彰状を見せて頂くために、 カズさんのお部屋にお邪魔いたしました。4度目の訪問でした!

お部屋の片隅にあるチェストの上に、安倍晋三総理から戴いたという「百歳への表彰状」と小渕恵三元総理から戴いた「第一期生 ※従軍看護婦への感謝状」の隣に、今回の表彰状が立てかけてありました。

※日本の従軍看護制度が始まったのは明治20年代と言われる。1890年(明治23年)4月に、日本赤十字社看護婦養成所に10名が一期生として入校した。養成期間は3年で、卒業後には20年間にわたり応招義務が課せられた。

           ( 2019年9月21日(土) 14:00~16:00 )

迎賓館赤坂離宮 庭園

迎賓館赤坂離宮




2019年10月25日金曜日

82) ガッツポーズ!

今日もK有料老人ホームでの敬聴です。 四回目となりました。
1階の事務の方より「今日は4階で行って欲しい。」と言われました。エレベータに向かっていると、先程の事務員さんが追いかけてきて「すみません。2階フロアでお願いします。」と変更されました。

2階に着くと、車椅子に座り カウンター席に一人ポツンとされている コウタロウさん(78才 男性)という方がお出ででした。男性入居者と一対一での敬聴は初めてでした。(大丈夫かな・・。)少々、わたくし 緊張してきました。

先ずはご挨拶と自己紹介をいたしました。コウタロウさんも‘やむ無く’介護士さんに紹介され頷きました。富山ご出身だそうです。J大学病院に通うための入居だそうでした。(凄い!)

少しお話をしましたが、コウタロウさんは(さっきまでお傍にいらしたと言う)もう一人の男性を探し始めました。お尋ねするとその方は40才くらいの入居者(?)だそうですが・・。その方を探しに行きたいので、車椅子を押して欲しいと頼まれました。しかし入居者さんの車椅子を押し移動するのは、傾聴ボランティアの禁止行為です。

結局、介護士さんが宥め(なだめ)賺(すか)して彼の車椅子を押しながら出ていきました。(因みに、その探していた男性とはリハビリの先生でした。)

その後、別の介護士さんから「この方と一緒に4階に行って頂けますか」と頼まれました。この方とは・・、前回 敬聴させて頂いた カツコさん(85才 女性)でした。(このブログの79)参照。)

カツコさんは私を見るとニッコリとなさいました。覚えていて下さったようです。介護士さんに車椅子を押されたカツコさんと一緒に4階に行き、フロア隅のカウンター席に移動しました。

あらためてカツコさんに向き合うと、薄ピンク色のマニキュアをした爪が目に留まりました。今日も素敵なメタルパーツが付いていました。そして指には豪華なルビーの指輪! 私が爪のマニキュアをお褒めすると、カツコさんは「本当はもう少し濃い色の方が好きなの。」と仰いました。そして・・、ファッションの話に花が咲きました。

カツコさんは私の着ていた服(濃いオレンジ色の麻のセーターと白いバミューダパンツ)を褒めて下さいました。そして私が着けていた馬のペンダントに手を伸ばされ触れました。

「あなた、センスが良いのね!」と。そして・・ 「それはどこのブランド?」とお尋ねになりました。「いえいえ、大したブランドではありません。」とお答すると、カツコさんは目を丸くされました。私は 前回 尋ねられた「そのパールのネックレスはミキモト?」を思い出しました。あの時も困惑いましたけれど・・。

カツコさんへの敬聴終了後、4階の皆さまにもご挨拶をして帰ろうとすると、(4階に入居の)マサさん(85才 女性、少々‘辛口’な方)から「次は(私にも?)話を持って来てね!」と言われました。

私がお一人の方とだけ話をしていたので、お淋しかったのでしょうか。羨ましかったのでしょうか。私は複雑な気持ちになりました・・。

でも、私が皆さまに力こぶを作ってみせると、あのマサさんからガッツポーズを返されました!
         ( 2019年  9月  10 日(火)16:00~17:00 )


紅葉と高揚
photo: (c) Hiro K
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2019年10月15日火曜日

81)仲良しこよし

今日は介護付き有料老人ホームでの敬聴です。 ここも三回目となりました!

施設の方から今日は2階で行って欲しいと言われました。2階フロアに到着すると、エレベーターで同乗のヨシコさん (88才 女性) も一緒に降りられました。
(この階の方だったのですね。)ヨシコさんに導かれ、私はフロア中ほどのソファに着席いたしました。

すると、このフロア担当の介護士さんが 「サチさんもお呼びして、ご一緒にお話されたらどうかしら。」 と提案なさいました。お二人は大の仲良しだそうです。この施設で初めてお会いした方同士なのに・・です。(良い方に巡り合えてお二人はお幸せです。)ヨシコさんは頷き 私と向い合せの席に座られました。

ヨシコさんに日常の過ごし方などを伺っていると、
「ごめんなさい! 遅くなってしまって。」と申し訳なさそうにサチさん (84才 女性) がフロアに現れ、話の仲間に加わりました。

初めは お二人とも緊張(?)なさっているせいか、会話も弾みませんでしたが、施設でのお食事について話をふると、お二人ともにこやかな笑みを浮かべ 話し始めました。

お二人はお肉が大好きだそうで、「(ここの施設では)食事にステーキが出ないのが少し不満だけど、食べたい時には自分で近くのお店に買いに行けば問題はないわ。」とヨシコさんは仰っていました。
(なるほど、それくらい積極的に行動できるなら お元気だということですよね。素晴らしいです! ‘ご自分がしたい事や出来る事はご自身で’ですね。)

そして極めつけは〝お酒〟の話でした!ヨシコさんは更に饒舌になり、お話しが盛り上がりました。(お酒が大好きのようです!) 施設でも夕食時にはアルコールは召し上がっても良いのだそうです。そしてヨシコさんのお部屋の冷蔵庫には常にビールが入っており、ブランデーも常備しているとのことでした。晩酌と寝酒用のためとか。(これまた素晴らしい!)

私は亡き母を思い出しました。
母はお酒が大好きでしたが、施設に入ってからは お花見の時に小さな缶ビールをあげても「苦い!」等と言って 飲めなくなりました。食事も肉料理(特に牛肉のステーキ)を食べたがりました。(お鮨が大好物だった母が・・です。)施設の食事は鶏肉や豚肉が多く しかも ひき肉料理がよく出ると言っていました。

当時 私は、お年寄りには ‘噛みやすくて食べやすい’ ひき肉料理が無難なのだと思っていました。でも今思うに お年寄りだって たまには牛肉料理も食べたかったのだと察します。身体が欲していたのだと思います。それだけ食欲があるのは元気の証のような気がしました。

因みに、その証拠にヨシコさんはお丈夫で、なんと50才から病気知らずとのことでした。(好き嫌いがなく、なんでも美味しく召し上がるからでしょうか。凄いです!)

その後、ヨシコさんは ますます フレンドリーになり、「貴方もここにいらっしゃれば(入居すれば?)良いのに!」と仰いました。(私、ポカーン・・・。)
サチさんはすかさず「この方は まだお若いから 無理よ。早いわよ。」とフォローして(?)下さいました。
「あら、そうだわね。ちょっと若いわね。残念!」とヨシコさん。(ホッとしました。私も)

敬聴終了後には、お二で一緒にエレベーターのところまで送って下さり、名残惜しそうにいつまでも手を振って下さいました・・。お揃いの金(ゴールド)と銀(シルバー)のステキな室内履きシューズで。

私は何だか幸せな気持ちになりました。「敬聴をさせて頂いて良かった!」と思いました。

           ( 2019年  8月  8 日(木)16:00~17:00 )

円成寺 大日如来

円成寺

2019年9月25日水曜日

80)「ゆしまの郷 夏祭り」

この日は特養「ゆしまの郷」の夏祭りでした!

先ず1階のホールを覗いてみました。すでに大勢の人が集まっていました。
ホールの真ん中では人々が太鼓をかこみ 輪になって盆踊りを行っていました。
炭坑節でしょうか、囃子がながれていました。入居者やそのご家族、また職員さんも皆さま お揃いのピンクやブルーの半纏をお召しになっていました。

見渡すと、6階の顔見知りの方々も何人かいらしてました。皆さま とても楽しそうに手拍子をなさったり、座ったままで手踊りをされていらっしゃる方もお出ででした。

ブルーの半纏をお召しになった家族会のMさん(先日の傾聴志願者、82才 女性)もいらしており、少しお話をいたしました。

そして6階の敬聴に向かおうとした時、N子先生(ゆしまの郷の副理事長)とバッタリお会いしました。N子先生は私を見つけると「○○さん(私のこと)、あなたを待っていたのよ。」と仰って少し敬聴についてお話をいたしました。

時間は刻々と過ぎ、急いで6階へのエレベーターに着いた時、車椅子を押されたトシコさん(95才 女性)に出くわしました。私がトシコさんの肩に手を触れ 中腰になってご挨拶すると、トシコさんはお顔をほころばせ、やがて泣き始めました。私の手を握り離しませんでした・・。

6階に着くと、そこにはあまり人がいませんでした。介護士のTさん(70代 女性)が「今日は‘夏祭り’だから、殆どの方が一階に行っているか、お部屋で休んでいるのよ。どうします?」と仰いました。

「はい、分かってます。いま1階のホールを覗いてきましたから。」と答えると
「じゃあ、今日は私が傾聴して頂こうかしら。」とTさんは笑いながら仰いました。時計を見てみると、(敬聴の終了時間まで)もう15分位しかありませんでした。「では、少し雑談でも・・。」と私も笑って答えました。

聞くところによると Tさんは以前、訪問介護のお仕事をしていたそうです。その後、ご縁があって この施設に勤めるようになったとのことでした。

Tさんは真顔で「私がこういう施設で働いているのに、実母が介護を必要としている時には、自分自身でお世話が出来ず、今は弟が面倒を見てくれているのよ。」と声を落とし、遣る瀬なさそうに話されました。
「私も もう年だし・・、この仕事を続けるのも大変なのよ。」と付け加えになりました。

複雑です。切ない話です。先日の介護付き有料老人ホームでも同じようなお話をお聞きしたばかりです。日本の未来はどうなってしまうのでしょうか。

          ( 2019年  7月20日(土)14:00~16:30 )



オークランド動物園







2019年9月15日日曜日

79)「銀座の美味しいシュークリーム屋さん」

今日は介護付き有料老人ホームでの敬聴です。

職員さんから4階でのグループ傾聴を依頼され、皆さまにご挨拶をしていると、息をきらして2階から上がってきた介護士さんに「昨日入居された2階の方が、話し相手がいなくて淋しいと仰っていますので2階でお願いします。」と言われました。

私は慌てて4階の方々に「ごめんなさい。後でまた来ますね。」とお詫びして、急いで 2階に降りました。

カウンター席で紅茶を召しあがっていたその方は、カツコさんという85才の女性でした。不安げな眼差しで 少々 他人に対して警戒心が強いように見えました。人見知りなのかもしれません。介護士さんに紹介され、私はカツコさんのお隣に着席いたしました。

 なるべく  ゆっくりとした口調で、にこやかに 「初めまして○○と申します。今日はお話を伺わせて頂きますね。よろしくお願いいたします。」とご挨拶すると、 カツコさんは少し‘はにかみ’ながら 私の方にお顔を向けました。(何からお話をお聴きしたら良いかしら?)

「昨日、ご入居されたのですか。」とお尋ねすると、 カツコさんは戸惑われ、介護士さんに助けを求めるように目を遣りました。 (うーん、困ったなあ。お話を伺う糸口は何にしようかしら ・・・。)

ふと目を遣ると、カツコさんの爪にはライトコーラル(赤みを帯びた肌色のようなピンク色)のマニキュアが綺麗に塗ってありました。 「きれいな爪ですね。そのマニキュア、素敵です!」と言うと、 少し顔がほころび、カツコさんは両手を少し広げ、私に目を向けました。

 「これは・・ね。昨日 ここで(この施設で)資生堂の美容部員が塗ってくれたの。でも、私は いつも 銀座のサロンに行き、ネイリストに塗って頂いているの。」と仰いました。よく見てみると、爪の半月部分にはメタルパーツまで付いていました!

「あなたは何処のサロンにいらしているの?」と今度はカツコさんから尋ねられました。私は慌てて、「いえいえ、私は自分で塗っています。」とお答すると 
「そう。」と仰いました。そしてもう一度、ご自分の手をご覧になりました。

その後は、ご自身の事を少しづつ話されました。
10年前に亡くなられた立派なご主人のこと。才能あふれるお孫さんの話。そしてご自身はクラシック音楽が大好きなこと等など。ただひたすら・・、私はお聴きしました。

カツコさんはとてもお洒落な方で、ヘアカットには六本木の‘カリスマ美容師’のお店まで、車でいらっしゃるそうです。 「(これからは)ネイリストにはここ(この施設)に来て頂こうかしら。」と仰いました。

その後、お話は美味しいスイーツにうつりました。
「ねえ、銀座に美味しいシュークリーム屋さんがあるでしょ。何というお店だったかしら?」とお尋ねになりました。 (私・・・?)私は知る限りのお店の名を上げましたが・・、どれも違いました。何処かしら? 

後日、友人・知人に聞いても分りませんでした。未だに謎・・です。

「今度 銀座に行ったら、皆さんにお土産に買ってきてあげましょう。」と付け加えになりました。
いろいろな方がお出でですね。わたし少々、カルチャーショックを受けました。

          ( 2019年 7月16日(火)16:00~17:00 )

オークランド動物園


ミーアキャット


2019年8月25日日曜日

78)二つの施設での敬聴 その2

初めての施設です! ここは都内でも屈指の超豪華な介護付有料老人ホームです。
これからこの施設でも敬聴させて頂くことになりました。

傾聴のボランティアグループの先輩 I さんと施設の重厚なエントランスで待ち合わせをし、職員の方から指定された4階に参りました。なお、お部屋に伺う前には手洗いとうがいが必須でした。


ここでの傾聴は曜日と時間帯の指定があり、平日の16時からとのこと。また傾聴させて頂く方も当日 施設側から指示されるとのことでした。伺う場所は2階の個室か4階フロア(グループへの傾聴)だそうです。とても厳格です。

私達が格調高いエレベーターに乗り 4階に着くと・・、そこはまるでサロンのようでした!


フロアは焦げ茶と淡いピンクを基調としたおしゃれなインテリアで、落ち着いた雰囲気でした。女性専用のフロアのようです。
テーブルを囲み 1人掛けソファ 二つにお二方、
3人掛けソファにもお二人がお座りになっていて、お誕生席(?)には車椅子の方もお出ででした。
そこには まったりとした時間が流れていました。

先輩の I さんが皆さまに「今日は私より少し若い方を連れてきました!」と私のことを紹介して下さると、すかさず 真正面の3人掛けのソファに座っていらしたマサさん(85才 女性)が「なんだ、少しじゃないよ。ぐっと若いじゃないか!」と仰いました。結構 きつい口調でした。

I さんも私も少々怯みました。その後もマサさんは I  さんの言動に難癖をつけていました。
(お淋しいのかも知れませんね。ご自分の方に関心を向け、構って欲しいのだと私は思いました。) 
しかし、さすが先輩の I さんはめげずにご持参された ‘お手玉’ や ‘色カルタ’ などの傾聴用の遊び道具を広げました。

一方、私の方は自己紹介の後、I さんに勧められ 3人掛けソファの真ん中に座らせて頂きました。左隣が例のマサさんで、右隣はトキさん(83才 女性)と言うにこにことしたお綺麗な方でした。

トキさんは 「
まあ、(あなたが)私の話を聴いて下さるの?」 と仰りながら、懐かしそうに昔話をきかせてくださいました。本郷生まれで中堅の化粧品会社(私が子供の頃、TVのCMで見たことがありました。)にお姉さまが嫁がれていると仰っていました。

そして 「私はね、こんなに立派な施設に入れて幸せなの。有難いわ!」 と何度も仰いました。
 「ここはね、(入居金や月額費用が)お高いので職員の家族でも入れないのよ。」
そして「ご自分の親を介護(世話)もできず、他人の親の面倒を見るなんて悲しいわよね?」等と憐れんでおられました。(・・・切ない話です。)

他の方々は ただソファに座っていらっしゃるだけで所在なげに見えました。高級な有料老人ホームゆえ至れり尽くせりで、入居者は ‘おしぼりたたみ’ のような お手伝い事もなく何もすることがないようです。TVや時おりの訪問者との会話以外には。


もちろん、私がとやかくいう話ではありません。施設の基本方針とかコンセプト、また ご本人やご家族のご意向などがありますので。

でも、考えさせられました。「幸せってなんだろうか」と。どんなことでも良いので、人の役に立つことをして、周りの方に喜ばれる方が幸せな気が私はします。ゆしまの郷のキクさん(100才 女性)のように。

          ( 2019年 6月13日(木)16:00~17:30 )




オークランド動物園

2019年8月15日木曜日

77)二つの施設での敬聴 その1(おしぼりたたみ)

ゆしまの郷ではこの日が入浴日(6階は14時~)とかで、一時間早い時間帯での敬聴となりました。

お腹いっぱいに召し上がった昼食後の時間だったため、皆さま けだるい雰囲気でした。うつらうつらとしている方もお出ででした。食後の眠気は生理現象ですから仕方ないですね。

さて、見渡すとキクさん(100才 女性)と夕子さん(95才 女性)が二人仲良く並んで座っていらっしゃいました。私はお傍に行き、仲間に入れて頂くことにしました。

「今日はお昼に何を召し上がりましたか。」とお尋ねすると、
「えっ、食べたかしら? (うーん)・・忘れちゃったわ。」と首を傾げるキクさん。
「なんかねぇ・・、お魚を食べたわよ!」と夕子さん。
「美味しかったですか?」と再び夕子さんに問うてみると、
「そうね・・、まあまあ 美味しかったわよ。」とお答えになりました。

その後 お二人は、手持ちぶさたなご様子で、暫しぼんやりとなさっていました。
キクさんは「頭もバカになっちゃったし、何もすることがなくて退屈なの。」とも仰いました。確かに刺激は少ないかもしれません。

そうこうする内に、介護士のエドさんは、お食事の際に使用する 洗濯した20枚程度の小さなタオルを カゴごとテーブルの上に置きました。

すると、慣れた手つきでキクさんは その‘おしぼり’用タオルを手で振りさばき、一枚ずつ広げて二つに折り、その長方形の短い辺の手前から奥側に向け くるくると器用に丸めはじめました。凄いです、早くてきれいです!

「凄いですね、きれいにおしぼりが出来上がりましたね。」と私が言うと
キクさんはにっこりとなさいました。とても嬉しそうでした。

「タオルをたたむ時にね、最初に巻いた真ん中をこうやって指でちょっと押すの!」と実際にやって見せて下さり、自慢げに仰いました。

先程とは打って変わって キクさんはとても自信に満ちていらっしゃいました。

        ( 2019年 6月13日(木)13:00~14:00 )

Golden lion tamarin


オークランド動物園



2019年7月25日木曜日

76)湯島天神祭 その2

6階に到着すると、M子さんは隅のテーブル席にお一人で座っていらした ハツさん(84才 女性)に目を留めて、直ぐにその方の所に行かれました。そして・・、マイペースながらも、イキイキと傾聴をお始めになりました。

言葉遣いがとても綺麗で好感が
持てました。ハツさんへ にこやかに「こんにちは。わたくしね、今日、貴方様のお話を伺いに来たんですの。湯島天神祭りはお懐かしいでございましょう。昔の立派なお神輿はご覧になられましたか?」等とお尋ねになりました。

が、ハツさんは「家が肉屋だったからね、お祭りなんて見ていられなかったよ。ずーっとコロッケを揚げていたんだからね。100個以上もだよ!」とお答えになりました。

「だからね、お神輿なんて(リアルタイムで)見たことなんかないんだよ。」と私の顔を見て仰いました。

それからも お二人で(主にM子さんが話し手でした。)会話をしてい
ましたが、少々齟齬があるようでした。ハツさんは困って、その度に救いを求めるように私の顔をご覧になります。

本来、傾聴での会話の主役は(傾聴)相手のハツさんです。我々はあくまでも聴き手であり、受け身でなくてはなりません。でも、傾聴の初心者であるM子さんは仕方がありません。時々、私の方でフォローさせて頂きました。

その後、自営のご商売ゆえ お姑さんでご苦労されたと言うハツさんに対し、お姑さんとは別居で 全くご苦労された経験がないと仰るM子さんとの会話には無理があり、噛み合いませんでした。でも 20分程 傾聴(お話)されたM子さんは、それでも満足そうに一階のホールに戻られました。

一方(残された)ハツさんは 若干ほっとしたご様子で「あなたも大変ね。一階に戻ってもいいよ。ご苦労さま!」と労ってくださいました。帰り際には、私が握手のために手を差し出すと「あなたの手は柔らかいのね!」等と仰いました。

敬聴を終え 喫茶ルームに向かおうとした時、‘いつも’のカズさん(106才 女性)が一階ホールからお戻りになられました。ご挨拶して帰ろうとすると、今度は獅子舞の登場です!一階のホールまで行けない入所者のために、各階でも舞をご披露するようです。

獅子舞をご覧になっていたカズさんから、大きな声で 「○○さん(私のこと)、こっちへいらっしゃい! あなたも頭を噛んでもらいなさいよ!」 とのお呼びがかかり、もう一度カズさんの傍に行き、私も一緒に※頭を噛んで頂きました。(‘施設の人’ではないのに申し訳なかったです。でも有難うございました。) 私もおかげさまで福を頂きました!

※獅子舞が頭を噛む:その人にとりついた邪気を食べてくれ、悪魔祓いや疫病退治の意味あいから、悪いことから守り 厄除け効果やご利益があると考えられている。ゆえに無病息災で過ごせるという言い伝えもある。また「獅子が噛みつく=神が付く」との縁起かつぎの意味もあるようだ。

頭を噛んでもらったカズさんは 「今年は踊りのお家元(女性)が獅子だから、色っぽいわね!」 などと粋なことを仰っておりました。

私は全ての敬聴を終え、前回のように「喫茶ルーム」に伺い、家族会の打ち合わせに同席させて頂きました。「ゆしまの郷」の家族会はなんと今年で15年目だそうです。歴史があるのですね。私はFさんと家族会に大いに興味を惹かれました。

         ( 2019年5月25日(土) 14:00~18:00 )



富士山

2019年7月15日月曜日

75)湯島天神祭 その1

この日は湯島天神祭でした!

施設のおじいちゃん、おばあちゃん、そして職員さんや家族会の方々、皆さま ピンクやブルーの半纏をお召しになっていらっしゃいました。

1階のホールには祭囃子がながれ、模擬店まで出ています。
デイサービスセンターには各フロアからたくさんの入所者やご家族の方が集まり、子ども神輿や獅子舞などを観ておられました。


これは地元の町会 天梅会の方々のご協力によるものだそうです。そして施設利用者(入所者など)からは ‘おひねり’ も渡されるとのことでした!

私が敬聴のために 6階に向かおうとした時、家族会の代表、Fさん(女性)に出会(でくわ)しました。挨拶を交わしていると、傍にいらした ‘知的で上品な女性’ Mさん(年齢は80才とのこと)に 「傾聴を教えて下さいませんか。」「わたくし学びたいの。」 と頼まれました。びっくりしました。(私が?)

彼女はある方から 「戦争体験者は入所者とほぼ同年代なので、戦争を通じた話ができる」 と言われ、傾聴に興味を持ったとの事です。 「(あなたの傾聴に)同行させて頂いてもよろしいかしら?」 と矢継ぎ早に仰いました。

私、少々 たじろぎました。お顔に似合わず積極的です。 「私が・・ですか?」 と聞き返すと、Mさん曰く 「(ゆしまの郷の)
施設長にご相談したら、今から○○さん(私のこと)が傾聴にみえるので、彼女に教えてもらって下さい。」 と言われたとの事でした。(ええっ!)

それでは・・、6階へと エレベーターに向かい始めると、今度は子ども神輿をご覧になっていた(施設の)理事長夫人 N子先生にばったりお会いしました。


先生は 「あなたのブログ、いつも読んでいるわよ。」 とにっこり微笑みました。そして 「お父さまとお母さまの話 (このブロクの 70)と71) 参照。) とても良かったわよ!」 とお褒めの言葉まで頂戴いたしました。(恐縮でございます!)

「いつもお読み頂き有難うございます。因みに 本日更新したブログには N子先生のことを書かせて頂きました。」 とお伝えすると、先生は 「えっ、ほんと?」 といきなりバッグの中を探し始め、携帯を取り出されました。私はたいへん有難く思いました。

その後、本来の目的である敬聴を始めるためにM子さんを
お連れし、6階フロアに向かいました。途中で家族会の代表、Fさんから 「傾聴が終わってお時間があれば 是非、喫茶ルームにいらしてね!」 と またもやお誘いをうけました。

そして・・、いざ6階へ。さて、今日はどなたのお話を伺いましょうか。

( 2019年5月25日(土) 14:00~18:00 )



photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios

2019年6月25日火曜日

74)ゆしまの郷 家族会 (ボランティアの書道教室) その2

書道ボランティアの方々は手早くテーブルのお片づけを始めました。

一人取り残されたサトシさん(72才 男性)は、まだ書道の先生のお手本に目を向けています。私の 「一緒に書きましょう!」 と言う申し出で我に返ったようでした。

ゆっくりお顔を私に向け 「一緒に?(書いてくれるの?)」 と少しにっこりしました。


それでも・・なかなか筆は進みません。私は 「先ず、書いて見ましょうよ。」 と柔らかく促しました。そしてサトシさんの隣に座り ただ寄り添い しずかに呼吸を合わせていると・・

「ここに、この字を書けばよいのかな?」 とサトシさんは私にお尋ねになりました。

そして親指と人差し指を広げて文字の大きさを測りはじめました。なんども何度も測りました。ただ、筆を半紙の上までは運ぶのですが、やはり駄目でした。書けません。長期戦です・・・。


そのうち 「ここに書くの?」 とまたお尋ねになりました。私はにっこり笑って頷きました。


そのトライアル3度、4度。そして、5度目に・・ついに書きました。書けました!
筆を運び、きちんと 「楽」 という字が半紙に書き下ろされました。
サトシさんは少しだけ胸をはり得意そうになさいました。

書道教室のボランティアの皆さまと家族会の方々が引き上げる際、家族会の*Fさん(女性)から 「もし、お時間があったら喫茶ルームにいらして。」 とのお誘いをうけました。

*Fさんとの出会いは私にとって とても意義のある出会いとなりました。

敬聴を終えて喫茶ルームに着くと、先程のボランティアの先生方と家族会の方々が一緒にお茶を召し上がっていました。私はFさんから皆さまにご紹介して頂き、着席いたしました。


メンバーの方々は今後の活動について意見を出し合っておられました。活気がありました。今回の書道教室はも‘ゆしまの郷’ の家族会が依頼したそうです。


家族会はその他にも 「ゆしまの郷祭り」 等の企画にもお力添えをされているとの事でした。 (なるほど、だから充実していて、入所者を喜ばすことが出来るのですね。納得です!) 施設に任せっぱなしではなく、家族の方々が積極的に参加されているのです。


大事な家族を丸投げするのはダメですよね!

( 2019年 4月27日(土)14:00~16:00 )




NZ オタゴ大学

2019年6月15日土曜日

73)ゆしまの郷 家族会(ボランティアの書道教室)その1

敬聴のため6階に到着すると、書道ボランティアの方々が大勢いらっしゃっていました。そして・・お馴染みのお年寄り達にお習字の手解き(てほどき)をしておられました。

私も拝見させて頂くと・・、「お上手でした!」  皆さま とてもお上手でした!

先ず 姿勢が良いのです。素晴らしい! 普段とは違って背筋が伸び‘しゃん’としてました。不思議です。書道の基本が身についておられるのでしょうか。


筆の持ち方も綺麗でした。筆を立ててお書きになっていらっしゃいます。肩に余分な力など入っていませんでした。自然体です。そして利き手でない方の左手で半紙の左下を押さえておられました。(ご立派です!)


先生からそれぞれ「とてもお上手です。」とか「良く書けてますね。」等と 朱墨の文字で書かれ、皆さまとても嬉しそうでした。お顔がほころび、心なしか自信に満ちてお出ででした。人間には「自信」や「誇り」が大切! 必要不可欠なのですね。


一方、元教師のサトシさん(72才 男性)ですが、まだ一筆もお書きになっていません。何だかんだ仰りながら、書けないのです。その一筆が出ないのです。


教師という ご職業柄か、あるいはその律儀なご性格からなのか、字配り(字の配置)ばかり気にされているようでした。逡巡しておられました。傍で見ている私には歯がゆくて、またお可哀そうに映りました。


そうこうする内に、書道教室の終了時間がきたようで、各テーブルではお片づけが始まってました。


サトシさんはポカンとしておられます。ただただ 書道の先生のお書きになったお手本ばかりを眺めておられました。彼にとって「書道教室」はまだ終わっていないのです。
一人だけ 取り残されてしまいました・・・。

私は意を決し、サトシさんと目線が合うようお隣にしゃがみました。やさしく 「一緒に書きましょう!」 と申し出ました。

ゆっくり お顔を私に向けるサトシさん・・・。

( 2019年 4月27日(土)14:00~16:00 )


NZ

世界一急な坂道 ダニーデン


2019年5月25日土曜日

72)N子先生の心意気

「 come on! 」 と向こうの方からカズさん(御年106才 女性)が、茶目っ気たっぷりに私を手招きしました。(何かしら・・?)そして 「〇〇さん(私のこと)、こっちこっち!」 と、しきりに急き立てます。

目を遣るとN子先生(この施設の代表者で理事長 Y先生の奥様)のお姿も見えました。( なるほど ) カズさんは私達を引き合わせようとなさっているのですね。でも、私は既にN子先生にはお目にかかっており、自己紹介も済んでおりました。それもカズさんのご紹介で・・。N子先生はにっこり笑って私を見ていらっしゃいました。

私はカズさんのご好意に敬意を表して、N子先生にあらためてご挨拶をしました。
すると早速 N子先生は 「あなたのブログを読んでね、(インドネシア人の介護士さん)エドに 『 夕子さんのことを ‘タコ (蛸)’なんて呼ばないように! 』 と注意したのよ。」 と仰いました。(このブログの 64) 参照。)「雰囲気も良くなったでしょう。」 とN子先生は自慢げに仰いました。

N子先生は私のブログをお読みになり、問題点を把握され 改善を図って下さったようです。誠実な方だと思いました。その後もN子先生はご主人であるY先生のお身体のことやいろいろなお話をされました。
どこの世界でも旦那さまを支えるのは奥さまの役目。たいへんなのですね。本当に頭が下がります!

また、この日は定例の理事会の日。久しぶりにY先生もお顔をお見せになりました。お元気そうです。私も安心いたしました!

すると・・、Y先生を見つけたマリコさん(83才 女性)とカズさんが先生の取り合いを始めました。我先にと先生のもとに行き、話しはじめたのです。凄いエネルギーです。

Y先生はモテモテです。無理もありません、だってカッコいいです!お年を召されていても私から見ても素敵でした!

そして今度は・・、奥様のN子先生が 「〇〇さん(私のこと)、主人です!」 とY先生を私に紹介して下さいました。戸惑う・・、Y先生と私。


実はY先生とも既に顔見知りでした。3年余り前の研修(実習)日にカズさんから紹介されてました。(このブログの 2) 参照。) しかもY先生は 『蓄音機の演奏会』 にもお出でになり、結構、ノリノリでした!(このブログの27)その4 参照。)

その後もN子先生のお話は続きました。インドネシアから介護士さんを招くにあたり、‘日本での母親代わり’ をお約束したそうです。お食事の支度をしたり、イスラム教徒であるインドネシア人にとって神聖な〝ラマダン〟期間は (日中は断食なので) 日没から日の出までの間に (介護士としての仕事があるので) 充分な栄養を摂らせたりするなど等。


また、インドネシア料理には欠かせない ‘日本では手に入らない食材’ を現地から取り寄せることもあるそうです。たいへんなご苦労です。陰の力が大事なのですね。人に対する愛情でしょうね・・・。

そんな折、‘噂の介護士’ エドさんに車椅子を押され
ハルさん (85才 女性) がやって来ました。 (このブログの 68 )参照。) ハルさんは私に向かってこう叫びました!

「まだ、生・き・て・た・よ!」と。

   ( 2019年3月2日(土) 14:00~15:00 )




犬山城

                                                     明治村 コブシの花

2019年5月15日水曜日

71) 【余談 5】 父母の最後のデート その2

沈黙を破ったのは、なんと・・父でした!

父は全てを察したかのように「もう、帰ろう・・。」と静かに口を開きました。私たちに ‘その顔’ を見せぬよう 俯(うつむ)き、足元の地面を見つめていました。

私は緊張の糸が切れ・・、ホッとしました。この濃密な時間を止めたのが私ではなく父だったからです。もし、この情景を断ち切ったのが私だったなら、その後ずっと後悔した筈です。

父は思いを振り払うかのように、私の方に向き直りました。その眼は「これで御仕舞い。さあ、病院に戻ろう。」と言っていました。

その後は 一切うしろ(後から車椅子で付き従う母)を振り返らず、真っ直ぐに前を見て 毅然としておりました。男子(おのこ)でした! 父は強く優しい男子でした。

あの堅物の父が自ら手を差しだし、母の手を握るのはとても
衝撃的でした。瞼にはまだその余韻が残っております。恥じらう母。おぼこのように ぽっと頬を染めたあの姿・・。私は二人をとても愛おしく思いました。

そして・・、その四か月後に父は静かに・・逝きました。

あの時 父は自分の寿命がわかっていたのでしょうか。今でも不思議です。あの父の振る舞いが。この時の写真は私の一番の宝物になっております。桜の時期になると思い出し胸が熱くなります。

私は ‘あの城北交通公園’ に行ってみたいと思いました。
桜の木の下に父母が仲良く佇み、にこにこと笑っているような気がします。


《エピソード》

 その1:見学に行った介護施設への入所を頑なに拒み、入所しているお年寄り達の ‘風船キャッチボール(ボール投げ)’ や ‘折り紙・塗り絵’ を「バカバカしい。」等と言っていた父は、認知症の母がデイサービスやショートステイに通うようになると「母さんと同じところ(施設)に行きたい!」と言うようになりました。

その2:その後 老健(3か月間 限定の介護老人保健施設。介護を受けながらリハビリをし在宅復帰を目指す施設)に入ることになった父母ですが、父の願いは叶わず、母は3階の認知症専門棟へ、父は2階の一般棟へと別れ別れになりました。私は施設の方に「お食事の時だけでも 何とか二人を一緒にさせて欲しい。」と懇願いたしました。おかげさまで念願が叶い、父は満足し、母も嬉しそうに ‘束の間のひと時’ を共に過ごしました。

そんなある時、疲れた母は 父がトイレに行っている隙に、2階にある父のベッドで寝てしまいました。トイレから車椅子をこぎ 一所懸命に戻ってきた父は その姿をみて苦笑しました。でも、とても嬉しそうでした! 母は安心しきって無邪気に寝ておりました。とても微笑ましい光景でした。

その3:父が亡くなり半年ほど経った頃、友人夫妻が母を(彼女の)大好きな富士山に連れて行ってくれることになり、特別養護老人ホーム(特養)まで車でお迎えに来てくれた時の話です。

私は外泊願いを出すため、施設担当者のところに行っておりました。母は車椅子を押してくれた友人に「お父さん(父のこと)が亡くなってしまったの!」と涙を浮かべ訴えたそうです。不思議です。父の死は母には内緒でした。親戚間で取り決めたことです。あえて認知症の母を悲しませることはないとの判断でした。

知っている筈はありませんでした。では一体どうして・・?
友人はビックリしつつも 否定してくれたそうですが・・・。
でも 母は私が戻った時には笑顔でした。ケロッとしていて泣いたそぶりも見せませんでした。狐につままれたようです。亡くなっても なお 二人は一心同体なのでしょうか。

その母も父との逢瀬から二年後に、眠るように旅立ちました・・・。


さった峠からの富士山

不退寺(業平寺)黄菖蒲

2019年4月25日木曜日

70) 【余談 5】 父母の最後のデート その1

この時期(4月)になると決まって思い出すことがあります。

それは介護療養型医療施設と特別養護老人ホームに、それぞれ入所していた養父母が最後に逢瀬(デート)をした素敵な場面です。15年ほど前のことです。まるで映画のワンシーンのようでした。

場所は薄桃色の桜が満開になった板橋区の城北交通公園。公園内ではサッカーに興じる中学生の歓声が湧き上がってました。若さ弾ける声でした。
一方、老いた父母にとっては人生最後のお花見デートでした。

両親の郷里である山形から、従兄が養父母のお見舞いの為に上京していました。
私たちは先ず母がお世話になっている特別養護老人ホームに行き、母を連れ出して父が入院している病院(介護療養型医療施設)に向かいました。

久しぶりに両親を対面させましたが、認知症の母は父のところに来ると不思議な事にシャキッとします。そして看護師さんが留め間違った父のパジャマの第一ボタンをはめ直しました。素晴らしい夫婦愛です。感動・・しました。


向かい側の患者さんへの注射を終え、通りかかった看護師さんは、その様子をみて目を見張りました。そして一言、「ステキですね。」と仰いました。

その後、私が父を車椅子に乗せて城北交通公園に連れて行き、従兄は母を車椅子に乗せて同じく公園に連れて来てくれました。
天気も良く暖かく、最高のお花見日和でした。のどかな春の一日でした・・。

ただ黙って二人はともに並び、桜の花を見上げてました。言葉はありませんでした。

私は胸が苦しくなりました。息を呑み、佇みました。まるで言葉など発してはいけないような雰囲気でした。時は・・静かに流れました。しばらくして、従兄が「写真を撮ろう!」
と言ってくれました。私たちは車椅子を移動させ、一番きれいな桜のもとに父母を誘導しました。

すると父がいきなり隣の母の手を握りました。ビックリする母・・。おぼこのように恥じらい、手を振りほどこうとしました。決まり悪そうな表情です。でも、頑として父は握った母の手を離しませんでした。

あのような強引な父を見たのは初めてでした。実直でしかも年代的にも人前で女性の手を握る世代ではありません。意を決したかのような行為でした。

そして二人は写真に納まりました。生涯忘れられないほど 美しい瞬間(とき)の写真でした。心に沁みつきました。でも・・、時は無情に過ぎていきました。少し風も出てきたようです。


私は「このまま時間が止まり、二人の逢瀬の時間がずーっと続けば良いのに。続いて欲しい・・。」と切に願いました。

ただ、従兄も私もまだ昼食を済ませておりませんでした。 私は少しもお腹など空いてはおりませんでした。というより胸が一杯でした。でも男性である従兄は別です。しかも彼には山形へ帰る
時間が迫っていました。

(・・・どうしよう?)  


千鳥ヶ淵の夜桜


名古屋 ノリタケの森


2019年4月15日月曜日

69) 【番外編】 傾聴講習会 2019年2月26日(火)

2017年3月に講習をうけた「色カルタ ※クオリア・ゲーム」~色を通して人生の物語を聴く、色によりイメージした話を聴く~に再度 参加してきました。

※クオリア(qualia)とは、個人の感覚的、主観的な経験に基づく独特の質感のこ と。
例えば「‘青空’のような清々しい感じ」とか「‘フルートの音色’のような高く澄んだ感じ」等など。しかし リンゴを見た時に感じる「赤」(その人の感じる‘赤’がクオリア) の感覚は、人により感じる「赤み」が異なる。あくまでも個人の主観と感覚である。

今回はその実践編でした。(下記は先術ブログ ‘34)’ のまとめと復習です。)

一般的に認知症の方は症状の進行と共におしゃれ心がなくなり、服装にも気を使わなくなる。そして暮らしの中で ‘色’ に対する興味も薄れるようである。特に高齢者施設などでは環境の変化が乏しく、自分で着る服の「色」も選ぶことが無くなっている。

しかし眼から入る刺激が低下すれば脳の活性も落ち、認知機能にも悪影響が及んでしまう。つまり「色」を意識すると気持ちにも彩りが出てくるのである。

「色カルタ クオリア・ゲーム」とは「色」を見て選ぶことにより、視覚を刺激し、イメージを膨らませて「思い出」やその時の「気持ち」を蘇らせ、「話をする」きっかけ作りをすると言うゲームである。つまり傾聴活動のツールの一つとなるのです。

今回の実践編では傾聴ボランティアのメンバーがグループになり、実体験するという趣旨でした。

【一般的な実践方法】
①色カルタをテーブルに並べる。
参加者のお年寄りたちの前に、色カルタ(100色以上が望ましい)を広げる。 (お年寄りたちに色カルタを広げるのを手伝って貰ってもよい。) 

②リーダーが読み札(読み札には「初恋を色に例えると?」等とテーマが記載されている)を読む。あるいは単純に「赤いカルタを取って下さい!」とか「黒を取ってください!」等と言っても良い。
③参加者はその言葉から連想した色を取る。(「赤」でも様々な「赤色」を用意しておく。) 参加対象者はなるべく同じくらいの認知症レベルの方々でグループを作る。
④何故その色を選んだか、色のイメージについて会話をする。
参加者にはテーマ毎に色カルタの中から一枚選んで頂き、その方の「状況」や「気持ち」を想像しながら選んだ理由を聴いていくのである。
※②~④を繰り返して参加者との会話を続けていく。

【ゲームをする時の約束事】
・自分の言葉で自由に話をして頂く。
・誰かが話をしている時は最後まで聴くように促す。
・評価、批判、否定をしないで聴いてもらう。
・個々の見え方の違いは問題にしない。ex. 青と緑、赤とピンクなど。
・この場で聴いた情報(秘密)は守るように言っておく。

【注意事項】
・リーダー(読み手)は指導者でもなくまとめ役でもない。
・リーダーはひたすら話を聴く。
・心理的な分析や性格を読み取らない。
・話を誘導しない。
・自分勝手な思い込みやレッテルを貼らない。
・参加者の要介護者がカードを取っていなくても、探しているのか、止めてし

 まったのか等の様子をよく見てゲームを進める。
・話し手に身体ごと(お臍を)向けて、にこにこ笑顔で聴く。
・色カルタを選んだ方には必ず全員にお話を伺う。
・話し始めて止まらなくなってしまった方には、相手の状況により「お隣の〇〇さんのお話も聞いてみましょうね」等と言って話を終わらせるようにする。
・感情的になってしまった方には、その感情を肯定する声掛けをする。「大変でしたね」「嬉しかったですね」「素敵な思い出ですね」など等。
・常に全体を見ながら、話す際は相手に集中すること。
・また、このゲームは早さを競うものではないので、ゆっくり考え のびのびと話して頂く。

 

※興味深い例としては
①「春と言えば何色?」という問いに対して、たいていは ‘桜の花’ から連想し、「ピンク」とか「薄桃色」、または 青空の「ブルー」等を思い浮かべるが、一人「淡緑色」のカルタを選んだ方がいらっしゃいました。それは*御衣黄桜の色とのことでした。
御衣黄桜とは、ソメイヨシノが散った後、4月中旬~下旬頃に咲く桜。サトザクラの品種の1つで、開花したばかりの花は淡い緑色、徐々に黄色(萌黄色)に変化していき、やがて花びらの中心部が赤く染まっていくのが特徴。  

②「青春の色は?」では、「黒」とお答えになった方がお出ででした。 
その理由を尋ねると、「学ランの色」とお答えになりました。(納得です!)

③「お母さまの色は?」の問いでは、お母さまが 普段 お召しになっていた着物(服)の色や優しい母のイメージによる淡い色の「ベージュ」。或いは 優しいけれども厳しかったお母さまのイメージからか「赤茶色」を選んだ方もお出ででした。 

色って、それぞれの方々のイメージなんですね。あらためて合点がいきました。
大切なのは参加者との会話を楽しむこと。相手の話をよく聴き、よく話をさせてあげる事。そして参加者の様子に気を配り、話は一人ひとり丁寧に聴くこと。つまり一人ひとりの思いと尊厳を大切にすることなのです。



【効果】
①参加者のお年寄りが自ら考え、選び、説明することが出来ることで、自己満足感が得られる。
②同じ色を見ながら、話し手、聴き手がそれぞれに「状況」や「気持ち」をイメージ出来る。
③お互いに共感でき、人と人のつながりもできる。
④忘れていた記憶を取り戻すこともある。



ヒヨドリ

ヤマガラとシジュウカラ

2019年3月25日月曜日

68)「ワタシの大好きなおねえさん(?)」

皆さま、何やら熱心に色とりどりの ‘10センチ四方’ の薄紙を折ったり、手で握ってくしゃくしゃにしてました。(何かしら?)

奥のテーブルに目を遣ると、節分用の大きな鬼のお面がありました。そして頭の一部に丸めた茶色の薄紙が貼ってありました。なるほど、貼り絵ですね!

インドネシア人の介護士 エドさんも、左手のひらに薄紙をのせ、もう片方の手と合わせ、器用にも薄紙を ‘くるくる’ と丸めてました。

私もそれを真似て、両手のひらに薄紙をはさみ ‘くるくる’ と回して紙のボールを作ると、お年寄り達から感嘆の声が上がりました。


私が「こうすると、簡単に可愛い薔薇のようなボールができますよ!」と言うと 皆さま一斉に薄紙を手にし 真似して作り始めました。 が・・、丸いボールは上手に出来ませんでした。


トシコさん(95才 女性)は「あなたと違って歳をとっているのだから、手も足も乾燥して丸まらないわよ。」と訴えました。(あっ、そうか・・。ごめんなさい! 不覚でした、私。)


「でも、トシコさんのお顔はつるつるですよ!」と私が言うと、
「あなたとは全然違うわよ、キレイね、あなた。肌が違うわね、やっぱり若いから。」とトシコさんに褒められ(?)ました。(若くはないのですけれど・・私。)

それから私は トシコさんに ‘ご自慢の息子さん’ へと話を向けました。(このブログの66)参照。)「息子さんは文京区にお住まいでしたよね、慶應ボーイの!」と言うと、「そうよ、私には4人もいるのよ、息子が。」とトシコさんはお答えになりました。

話によると、トシコさんのお子さんは男性ばかりの4人で、そのうちお二人は双子だそうです。また、そのお名前が・・おめでたい名前ばかりでした!
『竹蔵』『松男』『末廣』(敬称略)、そして もう一人のお名前は・・忘れたそうです。
 

「男の子の子育ては大変よ。一人でたくさんよ! もう一人で充分! たいへんだもの。」「食事の支度だってね、食べ盛りの男の子ばっかりでしょ。たいへん!もう一人で充分だわよ!」と何度も力説なさいました。

そのうち 介護士さんが3時のおやつにヨーグルトとミルクたっぷりのコーヒー を配りはじめました。皆さま おとなしくそれをお飲みになりました。
其々が飲み終えると、キクさん(100才 女性)はお片付けをし始めました。
 

他の方々が飲み終えたカップをまとめたり、空になったヨーグルトカップを重ねたり。いつだってきちんとお片付けするのはキクさんです!

そこに 介護士のエドさんに車椅子を押されてハルさん(85才 女性)がやって来ました。ハルさんは私を見つけると、目を輝かせて「ワタシの大好きな ‘おねえさん’ がいる。会いに来て くれたの、嬉しい! 」と仰いました。(そんな風に言って頂き恐縮でございます!)


「ありがとうございます。でも、私はもう ‘おねえさん’ と言って頂ける年ではありませんよ。」とお応えしました。「ハルさんもお元気そうで何よりですね!」と続けると「そんなことないよ。もう早くお迎えにきて欲しいの。皆に迷惑をかけちゃうから。」と言いながら自嘲気味に笑いました。


そして いきなり「この ‘頭のぼけた’ 婆さん、早く死んでしまえ!」と言いながら、ご自分の頭を叩きました。(ビックリしました! ・・とても悲しくなりました。私、切ないです。やるせないです。)


歳をとって物忘れがひどくなり、物事が(多少)分らなくなるのが、そんなに悪いことなのでしょうか、歳をとることは罪なのでしょうか。一番つらく悲しいのは ‘そのことに気がつき、でも どうにもならない’ ご本人です。


歳をとれば
誰でも、多かれ少なかれ物忘れが多くなり、身体も「不‘自由’・不便」になります。周りに迷惑をかけている自分を卑下し、苦しませる社会の方が罪です!(と私は思います。)
「今、生きていること」「生きてきたこと」に誇りを持ってください。

ハルさん、あなたは何も悪くありませんよ!

( 2019年1月14日(月) 成人の日 14:00~15:00 )



銀山温泉


白銀の滝

2019年3月15日金曜日

67)歯科医院にて

品の良いおばあちゃま(後でお聞きすると96才とのこと)が娘さんに連れられて歯科医院にいらしてました。

少々お耳が遠いようで、母娘お二人の会話中 何度も 「えっ、何ですって?」 等と聞き返しておられました。「あとで申し上げますね。」 と娘さんは丁寧にお答えになってました。敬語でした。税金か何かの話しのようです。

暫くして、歯科医のS先生がその方のお名前をお呼びになりました。
おばあちゃまは杖を娘さんに預け、看護師さんに手を引いてもらいながら診療室に入られました。

診察室での会話が聞こえてきました。おばあちゃまも先生も大声だったからです。S先生はその方に「また美味しい物をたくさん食べたのでしょう!」と声高に仰いました。
「いいえ、食べてませんわ・・。」 と困惑しているご様子のおばあちゃま。
「そう? でも、歯茎が傷だらけだよ。これじゃ痛いわけだよ!」 と先生。
「そうですかねぇ・・・。」「美味しい物って言っても、お蜜柑とかお肉を少しだけですよ・・。」とおばあちゃま。

その時 歯科助手さんから名前を呼ばれ、私は隣のイスに座りました。

お隣では おばあちゃまに「あまり一所懸命に噛まないでね。」 と先生。
「蜜柑の袋などは噛まずに汁だけ吸うとか・・ねぇ。」とお続けになりました。
「それから施設で出されるお肉などは柔らかいのだから、力を入れて噛まないこと。良いですか。」 とも仰いました。

おばあちゃまは渋々納得されたようです。静かになりました。
歯茎の腫れに薬を塗り、治療を終えた先生は 「もう、痛くないでしょ。」 と優しく仰いました。おばあちゃまは満足そうに頷きました。

私が歯のクリーニングを終えてエレベータに乗ると、先程の娘さん(70才位)がお一人でエレベータに乗り込んでいらっしゃいました。おばあちゃまは未だ治療後のケアがあるようです。

私が「お母さまはご自分の歯で何でも召し上がれて素晴らしいですね!」 と言うと、「そうなんですの。気丈な母で私も負けるくらいですのよ。」 と娘さんはお応えになりました。
「母は常々『人に頼ると頭が悪くなる、頭が働かなくなる。』 と申しているのですよ。」 とも仰いました。なるほど、だからしっかりされているのですね。納得です!

おばあちゃまは この歯科医院のS先生が大好きで、施設がある戸田市からわざわざ通っているのだそうです。その意欲も凄いと思いました。

さらに娘さん (どうやら何かの先生らしいです。待合室の患者さんから ‘先生’ と呼ばれておりました。) は 「母は口の中のことで(私が)注意すると、 『それはどなたが仰ったの? S先生?』 等と言って、私の言葉は信用せず この病院に駆け込むのですよ。」と付け加えになりました。

私が「(お母さまは)しっかりなさってますね。背筋も伸びて 凛とされていて。」と言うと、娘さんは続けました。「私が昔の事や ちょっとした愚痴を言おうものなら 『それはもう過去!』 とピシッと言われてしまうの。」と敬愛の念を込めて仰いました。

とてもとても素敵な母娘さんでした!

       ( 2018年12月27日(木) 12:00~12:30 )


久能山東照宮 神馬



2019年2月25日月曜日

66)「N子先生の来所!」 その2  -えっ、駆け落ち?-

N子先生はカズさん(105才 女性)とトシコさん(95才 女性)の間に座りました。丁度、私がトシコさんにお話を伺っている最中でした。

今日のトシコさんは語りました!
トシコさんのご両親は ‘なんと’ 駆け落ちだったそうです。
婚姻を許して貰えなかったお二人は、東京から種子島まで逃げてきて、結婚されたとの事でした。とてもドラマチックです!

トシコさんはふるさと種子島のお魚が大好きだと仰いました。私が「どんなお魚がお好きですか?」と尋ねると、「そうねぇ、小魚かな。」とお答えになりました。
皆さま、食べ物の話では盛り上がります!

また、歌も大好きで軍歌(時代は満州事変でしょうか)等もよく歌うそうです。
「でもね、一人では歌えないの。」と小声になりました。「誰かが歌えば後について歌えるけどね・・。」と俯きながら付け加えました。

それから話はご長男にまで及びました。「息子はね、慶應ボーイなの!文京区で石油関係の会社を経営しているのよ。」と誇らしげに言い、いろいろとご説明して下さいました。ご自慢の息子さんのようです。 今日のお話には筋が通っておりました。いつもとは別人のようです。

私が「トシコさんは(文京区でご自宅近くの)この施設に入れてお幸せですね。」と言うと、「ここ ‘ゆしまの郷’ にはね、誰もが入れるわけじゃないのよ。不良は入れないの! ちゃんとした人だけ入れるの。』 と返答なさいました。
私は目が点になりました。いつもと話し方まで違っております。凛としておりました。

あらためて私は「敬聴」には、その方の自信を持っている事・自慢に思っている事をお尋ね(お聴き)することが大事なのだと思いました。当たり前のことでしたが とても勉強になりました。

因みにN子先生は繰り返し「どんな小魚が好きなの?」とトシコさんに尋ねておりました。

その後、カズさんと親しげに話をしていた私を見て N子先生が突然 「あなたが〇〇さん?・・前からあなたにお会いしたいと思っていたのよ。」 と仰いました。
「はっ?」わたし。どうやら この階のおじいちゃん、おばあちゃん(?)がN子先生に私の話をお聞かせしたようです。(たぶん・・、カズさんでしょうね。)

私が自分自身の ‘敬聴へのスタンス’ や ‘思い’ をご説明すると、N子先生はさらに興味をもたれ、話がはずみました。また私のこの ‘ブログ’ にも興味を示され「ブログの見かたを教えて欲しい。」と言われました。

それで私はN子先生の携帯の ‘お気に入り’ 画面に「これからは傾聴から敬聴へ!」を登録させて頂きました。時々は覘いてみて下さっているでしょうか。

 ( 実施日:2018年12月9日(日) 14:00~15:30 )



 photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios

睨眼

2019年2月15日金曜日

65)「N子先生の来所!」 その1

N子先生はこの施設の代表者で理事長Y先生の奥様です。

私がカズさん(105才 女性)のお話を伺っている時、カズさんは目ざとくエレベータを降りたN子先生を見つけました。そして嬉しそうに「N子先生!」と呼びかけました。するとN子先生はこちらに顔をむけ「あとで寄るわね!」とにこやかに答えました。

さて、カズさんのお話ですが、お父さまは警察官で 外では厳めしかったものの 家ではとても子煩悩な方だったそうです。

5歳の頃のカズさん(何と今から100年前です!)は「おとうちゃま」と呼び、勤務を終え帰宅されたお父さまを、お兄さまと二人で玄関の上がり框に座り、手をついて「お帰りなさい!」等とお迎えをしていたと懐かしそうに仰いました。(白いフリルエプロンを着けた、おしゃまな5歳のカズさんの姿が私の脳裏に浮かびました。)

そして二人は疲れていたお父さまの背中にのり「馬乗り等をして遊んでもらった」と当時を思い出しておりました。童心に返ったようで目をキラキラとさせておりました。

お父さまは 時々 サンドイッチをお土産に持ち帰ってきたとカズさんは仰いました。100年前にサンドイッチなどあったのでしょうか。
(地方出身の)他のお年寄りたちは「(その頃) サンドイッチなど食べた事はなかった」と口々に仰っておりました。

また、そんなお父さまも偶に(たまに)同僚等との意見の不一致で、いざこざもあったようですが、仏頂面で帰宅されても、カズさん達 子供の無邪気な顔をみると怒りも収まり機嫌がなおったとのことです。

そして そんな時にはお母さまが「人はそれぞれ、いろいろな考え方がありますよ。」等と慰め(宥め)ていたとも仰ってました。素敵なご両親だったのですね。お幸せだったと思います。

その時です! 
「だめっ! それはあなたの(ジャケット)じゃないでしょ!」と厳しい介護士さんの声。振り返ると、サトシさん(70才 男性)が私のダウンのショートジャケットに袖を通そうとしているではありませんか。

介護士さんが慌てて 私に向かって「ごめんね。こちらで預かっておくわね!」と私のジャケットをサトシさんから取り上げました。
呆然とするサトシさん・・。何だかとても可哀そうでした。(ごめんなさい! サトシさん。)

椅子の背もたれに掛けておいた私のジャケットは赤茶色でしたので、サトシさんはご自分のもの(男物)と勘違いされたのでしょうか。私はサトシさんを混乱させてしまい(悪いことをしたなあ。)と思いました・・。

そのサトシさんも教師だった頃は、生徒たちから慕われる とても人気のある先生だったそうです。(カズさん談)

そうこうする内に再びN子先生の登場です! お約束を守られたようですね。


  ( 実施日:2018年12月9日(日) 14:00~15:30 )



長谷川 潾二郎  ≪ 猫 ≫

2019年1月25日金曜日

64)「インフルエンザワクチン」って皮下注射それとも筋肉注射?

カズさん(105才 女性)が訴えました。105才からの提言です!  

「エド(インドネシア人の介護士)はね、単語しか言えないのよ。だからコミュニケーションがとれないの。」
「そしてね、何かあるとすぐに大きな声を出すの。」とカズさんは頭(かぶり)を振りました。

「皆がいうことを聞かない時に。」とカズさんは顰め面(しかめづら)をして続けました。 
「そばに行って話をきくとか、説明するとかをしないのよね、彼らは・・。」
「皆、ビックリして、かえって萎縮してしまうのにね。」さらに続けました。 

 外国人介護士さんを雇う際の問題点です。よくご覧になっていますね。 

 その後、話は先日受けたばかりという ‘インフルエンザの予防接種’ の話しに移りました。因みにカズさんは「インフルエンザワクチンは筋肉注射!」と言い切っておりました。
さらに「※筋肉は身体(からだ)を構成している(一番)大切なものなの。」と力説しました。さすが元看護師さん、偉大なOBです。

※1筋肉の減少は進行すると命に関わることもある
筋肉量の減少は30代から始まるが、特に40代以降は顕著になる。健康な人でも80歳前後には30%程度の筋肉が減少する。 

 2筋肉は脳に直結しており、鍛えるには脳神経の興奮が必須
筋肉は身体を動かす運動器という役割にとどまらず、生きた器官として全身の臓器と密接に関わっている。骨格筋として姿勢や動作を保つ役割は想像がつくが、消化管や血管など内臓の動きにも関与している。
体の中には発汗の際に働く汗線周囲の筋肉や、視力を調節するレンズ周囲の筋肉など小さな筋肉も含めると650種類もの筋肉があり、その全てが連動して生命活動を支えている。これら全ての筋肉には共通点があり、筋肉は神経を介して脳とつながっているということである。


(でも・・、インフルエンザの予防接種って、筋肉注射だったかな? 皮下注射では なかったかしら?)等と生意気にも素人の私は思いました。

それで少々調べました。すると良い記事が見つかりました。タイムリーでした。 それは亀田総合病院 健康管理課の医長が関連施設において「インフルエンザワクチンの皮下注、筋肉注射における発症率および副反応について」の調査を2018年10月1日から行っていると言う記事でした。

【研究の意義と目的】:「インフルエンザワクチンは国際的に筋肉内への注射で行われています。しかし、本邦は皮下への注射が薬剤説明書の方法となっています。 
筋肉注射が国際的方法となっている理由は、腫脹や痛みなどの注射部位の副作用が 少ない事や、感染防御能力をしめす抗体の増加が良好であるためです。

ですから筋肉内注射が最良の方法と考えられますが、本邦の薬剤説明書に記載がない方法のため、医療現場においては最良の方法が簡単には選択できないという問題を起こしています。よって筋肉注射の有用性を検証する調査が本邦には必要です。・・云々。
本研究は筋肉注射と皮下注射でのインフルエンザ症状の発症率を比較するのが目的となります。他に副作用を比較するのも目的といたします。」(抜粋)と書かれておりました。

つまり、現状はインフルエンザワクチン注射は皮下もしくは筋肉で行っており、担当看護師や病院により 打つ部位や方法が異なっているようなのです。

カズさんが熱弁をふるっている時、介護士のエドさんがにこにこして、トシコさん(仮名95才 女性)に向かて 「タコ。」 「タコ。」 と連発しておりました。
カズさんまで 「タコちゃん?」 と言って振り返りました。

以前、私はトシコさんから 「本名は種子島で生まれたので ‘タネ’ 。」 とお聞きしたことがあります。その後 何故か [タネ] が漢字となり [夕子(ゆうこ)] へ、そして今は愛称(?)の [タコ] になったようです。

私がトシコさんに 「(トシコさんは)人気者なのですねぇ。愛称で呼ばれるなんて!」 と言うと、ニコリともしない表情で 「ふざけているのよ。」 と一刀両断でした。
そうですね。‘タコ(蛸)’ ではねぇ、確かにちょっと・・。悪意はないのでしょうが、褒め言葉には聞こえません。それと、両者の距離感・・もありますかね。

それはさて置き 敬聴終了後には、皆さま にこやかに手を振り送ってくださいました!

( 2018年11月17日(土) 11:00~11:30 )
影富士1

影富士2