2020年12月25日金曜日

110) 最年長の友 ふくさんと最年少の友 トモ君のお話 その2

早めに結婚披露宴会場に着くと、ロビーの中ほどに、木漏れ日を浴び 白髪が美しいご高齢の婦人に目が留まりました。後光がさしているように見えました。その方こそが「ふくさん」(当時 90才)でした!

ふくさんは薄いグレーの訪問着をお召しになり、右手には杖をお持ちでした。ご高齢な方の凛とした姿に、暫し私は見とれていました。

すると、ふいに椅子から立ち上がられました。お手洗いにでもいらっしゃるご様子でした。でも、和服のうえ 杖をつきながら、礼装用のバッグとサブバッグを持たれていて大変そうでした。当時、両親を介護していたこともあり、私は放っておけませんでした。

思った通りトイレの方に向かわれていました。私は思い切ってお声がけしました。『こんにちは。(突然)失礼いたします。私もこちらの披露宴にお招き頂いた○○と申します。よろしかったら 私もトイレに参りますので、ご一緒いたしましょうか。』と。

ふくさんは少し驚いたようでしたが、直ぐに にっこりなさいました。お許しを頂けたので、私はふくさんにゆっくり歩調を合わせ、そして軽く腕に手を添えました。

『大きい方のバックだけでもお持ちしましょうか?』と申し出ると、ふくさんは相好を崩され、『ありがとう!』と仰って嬉しそうなお顔をなさいました。

披露宴の時間になり、ご一緒に席を探しましたが、何とお席は隣り合わせでした。そのため 少しだけお世話をやかせて頂きました。その後 親しくお話を伺うと、ふくさんもまたトモ君の旅仲間でした。80才を過ぎてから海外旅行にいきはじめたそうです。それも年に2回、トータルで20か国にもなるそうです。すごーい! 

話が弾み楽しいひと時でした。思い出に残る旅仲間の披露宴となりました。

ふくさんは私に出会えたことをとても喜んで下さいました。『御不浄(ごふじょう)にまで 連れて行って下さり ありがとう!』と何度もお礼を言われました。御不浄とはトイレのことですが、私も久しぶりに耳にした言葉です。

そして こう仰いました。『娘にも紹介し お礼を言わせたいので、今度、ぜひ家に遊びにお出でなさいまし。』と。

錦糸公園


2020年12月15日火曜日

109) 最年長の友 ふくさんと最年少の友 トモ君のお話 その1

ふくさん(当時90歳 女性)はわたしの最年長の友でした。その出会いは最年少の友、自称 ‘年の離れた弟’ のトモ君の結婚披露宴です。運命の出会いでした! 私たち3人は旅がご縁で巡り会いました。

トモ君とは、彼が小学5年生、私が社会人5年目の時に出会いました。ともに夏休みを利用して参加した10日間の中国ツアーです。当時、中国への旅行者は少なく、ましてや子供の参加者はトモ君ひとりでした。ご両親と3人で参加されていました。

ツアーは万里の長城や西安、大連、そして上海や北京までを巡る かなり盛りだくさんの企画でした。私は中国(語)には全く馴染みがなく、ひたすら添乗員さんを頼みに観光をしておりました。

しかし 観光地での ちょっとした買い物や、お目当てのお土産である、端渓の硯や掛軸、カシミアのセーター等を選ぶ時は 言葉でかなり苦労しました。

一方、トモ君は 子供なのに なんと中国語が話せ 私はビックリしました。そして或るお店では、ふと気がつくと傍にトモ君がいて、通訳までしてくれました!

その後も『おねえさん、おねえさん!』と呼び 慕ってくれて、いつも私と一緒です。トモ君はちょっと生意気な人懐っこい少年でした。彼はお母さまが ‘やきもちを焼く’ くらい私の傍にいてくれました。

当時、私はトモ君と同じ年頃の子供たちに勉強を教えており、その年代の子供たちとは違和感なく普通にコミュニケーションが取れましたが、彼はとくべつ 頼もしかった記憶があります。そして今でも 彼に選んで貰った ‘モスグリーンのカシミアのセーター’ は捨て切れずに持っております。

帰国後も交流が続き、私がバレンタインデーにチョコレートをあげると、ホワイトデーにはトモ君がお返しの品を私の自宅まで届けてくれるなど、いっぱしのボーイフレンドでもありました。

高校生になると、トモ君は中国に短期留学をしました。本当に中国が好きなんだなと思いました。聞くところによると、お父さまの仕事の関係で中国に関心を持ち、中国の歴史や文化芸術に造詣が深くなったようです。(納得!)

10数年後、そのトモ君から結婚披露宴への招待状が届きました・・。そして会場である都内のホテルでは、運命的なふくさんとの出会いが待っていたのです!

シオン

朝焼けの伊達政宗騎馬像
photo: (c) Hiro K
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2020年11月25日水曜日

108) カズさんは今・・・。

「ゆしまの郷」の カズさん(106才 女性)は今 どうされているのでしょうか。変わらずに お健やかにお過ごしでしょうか。とても気がかりです。新型コロナウイルスが恨めしいです。

敬老の日、そんな風に「ゆしまの郷」にお年寄り達に思いを馳せていると、二週間ほどたったある日、「ゆしまの郷 家族会」 から ‘ゆしまの郷 便り’ が届きました。(昨年、私は家族会の賛助会員にもなりました。)

施設内で行われた「敬老会」の写真をカラー印刷したものも同封されていました。多くのご老人たちの中に、私は恐るおそる「カズさん」の姿を探しました・・・。

一人目、二人目、三人目・・、いらっしゃいません。次の段、5名ほど写っていましたが、お出でになりません。見つかりません。気が急きました。・・・・・。

そしてそして、三段目の右端に・・・見つけました。 カズさんです! いらしゃいました! 毅然として白いマスクを ‘顎’ にかけ、お元気に笑みを浮かべていらしゃいました。良かったです! 安心いたしました。涙が出そうになりました。

でも・・、他の方々、6階で私が親しく敬聴させて頂いた皆さまのお姿はありませんでした。ご体調の関係とか、敬老の日なので この日はご自宅に帰られていたのなら良いのですが・・。

当日は揚げたての天婦羅や紅白まんじゅう等でお祝いをして頂いたようです。私はカラー印刷された写真に向かって『おめでとうございます!』と、こころからお祝の言葉を贈りました。

いつ皆さまと再会できるのでしょうか。その時、カズさんは私を覚えていて下さるでしょうか。

追記: その後 11月に入ってから最新版の ‘ゆしまの郷 便り’ が送られてきました。今回は 「寿司バイキング」編でした。そこには、にこやかなキクさん(101才 女性)や マリコさん(83才 女性)、また ひょうきんな ハルさん(85才 女性)のお姿もありました!


熊本県宇城市 三角西港 灯台モニュメント

熊本県宇城市 三角東港 海のピラミッド



2020年11月15日日曜日

107)【余談 6】豊島園の思い出

私はふと 姪がしーちゃんと同じ年頃に 豊島園へ連れて行ったことを思い出しました。今年の8月31日で閉園となった 94年もの歴史ある豊島園に、この宇都宮の姪とその妹を連れて行った思い出です。

山形から上京した二人がそれぞれ7歳と5歳の時でした。ディズニーランドが第一の目的地でしたが、その煌びやかさと余りの広さ、そして何より ‘見たことがない人混み’ に二人は圧倒され 臆したようでした。

さらに 東京に来る際、父親(私の兄)から言い渡された「守るべき10箇条」のお約束ごとに縛られ、(きっと上京前に山形で、噛んで含めるように 何度も言い聞かせられてきたのでしょう。ちょっと可哀想でした。)ガチガチになり面白さも半減したようです。

それに比べて 上京二日目に連れて行った、コンパクトで庶民的な「豊島園」の方が、彼女達の「人生初めての東京旅行」で一番の良い思い出になったようです。とても・・、感慨深いです。

『あれしちゃいけない、これしちゃいけない の「10箇条」』は、ひらがなで書かれており、遠い記憶をたどるに、「○○(私のこと)の言うことをきく」とか「我儘を言って迷惑をかけないこと!」、また 遊園地などでは「必ず(私と)手を繋ぎ、絶対に離さない(私の)傍を離れてはいけない。」等も含まれておりました。

私の方も 心して覚えておかなければならない 厳しい「10箇条」でした!

ディズニーランドではガッチガチだった姉妹は、豊島園では打って変わって 生き生きとしてました。水を得た魚のようでした。私もビックリです。

メリーゴーランド「カルーセルエルドラド」に乗り、流れるプールを体験し、そしてローラーコースターの「サイクロン」や「フライングパイレーツ」にも乗りました。後半には二人だけで乗り楽しんでいました。得意げに顔の近くでピースサインを作っていました。姪たちだけではなく、私にも懐かしい思い出の一つです。

そんな姪は 当時も今も(?)、私のことを叔母と言うよりは「友達」と思っている節がありますが、その娘のしーちゃんまで、私を遊び相手の「おともだち」と思っているようです。

神田明神 おみくじ掛け

牛天神北野神社 おみくじ掛け


湯島天神











2020年10月25日日曜日

106) しーちゃんへの読み聞かせ その2

zoom画面に向けて絵本をめくりながら、同時に文章を読み聞かせるのは、想像以上に困難でした。少なくとも 幼児の反応を見ながら絵本をめくる人と読み手の二人は必要でした。zoom画面内に絵が的確に映らなければアウトです。

(絵の後ろに文章が書いてあり、一枚一枚めくれる紙芝居ならもっと上手くいっただろうと内心思いました。)

悪戦苦闘の末 私が絵本を読み終えると・・しーちゃんは神妙な顔をしていました。次女のはるちゃんは、いつの間にか奥のテーブル席で末っ子のななちゃんを抱いた姪と一緒にいました。 

「どうだった? しーちゃん、面白かった?」と尋ねると、小さな観客は困ったような顔をして「うん、・・・。」 そして「ちょっと怖かった。」と申し訳なさそうに答えました。   

私はハッとしました。奇想天外なストーリーとは言え、確かに ひよこが次々と おおかみやライオンを飲み込んでしまうのは怖いことでした。そして ひよこの足を一本を切り取ってしまい、その足を取り返しに来たひよこに逆襲する王様も・・。

やはり男の子向け、或いは大人向けの絵本だったのかもしれません。読み手の力量もあるでしょうが、子どもの感性も様々です。もっとユーモアを交えるなど、工夫して読むべきだったと思いました。

しーちゃんの隣に座り、絵本をじかに見せながら反応を伺って読み聞かせるのがベストでした。絵に集中してもらいながら、内容を爽やかに表現する必要があったのです。(反省し勉強にもなりました。そしてzoomの限界も感じました。)

それからはしーちゃんのオンステージでした。「読み聞かせのお返しに!」と言わんばかりにサービス精神満開で、自分の「変顔」をzoom画面いっぱいに見せてくれたり、お宝グッズの ‘キャラクターが描かれた定規’ や ‘消しゴム’、 ‘お気に入りのポーチ’ などを解説入りで一つ一つ丁寧に見せてくれました。

そして最後に、秋田のおばあちゃん(姪の義母)に買ってもらったという ピンクの花柄のかみ留めを前髪に留めてお披露目です。「可愛いね! とても良く似合うわ。」と褒めると

しーちゃんは急いでママ(姪)のところに行き、姪が留めていた 何の変哲もない普通の ‘黒のパッチン留め’ をねだり、それを自分の前髪に留めて 私に得意そうに見せました。

「あらっ、さっきのピンクのかみ留めの方が素敵よ。可愛かったわよ。」と私が言うと、ママのシンプルな黒パッチン留めの方が好きだと言います。私が理由を尋ねると、5歳のしーちゃんは「だって、この方が大人っぽいでしょ。」と真顔で答えました。


ホトトギス









2020年10月15日木曜日

105) しーちゃんへの読み聞かせ その1

しーちゃんは宇都宮に住んでいる 姪のおしゃまな長女です。今年で5歳になりました。そして ご当地ダンス「ギョーザダンス」がとても上手な女の子です。

そのしーちゃんに zoomで絵本の読み聞かせをすることになりました。幼児への読み聞かせの練習と今年1月に三女を産み、3児(3姉妹)の母となった 育児に奮闘している姪への 暫しのお手伝いのためでもありました。

さて、「読み聞かせ」と「朗読」の違いですが、

読み聞かせとは、乳幼児から小学校年齢の子供に対して、話し手が絵本などを一緒に見ながら音読することです。目の前に相手がいます。 絵が主役。読む技術より暖かい雰囲気が大切です。

一方、朗読の方は 目の前の複数の人に対して 心に響くように 朗々と感情を込めて 詩歌や文章を読むことです。読み手が主役です。

自分がその本を読んでどう思ったか、どこの部分に一番心が動いたか等 自分の感覚を相手に共有してもらうもので、表情や立ち居振る舞いの雰囲気も大切です。また きちんと届く声のための腹式呼吸が欠かせません。

今回は目の前(画面)にいるしーちゃんが、どんな絵本を読んだら喜ぶのか、どんな読み方をしたら笑顔になってくれるのか、彼女を中心に考えました。

数ある絵本の中から私は「*かたあしのひよこ」(文:水谷章三作 絵:いとうひろし)を選びました。NHK Eテレの「てれび絵本」で室井滋さんが朗読されていたのを観てすごく感動したからです。

おじいさんとおばあさんに可愛がられていた ひよこは金の足を持っていました。そして欲張りな王様に1本の足を取られてしまいましたが、大きくなって王様の城へ(道中で出会った狼やライオンや川を飲み込み口に入れ)片足を取り戻しに出かけます。(スペイン民話)

男の子にお勧めの絵本のようでしたが、絵も原色で単純な感じでしたので小さな子供にもうけると私は思いました。

金の足を持つひよこが王様に片足を取られてしまったことから始まるこの物語は、ひよこがとても逞しく、どんな困難も乗り越えて自分の片足を取り返しに行く話です。途中で出会った おおかみやライオンや川までも 自分の味方にして進んでいくのです。その姿は痛快でした。

当日、zoomの新規ミーティングを開始すると、既にしーちゃんが待ち構えていました。その上 3歳の次女、はるちゃんまでスタンバっているではありませんか。二人はPCの画面が良く見える席(場所)をめぐり、小さなバトルを繰り広げていました。

私は zoom 画面に合わせて絵本を開き読み始めました。しーちゃん達は読み聞かせの途中で、きっと騒ぐか お喋りを始めると思っていましたが・・、なんと しずかに静かに聞き入っていました。意外でした。私は急にプレッシャーを感じはじめました!











2020年9月25日金曜日

104)ワインGメンに間違われたK先生

J大学の脳外科教授室で 学会誌の論文編集をしていた頃、査読委員をされていた放射線科のK教授から※『薔薇の名前』と言う、長い上下二巻の本をお借りしました。

『薔薇の名前』:ウンベルト・エーコが1980年に発表した小説。中世イタリアの修道院で起きた連続殺人事件。事件の秘密は知の宝庫ともいうべき迷宮の図書館にあるらしい。記号学者エーコがその博学で肉づけした長編歴史ミステリで、全世界で異例の大ベストセラーとなり、1986年には映画化もされた。 

本好きと見込まれたようです。が、正直言って苦手な分野の本で困りました。しかし・・、 読まずに返却は出来ません、感想の一つも述べないと。医局の先生方に伺ってみると、口々に「難しそうな本なので、お断りした。」と仰いました。 懐かしい思い出です。

今回、faceboookで【7日間のブックカバチャレンジ】というイベントがあった際に、この本をご紹介された方がいらしたので思い出しました。

結局、私は(情けないのですが)何ヶ月もかけて読み上げました。年表まで作り、登場人物を書き出してです。ショーン・コネリー主演の映画も観て、読解の参考にした次第です。

さて、そのK先生ですが、無類のワイン通で 当時は(J大学の放射線科教授にご就任される前)大阪から御茶ノ水にあるJ大学と本郷のT大学に講義のために通われてお出ででした。その頃は、脳の画像診断が出来る放射線科医は少なく、K教授はまさにその道のオーソリティでした。

東京での講義を終えると、新幹線を待つ間 いつも東京駅の大丸デパートに寄って、ワインを一本一本手にとり 眺めていたそうです。想像ですが、売り場の方に質問もされたと思います。

先生は外見も 帽子が良く似合う 背の高い上品な紳士であり、ワインに精通され 造詣が深いので、終いには、ワインGメンに間違われ、大丸デパートのGMから「顧問になって欲しい!」とスカウトされたとか。医局の先生からお聞きしました。

また、無類の食通でもあり、店の格とか有名店にこだわらず、本当に美味しい店のおいしいものを良くご存知で、いつも美味しいものを嬉しそうに召し上がっておられました。

例えば、ご出張で上野駅発着の列車をご利用された場合は、ランチ用の駅弁としては「深川めし」をご購入。大学で講義後のご昼食は、和洋中 それぞれお好きなお店でのランチを。時には、奥さま手作りのサンドイッチ等もありました。私もご相伴させて頂いたことが何度かあります。(とても美味しかったです!)

或る時、ランチに誘われ 本郷の老舗蕎麦屋さんにご一緒いたしました。お店の二階にある床の間に掛けられていた掛軸の漢詩を、情感豊かに中国語で読んで下さいました。その後に解説して下さった漢詩の内容は、ことさら心に響きました。

そして 肝心な私のお仕事、論文査読の際ですが、(私は教授室に呼ばれます。)教授室にはクラシック音楽が流れており、先生の脇机にはステッドマン医学大辞典や医学書、また英英辞典、独和辞典や仏和辞典まで置かれていました。時には私が確認のため 該当する単語を引くなどし使用させて頂きました。優雅な時間でした。

先生は英語のみならず、独学で学んだと言う フランス語が美しい発音で素晴らしく、「会話の中で、原語(その国の言葉)でジョークが言えるくらいでないと まだ本物とは言えない。」と 日頃から仰っていました。

博学な先生のお話は とても面白く勉強になりました。まるで女子大の教授のようでした。そう申し上げると「僕もその方が 楽しかったかもしれないなぁ、」と笑って仰いました。そして「あなたに いろいろ話を聴いてもらって 僕も嬉しいですよ。」と仰って下さいました。

亡くなられる少し前に 病室を見舞った際には、下記の自費出版された非売品の本を下さいました。私の宝です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 合掌











2020年9月15日火曜日

103)今後の敬聴活動とシビックシアター☆トークショー

このコロナ禍により、私のボランティア活動は4月より中断を余儀なくされております。文京区の高齢者施設では今年いっぱい敬聴活動が出来そうにありません。とても残念です。

傾聴ボランティアの会からは『地元のイベントや草花鑑賞を織り込んだ 動画を作成して各施設に配布する。』や『ビデオメッセージや紙芝居、或いはペットの動画を作成しよう。』等の提案がなされておりますが・・。

何もしないでいるよりは良いのかもしれませんが、それらの動画を操作をするのは介護士さんです。コロナ禍で、ただでさえ 仕事量が増えているのに、彼らにこれ以上の負担はかけられません。仕事を増やすことに私は賛成できません。

敬聴とは、本来 話し手(入居の高齢者)が主役です。聴き手である我々は受け身の傍役です。フォローなく動画を送りっぱなしでは本末転倒と考えます。動画を見て頂いた後の お年寄り達の反応や感想など、コミュニケーションこそが 大事だと私は思います。
新しい敬聴のあり方を考え 模索の日々が続いております。まさに袋小路状態です。

「Zoomで敬聴」という手もありますが、同様な観点から 今は踏み込めません。介護士さんの負担が増えてしまいますから。まことに悩ましいところです。

敬聴に限らずリモートでの朗読も、残念ながら 共有している空気感と言うか、その息づかいや波動が伝わりにくいと思います。新しい生活様式での敬聴がどうあるべきか、満足できる答えがまだ見つかっておりません。

このブログをご覧頂いている皆さまのお知恵を拝借したく 切に思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、そんな折 巣籠り状態の私は9月10日、文京シビック小ホールで開催の*シビックシアター・トークショーでの影アナのご依頼を頂きました。今年2月 私が企画し開講した「娘義太夫講座」の時 お力添えを下さった方から等のご推挙でした。

*『疑惑』:1982年制作 監督:野村芳太郎  原作・脚色:松本清張
             音楽:芥川也寸志  主演:岩下志麻 桃井かおり 

当初は岩下志麻さんがお出でになる予定でしたが、大勢の観客で蜜になる危険性を考慮し、ご主人の篠田正浩監督から「講演キャンセル」とのご連絡を頂きました。そして岩波の映画評論家 井坂能行氏のトークショーへと変更になりました。席は収容人数の30%、100席程度に減らし 往復ハガキかメールでの応募でした。

当日は厳重なコロナ対策のなか 116名がご来場されました。大盛況でした! 皆さま ‘イベント’ を待ち望んでいらしたのだと思いました。また、岩下志麻さんからはご丁寧なお手紙とサイン入りの本 10冊が届き、ご来場者に抽選で配られました。

今回のコロナ禍による自粛生活で大切なことに気づきました。人は誰かと喋らないと言葉を発せられなくなるという現実です。喋らないと口まわりの筋肉が衰え、滑舌が悪くなります。声に力もなくなります。身をもって体験しました。

お喋りは大切です。メールでの ‘会話’ ではダメです。今回の影アナの件で早く気がついて良かったです(滑舌トレーニングの良い機会を頂きました。)

施設の高齢者たちが話せなくなる理由の一つが分かりました。痴呆にも繋がる気がします。施設の方と話し合って、リモート傾聴も考える時期なのかも知れません。





2020年8月25日火曜日

102)青森ねぶた祭(N先生と幹おばあちゃま)その4

津軽半島にある龍飛崎は 石川さゆりさんの『津軽海峡冬景色』でも歌われており、また 太宰治の小説『津軽』に登場するなど全国に知られている観光名所です。ガイドブックに記されていた通り、津軽海峡や北海道、下北半島などが見渡せ 雄大で素晴らしい眺望でした!

昼食の時間になると N先生は『(富山の)T先生に電話してみようか。』と悪戯っぽい笑みを浮かべて仰いました。このブログ 92) 「敬聴の達人 T大学学長の教え」のT先生へです。そのT先生は電話の向こうで『○○ちゃん(私のこと)、・・なんで そこにいるんだい?』

昼食後、龍飛埼灯台手前にある駐車場内の売店に寄りました。そこの天日干しのタコが絶品らしく、先生はお母さまに甘えて「タコ串焼き」を買っ貰っていました。

が・・、お母さまが買われた「焼きイカ」の方もおねだりしました。するとお母さまに「あなたにはタコがあるでしょ。このイカは○○さん(私のこと)と私の分よ。」と窘められました。とても微笑ましい家族風景でした。(でも 結局は分けて差し上げていましたが。)

その後 次の観光地に向かう車中でも、お二人のやり取りはこころ温まるものでした。優しいお母さまとN先生。立派な先生も一人の ‘甘えん坊息子さん’ なのですね。

次に訪れたのは、明治40(1907)年に建てられ 重要文化財建造物にも指定されている太宰治の生家・津島邸の「太宰治記念館 ‘斜陽館’ 」です。和洋折衷の入母屋造りの建物には青森ひばが使用されているとのこと。とてもとても重厚でした。 

そして・・・ドライブの終点である五所川原に向かいました。

 ここは青森の三大ねぶた祭り(「青森ねぶた祭」「弘前ねぷたまつり」そして「五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)」)の三ヵ所目です。五所川原の立佞武多は高さが最大で20mを超える山車の壮大な運行が魅力だそうです。

名残惜しいお二人とお別れをして、私は立佞武多の館(立佞武多祭りに出陣する大型立佞武多を常時格納・観覧できる)に立ち寄りました。この佞武多祭りを実際に見たかのように、その素朴さや独特の雰囲気が感じとれました。しかし機会があれば是非観てみたくもあります。もう一度 青森に来たいなと思いました。

そして この旅の締めくくりは※不老ふ死温泉でした。絶景の大海原を眺めながら源泉に入れるのです。私は憧れの五能線に乗り、N先生ご一家の温かくて優しい余韻に浸りながら、日本海を眺め 海辺の赤褐色の露天風呂が有名な不老ふ死温泉に向かいました。ここには夕日を見るために一泊致しました。

※不老ふ死温泉は:世界自然遺産の白神山地の麓にあり、日本海に沈む夕陽を一望できる景勝地 黄金崎に建つ一軒宿。海岸と一体化したひょうたん型の露天風呂は「他では味わえない絶景と開放感が楽しめる」と全国各地から多くの温泉ファンが集まるという。目の前に広がる日本海の大海原は『日本の夕陽百景』にも選ばれた。

翌日は白神山地にも行きました。青池メインの60分散策コースをゆっくり歩きましたが、空気が美味しく青池もブナの森も静かに楽しめました。ガイドブック等で予めチェックしていた青池は、予想通り清々しくて幻想的かつ神秘的な池でした。

その後も幹おばあちゃまとは文通(手紙のやり取り)をさせて頂きました。達筆な上に 言葉遣いがとても綺麗でした。頂いたお手紙は今も私の宝物です。

その幹おばあちゃまも3年前に逝かれたそうです。幹おばあちゃまらしく、ご家族全員に感謝の言葉を残して・・。もう一度お会いしたかったです。本当にN先生とご家族の皆様にはたいへんお世話になりました。言葉では言い表せないくらい感謝しております。(ありがとうございました。)

毎年頂くN先生からの年賀状には、先生の座右の銘が書かれています。
いつでも 明るく朗らかに!と。
                                                              合掌

昇陽
photo: (c) Hiro K
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2020年8月15日土曜日

101)青森ねぶた祭(N先生と幹おばあちゃま)その3

ねぶた祭の観覧席(25席くらいを確保)に着くと、奥様は 早速 リュックと手荷物をおろし、我々がお借りするトイレの交渉のため 向かいのビルに向かいました。
そして 交渉から戻られると、今度は持参したペットボトルと冷凍ミカンを集まった皆に配り始めました。

素晴らしい行動力と気配りです。段取りがよく キビキビとされています。さすがN先生の奥様! 化粧っ気はないのに とてもとてもお綺麗で知的な方でした。

さて、いよいよお祭り本番。
国の重要無形民俗文化財にも指定されている「青森ねぶた祭」は、勇壮な伝説・歴史上の人物を模した人形の光眩しい ‘山車灯籠’ が引き回され 厳かであり壮観でした。

そして その周りを取り囲んだ 跳人(ハネト)と呼ばれる踊り手たちがラッセーラー、ラッセラー!』と威勢のよい掛け声をあげながら、お囃子の音に合わせて飛び跳ねます。息を呑むほどの迫力と熱気に私は圧倒されました!興奮し完全に時間を忘れました・・・。


熱狂の一夜が明け、今日は青森観光です!
『私もご一緒して よろしいかしら。』と幹おばあちゃまが ‘はにかんだ’ ような笑顔で仰いました。(幹おばあちゃまが青森観光にご一緒して下さるの? 嬉しい!)『もちろんです。 よろしくお願いいたします!』と私は即座に答えました。

幹おばあちゃまは清楚な白いブラウスとベージュのスカート姿です。薄化粧で 淡い紅も差されていました。可愛らしい帽子も被られて。とてもオシャレです。私は自分のブルージーンズと紺柄のポロシャツが 少々 恥ずかしくなりました。

でも、幹おばあちゃまは『あなたのお帽子 ステキね! 良く似合っているわ。青森では そんなオシャレなお帽子(黒とベージュのリバーシブル)は売っていないの。』と褒めてくださいました。

因みに、後日 幹おばあちゃまは私と同じ帽子を購入され、私達はお揃いの帽子を持つ(被る)ことになりました。(気に入って頂き光栄でした!)

楽しいドライブでした!40~50分程 運転され信号待ちの時、先生は「○○君(私のこと)悪いなぁ、俺が手術した患者さんの家がこの近くだから、ちょっと顔を見てくるわ。」と仰って車を歩道側に寄せて停め、数年前に執刀されたという患者さん宅に出かけて行きました。

私はビックリしました!そんなDr. コトー (フジTVのドラマ『Dr. コトー診療所』山田貴敏の漫画を原作、吉岡秀隆主演) のような心優しいお医者さんがいらっしゃるとは。何だか嬉しくなりました。そしてN先生の患者さんは幸せだなあとつくづく思いました。

その患者さんの家は海藻(わかめ)せんべい店だそうで、幹おばあちゃまは「患者さんからの頂き物はしないんですの、みんなお断りして。」「でも、その患者さんは『(先生に)とてもお世話になったから、ご自分が作ってるせんべいなので 是非とも先生に食べて頂きたいって。』そう言って聞かないんだそうです。息子も困っておりました。」

そして小声で「それで一度だけ頂いたんです。でも・・、あまり美味しくないんですの。」と屈託のない笑顔で申し訳なさそうに仰いました。

その後の車中での話もたいへん面白く、因みにN先生はハンサムなスキンヘッドで美声の持ち主。そして豪放磊落な方です。その風貌から何度も僧侶に間違われたそうです。(私、納得です。)

【そのエピソードを一つ】
お知り合いの方の法要に行かれた際、係の方から ‘ふつうに’ 僧侶席に案内され、本物の僧侶がいらっしゃるまで、そのままその席についていたとか。幹おばあちゃまはユーモアたっぷりに、笑いながら教えて下さいました。
 
そうこうしているうちに龍飛岬に到着しました!

文京区 麟祥院前 春日局像



2020年7月25日土曜日

100)青森ねぶた祭(N先生と幹おばあちゃま)その2

「いま 無事に○○君(私のこと)、到着! これから ‘ねぶた小屋’ に案内してから帰るから!」と、N先生は先ずご自宅の奥様に電話をなさいました。

そして その魅力を色々な方から伺っていた(経歴というか 生き方が素晴らしい)ご長男からベストセラーの印税でプレゼントされたと言う ご自慢の車で 青い海公園にある ‘ねぶた小屋’ に向かいました。

ねぶた制作小屋には、今夜 出陣するたくさんの大型ねぶたが所狭しと立ち並び 待機していました! TVで見たものとは違い、本物のねぶたは圧巻で、その迫力に早くも私は圧倒されました!夜のねぶた祭が待ちきれなくなりました。

ねぶた小屋を30分程で引き揚げ、いよいよN先生のご自宅訪問です。

「ただいま!」と先生は声をかけ玄関のドアを開けて下さいました。私が促されて中に入ると、にこやかな笑みを浮かべ先生のお母さま(幹おばあちゃま)とステキな素敵な奥様がお出迎えをして下さいました。感激して緊張がうすれ、温かい気持ちになりました。

幹おばあちゃまは清楚な白いレースのブラウスと紺のスカート姿でした! それはそれはチャーミングな方で、ミス本郷だったのも頷けます。
素敵!きれーい!可愛らしい!まるで女優の八千草薫さんのようでした。理想のおばあちゃまでした。

リビングに通され 椅子に座ると、少しして 先生が「○○君、シャワーでも浴びるかい?」と尋ねました。(なんと・・! 突拍子もないことを。‘よそさま’ のお宅で、いきなりシャワーなんて・・・。)遠慮してお断りすると、

奥様まで「そうね。暑かったでしょう。シャワーを浴びて、一息ついてそれから出かけましょう!」と仰いました。幹おばあちゃまはにこにこと私をご覧になっていらっしゃいました。結局、シャワーを浴びさせて頂きました・・私。

本当に和やかな温かいご家族でした。会食の時間まで お茶を戴きながら談笑し、その後、静岡で病院長をされている 先生のご学友夫妻と合流する お寿司屋さんに向かいました。ご友人夫妻とN先生ご夫妻 そして幹おばあちゃまと私の6人で歓談しながら 美味しいお寿司を頂きました!

N先生の奥様は 冷凍ミカンやおつまみ、お菓子等が詰まって パンパンに膨れ上がったリュックを背負い、両手にはたくさんのペットボトルが入った袋を下げていました。私が持とうとすると断られました。N先生が助っ人でした。20人分位はありそうでした。

私は幹おばあちゃまの歩調に合わせ ゆっくりとお話を伺いながら 手をつないで後について行きました。

先生のやんちゃな子供時代の話(永代橋のアーチ部分に登り なかなか降りてこず大変だった!)や二つ下の弟さんとの兄弟愛(早くにお父さまを亡くされ、弟さんは何処へ行くにも先生に纏わり付いていたそうです。)等など。とても温かくて微笑ましいお話ばかりでした。そのウイットに富んだ話術に 私は敬服いたしました!

そうこうするうちに・・、ねぶた祭の会場に到着しました。 会場はすでに大勢の見物客で埋めつくされていました!







2020年7月15日水曜日

99)青森ねぶた祭(N先生と幹おばあちゃま)その1

コロナ禍により ここ数ヶ月間は高齢者施設での敬聴や朗読、また幼稚園での読み聞かせボランティア活動は休止状態です。

そこで 両施設が再開され 敬聴や朗読、読み聞かせ活動が出来る日まで 番外編として 今まで巡り会った魅力的な方々との ‘ちょっといい話(思い出話)’ を書かせて頂きます。

第一回目は、医学系学術団体で論文の編集をしていた時に、懇意にして頂いたN先生とそのお母様 幹おばあちゃまのお話です。

N先生とは先生が北陸の国立大学に勤務され、学術総会の開催校として担当責任者になられ、一緒にお仕事をさせて頂いた折に 知り合いました。そのご縁で後々も親しくさせて頂きました。因みに、N先生は このブログ 92) 「敬聴の達人 T大学学長の教え」のT学長先生のお弟子さんです。

総会から数年後、N先生から「〇〇くん(私のこと)、ねぶた祭を観にに来ないかい? 凄いぞー。 (恩師)○○先生や医局員、俺の大学の同級生も来るんだぞ。」とお誘いを頂きました。是非 行ってみたいお祭りの一つでしたので、私はお言葉に甘え 二つ返事でお受けさせて頂きました!

が・・その後、先生から「宿だけど、俺んち、泊れよ!」とのお電話を頂きました。浅虫温泉に宿泊のはずが、都合により先生のご自宅に変更になったとのこと。「(えっ、おれんち? 先生のご自宅に・・泊るの?私。)」 目が点になりました。電話口で返事に窮し、困っていると、

「大丈夫だよ。(家族は)みんな 良い人 だから!」と、屈託のない先生。断り切れず・・受けてしまいました!

当時アルバイトに来てくれていた友人に顛末を話すと「大丈夫、大丈夫! ○○さん(私のこと)なら。おばあちゃんがいらっしゃるのなら なおさら大丈夫! 敬聴、得意だもんね!」と これまた呑気に太鼓判を押してくれたのでした(!?)

その後すぐに 先生から大きな封筒が送られてきました。お人柄そのもので、封筒いっぱいに大きく私の宛名が書かれており、中には日程表と青森観光名所の各種パンフレットまで同封されていました。そして何より驚き感動したのは、そのカバーレターでした。

「○○○○君(私のフルネーム)へ 歓迎! ねぶた祭ツアー ようこそ青森へ! 」と書かれていました。その紙面からはファンファーレが聴こえ クラッカーから飛び出た 紙テープや紙ふぶきが見えるようでした。そして下段には綿密なスケジュールが記載されていました。(さすが脳外科医!)

またお祭りの翌日の欄には、先生(おんみずから)が車で名所案内と記されていました。所謂(いわゆる)アッシー君をして下さると言うのです。(たいへん恐縮でした。)

そしてそして・・、いよいよ 青森ツアーの第一日目。
N先生は麦わら帽子を被り、短パンにTシャツ、ビーチサンダルという姿で新青森駅のや改札口までお迎えに来て下さいました。(・・私。)そして 私を見つけると 大きな声で「おおい!○○くん、ここだ、ここだ!」と手を振って合図をなさいました。

周りの方々が振り向く程の・・大音声で です。いつもの ‘満面の笑み’ で。当時、先生は大きな県立病院の病院長でした!


伝通院




2020年6月25日木曜日

98) 企画展「護国寺とぶんきょう」と東寺講堂の立体曼陀羅 その2

その話とは・・、男性は定年退職後に一念発起し「巡礼の旅に出ている」という内容でした。その途中で たまたま 格式の高い護国寺を見つけ立ち寄り、また偶然にも私達の「護国寺とぶんきょう」展に遭遇したとのことでした。これも何かのご縁、仏様のお導きだと仰いました。

宙を見つめ、言葉につまりながら語ったのは・・・、

『自分は根っからの企業戦士で家庭を顧みず そのまま定年を迎えた。しかし 最近 大切な一人息子を亡くし、その自責の念から・・巡礼を思い立った。』等。亡くなった理由を詳しくは仰いませんでしたが、息子さんは長い間 引き籠り状態だったそうです。 ‘懺悔の気持ちで巡礼している’ と涙ながらに仰いました。重い話でした・・。

お話を伺っているちに 私は東寺での不思議な そして素晴らしい体験をお伝えしたくなりました。

暫し 沈黙の後、その男性に出来るだけ明るく「護国寺の話ではありませんが、もしよろしければ、私の大好きな東寺講堂でのお話をさせて頂いても よろしいでしょうか。」と切り出しました。
本堂の外に目を遣っていた男性は怪訝そうに私の方に向き直りました。

私は東寺の講堂で 正真正銘とも言える「立体曼陀羅」を見せて頂いた体験をお話しました。

それは勤務先の学術総会への出張で京都を訪れた最終日のことです。連日の早朝会議に疲れ果て、帰京する日 ほんのひと時 訪れた 東寺の講堂。私が講堂に着いたのは拝観受付の終了時間ぎりぎりの16時30分、拝観終了の30分前でした。

その時間帯は観光客もまばらで ゆっくり出来ました。私は講堂を一回りして、拝観者の何人かが腰掛けていた 大日如来を中心に配置された21体の立体曼陀羅の前に(私も皆さまの真似をして)腰をおろしました。すると 瞼が重くなり 疲れのせいで うとうとし寝てしまいました。

暫くすると、重い扉の閉まる音が聞こえ 私はビックリして起き上がりました。講堂の中は真っ暗! 拝観者は私一人だけでした。年配の受付の方にお詫びをし、時間を尋ねると16時55分とのこと。もう時間がありません。私は慌てて「今日はこの講堂だけ 拝観させて頂こうと思い 参りましたが、不覚にも寝てしまいました。もう少し眺めていたかったのに・・残念です。」と言うと、

受付の方は「大丈夫ですよ、まだ5分ありますから。この暗闇で浮かび上がる仏(像)こそが、弘法大師 空海が表現したかった 真言密教 立体曼陀羅の世界ですよ!」と教えて下さいました。

本当に・・そうでした! 目が暗闇に慣れ、木造建築の僅かな隙間から漏れ入る光で仏像が浮かび上がっていました。絶句です。 言葉がありませんでした。
私は涙がでるほど感動しました。

連日 早朝から夕方遅くまで頑張った私に、素晴らしいご褒美を戴いた気がしました。そして東寺の講堂を拝観するなら、この扉が閉まる少し前の時間帯に限ると確信した次第です。

私が話を終えると、その男性は手を差し出し私に握手を求めました・・。彼の目から涙がぽろぽろ流れ落ちました。両手で私の手を握りながら「ありがとう、ありがとう。感銘を受けました。」「素晴らしい話を聞かせて頂き 本当に有難うございました。あなたに会えて良かったです。」「絶対に 夕方5時少し前 東寺の講堂を尋ねます。」と仰いました。

インタープリターとは通訳という意味です。この企画展後に行われた反省会でこの話をすると、指導教授や仲間から「その白装束の方との交流もインタープリターとして最も意味ある行為でしたね!」と言われました。でも、私は 今にして思えば ‘敬聴’ だったような気がしております。

文京区 法眞寺 腰衣 観世音菩薩
樋口一葉像
仏教詩人 坂村真民先生の言葉





2020年6月15日月曜日

97) 企画展「護国寺とぶんきょう」と東寺講堂の立体曼陀羅 その1

先日 faceboookで【7日間のブックカバチャレンジ】というイベントがありました。チェーンメールの一種です。「着物バトン」というのもあったそうです。こんな時期ですから 皆が繋がりを求めているだと思いました。

その6日目(6冊目)にご紹介させて頂いたのが、梅原 猛著『梅原猛の授業 仏教』でした。東寺境内にある洛南中学校で講義した 12回の内容を纏めた本で、表紙は私の大好きな「東寺講堂の立体曼陀羅、国宝の金剛宝菩薩坐像」です。

この本と出合った4年後に 私は毎週土曜日 文京区内の大学に社会人として 5年(初級・中級・上級 講座)ほど通いました。子供の頃から神社仏閣、特に寺院と仏像に興味を持っていたからですが、*インタープリターという文京区独自の資格を得るためでもありました。そこで地域の文化財(古文書や建築、絵画や彫刻〔仏像〕)全般を学びました。ゼミにはもちろん仏像を選びました。

*(文の京地域文化)インタープリターとは、文京区の文化遺産(地域の歴史・美術・建築など)を分かりやすく区民の皆さまに伝える活動をする者のことです。私はその第一期生ですが、最近は学ぶ大学も変わって隔年募集となり 講座期間も半年になったそうで、主に文学(稀に歴史民俗)を学んでいるようです。

我々インタープリターが展示や運営に携わった 企画展の第一弾が「護国寺とぶんきょう」でした。文京区あげての大掛かりなイベントで、20088月30日~9月15日まで開催されました。(延べ来場者数は4,500名)

因みにその後も「江戸時代に生まれた庶民信仰の空間ー音羽と雑司ヶ谷ー (鬼子母神展)」(2010年9月24日~10月5日まで)等があり、私も企画に関わりました。

さて、今回はその企画展「護国寺とぶんきょう」での話です。或る方に(今 思えば)敬聴のようなことをさせて頂きました。

会期中 私たちインタープリターは交替で護国寺につめ、ご来場者に護国寺の建造物や絵画・仏像など文化財の説明や境内の案内役も致しました。その会期中盤に、60代後半の白装束の男性に私は説明を求められました。何か曰くのありそうな方で 少々 私は身がすくみました。

一通り 今回の展示物についてご説明し、特に私が関わり、文化庁の文化財調査官の川瀬由照先生(現在、早稲田大学文学部教授)と共に実地調査をした木造地蔵菩薩立像は念入りに説明させて頂きました。

その他 真言宗豊山派の寺「護国寺」の正式名称である「神齢山悉地院 護国寺」の院号  ‘悉地’ の意味(梵語の siddhi で成就の意。密教で修行によって完成された境地、悟りのこと。)や徳川五代将軍 綱吉の生母、桂昌院由来の「玉の輿」の話(護国寺は綱吉が桂昌院の祈願寺として建立)そして本尊 如意輪観世音菩薩像のご説明等など。

ご説明が終わっても その男性は名残惜しそうに 何かもの言いたげな目をされ・・、そして、訥々(とつとつ)とご自分の身の上話をし始めました。しかも 涙ぐみながらです。さて、私はどう応えたら良いのか・・困りました。





2020年5月25日月曜日

96) 幼稚園での朗読ボランティア

ここ千代田区立K幼稚園は、同敷地内に小学校があるため 小学生との交流が盛んで、そのまま小学校に上がる場合には 環境の変化によるストレスが少なくて良いとの評判でした

また 遊びを中心とした教育のため子供たちが伸び伸びと楽しめる環境、さらに図書館も充実しており 生徒数が少ないこと等も魅力だそうです。初めての幼稚園訪問なので いろいろ下調べをしました。

朗読の先輩たちと小学校入口で待ち合わせをし、園児等のもとへと急ぎました。最近 園舎もきれいになったそうで、園庭やプールもあり素晴らしい環境でした。2階にあがると、可愛らしい園児たちが 今や遅しと私たちを待ちかねていました。とっても可愛いです!

先輩のところには顔なじみの園児たち3人が寄ってきました。とても人懐っこいです。私はよく動き回る そのおチビちゃん達から目が離せなくなりました。
その後 幼稚園の先生に案内して頂いた 朗読(読み聞かせ)の部屋は、清潔でさっぱりとした教室でした。すでに総勢25名くらいの園児たちが、きちんとカーペットや小さなイスに座って待っていました。

打ち合わせ通り、最初は我々3人が園児らの前に立ち『はじまるよ はじまるよ』という定番(らしい)の歌をうたいましたが・・、私はまったくダメでした!それこそ ‘初めて’ きく歌で、しかも「手遊び うた」だったのです。

うたは先輩を横目で見て何とか真似をしましたが「手遊び」は論外です。出来るはずがありません。二つの新しいことを同時に出来るほど 私は器用ではありません。完全にアウエー状態でした。

訪問前に「読み聞かせ 幼稚園訪問の手引!」的なものをネット検索すべきでした。後悔しても 時すでに遅しです。次回の訪問までには、この手遊びを「何が何でも習得しなければ!」と固い決意をいたしました。

冷や汗もので そんなことを考えていると、ふと強い視線を感じました。その視線の先を見やると、なんと 前列の可愛いらしい3才位の男の子が、じっと私を清い目で見つめているではありませんか。その子と目があいました! 

男の子は私から目線を外しません。困りました。私は心の中で「おねがい! 私ではなく、隣の先輩の手遊びを真似て!」と願いましたが・・、だめでした。ずっと私を見たままです。こころの中でため息が漏れました。(もしかして あやふやな振りの私を責めて・・ますか?)

その後は、先輩のIさんが『ふしぎなおるすばん』という絵本をよみ、次に私が絵本の『おなら』(長新太作)を読もうと・・、題名を言うと、今度はおしゃまな おさげ髪の女の子が、「えっ!おなら? ふけつ!」と言い出しました。(オナラの ‘しくみ’ の話なんだけどなぁ。)

またもや難関! 私はまるで園児たちに洗礼を受けているようでした。でも・・この絵本は読み聞かせをしているうちに、園児らも興味を持って聴いてくれました。途中で質問までされました。セーフです。(ふうっ!)

そしてO先輩が絵本『ほしをさがしに』をよみ、続けて先程のI先輩が紙芝居『やさしいまものバッパー』をよみました。素晴らしいです。紙芝居の絵はご自分で描かれたそうです。そして最後に、皆で『とけいのうた』(こちらは童謡ダンスだそうですが)を手遊びを交えてうたい 読み聞かせ終了となりました!

なお、今回の園児は「預かり保育」の子供たちで 週に3日程度 幼稚園に来ているそうです。ここは私が普段 伺っている高齢者施設にはない、萌えたつエネルギーを感じました。私も ‘不思議の国のアリス’ になったような気分で 気持ちもウキウキ、とても楽しいひと時でした。

     ( 2020218() 14:0015:00






2020年5月15日金曜日

95) 傾聴フォローアップ研修 その3 二人の心理学者「アドラー」編

次にアドラーです。
※2アドラーは フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」の一人であり、アドラー独自の「個人心理学」は 日本ではその創始者の名をとり「アドラー心理学」と呼ばれている。日本でも2014年の「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健の共著による“アドラー心理学”の解説書)をきっかけに広く知られるようになった。「自己啓発の父」とも呼ばれ社会現象になり 今も注目を集めている。

その学説には介護にも役立つ部分があるとのことで私も 早速 読んでみました。
アドラー心理学の基本的な考え方(理論)の概略は以下のとおりです。
*アドラー心理学は広汎にわたりますので、ここでは入門編をご紹介致します。

①人間の行動には目的がある(目的論):
人は過去の経験に囚われ 自分が傷つかないように解釈して自分を納得させている。アドラー心理学はこの過去の原因となった出来事を問題から切り離し、意識を未来志向(目的)に変えることで前向きな行動が出来るという理論。
②人間を分割できない全体の立場から捉えなければならない(全体論):
全体論とは「意識と無意識」「感情と理性」「心と体」は分離出来ないものという考え方。
③人間は自分流の主観的な意味づけを通して物事を把握する(認知論):
認知論とは同じ出来事を経験しても感じ方は人それぞれ違うという考え方。独自の解釈で多様性がある。つまり考え方次第で結果を変えられるという事。「事実」と独自に感じた「認知(感情)」を区別するのが大切。
人間は自分の行動を自分で決められる(自己決定性):
アドラー心理学の自己決定性とは自分の人生は自分で決められるという考え方。「出来事をどのように捉え、解釈し 受け止め 行動するかは 自分次第。」自己啓発によって自分を高めるとする教え。
人間のあらゆる行動は対人関係である(対人関係論):
人の行動・感情はいつも特定の誰かに向けられ影響しあっているという考え方。全ての悩みは対人関係の悩みであるとする。孤独や寂しさを感じたり、他者と比較して劣等感を持ったり コンプレックスに悩んだり。また自分を大きく見せたり卑屈になったり等など。何か行動を起こした時に「周り(相手)にどう思われるか」等と余計な考え方が邪魔をして正しい判断が出来なくなる。この余計な考えを取り払うことが大切。

上記のうち高齢者の介護や傾聴において最も心に留めておきたい項目は⑤です。研修では「勇気が高まる基本の言葉」として「ありがとう(感謝)」「嬉しい(感情)」「助かる(貢献感)」の3つの言葉が挙げられていました。これらは高齢者が「あなたは大切な人!」と感じる言葉だそうです。

人間は他人から「ありがとう」という感謝の言葉をもらうと「自分は役に立った」「貢献できた」と感じ、自らの価値を実感でき勇気が持てるのだそうです。

そう言えば、ゆしまの郷のキクさん(101才 女性)は〝おしぼりたたみ〟(このブログ の77)参照。)が得意ですが、お褒めすると とても嬉しそうなお顔をなさいます。「人の役に立っている」という貢献感なのでしょうかね。

アドラーの説によると、人に必要とされるのは他者への貢献であり、喜びと幸福感をもたらすそうです。また貢献できなくても価値が無いということではなく、人は生きているだけで価値があり 他者への貢献になるそうです。従って目に見える貢献でなくても「*貢献感」を持てれば良いのだそうです。


*貢献感とは「自分は誰かの役に立っている」という自分の感覚であり、貢献感を持てれば自分に価値があると思える。そして自分に価値があると思えれば対人関係の中に入っていく勇気が持てる。それが幸せにつながると言うのですが。
(この部分は今一つ私には分かり難いところでした。)


因みに、アドラーは欧米での評価に比べ 日本では知名度が低かったようですが、近年になり 伊坂幸太郎氏が小説『PK』で また石田衣良氏が小説『美丘』でアドラーの教えに言及するなどで 多方面からの支持を集めているようです。

そしてアドラー心理学を解説した『嫌われる勇気』(岸見 一郎/古賀 史 著, ダイヤモンド社)はベストセラーとなり ドラマにもなったそうです。

       (2020年 2月11日(火) 13:30~16:30)

ナズナ

photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios

2020年4月25日土曜日

94) 傾聴フォローアップ研修 その2 二人の心理学者「マズロー」編

今回の研修では※1 アブラハム・マズロー(アメリカの心理学者。人間心理学の生みの親と言われている。『欲求5段階説』を提唱。)と※2 アルフレッド・アドラー(オーストリアの精神科医・心理学者。「個人心理学」〔日本では「アドラー心理学」と呼ばれている。〕を構築。)が紹介されました。

いずれも名前だけあげて軽く触れる程度でしたが、興味を惹かれ調べてみることにしました。

※1『マズローの欲求5段階説』とは 人間は自己実現に向かって絶えず成長する
生きものであると仮定し、人間の欲求を5段階に理論化したもの。1段階目の欲求は原始的であり満たされると、次の2段階目の欲求を満たそうとする 基本的な心理的行動を表している。上の段階にいく程 高次な欲求と言われています。

第1段階:生理的欲求(食欲・排泄欲・睡眠欲など、生きていくために必要な基本的本能的な欲求。)

第2段階:安全欲求(安心・安全な暮らしへの欲求。)

第3段階:社会的欲求(友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求。「愛情と所属の欲求」とも表現される。この欲求が満たされない状態が続くと、孤独感や社会的不安を感じやすくなり、時には鬱状態に陥るケースもある。)

第4段階:承認欲求・尊重欲求(他者から尊敬されたい、認められたいと願う 内的な心を満たしたい欲求。この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。)

第5段階:自己実現欲求(自分の世界観・人生観に基づいて「あるべき自分」になりたいと願う欲求。潜在的な自分の可能性の探求、自己啓発行動、創造性の発揮などを含み 自己実現の欲求に突き動かされている状態。)

※補足:自己超越(晩年 マズローは5段階の欲求階層の上に「自己超越」の段階があると発表した。自己超越とは "目的の遂行・達成のみをピュアに求める" という領域を指し、見返りを求めず自我を忘れ ただ目的のみに没頭するさま。)

具体的な例としては、
①日々の食事やトイレ介助等は第1段階の生理的欲求を満たす。
②一つひとつの介助で声掛けをし丁寧な介助を行うことや笑顔で接し、怖い思いをさせないこと等は第2段階の安全欲求を満たす。
③皆で談笑できるような環境作りや気心の知れた人間関係は第3段階の社会的欲求を満たす。
④ゆっくり傾聴する。名前を呼ぶ。目を合わせて挨拶をする。お手伝いをして貰いお礼を言う等は第4段階の承認欲求を満たす。
⑤趣味活動を行う。行きたいところに外出する等は第5段階の自己実現欲求を満たす。

老人介護においては 彼らの加齢による喪失体験や置かれている状況などを加味しつつ、これらの欲求を理解して対応することを求められます。
ゆえに 介護に携わる人は その高齢者がどの欲求段階にあたるのか、どの部分に注力するべきなのかを考えるきっかけにしているそうでした。

この『マズローの欲求5段階説』はお年寄りの心理や欲求を理解し、ケアにあたる為の知識として、介護福祉士国家試験にも出題されるとのことです。

          (2020年 2月11日(火) 13:30~16:30)

「西大山駅」

「日本最南端の駅 黄色ポスト」