ふくさん(当時90歳 女性)はわたしの最年長の友でした。その出会いは最年少の友、自称 ‘年の離れた弟’ のトモ君の結婚披露宴です。運命の出会いでした! 私たち3人は旅がご縁で巡り会いました。
トモ君とは、彼が小学5年生、私が社会人5年目の時に出会いました。ともに夏休みを利用して参加した10日間の中国ツアーです。当時、中国への旅行者は少なく、ましてや子供の参加者はトモ君ひとりでした。ご両親と3人で参加されていました。
ツアーは万里の長城や西安、大連、そして上海や北京までを巡る かなり盛りだくさんの企画でした。私は中国(語)には全く馴染みがなく、ひたすら添乗員さんを頼みに観光をしておりました。
しかし 観光地での ちょっとした買い物や、お目当てのお土産である、端渓の硯や掛軸、カシミアのセーター等を選ぶ時は 言葉でかなり苦労しました。
一方、トモ君は 子供なのに なんと中国語が話せ 私はビックリしました。そして或るお店では、ふと気がつくと傍にトモ君がいて、通訳までしてくれました!
その後も『おねえさん、おねえさん!』と呼び 慕ってくれて、いつも私と一緒です。トモ君はちょっと生意気な人懐っこい少年でした。彼はお母さまが ‘やきもちを焼く’ くらい私の傍にいてくれました。
当時、私はトモ君と同じ年頃の子供たちに勉強を教えており、その年代の子供たちとは違和感なく普通にコミュニケーションが取れましたが、彼はとくべつ 頼もしかった記憶があります。そして今でも 彼に選んで貰った ‘モスグリーンのカシミアのセーター’ は捨て切れずに持っております。
帰国後も交流が続き、私がバレンタインデーにチョコレートをあげると、ホワイトデーにはトモ君がお返しの品を私の自宅まで届けてくれるなど、いっぱしのボーイフレンドでもありました。
高校生になると、トモ君は中国に短期留学をしました。本当に中国が好きなんだなと思いました。聞くところによると、お父さまの仕事の関係で中国に関心を持ち、中国の歴史や文化芸術に造詣が深くなったようです。(納得!)
10数年後、そのトモ君から結婚披露宴への招待状が届きました・・。そして会場である都内のホテルでは、運命的なふくさんとの出会いが待っていたのです!
シオン |
朝焼けの伊達政宗騎馬像 photo: (c) Hiro K http://ganref.jp/m/md319759/portfolios |