2018年12月25日火曜日

62)トランプと海軍省 その2

カズさん(105才 女性)は従軍看護婦時代の「※2デング熱」や「※3コレラ」について話をしてくれました。 

当時(コレラは別ですが)デング熱に感染しても、若いので数日安静にしていれば治ったそうです。看護婦という職業柄や勤務地が東南アジアの熱帯地域、シンガポールという事で伝染病に罹る率は高かったとのことです。 

日本赤十字社看護婦養成所を卒業した者は、平時には日赤病院その他に勤務し、戦時招集状が届けば、いかなる家庭の事情があろうとも戦地に出動するのが原則であったとのこと。 

※2デング熱:ネッタイシマカなどの蚊によって媒介されるデングウイルスの感染症であり、熱帯病の一つである。デングウイルス感染症がみられるのは、媒介する蚊の存在する熱帯・亜熱帯地域、特に東南アジア、南アジア、中南米、カリブ海諸国であるが、アフリカ・オーストラリア・中国・台湾においても発生している。蚊の吸血活動を通じてウイルスが人から人へ移り、高熱に達することで知られる一過性の熱性疾患である。症状は発熱・頭痛・筋肉痛・関節痛、はしかの症状に似た特徴的な皮膚発疹など。 

治療方法は対症療法が主体で、急性デング熱には今起きている症状を軽減するための支持療法が用いられ、軽度または中等度であれば経口もしくは点滴による水分補給、より重度の場合には点滴静脈注射や輸血といった治療が用いられる。 

※3コレラ:コレラ菌を病原体とする経口感染症の一つで、衛生改善と清潔な水へのアクセスが必要である。経口コレラワクチンは投与するとおよそ6か月効果が続く。主な治療法は経口水分補給である。尚、コレラにかかっても、栄養状態の良い日本人が死ぬことはまずない。軽い下痢で終わる人も多いようである。治療は点滴。下痢がひどい場合には水分がどんどん失われので取敢えず点滴。抗生剤で治療しなくても殆どの場合よくなる。 

『当時はね、※4海軍省管轄の※5-1医療船(? 病院船のことでしょうか)があったのよ。』と在りし頃を懐かしむカズさん。 

 ※4海軍省:日本の第二次世界大戦以前の行政官庁各省の中の一つであり、大日本帝国海軍の軍政機関。主任大臣は海軍大臣。海軍大臣は現役の海軍大将または中将が天皇から任命された。軍令は最高司令官である天皇に直属する軍令部が担当する。海軍省には軍務、兵備、人事、教育、軍需、医務、経理、法務などの「局」が置かれた。 

※5-1医療船(?):病院船(びょういんせん)とは、戦争や飢餓、大災害の現場で傷病者に医療ケアのプライマリ・ケアを提供したり、病院の役割を果たすために使われる船舶である。 

通例、世界中のさまざまな国々の海軍が運用しているが、医療システムにかかる維持費等のコストが莫大であることから、輸送艦や強襲揚陸艦として運用されている病院船も少なくない。赤十字活動の勃興とともに病院船の戦時国際法上の地位も確立されていった。一次世界大戦、第二次世界大戦などでは、いくつかの国で客船を改装した病院船が整備され運用された。例えばイギリスのブリタニック、日本の氷川丸など。 

※5-2日本の病院船:うらる丸はかつて大阪商船(現:商船三井)が所有・運航していた貨客船である。

日中戦争や太平洋戦争の一時期には病院船として使用された。1944年に戦没。 日中戦争中の1937年~1938年は日本陸軍に徴用されて病院船となった。 

その後は通常航路に戻っていたが、太平洋戦争が勃発すると再び陸軍に徴用されて、主に輸送船として使用された。日本周辺、シンガポール、フィリピン、ラバウル、パラオ方面への輸送に従事した。一時は病院船として使用され、白色船体に赤十字などの識別塗装がされていた。病院船として運用中の1943年4月3日にアメリカ軍機の爆撃を受け損傷したため、日本側は戦争犯罪であるとして非難した。(カズさんが仰っている船とはこの船のことでしょうか。) 

ズさんは一人思いを巡らせているようでしたので、私はそっとお傍にいるだけにしました。 

因みに、シンガポールのマ-ライオン(全身がコンクリート製で、波を象った台の上に乗り、口からは水を吐いている‘上半身がライオンで、下半身は魚の像’)はその当時は未だなかったそうです。(1972年 設置) 

ともあれ、お元気なお年寄りの方々の姿は眩しく、急逝した母の死をまだ受け入れられずにいた私には羨ましく思えました。 

 ( 実施日:2018年9月23日(日) 14:00~15:00 )


ハウステンボス
ハウステンボス2


2018年12月15日土曜日

61)トランプと海軍省 その1

9月23日秋分の日。お馴染みの6名の方々がトランプゲームに興じておりました。
メンバーは時計回りに、キョウコさん(81才 女性)、トモコさん(85才 女性)、どなたかのご家族の女性、トシコさん(95才 女性)とキクさん(100才 女性)、そして皆さまを仕切っているのがマリコさん(81才 女性)。リーダーのようです。


インドネシアの男性介護士さんは傍で見ておりました。
ババ抜きでした。それぞれが一枚ずつ近隣から抜き取り、同じ札があれば捨てております。


キョウコさんは神妙な顔をし左隣のトモコさんにカードの裏を向け、扇(おうぎ)の形に広げております。そしてトモコさんは1枚ひきました。ペアがあったようです。そのペアカードを捨てました。


順番にカードを引いていき、トシコさんの番になりました。同じカードがなかったようで 、そのままご自分の扇形に広げたカードの中に加えました。
次は左隣のキクさんに引いてもらうのですが、カードの表(おもて)が丸見えでした。(あらっ!)困惑のキクさん。


トシコさんは介護士さんに注意されておりました。でも大丈夫です。キクさんは ズルなんて致しません。カードを見ずに普通に一枚抜いておりました。


ゲームは続き、カードがなくなった人から勝ち抜けていきました。
最後にババ(ジョーカー)を持っていたのは ‘やはり’ トシコさんでした。
でも、負けたって大したことはありません。みんな仲良しです。

そう、みんな忘れて・・しまいます。

そこに・・・、カズさん(105才 女性)の登場です。


カズさんは今朝 新聞で読んだ安倍総理の「※1第73回国連総会出席」(平成30年9月23日~28日)やロシアの「東方経済フォーラム」(平成30年9月10日~13日)に触発され 、従軍看護婦時代の経験を語り始めました。


※1米国を訪問した安倍晋三総理大臣は、9月23日約2時間30分にわたりトランプ大統領の招きで、ニューヨーク市内のトランプタワーにおいて通訳のみを交え夕食を共にした。
両首脳は国連総会を前に、日米関係のみならず国際情勢について率直な意見交換を行った。
 

当時(従軍看護婦時代)の状況を語るカズさんはとても雄弁でした!

( 実施日:2018年9月23日(日) 14:00~15:00 )


倉敷

岡山県総社市 宝福寺(宝福禅寺)









2018年11月25日日曜日

60)「305才 センテナリアン」のテーブルトーク

今日はなんだか雰囲気が少し違っておりました。定位置に‘それぞれの方’がおりません。具合でも悪くてお部屋で休まれているのかしら?

見渡すと、気怠そうなキクさん(100才 女性)、トシコさん(95才 女性)、そして、マリコさん(81才 女性)はいらっしゃいました!


でも、マツさん(100才 女性)は見当たりません。カツコさん(80才 女性)もお出でになりません、ヨウジさん(94才 男性)は?


そうこうしていると、エレベーター側 
右奥の部屋から、カズさん(105才 女性)が登場されました。お元気そうで車イスを操縦(?)しながら、こちらに向かっております。安心いたしました!

介護士さんに事情をお尋ねすると、連日の猛暑でバテ気味の方や夏風邪をひかれた方が多くお部屋で休まれているとのことでした。

さて、健やか組みの方々と言えば・・。
私は少し億劫そうなキクさん(100才 女性)のテーブルに行き、お話をはじめました。


すると、マツさん(100才 女性)が介護士さんに車イスを押され、同じテーブルに交じりました。さらに、私を見つけたカズさんも加わりました。


圧巻でした。3人の年齢を足すと305才!です。神々しくさえ見えました。
3名のセンテナリアン達とご一緒しているのですね、わたし!

3人のお席に交じり 「何をお聴きしようかな?」 等と考えてワクワクしました。
そして可愛らしいマツさんと目があいました。 「マツさんは美人さんですね!」 と言うと 、マツさんは嬉しそうに目を細め、笑みを浮かべました。


すると、すかさずキクさんが 「美人? 顔の方が少々不細工でも、こころが美人とかね。」 と仰いました。
おーっ! きついお言葉。お年を召しても ‘嫉妬?’ ってあるのですかね。辛辣でした。


そしてカズさんまで 「そうそう、性格美人とかね。‘八方美人’って言うのもあるわね。」 等と。たじたじでした、私!

うん・・? なぜかその時 ひとつ・・気がついた事がありました。
それは・・・、いつの間にか顔見知りの方が ‘一人、また一人、そしてもう一人’ といなくなっている事です。迂闊でした。初めて気がつきました。

ここは ‘高齢者’ 専門の施設。そうです・・、諸行無常です。

                                                   合掌
       
( 実施日:2018年8月19日(日) 14:00~15:00 )


ブットレアとイチモンジ蝶


ブットレアとキタテハ


2018年11月15日木曜日

59)高田のばば (山形編) その2 (2018年9月12日(水)6:00~7:00)

おばあちゃんは何か言いたそうでしたが・・。黙ってご自分は ‘赤いお顔’ をして湯ぶねに浸かっておりました。なかなか我慢強いお方です。

そして極めつけは脱衣場での出来事でした!

脱衣場には、足拭きマットの横に古びたタオルが箱のような物の上に広げてありました。私は湯ぶねから上がり、身体を拭いて脱衣場に移動しました。
その時、はずみでそのタオルを踏んでしまいました。(いけない! やってしまいました。)

すると、先程のおばあちゃんは『あっ!』と言って頭(かぶり)を振りました。(そのタオルは使用後の ※4 ケロリン桶を伏せて、水気を切るための手作り道具でした。)
私は小さくなって『ごめんなさい。』と謝りました。

※4ケロリン桶(ケロリンおけ)とは、日本全国の銭湯や公衆浴場で使用されている黄色いプラスチック製の湯桶のこと。1963年に内外薬品株式会社の鎮痛薬ケロリンの広告媒体として製造が開始された。以降、公衆浴場(銭湯や温泉地、ゴルフ場、ユースホステル、民宿の浴場等)に置かれ、湯桶の定番として広く使われている。印刷がプラスチックの表面ではなく、内部に埋め込まれるキクプリントという技術を採用しているため、文字が消えにくく、また頑丈であるため、別名「永久桶」とも呼ばれる。

その後 おばあちゃんは、暫く番台の方と雑談をしてから帰られました。

因みに、共同浴場の番台にはご近所の方が交替で座り、入浴料等の管理をしております。「澤の湯」の番台のお姉さん(70才位?)は『気にしないでね! ‘高田のばば’には。』と声をかけてくれました。

『高田のばば?』と私。

『あの人はね、‘高田のばば’ と呼ばれている名物ばあさんなのよ。誰にでも言いがかりをつけるのよ。ごめんね!』と慰めてくれました。高田さんという家(うち)のおばあちゃんなので、すなわち ‘高田のばば’ なのだそうです。

さらに番台のお姉さんは『(私は)あなたがちゃんと身体を洗ってから(湯ぶねに)入ったのを見てたわよ。(高田のばばが)もっと何かあなたに言ったら、中(浴室)に入って窘めようと思ってたの。』と仰いました。(いやいや、そんな大袈裟なことではありませんって!)

その ‘高田のばば’ さんは、昔みたTVドラマ「意地悪(いじわる)ばあさん」(長谷川町子の4コマ漫画が原作)の主人公で、髪型が ‘お団子ヘア’ をそのまま真似ておりました。そう、頭のてっぺんに ‘おだんご’ を結い上げておりました!

すると、脱衣場の長いすに腰掛けていた おばあちゃん(80代位でしょうか)も『そうそう、私も文句を言われた事があるのよ。でもね、自分は浴室に人がいないと、石鹸やら何やら 一切合切(いっさいがっさい)自分の道具を並べて、独り占めにしているのよ。自分のことって分らないのよねぇ。』等と言って加勢してくれました。(いえいえ、私は大丈夫です。何とも思っておりません!)

その土地に生まれ育った地元の人は、余所から来た ‘よそ者’ や観光客のような ‘一見さん’ を拒むのでしょう。大切な場所を荒らされたくないのだと思います。

ちなみに我が妹は『これだから地方は寂れる(さびれる)のよ。排他的なのよね。』などと申しておりました。

しかし、それより何より私が感心したのは、番台のお姉さんが 先程 私を叱った(文句を言った)おばあさんに何か冗談を言い『今日は笑ったから、一日良いことがあるわよ!』等と励ましていたことです。感動しました!素晴らしいです。お年寄りたちのカウンセラーでした。

また ‘腰がくの字に曲がった’ かなりご高齢な方の御着替えも手伝っておりました。決して珍しいことではなく日常茶飯事なのでしょう。とても自然でした。
手際が良く、まるでベテラン介護士さんのようでした。

地方のコミュニティーではこのようなことが自然に出来ているのですね。 声高に唱えるのではなく‘自然に’です。自然に敬聴がなされておりました。

共同浴場で ‘敬聴の極意’ を目の当たりにさせて頂きました。また一つ勉強になりました。


鎌倉 長寿寺



2018年10月25日木曜日

58)高田のばば(山形編)その1 (2018年9月12日(水)6:00~7:00 )

山形の母の葬儀期間中、われわれ遠方の妹弟たちは近くの旅館に泊まりました。

この町 ※1 かみのやま温泉(城下町で歴史があり風情のある温泉地)も2011年3月11日の東日本大震災以降、廃業の旅館が目立ちます。

※1 上山温泉郷(かみのやまおんせん)は、山形県上山市(旧国出羽国、明治以降は羽前国)にある温泉。古くは同じ山形県の湯野浜温泉、福島県の東山温泉と共に「奥羽三楽郷」に数えられた。

帰省して母を緊急入院させ、その翌日には亡くなると言う ‘この上ない精神的疲労感’ を味わい、また地方ならではの葬儀のしきたりで私は疲労困憊しました。
私たちは宿泊していた旅館から徒歩5分の ※2 共同浴場 澤の湯(朝湯)に通いました。からだの疲れと心の癒しには昔ながらの温泉が一番でした。

※2 共同浴場:温泉街には150円で入湯できる5軒の共同浴場(新湯・澤の湯、葉山共同浴場、二日町ふれあいの湯、下大湯、新丁・上の湯)があり、髪を洗う場合には別料金で入浴料+100円を支払う。ここは早朝から地元の方々でにぎわっており、お年寄りたちの憩いの場となっている。

私は前夜 旅館のお風呂で入念にボディーシャンプーを使い身体を洗ったので、浴場ではかるく身体を洗い※3かけ湯をしてから「いざ、湯ぶねに!」入ろうとすると、背中の方で『からだを洗ってから入って下さい。』と冷ややかな声がしました。

振り向くと、地元のおばあちゃんでした。私を睨んでおりました。

私はたじろぎ『あの・・、洗いましたけど・・。』とお返事しました。
『・・・。』とおばあちゃん。
私の隣でかけ湯をしていた妹も、ギクリとし身体を硬くしました。

※3温泉の効果的な入り方(一説):かけ湯で十分に汚れを落とし、身体を慣らしてから温泉にしっかり浸かる。その後、身体をボディーシャンプー等で洗うのが良い。身体を石鹸で洗ってから湯船に入ると肌への刺激が強すぎる。温泉で身体を温めてから洗った方が毛穴の奥の汚れも良く落ちる。

その後も、おばあちゃんはずーっと私をチェックしているようです。(嫌われちゃったかな?)

加えて、この澤の湯は5軒の共同浴場のうち「一番熱い」と評判の温泉でした。

私は妹に言って聞かせるように『(お湯が)熱いときはね、自分が入る所にだけ、このホース(水道水)で薄めて良いんだって。』と伝えました。

彼のおばあちゃんは・・ムッとしております。(あら、どうしよう? また怒られるのかなぁ?)


上山の特産 紅干し柿



2018年10月15日月曜日

57)「一日一笑! 人生楽笑!!」

この言葉は52)『適当に~ね!』(水中ウオーキング編)に登場されたヨシコさんの金言です。素敵な言葉なので、ヨシコさんのご了承を得て書かせて頂きました。

御年93才のチャーミングな女性 ヨシコさんは、にこやかでウイットに富み、とても魅力的な方です。私が年を重ねた際に ‘なりたい女性’ のお一人です!

何よりヨシコさんのお話にはユーモアが溢れており、受け答えにもセンスが感じられました。93才のヨシコ姐さん、粋(いき)です。カッコイイです!

でも、先日アドバイスして頂いた『適当にね!』は、考えれば考えるほど その加減が難しく思われました。私が野暮なせいでしょうか。

辞書を引くと『適当』とは「度合がちょうどよい、程度がほど良い」ことで、「いい塩梅」「いい加減」言うことのようです。

ヨシコさんが 先日 肩に力の入った私におくって下さったような ‘ 涼やかなウインク ’ は、まさに「いい塩梅」の ‘ あったかくて優しくて ’ 良い感じでした!
漢字ではなくて平仮名の『て・き・と・う』にでしょうかね。

肩の力を抜き、頑張り過ぎず「楽しくニコニコと!」です。
何事にも余裕を持ち「自分に出来る範囲で楽しく行う」と言うことですね。

そして・・、先月9月8日に急逝した母(長い間 若い頃に患った病気の後遺症に悩まされ、それで当時の疾患に対しては手術や延命治療を拒否)から『「適当に~ね!」の水中ウオーキング編を読んだわよ。私も、もう・・そんなに頑張らなくてもいいのよね。“て・き・と・う・に ” で良いわよね・・?』と言われたのが、最後のブログへの感想となりました。

今回のブログも 是非 今は亡き母に読んで貰いたかったです。

因みに、母は譫言(うわごと)のように、苦しい息の中で皆に『ありがとう、ありがとう』と感謝の言葉を唱えながら、静かに逝きました。

極楽浄土で母は「て・き・と・う」に楽しくすごしているでしょうか・・。
                                  合掌


円覚寺 シコンノボタン

海蔵寺 芙蓉





 

2018年9月25日火曜日

56)キクさん語録 炸裂!

その後も キクさん(99才 女性)に当時の生活や また人生観などをご披露頂きました!

『当時は服など、そんなに(たくさん)持っていなかったわ。服なんて、夏冬それぞれ1~2枚あれば 充分よ。だって、綺麗な服を着たからといって、美人になる訳でもないのだから。』

『普段の生活や仕事などで「辛いなあ。」と思っても、もっと辛い思いをしている人が沢山いるのだから「私なんて幸せな方だ!」 と思うようにしているの。』など等、キクさん語録の炸裂でした。
私が『欲をかかずに ‘足るを知る’ と言うことですかね!』 と言うと、キクさんはにっこりとされました。

そして 『不機嫌な顔などしちゃダメね。美人なら 少々 仏頂面をしても ‘みられる’ けど、 不器量な人が怒ったり、むくれた顔をすると、ますます不細工に見えてしまうもの。』と。辛口のお言葉です!

ふと思い出し・・、私が 『キクさんは来月のお誕生日で100才になられるのですよね。凄いですね。ご立派です!』と言うと 『えっ、ほんと? 私、もう100才になるの?』『まだ、93才位かと思ってたわ!』とお答えになりました。数字が具体的です。

『でも・・、100年も生きたから、もういいわ。充分よ!悔いはないわ。』 と付け加えました。『最後に「ありがとう!」って言って死にたいわ!』 とお続けになりました。
素晴らしいです。ステキなお言葉と見事な生き方です!

そこに、例のガッコの先生 (サトシさん 70才 男性) の登場です。

テーブルを挟んで、キクさんやトシコさんの前に座り『いやあ 皆さん、何の話ですか。 〇〇△△××・・・。』等と言ったり、『僕のワイフがね、〇〇と言うんですよ。そしてね、××と言ったりして、・・・云々。』『人間はみな仲良くしないとなあ。だってね、ここに人がいてね。・・・むにゃむにゃ』 など等。

そして、辺りかまわず議論を持ちかけました。サトシさんは少々理屈っぽく、しつこい方のようです。皆さま・・、辟易しているようでした。

トシコさん(94才女性)は私の顔をみて『(この方は)何を言っているのか、難しくて分らないのよ!』『うるさいの!』 と困ったように仰いました。

キクさんも流石にうんざりされ『(サトシさんの話のように)訳の分からない話でも「うん、うん・・。」と聞いていれば良いのよね?』と 私に同意を求めました。でも、私も・・理解に苦しみました。

そんな状況を俯瞰していたカズさん (105才女性) は、サトシさんに向かってご自分の口に人差し指を当てて見せました。どうやら 「お黙りなさい!」 という合図らしいです。
さすが、ご長老、大姉御、お姉さまは強いです!

そうこうする内に敬聴も終了時間となりました。私が皆さんに暇乞いのご挨拶をすると、サトシさんが 『いや、ご苦労さま!』 と言って手を差し出し、私に握手を求めました。(・・・?)

そしてニコニコとこの様子をみていたのは、インドネシア人の男性介護士さん、お二人でした。

( 実施日:2018年7月22日(日) 14:00~15:00 )


photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios

2018年9月15日土曜日

55)『クラス会? 良いわよねぇ~!』 その2  (『あゝ野麦峠』の世界! 14歳で製糸工場へ)

今日も東京は猛暑日!そんな中での訪問でしたが、今回の敬聴には一つ目的がありました。

それは 前回、キクさん(99才 女性)が話されていた当時の「クラス会(同期会)」についての詳しいお話を伺うことでした。

製糸工場のお休みは月2回だったそうです。おまけに給与は安く・・、でも、殆どの工女は家計の助けに実家へ仕送りをしていたそうです。幸いなことにキクさんのところは、第一次産業の農家ではなく、お父さまが大工さん(日銭商売、第二次産業?)だったので、仕送りしたお金は親御さんが貯金しておいてくれて、お嫁入り時に持たせてくれたとの事でした。(よかったです!)

また、お休みの日に友だちと遊ぶ時や同期会などで集まる時には、そのお友だちの家 (お金がかからないので)に行き、茶話会などをしたそうです。
メニューは煮物や漬物。また豆を煮たものもあったと懐かしそうに仰いました。お砂糖を入れて煮たお豆はデザート(お茶菓子)にもなりますしね!


さらに、同期会など大勢の場合には集会場を借り、各自がお料理を一品づつ持ち寄って 集まったとのことでした。

ただ、当時 砂糖はとても貴重で高価だったらしく、キクさんはうっとりとした表情で『お砂糖を入れた煮物は美味しいわよねぇ!』 仰いました。昔はお砂糖を入れずに味付けした煮物が多かったそうです。

『食べるものがあって、健康で 生きていられるのは幸せ。有難いことよ。』

『そう思って(わたしは)生きているの。』 とキクさん。

私が『今、キクさんが一番お好きな食べ物は何ですか?』とお尋ねすると、

『そうねぇ、やっぱりお砂糖の入った煮物かしら。』と即答でした。
(・・愚問でしたね。)

良い話です。こころが温かくなりました!

( 実施日:2018年7月22日(日) 14:00~15:00 )



太宰府天満宮

2018年8月25日土曜日

54)「SILICA GEL」

たった一つの楽しみだった「クラス会(同期会)」 と言っても、ただ皆で集まって、一緒にお茶 (昭和初期に長野にも喫茶店ってあったのかしら?) を飲むだけのひと時だったそうです。(詳細はこのブログ 55) にて記載いたします。)

たいへんな時代だったのですね。今では・・、考えられません。 キクさん(99才 女性)は思いを巡らせているようでした。

一方、お馴染みのカズさん(105才 女性)ですが、私を見るなり、 『〇〇さん(私のこと)は、てっきり*北朝鮮かシンガポールにでもお出でになっているのかと思っていたわ。』と仰いました。(カズさんは相変わらず私を安倍総理の ‘関係者’ と思っているのです。)


*米朝首脳会談(を思ってでしょうか。):2018年6月12日にシンガポールで開催された ‘アメリカ合衆国(米国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)’ の両国トップによる首脳会談 。


カズさんは毎朝 新聞をお読みになるのが日課だそうです。ご立派です!

私が話題を変えるべく、エレベーターの正面横に置かれた「観葉植物のベンジャミン」に話を向けると、カズさんは 『あんな立派な木、いつ置いたのかしら?』 と不思議そうな顔をされました。


更に、『だれが運んだのかしらね?重かったでしょうに。』 と首をかしげました。
(もちろん、フェイクの軽い観葉樹でしたが。)


私が 『あの木は本物ではなくて人工樹木。偽物だと思いますよ。』 と言うと
カズさんは 『そうなの?』 と言いながら、ご自分の車椅子のハンドリム (自走用で駆動輪〔後輪〕の外側に付いているリング のこと。手でこぐ時に使用する。) に手をかけました。


本物か偽物かをご自身で確かめるおつもりです。たいへん・・積極的です!
ご自分が納得しないと気がすまない性質(たち)のようです。

私も一緒にエレベーターのところまで行き、カズさんに葉っぱを触ってみるようにお勧めすると、右手の親指と人差し指でちょっと触れ、それでもまだ首をかしげております。


私がラスターポット(植木鉢)の根の部分に、目立たぬように置かれた ‘SILICA GEL’ と英語で書かれた白い小袋 (乾燥剤) をお見せすると、その小袋を手にとり 『シ・リ・カ・ゲ・ル』 と英文字を読み始めました。やっとご納得・・されたようです。 


このような施設では、観葉植物が枯れそうだったり、傷んで弱っていたりすると 「観葉植物の手入れにも行き届かない」 といった印象になるのでフェイクが人気のようです。

因みに、介護士さんの事務机の上に置かれた ‘白い陶器の鉢植え’ は本物の ‘カネノナルキ’ という観葉植物でした。


そして、この日のカズさんは昼食をご家族と一緒にされる ‘外食日’ らしく、介護士さんから血圧測定を受けておりました。


                ( 実施日:2018年6月16日(土) 10:00~11:00 )




2018年8月15日水曜日

53)『クラス会?良いわよねぇ~!』  その1 (『あゝ野麦峠』の世界! 14歳で製糸工場へ)

今日は私の誕生日でした。そして午後からは3年ぶり、高校のクラス会です!

そんな話をキクさん(99才 女性)にすると、目を輝かせて、『クラス会?いいわよねぇ~。楽しいわよねぇ!』 と仰いました。

キクさんは高等小学校を卒業し、14歳で製糸工場に働きに出たとのことでした。

私は※『あゝ野麦峠』という映画を思い出しました。たしか・・、キクさんも長野のご出身だったはず。まさに映画の工女そのものでした。 以下、ちょっと調べました。


※『あゝ野麦峠』とは、山本茂実氏が1968年に発表したノンフィクション文学。副題は「ある製糸工女哀史」。


戦前に岐阜県飛騨地方の農家の娘(多くは10代で、14歳以下が2割もいた)たちが、野麦峠を越えて長野県の諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た。
吹雪の中を危険な峠雪道を越え、また*劣悪な環境のもとで命を削りながら、当時の富国強兵の国策において有力な貿易品であった ‘生糸’ の生産を支えた、女性工員たちの姿を伝えた作品。

*【多くの少女達は、半ば身売り同然の形で年季奉公に出されたのである。工女たちは、朝の5時から夜の10時まで休みも殆どなく過酷な労働に従事した。工場では蒸し暑さと、さなぎの異臭が漂う中で、少女達が一生懸命に額に汗をしながら繭から絹糸を紡いでいた。また苛酷な労働のため、結核などの病気に罹ったり、自ら命を絶つ者も後を絶たなかったという。】


なお、映画(監督:山本薩夫氏)では、飛騨からの出稼ぎ女工の悲惨な面を強調して描かれているが、原作では工女の賃金にばらつきがあったことや、「我が家は貧乏だったので工女に行けなかった」、「実家の農家で働いていた方がきつかった」といった複雑な背景も描かれている。

また、糸値に翻弄される製糸家の厳しい実情などにも言及し、詳細な聞き取り調査のもと、日本の貧しく苦しい時代を懸命に生き抜いた人々を、その時代背景と共に浮き彫りにするように描かれている。

さて、キクさんと言えば
『他になんの楽しみもなかった当時は、同期会(クラス会)が唯一の楽しみだったの!』と遠いところを見る眼差しで、懐かしそうに仰いました。


                ( 実施日:2018年6月16日(土) 10:00~11:00 )



はりまや橋(純信・お馬のモニュメント)

高知 よさこい祭り



2018年7月25日水曜日

52)『適当に~ね!』(水中ウオーキング編)              (2018年6月8日 金 )

知人に水泳の基礎を教えて貰うため、TOというスポーツジムに行きました。
待ち合わせは午後2時、ジムのロビーです。私はこの日のために午後から休暇をとりました。

最近、運動不足がたたり膝痛のため、医師から水中運動を勧められておりました。幸いなことに、このジムには ‘水中ウオーキングのクラス’ もあるという事でしたので、先にこのレッスンに参加させて頂くことにしました。

知人に教わりながら準備体操をしていると、同じウオーキングのクラスに参加されるという、御年93才のチャーミングな女性 ヨシコさんを紹介されました。にこやかでウイットに富み、とても素敵な方でした!

一通りの準備体操を終え、レッスンの開始時間まで ジャグジーに入って身体を温めていると、後からヨシコさんも入っていらっしゃいました。

93才とは思えない程 お元気で若々しく 何より可愛らしい方でした。
また、お話がユーモラスで味があります。打てば響くような受け答えをされておりました。一緒にウオーキングのレッスンを受けられるのが嬉しくなりました。

さて、ウオーキングのレッスン時間になりました。
ウオーキング用のレーンに着くと、既に40人程のシニアの男女が集まっておりました。平均年齢は70才を超えているように見えました。そして皆さま、思い思いのカラフルな水着を身につけておりました。シニア世代恐るべし!

ただ、レッスンは思ったよりハードで、水中エアロビクスのようでした。
私はコーチに言われた通りに
、必死になって手(腕)を上げたり、足を(蹴り)上げたりしました。さらに腰をおとし大股で歩いたり、カニのように横歩きもしました。水中ジャンプやうしろ歩きだってしました。もう私、ヘトヘトです。

汗だくで格闘(?)していると、いつの間にか横にいらしたヨシコさんが『適当にね!』と私に向かってウインクをなさいました。しかも涼やかなお顔で。

その後も私がレーンを一周する毎に、( ヨシコさんは ‘適当にスタンス’ で優雅に半周まわりをされておりましたが )『て・き・と・う・に!』とにこやかにお声をかけて下さいました。

皆さん、嬉しそうで楽しそうで、ニコニコとしておりました。
マイペースで「今の自分に出来る事だけを楽しく行う!」と言うことなのでしょうか。シルバー世代の ‘ゆとり’ ですね。心身ともに余裕があります。

ヨシコさんは「ジムの達人!」でした。いろいろな所に ‘達人’ っていらっしゃるのですね。



photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios

2018年7月15日日曜日

51) 律儀なガッコの先生 その2

立ち上がったサトシさん(70才 男性)に、テーブル席の皆さんは誰も驚きませんでした。関心がないようでした。でも・・、私は戸惑いました。
キクさん(99才 女性)とトシコさん(94才 女性)も互いに顔を見合わせているだけでした。

我々の思いを尻目に、サトシさんは出口を探しているようでした。
『玄関は何処かな?』 と私に尋ねました。どうお答えしたら良いのか困りました。

『どこまでいらっしゃるのですか?』とお訊きするのが精一杯でした。 

すると、『霞ヶ関か、虎の門まで。地下鉄で行こうかな?』 等と言って、一人で歩きだし、エレベーターの方に向かいました。(文科省を思い浮かべているのでしょうか。)

そして・・、フロアーを一周して戻ってきました。 『エレベーターがね、動かないんだよ。』  とぶつぶつ言いながら。
そのサトシさんに介護士さんは 『 (エレベーターは) 今、点検中ですよ。』 と答えておりました。 (本当は入所者が一人で出て行けないように、カードキーが必要でした。)


それから介護士さんは 『此処で、エレベーターの回復を、みんなで待っているんだよ。』 と ‘まことしやか’ に言いました。

でも、会議の時間 (?) が迫っているサトシさんは、気もそぞろで落ち着かないご様子です。何度もエレベーター前まで足を運び、首を傾げて戻ってきました。

そこに、御歳(おんとし)105才のカズさん(女性)のご登場です。
『一緒に行きましょうか。』 とお声をかけました。
 “ジェントルマン” のサトシさんは、車イスにご乗車のカズさんの(片)手を取り、一緒にまたエレベーターの方に向かいました。

まるで映画のワンシーンのようでした。

暫くしてから、今度は何事もなかったように二人で戻ってきました。
そしてカズさんは私に目を留め、サトシさんに 『この方(私のこと)は安倍総理の御妹さんだから、握手して貰いなさい!普通は握手なんかして頂けないのよ。』 と仰いました。(えっ!だれが・・? 困惑の私!)

サトシさんは私をチラッと見ると、右手を差し出しました。私に目くばせして頷きながら・・。
この状況 (カズさんの思い違い) が分っているようでした。
私は何がなんだか分らなくなりました。どなたが正気でノーマルか。


でも、お二人の ‘やり取り’ は優しく温かくて思わず笑みがこぼれました。 ‘上質なコント’ を観ているようでした。
 
ただ、切ないくらいに悲しいトラジコメディでした。

( 実施日:2018年5月4日(金) 14:00~15:00 )
 
覚園寺



覚園寺


2018年6月25日月曜日

50) 律儀なガッコの先生 その1

今日は連休のまっ最中です。それで・・、私は外出先から直行のジーパン姿でした。
すると私を見つけたマリコさん(80才 女性)が『先生、(私のこと。いつも ‘華道の先生’ という意味でこう呼びます。)珍しいですね、おズボンなんて。』と仰いました。(あらっ、ちょっと ‘ラフ’ すぎたかしら?)

そして、指のマニュキュアに目を止め『キレイな色!』と言って指をさわりました。私は連休中なので、ワインレッドのマニュキュアを落とさずに施設訪問をしてしまいました。

それにしても凄い観察力です。マリコさんは ‘ファッション’ とか ‘お洒落’ にご興味があるらしく反応が早いです。

一方、キクさん(99才 女性)は『年をとるとね、何でも忘れちゃうの。』と心許なげに仰いました。
『昨日までは覚えていたのよ。でも・・今日は何も覚えていないの。どうしてかしら?』と私に尋ねました。お返事に困りました・・私。

『でもね、誰でも皆、何れはそうなるのよ。私だけじゃないから仕方ないわよねぇ?』と半ば私に同意を求めました。

そして、今度はしっかりと私を見据え『あなたも ‘今’ を楽しみなさいね!』と真顔で仰いました。

暫し キクさんやお隣に座っていたトシコさん(94才 女性)等と歓談していると、真向かいの席で、興味深く私達の話に聞き耳を立てていた男性が、私を見て意味ありげに頷きました。 ・・・?

その方は、新しい入所者のサトシさん(70才 男性)と言う、文京区内の元小学校の先生という事でした。背筋がシッカリ伸び、分別のある穏やかな紳士風で・・、とても入所されるような方には見えませんでした。

サトシさんは我々の話に、時おり相槌を打ちながら、熱心に耳を傾けておりました。『そうですかぁ。ふむふむ、なるほどね!』等と言いながら。


しかし・・、突然立ち上がり『皆さま、いやぁ、今日は楽しかった。でも、私はこれで失礼いたします。これから会議がありましてね。』と仰いました。「・・・・。」私は・・絶句でした!
 
( 実施日:2018年5月4日(金) 14:00~15:00 )
 

大阪中之島



肥後細川庭園


2018年6月15日金曜日

49) 【 余談 4 】敬聴の達人!

今は亡き、北陸の某国立大学の元学長T先生は、そのIQ値がご出身の旧帝国大学で未だ 破られていない程のスーパーブレインの持ち主でした。

でも・・、私がお会いした頃の先生は 見た限りでは、ふつうの庶民的で気さくな御爺さん(おじいさん)でした。そして学長退職後は同県の介護老人保健施設(老健)の施設長になられました。


T先生は、とても有難いことに、いつも私のことを心に掛けて下さっておりました。学術総会中に わざわざ事務局のブースまでご足労くださり、わたしを探して 『○○ちゃん(私のこと)はいるか?』と同僚にお尋ねになったり、私を見つけると 『おお、元気かい?』 等とお声をかけて下さいました。それだけの為に立ち寄って下さるのです。

ある学会でお目にかかり お茶をご一緒した折には、学長時代の逸話や様々な話を、面白おかしく語って下さいました。とても愉快でした。
東北弁を交えてのお話は、語り部による ‘巧みな話芸’ を聴いているような気分にさせてくれました。

私が10年余り
両親を介護していた時の話をすると、現役の老健の施設長であるT先生は、真面目な顔をされ『オレはなぁ、施設長として、一つだけ守っていることがあるんだ。・・。』 と切り出しました。私は思わず居住まいを正して ‘つぎの言葉’ に耳を傾けました。

『オレなんか 大したことは出来ないけど、毎月一回だけ、一人5分だが、全ての入所者さんとの面談の時間を設けているんだ・・。相手が痴呆であろうと、話など出来ない(病気などで喋れない)人だろうと、5分間は ‘その人とだけ’ の対面の時間にしているんだ。』と、いつもの気どらない、温かい(偉ぶらない)物言いで仰いました。

確かその施設は、認知症の方40名を含めた総勢100名の方が入所されている筈です。一人5分なら、具合の悪い方を除き半数位だとしても、4~5時間かかります。まさに一日仕事です。凄いです!

そして、ある痴呆の女性は5分間何も喋らずに、毎回、先生のネクタイばかりを見つめているそうです。ネクタイにどんな思いがあったのでしょうか。

そのために、あまりオシャレとは言えない先生(あっ、ごめんなさい。先生!)は、その方だけの為に 毎回ネクタイを替えていると仰っておりました。

T先生は「パリ在住の姪御さんが、素敵なネクタイを(先生に)プレゼントして下さっている」と照れながら仰いました。
先生の胸元をみると、なるほど、この日も先生はとてもセンスの良い洒落たネクタイをなさっておりました。

T先生のような ‘情け深い’ 施設長にめぐり遇えた入所者さんは、さぞかし幸せだろうと私は思いました。
そして、T先生こそ「敬聴の達人」だと思いました。
亡くなった父母もT先生のような方がいらっしゃる施設に入所させて頂きたかったです。
すべての人を平等にあつかい、人間として向き合って下さる T先生のような方のところに。
                              合掌   

旧芝離宮恩賜庭園 牡丹(1)

旧芝離宮恩賜庭園 牡丹(2)

2018年5月25日金曜日

48) お久しぶりです! その2

今日のお昼はラーメンだそうです! このような老人向けの施設で「ラーメン」などが出るのには驚きました。私は・・興味津々でした。なぜって?
「ゆしまの郷」のお食事やその光景をみるのも初めてでしたから・・。

皆さま、ご自分の席でおとなしく配膳を待っておりました。感心ですね!
すると奥のお部屋から、マツさん(93才 女性)が車イスに乗せられて登場です。今日は編みネットを被っておりませんでした。
私が手を振ると、マツさんも手を振り返してくれました。大丈夫、ご健在です!

それから、あらためてテーブルを見渡すと・・、反対側の隅には、涼しげな透明の‘花びら形’のヘアピンをつけたトシコさん(94才 女性)が。そしてその隣にはマリコさん(80才 女性)もいつの間にか集まっておりました。


私は一通り配り終えた 配膳トレーの中を見せて頂きました。すると、そこには野菜たっぷりのラーメン丼が置かれておりました。麺は人参や白菜、また玉葱や青菜などで覆われて見えない程でした。とてもヘルシーです。そして 結構 ボリュームもありました。(皆さま、食べきれるのかしら?)

その他にも 副菜として「白菜の煮びたし」や「香の物」。その上 デザートまであります。バームクーヘンでした。私の昼食などより、よほどリッチでした。


更にソフト食もありました。施設では、お身体の状態やその日のご体調に合わせて、食事形態や調理法を工夫しているとのことでした。(介護士さん曰く。)

さて、皆さまは?と言えば、「わっ!食欲旺盛。」御歳(おんとし)99才のキクさんなどは、既に全てペロッと平らげておりました。お見事!完食です。
やはり良く食べる方が長生きするのですね。

一方カズさん(105才 女性)は、私に『味見てみる?』とラーメンの丼に手を添えました。
私は 『いえいえ、お気持ちだけで。』 とお断りし『でも、ありがとうございます。』 と付け加えました。

暫くながめているうちに、カズさんも食事を終え『○○さん(私のこと)は、安倍総理の妹さんだったかしら?』と仰いました。
 (えっ、今度は秘書さんではなくて、妹さん?)私はまたまた複雑な気持ちになりました。
 

敬聴も終了時間となりましたが、今回、私はキクさんに 是非 伝えたい言葉がありました。田舎の母からの伝言です。母は私のブログの読者であり、常々「キクさんの回」の話を楽しみにしておりました。そして示唆に富み含蓄のある ‘キクさん語録’ のファンでもありました。

傍に行き『キクさん、お元気でしたか?』と私がお尋ねすると、
キクさんはにっこりして『ええ。でもね・・今日、もう家に帰るの!』と仰いました。


ビックリしている私に、前に座っていたカツコさん(80才 女性)が首を横に振ってみせました。(そうだったのですか・・。心待ちにしている帰宅への“願望”が「妄想」・「幻想」へと変わってしまったのですね・・。)
 

さて、私が是非キクさんに伝えたかった言葉とは、
『(母が)キクさんを尊敬しているそうです!』 と言うメッセージでした。
そうキクさんにお伝えすると、『まあ!』と言いながら、満面の笑みを浮かべました。

( 実施日:2018年4月7日(土) 11:00~12:00 )


談山神社 十三重塔(1)

談山神社 十三重塔(2)

2018年5月15日火曜日

47) お久しぶりです! その1

6Fフロアーの皆さまへの敬聴訪問は、インフルエンザの罹患者が続出したため
2月・3月と訪問を禁止されて、なんと3か月ぶりでした。(1月は6Fの代わりに3Fフロアーにて敬聴させて頂きました。)

早速、カズさんを探してみると・・、あっ、いらっしゃいました! 
お元気そうです。このお正月で確か105才になられた筈のカズさん(女性)です。そして、すこし離れた所にキクさん(99才 女性)もいらっしゃいました。ヨウジさん(93才 男性)も・・! 皆さま、とてもお元気そうです。

今回は初めてお昼前の時間帯(11時)に、お邪魔いたしました。カズさん達は、TVが置かれている‘いつものブース’ではなく、窓際の明るい採光が差し込む‘ 対面式’のテーブル席に鎮座されておりました。

先ずはカズさんにご挨拶を。しかしお傍に行くも・・、カズさんは少し怪訝そうなお顔をされ私をみておりました。すかさず 私が首からぶら下げたネームプレートをお見せすると、にっこりとして『あらっ、〇〇さん(私のこと)、お久しぶりね。一年ぶり位じゃないの?』と仰いました。(良かったです! 思い出して頂けて。)

毎日の変化が乏しい施設では、月日や時間の感覚が鈍くなり、長く感じるのでしょうね。(淋しい思いをさせてしまったようです。ごめんなさい!)

私が『1月にも伺ったのですけれど、6Fにはインフル(エンザ)さんがいらっしゃるとかで、3Fに行くようにと(事務の方に)言われて・・。』


『その後、2月・3月も「インフルエンザの方がいらっしゃるので・・」という事でボランティアを断わられてしまってね。』と言うと、直ぐ前の席に座っていた、※カツコさん(80才 女性)が『わたしなの、インフルに罹ったのは。第一号!』とちょっと自慢(?)そして恥ずかしそうにお答になりました。
 ※このブログの41)『北朝鮮に行ってたの?』に初登場

私が『それは大変でしたね。今はすっかり良くなられたのですか?』とお聞きすると、カツコさんは『わたしは大丈夫! でも、その後 他の方々も罹られて・・。』と、今度は申し訳なさそうに仰いました。

その時 大きな配膳用のワゴンが目の前を通り過ぎました。
そして男性の介護士さんが、皆さまに『今日のお昼はラーメンだよ!』と言いながら、女性の介護士さんと共に食膳の準備を始めました。

    ( 実施日:2018年4月7日(土) 11:00~12:00 )

 


春日大社


2018年4月25日水曜日

46) 【番外編】 「MCI (軽度認知障害)その時あなたならどうする!?」

          ―講演会 その2― 2018年2月3日(土)

MCI(
軽度認知障害)と診断された山本氏は、以下のような治療法を選び、現在も続けているそうです。

①薬の服用
②デイケア(通所リハビリテーション)で認知力アップのトレーニング
 メニューは「筋トレ」「芸術療法」「音楽療法」「デュアルタスク」

  「認知ゲーム」等。
   これらは脳に刺激を与えることで症状の進行を遅らせることが出来る。
③本山式筋トレ(効果大だと山本氏は提唱。)
 強めの筋トレで脳に刺激を与えることにより、脳細胞と感覚神経がつながる

 という理論
④生活習慣の改善

 
※以下は山本氏が提唱する【規則正しい生活 (生活のメリハリ) 7つの習慣】

①運動:30分位の速足散歩(会話が出来ない位の速さ)で
坂道や階段を使い
      1日1万歩を歩く。これを週3~4回行う。
    少し強めの筋トレ(使っていない脳細胞に刺激を与え、脳と各神経が
    繋がる。つまり、筋トレにより脳内で傷ついた血管の代わりに新し
    い血管が作られるように促され、さらに新しい 神経細胞のシナプス
    も生み出されるので、一度衰えた『脳内ネットワーク』を強化するこ
    とが出来るため。)
②料理:買い物から始め、料理の段取りも考える(認知機能低下を防ぐ) 
    
なるべく、脂っこいものや塩分の強いものを控えたバランスの良い食
    事にし、青魚、野菜、玄米などを積極的に摂るようにする。
③歯みがき:自分の歯で噛むことが脳に刺激を与える。
 
      山本氏は一日に5~6回歯みがきをするとのこと。
④音楽:山本氏はプサルテリー(ヨーロッパの擦弦楽器、48本の弦を弓で弾
    く)を奏で、毎月演奏会を催して、記憶力と注意力の改善を図って
    いるとのこと。
⑤絵を描く:発想力や集中力が鍛えられ、脳の活性化に繋がる。
⑥脳のトレーニング(知的活動):注意力等を高める。

    パズルや折り紙、麻雀や囲碁、将棋などが良い。一人でやるよりは
              大人数でワイワイと楽しんでやることも『脳内ネットワーク』に良い
       影響を与える。
    また、認知ゲーム(アメリカの脳エクササイズ)等も良いらしい。
⑦睡眠:
7時間以上の睡眠と20分程度の昼寝脳機能が回復する。
    睡眠がアミロイドβ(認知症の原因の一つ)と言うたんぱく質を洗 い流
    してくれるため。そして睡眠薬の服用や夜更かしは禁忌とのこと。

※上記のように、負担の少ない習慣(15~20分程度)を作り、毎日同じ時間に

 行い、継続する事が大切であるとの事。そして前向きに生き、いろいろな事
 に挑戦して社会との接点を持つ事がとても大事とのことであった。
 もちろん、ストレスは厳禁である。

【結論】
・脳からのSOSのサインは患者本人が一番早く気付く
・変だと思ったら、先ずは専門医に相談する
・早期発見すれば、早期に治療ができる。

【補足】
最近では、意外な嗜好品が認知症予防に有効という報告もある。
イタリアのバーリ大学などの研究チームが発表したところによると、習慣的にコーヒーを飲む人は飲まない人と比べてMCIになりにくく、コーヒーを飲まない人に比べ発症リスクが1日1杯で半分、1日1~2杯だと3分の1まで減少したという。  

                           
                                       
四天王寺 蜂須賀桜




東寺

2018年4月15日日曜日

45) 【番外編】 「MCI (軽度認知障害)その時あなたならどうする!?」

    ―講演会 その1― 2018年2月3日(土) 

傾聴の会主催の「※MCI(軽度認知障害)」の講演会に出席しました。

講師は山本朋史氏。1952年生まれの現在65歳です。週刊朝日で30年以上もスクープ記者として活躍し、また、安野光雅画伯の担当もしていた方です。
私は2017年の11月に放映された、Eテレの「あしたも晴れ! 人生レシピ」で山本氏を拝見したこと がありました。
 

彼は60歳を過ぎた頃から物忘れが多くなり、その後に受診し、2014年1月に軽度認知障害(MCI)と診断され、現在、認知症の早期治療に励んで いる当事者です。

※MCI=Mild Cognitive Impairment(軽度認知障害)は、認知症の前段階(予備軍)と言われ、 適切な手当てをしなければ認知症になる確率が非常に高く、早期発見・早期治療が重要と言われている。放っておくと4~5年で認知症になるが、軽度認知障害(MCI)は治る確率が高い。

MCI 5つの定義
1.記憶障害の訴えが本人または家族から認められている
2.日常生活動作は正常
3.全般的な認知機能は正常
4.年齢や教育レベルの影響のみでは説明できない記憶障害が存在する
5.認知症ではない


MCIを放置すると認知機能の低下が続き、MCIから認知症に症状が進展する人の割合は年 平均で10%と言われている。そして5年間では約40%の人が認知症へとステージが進行する。

厚生労働省は、認知症とその予備軍とされるMCIの人口は862万人存在すると発表しており これは65歳以上の4人に1人という事で、認知症やMCIはとても身近な問題である。
 

MCIは適切な治療・予防をすることで回復したり、発症が遅延したりすることもある。従って、早期にMCIに気づいて対策を行い、症状の進行を阻止することが大切である。適切な対策を行うことで、MCIになったとしても認知症の症状が最 後まで出ずにすむケースもある。

山本氏のMCIへの兆候は、取材日程のダブルブッキングやメモをする時に簡単な漢字さえ出てこなかった事などだそうです。
 

※以下に、自分でできる「軽度認知障害セルフチェック」を記載します。
 

・この頃物忘れがひどいと思う、他人からもひどいと言われる。
・頻繁に物忘れや探し物をする
・何かしようと思っても、何をしようとしたのか直ぐに忘れる
・最近、億劫で何事もやる気が起きない
・覚えていたはずの漢字が書けない時がよくある
・今日が何日だったかよく忘れる
・家電製品やスイッチの操作にまごつくことが多い
・会話で言葉がすらすら出てこないことが多い
・字を読むことが面倒で新聞や本を読まなくなった

上記の症状をもとに山本氏は病院に行き、「認知機能検査」や「MRI」などの精密検査を受けMCIと診断されました。



恩賜上野公園

桜坂のさくら



2018年3月25日日曜日

44) 素敵な女流日本画家さん! その2

その素敵な女性とは、 I さんと言う有名な日本画の画家さんでした。お年は72才との事です。彼女はご自身の作品が載っている美術展の画集を手にしておりました。

I さんはパーキンソン病を患っているという事で、言葉は不自由でしたが、懸命に話され
、また画集の何冊かを私に見せてくれました。そしてハガキ大の写真に収めた、ご自分の作品を私に手渡しました。現在、施設1Fのロビーに飾ってある絵と掛け替えるものだそうです。セピア色の可憐な草花の絵でした。60号サイズ位はありそうでした。

その後も時間が大幅にオーバーする程、たくさんのお話を聴かせてくれました。

一所懸命に話される I さんのお話を、私は全身を ‘耳’ にして伺いました。
そして・・、I さんは私を見据えると 『 あなたも ‘わがまま’ に生きなさい! そして自分がしたい事はしておきなさい!』 と仰いました。
『 (生きるってことは) キレイ事ではないのだから。』 等と・・。

重みがあります、言葉の一つ一つに。I さんもいろいろとご苦労されたのでしょうか・・。

私は返す言葉もなく、I さんを力づける為に 『まだ、お若いです。母(生母)と比べれば・・。』 と言うと、 I さんは 『 病気(パーキンソン病)でなければね・・。 』 と静かに仰いました。余計なことを言ってしまったと後悔しました。(まだまだです、私は。)


それから I さんは、同じパーキンソン病で一年半くらい前に亡くなった、永六輔氏とは大の仲良しだったそうで 『よく お食事に行ったものよ。』 と懐かしむように話して下さいました。( ・・驚きました。実は永六輔氏とは私も些かご縁がありました。)

私が 『 母はもう87才ですが、いま闘病中で・・、でも頑張ってます!』 と伝えると、I さんは目を潤ませました。
 

彼女は私との ‘会話’ に満足されとても喜んで下さいました。そして私も学ぶところの多い時間を過ごさせて頂きました。
今度また、3Fにも是非に敬聴に伺いたいと心から思いました。

帰りがけに、I さんから教えられた 1Fのロビー真ん中の壁を見やると、見事な50号サイズの I さんの絵が飾ってありました。

清々しく凛とした、まるで I さんそのもののような白いコブシの花の絵でした!
早春に他の木々に先駆けて白い花を梢いっぱいに咲かせるコブシの花です。
別名 「田打ち桜」 とも言うそうな。

( 実施日:2018年1月21日(日) 14:00~15:30 )



岡本三丁目の夕陽

世田谷区岡本三丁目の坂から望む富士山


2018年3月15日木曜日

43) 素敵な女流日本画家さん! その1

今日はいつもの6Fフロアーではなく3Fで ‘敬聴’ するように事務の方に言われました。6Fにはインフルエンザに罹った方がいらっしゃるからだそうです。

内心はとても残念でした。なぜって?・・今日は今年初めての敬聴の日だったからです。
このお正月で105才になられた筈のカズさん(女性)や皆々さん、お元気でしょうか。お会いしたかったのですが・・・。

3Fに着くと6Fのフローとはテーブルの配置等が異なっておりました。
そして入所後 一週間のYさん(80才 女性)のお話を聴くことになりました。

Yさんは初めのうちは顔をしかめ、とても不安そうでした。
家族(娘さんとお孫さん)はお仕事があり忙しいので、この施設に預けられたと嘆いておりました。早く自宅に戻りたいので、リハビリの先生を待っていた!との事です。(でも・・、確かリハビリは日曜ってお休みのはずですが。)

わたし、リハビリの先生でなくて申し訳ないです・・。

しかしお傍でお話をし始めると、時おり、笑みも見せてくれました。

そうこうするうちに、テーブルの真向かいに、Hさんと言う82才の女性が介護士さんに身体を支えられ席に着きました。なにか独り言をブツブツとつぶやいておりました。

Yさんは『あのおばあちゃん(Hさんのこと)は歌がとっても上手なの。』『一曲 歌ってもらったら。』と私に勧めました。そこで私がHさんに一曲歌をお願いしてみると、Hさんは嬉しそうに「チューリップ」と「七つの子」を歌って下さいました。声がとても可愛らしく澄んでおりました。

更にリクエストをすると「どんぐりころころ」や「あめふり」、「夕焼小焼」等を次々にご披露して下さいました。とてもお上手でした。
年齢を重ねたせいでしょうか、私は さいきん 童謡をきくと胸がいっぱいになります。

そんな時、介護士さんから 『あちらの方がぜひ貴女とお話ししたいと仰ってます。』 と呼び掛けられました。 逆指名?


振り向くと、70代の女性の方がじっと私を見つめておりました。
とても素敵な方でした。でも・・、こんなケースは初めてです。


( 実施日:2018年1月21日(日) 14:00~15:30 )



岡山 後楽園前のポスト

岡山城

2018年2月25日日曜日

42) 【余談 3】

晩年、母は認知症になりました。でも、元気だった頃には、いろいろな方々をお呼びして料理を振舞うのが大好きでした。

私が友人たちを花火大会(以前 住んでいた板橋区の ‘花火大会’ は有名!)やお正月に招くと、口では『まったく、お友達を呼ぶなんて、忙しくて大変だわ! (あなたは)直ぐにお友達を家(うち)に呼んじゃうのだから・・。』等と言いながらも、嬉しそうに、いそいそと沢山の料理を拵えて(こしらえ)おりました。

友人の多くは私に会いに来ると言うよりも、母に会いに 延いては母の料理を目当てに遊びに来るのが常でした。また、ちゃっかりした友人などは、彼女のボーイフレンドや姉妹までも一緒に連れてくるような有り様でした。
そして母は、大目に拵えた料理の数々を全部(家族の分さえも残さずに)、招いた友人等にお土産として持たせておりました。

そんな母を (そして私をも) 父は頭(かぶり)を振りながら 「こんな狭い家に( 人様をお招きするような家でもないのに ) しょうがないなぁ。」 と言うような面持ちで、でもやさしく見守っておりました。素敵な父母でした。理想の夫婦でした!

年を重ね、足腰が衰えて一人では外出が困難になってくると、あれ程 ‘外’ に出ることが好きだった母は、滅多に出かけなくなってしまいました。

思うに・・、ご近所の方々に 老いて腰が曲がり、歩行が覚束なくなった姿を見せたくなかったのでしょう。ある日、やむを得ず出かける羽目になった母を一人では危ないと言うことで、従姉が手を繋いで歩いていた時のことです。運悪く(?)知人と出くわした母は、とっさに握っていた従姉の手を離したそうです。弱みを見せたくなかった母の ‘プライド?’ でしょうか。

その数年後、母はやっと入所できた施設のベッドから転落し、大腿骨を骨折し入院してしまいました。結局、それが原因で施設には戻れなくなり、病院を転々とする、いわゆる ‘病院お遍路さん’ になりました。

でも、何処に行ってもいつも前向きな母は、看護師さん達に可愛がられ、痴呆ながらも山形県の民謡 『真室川音頭』 を彼女たちの前で唄い、教えたりしておりました。周囲の人々から可愛がられる、とてもチャーミングな自慢の母でした。

さらに痴呆が進んでからも、ことある度に 『早く家に帰って、みんなに美味しい料理をご馳走したい!』 と言っておりました。

ただ、悲しいのは・・、病院が変わるたび (入院期間制限があるため)、自宅に帰れるものと勘違いした母は 『まぁ、こんなに(たくさん)皆が来てくれて! せっかく来てくれたのだから、今日はたくさんお料理を作るわね。』 等と言って、はしゃいでいたことです。いま思い出しても胸が熱くなります。

【そして序ながら・・】 そんな母の葬儀には、大勢の友が集まり、さながら (母に世話になった) 私の友人等による “友人葬(宗教団体によるものとは別)” のようでした。母の人徳でしょう。

新潟の友人(開業医)は 『なま仏に会いたかった!お母さんにとてもお世話になったから。』 と言い、忙しい合間をぬってお通夜に駆けつけてくれました。有難いことです。

そして、以前 お世話になっていた 特養の当時の介護士さん達4名も仕事着の短パン姿のまま かけつけて下さいました。口々に『○○さん(母のこと)には
とてもお世話なり、いろいろ教えて頂きました。』と涙ながらに仰って下さいました。痴呆の母が介護士さん達のお世話を? 一体、何をお教えしたのでしょうか。

「人間とは何か、プライドとは何か、そして痴呆になった人の ‘尊厳’ とは・・。」 など等を考える今日この頃です。

※ 因みに
【余談 1】はこのブログの 24) のプライド!に。
【余談 2】はこのブログの 27) の番外編「回想法」その2 に掲載しております。


【風花に佇む】
photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios

2018年2月15日木曜日

41) 『北朝鮮に行ってたの?』

カズさんは6Fフロアーではお姉さん的存在です!
誰も文句など言えません。だってフロアー 一のご長寿、‘100年もの’(このブログの35)に掲載)の103才ですもの。

カズさんは ‘健康診断’ によるお疲れのため、暫くの間、自室で休まれていたようですが、車イスに乗り
気だるげにフロアーに現れました。私を見つけると 『ああ、良かった! ○○さん (私のこと) 無事だったのね。』 『北朝鮮にでも行っていたのかと思っていたのよ。 毎日毎日 「○○さんを守って下さい!」 とあなたの無事を祈っていたのよ!』 と仰いました。  
「ええっ?!」 私は返す言葉が見つかりませんでした。

(カズさんは私のことを ‘安倍晋三総理の秘書’ と未だ頑なに信じているのです。
  詳しくはこのブログ 28) 29) に掲載)

でも・・、「まっ、いっか!」 お年寄りの ‘勘違い(妄想)’ など たいして罪にもならないでしょう。内容はともかく、私は ‘無事’ を祈って頂いて有難いと思いました。 

・・・さらに続きました。 『虎屋の羊羹を持って行ったの?』 と・・。なかなか具体的です!

そしてカズさんは 『今日はね、年一回の健康診断の日で、さっきレントゲンと血液検査、そして尿検査もしたのよ。』 と教えてくれました。さすが元看護師さんです。受けた検査内容を正確に教えてくれました。

他の方々は 『血を採られた!』 とだけ仰っておりましたが。

  最近 新しくカツコさん(80才 女性)と言う方が入所されました。毎日ご家族の方がお土産を持ってお出でになるそうです。(カズさん談)


そして、カズさんは 『(カツコさんの)お部屋はとても綺麗だから、あなたも見せてもらいなさい。』 としきりに私に勧めました。言い出したら聞かないカズさんです。
私は改めてカツコさんにご挨拶し、どうしたものか・・困惑し、お互いに顔を見合わせるよりほかはありませんでした。

でも・・、結局 私はカツコさんのお部屋にお邪魔することになりました。


カツコさんにご案内して頂き なかに入ると、そこには無駄なものが何も無く、さっぱりとした素敵なお部屋でした。
壁際のチェストの上には、サンスベリア(トラノオ)とクンシラン(君子蘭)、ドラセナ等の観葉植物の小さな鉢植えが置いてありました。
なるほど! 爽やかでスッキリとしたお部屋です。


一方 キクさん(99才 女性)は、白寿のお祝いに、施設から名前の入った ‘ひざ掛け’ を頂いたそうで、介護士さんから私も見せて貰いました。キクさんの元にその ‘ひざ掛け’ をお届けすると、とても嬉しそうに膝にかけておられました。


敬聴終了後、この日は今年最後の敬聴訪問日でしたので、お一人ひとりのお名前をお呼びして、年末のご挨拶と握手をさせて頂きました。

そしてエレベーターに向かう途中、いつの間にか エレベーター寄りのテーブルに一人 ぽつんと座ってらした、ミヨコさん(88才 女性)を見つけました。

ミヨコさんのお傍に行き、お名前をお呼びしてご挨拶すると、ミヨコさんはちょっと驚いて、 『あらっ、私の名前を覚えていてくれたの? ありがとう!』 『でも、ごめんなさい。私はあなたの名前を覚えていないの。』 と悲しそうに仰いました。
私は鼻の奥がツンとしました・・・。
 

奥のフロアー テーブルからは 『またね!』 と叫ぶ、カズさん達の声がきこえ、いつまでも笑顔で手を振って下さっておりました。

  ( 実施日:2017年12月9日(土) 14:00~15:00 )



水滴に閉じ込めて
photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios



2018年1月25日木曜日

40) ちぎり絵の「クリスマスツリー」

6Fフロアーに到着すると、いつになく閑散としておりました。
目を遣るとマリコさん(79才 女性)が一人でポツンと座っておりました。
あらっ、どうかしたのかしら?
 

すると、お馴染みの介護士Fさんが『今日は健康診断で、みんな疲れて部屋で休んでいるのよ。』とそのわけを教えてくれました。

早速 マリコさんの傍に行きご挨拶すると、とびっきりの笑顔で『あのね、先生(昨年の「観月祭」(このブログの 22)に掲載)以来、私のことを ‘お花の先生’ と呼びます。)にお見せしたいものがあるの。 一緒に来て!』とおねだりされました。初めてです、マリコさんから強請(ねだ)られたのは。


『見て欲しいものがある!』と軽快に車椅子でわたしを誘導し、エレベーター前の掲示板に貼ってある、クリスマスツリーの ‘ちぎり絵’ を指さしました。 どのちぎり絵がマリコさんの作ったものか、私は目を凝らして探しました。・・ありました! シンプルに一色だけの飾りをつけたツリーが。


しばらく眺めていると、マリコさんは『わたしのツリーは寂しいでしょう?』と(私の)様子を窺うように上目遣いに見上げて言いました。
私が『すっきりした素敵なツリーですね!』と言うと、マリコさんは満面の笑みを浮かべました。


そしてフロアーに戻ると、今度は
ご自分のお部屋から、上半分が塗り絵になっているカレンダーを3~4枚持ってきて見せてくれました。多色使いのごちゃごちゃした色合いがお嫌いらしく、こちらも2色の色鉛筆だけで塗られておりました。

それから、私の顔をまじまじと見て、『先生(私のこと)が活けたお花の写真をまた見せて欲しい!』とお願いされました。マリコさんは本当にお花が好きなのだと思いました。
もしかしたら、マリコさんも 昔 お花を習っていたのかもしれないと思いました。或いは「お花関係のお仕事」でもしていらしたのしら?


     ( 実施日:2017年12月9日(土) 14:00~15:00 )



バンクーバー 蒸気時計

ローズヒップ





2018年1月15日月曜日

39) 「お人柄」

とても久しぶりな気がしました。
私は朗読の会や長期の出張、旅行などで1ヵ月ほど施設に伺えませんでした。
皆さま、私のことを覚えていて下さるでしょうか。ちょっと・・心配でした。

いつものように6Fでエレベーターを降り、フロアーに目をやると皆さまお集まりでした。
カズさん(103才女性)は・・?   大丈夫、息災でした!
皆さまにご挨拶してカズさんの傍に行くと、『○○さん(私のこと)、久しぶりね。忙しかったの?』 『北朝鮮にでも行っていたのかと思ったわ!』とカズさん。

私は戸惑いを感じました。冗談でもなさそうな物言いで、『安倍総理も忙しいからね。』と続けた からです。そうです!カズさんは未だ私を「安倍総理の秘書」と頑なに信じているのです。

この日は介護士のFさん(彼女ともお馴染みとなり、最近は私を名前で呼んで下さいます)が 物置きにかかっている‘紺無地のカーテン’にリボンで飾りを作っておりました。
無地では淋しいので、明るく可愛らしくする為との事でした。ステキですね。

それを側にいた何人かのお年寄り達が見ておりました。几帳面なキクさん(98才 女性)は Fさんがリボン飾りを作るごとに、切り離されたリボンの切れ端を丁寧に束ねておりました。何度も。お人柄が出ますね。 私は暫し見とれてしまいました。

一方 カズさんは『最近(施設の代表者で理事長の)Y院長先生が回診にお見えにならないの。』 と心配そうに仰いました。『ご病気かしら?』と少し不安そうでした。面倒見の良い、もと従軍看護婦さんだったカズさんらしいです。

無意識のうちに、その方の ‘人柄’ というものが出るものだ とつくづく私は思いました。

でも・・、Y院長先生は大丈夫かしら?

 
 ( 実施日:2017年11月19日(日) 14:00~15:00 )



          
オーロラ 上: カナダ ラバージ湖 下:カナダ ホワイトホース