2020年6月25日木曜日

98) 企画展「護国寺とぶんきょう」と東寺講堂の立体曼陀羅 その2

その話とは・・、男性は定年退職後に一念発起し「巡礼の旅に出ている」という内容でした。その途中で たまたま 格式の高い護国寺を見つけ立ち寄り、また偶然にも私達の「護国寺とぶんきょう」展に遭遇したとのことでした。これも何かのご縁、仏様のお導きだと仰いました。

宙を見つめ、言葉につまりながら語ったのは・・・、

『自分は根っからの企業戦士で家庭を顧みず そのまま定年を迎えた。しかし 最近 大切な一人息子を亡くし、その自責の念から・・巡礼を思い立った。』等。亡くなった理由を詳しくは仰いませんでしたが、息子さんは長い間 引き籠り状態だったそうです。 ‘懺悔の気持ちで巡礼している’ と涙ながらに仰いました。重い話でした・・。

お話を伺っているちに 私は東寺での不思議な そして素晴らしい体験をお伝えしたくなりました。

暫し 沈黙の後、その男性に出来るだけ明るく「護国寺の話ではありませんが、もしよろしければ、私の大好きな東寺講堂でのお話をさせて頂いても よろしいでしょうか。」と切り出しました。
本堂の外に目を遣っていた男性は怪訝そうに私の方に向き直りました。

私は東寺の講堂で 正真正銘とも言える「立体曼陀羅」を見せて頂いた体験をお話しました。

それは勤務先の学術総会への出張で京都を訪れた最終日のことです。連日の早朝会議に疲れ果て、帰京する日 ほんのひと時 訪れた 東寺の講堂。私が講堂に着いたのは拝観受付の終了時間ぎりぎりの16時30分、拝観終了の30分前でした。

その時間帯は観光客もまばらで ゆっくり出来ました。私は講堂を一回りして、拝観者の何人かが腰掛けていた 大日如来を中心に配置された21体の立体曼陀羅の前に(私も皆さまの真似をして)腰をおろしました。すると 瞼が重くなり 疲れのせいで うとうとし寝てしまいました。

暫くすると、重い扉の閉まる音が聞こえ 私はビックリして起き上がりました。講堂の中は真っ暗! 拝観者は私一人だけでした。年配の受付の方にお詫びをし、時間を尋ねると16時55分とのこと。もう時間がありません。私は慌てて「今日はこの講堂だけ 拝観させて頂こうと思い 参りましたが、不覚にも寝てしまいました。もう少し眺めていたかったのに・・残念です。」と言うと、

受付の方は「大丈夫ですよ、まだ5分ありますから。この暗闇で浮かび上がる仏(像)こそが、弘法大師 空海が表現したかった 真言密教 立体曼陀羅の世界ですよ!」と教えて下さいました。

本当に・・そうでした! 目が暗闇に慣れ、木造建築の僅かな隙間から漏れ入る光で仏像が浮かび上がっていました。絶句です。 言葉がありませんでした。
私は涙がでるほど感動しました。

連日 早朝から夕方遅くまで頑張った私に、素晴らしいご褒美を戴いた気がしました。そして東寺の講堂を拝観するなら、この扉が閉まる少し前の時間帯に限ると確信した次第です。

私が話を終えると、その男性は手を差し出し私に握手を求めました・・。彼の目から涙がぽろぽろ流れ落ちました。両手で私の手を握りながら「ありがとう、ありがとう。感銘を受けました。」「素晴らしい話を聞かせて頂き 本当に有難うございました。あなたに会えて良かったです。」「絶対に 夕方5時少し前 東寺の講堂を尋ねます。」と仰いました。

インタープリターとは通訳という意味です。この企画展後に行われた反省会でこの話をすると、指導教授や仲間から「その白装束の方との交流もインタープリターとして最も意味ある行為でしたね!」と言われました。でも、私は 今にして思えば ‘敬聴’ だったような気がしております。

文京区 法眞寺 腰衣 観世音菩薩
樋口一葉像
仏教詩人 坂村真民先生の言葉