2018年8月15日水曜日

53)『クラス会?良いわよねぇ~!』  その1 (『あゝ野麦峠』の世界! 14歳で製糸工場へ)

今日は私の誕生日でした。そして午後からは3年ぶり、高校のクラス会です!

そんな話をキクさん(99才 女性)にすると、目を輝かせて、『クラス会?いいわよねぇ~。楽しいわよねぇ!』 と仰いました。

キクさんは高等小学校を卒業し、14歳で製糸工場に働きに出たとのことでした。

私は※『あゝ野麦峠』という映画を思い出しました。たしか・・、キクさんも長野のご出身だったはず。まさに映画の工女そのものでした。 以下、ちょっと調べました。


※『あゝ野麦峠』とは、山本茂実氏が1968年に発表したノンフィクション文学。副題は「ある製糸工女哀史」。


戦前に岐阜県飛騨地方の農家の娘(多くは10代で、14歳以下が2割もいた)たちが、野麦峠を越えて長野県の諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た。
吹雪の中を危険な峠雪道を越え、また*劣悪な環境のもとで命を削りながら、当時の富国強兵の国策において有力な貿易品であった ‘生糸’ の生産を支えた、女性工員たちの姿を伝えた作品。

*【多くの少女達は、半ば身売り同然の形で年季奉公に出されたのである。工女たちは、朝の5時から夜の10時まで休みも殆どなく過酷な労働に従事した。工場では蒸し暑さと、さなぎの異臭が漂う中で、少女達が一生懸命に額に汗をしながら繭から絹糸を紡いでいた。また苛酷な労働のため、結核などの病気に罹ったり、自ら命を絶つ者も後を絶たなかったという。】


なお、映画(監督:山本薩夫氏)では、飛騨からの出稼ぎ女工の悲惨な面を強調して描かれているが、原作では工女の賃金にばらつきがあったことや、「我が家は貧乏だったので工女に行けなかった」、「実家の農家で働いていた方がきつかった」といった複雑な背景も描かれている。

また、糸値に翻弄される製糸家の厳しい実情などにも言及し、詳細な聞き取り調査のもと、日本の貧しく苦しい時代を懸命に生き抜いた人々を、その時代背景と共に浮き彫りにするように描かれている。

さて、キクさんと言えば
『他になんの楽しみもなかった当時は、同期会(クラス会)が唯一の楽しみだったの!』と遠いところを見る眼差しで、懐かしそうに仰いました。


                ( 実施日:2018年6月16日(土) 10:00~11:00 )



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