織部焼 一海窯の盃 |
大森和蝋燭 |
六代目・大森太郎氏 |
織部焼 一海窯の盃 |
大森和蝋燭 |
六代目・大森太郎氏 |
日枝神社 |
レンギョウ |
このコロナ禍の間に「ゆしまの郷」で出会った 魅力的なお年寄りたちが天国に旅立たれました。カズさんの他、キクさん、マツさん、トシコさん、そしてサトシさんです。あらためまして ご冥福をお祈り申し上げます。
今にして思えば、蓄音機演奏家のオヤビンさんのご厚意で、施設において「蓄音機の会」を催すことが出来て 本当に良かったです。
交通費も出ない、完全に無償のボランティアで たっぷり1時間の蓄音機の演奏をお年寄り達にお聞かせしたことです。楽しみの少ない生活をされているお年寄り達に、束の間でも「楽しく、幸せな気分になって頂きたい。」という私の思いからでした。無理をきいて下さったオヤビンさんに感謝です。
当日、6Fのフロアにはお年寄り達が整列しスタンバイされていました。そして演奏が始まると、皆さまの目が輝き お顔の表情が生き生きとし出しました。中には一緒に歌い出す方もお出でで、特に盆踊りの定番曲 『東京音頭』 になると、手踊りまでされる方もいらっしゃいました。
皆さまとても嬉しそうでした。普段 おとなしいミヨコさん(当時87才 女性)も、リラックスして 優雅に足なんか組み 指先でリズムを刻んでいました。レコードの曲目リストをご覧になり、積極的にリクエストもされていました。
他にも 不自由な手で曲目リストを握り、食い入るように見つめていらっしゃる方もお出ででした。驚いたことに、私が知らない古い歌の歌詞を1番から3番まで ‘そら’ で口ずさむ方もいらっしゃいます。
印象的だったのは、ご自分から殆ど話などされないマツさん(当時90才 女性)まで、歌詞のなかの ‘屋形船’ に反応し、『あたしも若い頃には屋形船に乗ったものだよ。』『綺麗なべべ着て 美味しいご馳走も食べたよ!』 と舌をもつれさせながら、昔話を聴かせて下さったことです。
お年寄りたちの全盛期、華やかなりし頃の姿を垣間見たような気がしたものです。そして 満足感に浸っている私に、カズさん(当時103才 女性)が『○○さん(私のこと)が、この企画をして下さったんですって?』 と茶目っ気たっぷりに私を見つめ、そのお顔をほころばせたことが忘れられません。
その時 私は『異人たちとの夏』(山田太一著、映画は大林宣彦監督)やロバート・デ・ニーロ主演の映画※『レナードの朝』を思い出しました。
その後、他の患者たちにも同じ薬を使用することになる。すると期待通りに全ての患者が機能を回復する。目覚めた患者たちは生きる幸せを噛み締める。が、最後にはレナードをはじめ、同じ薬を使った患者たちは全て元の状態に戻ってしまう。
ゆしまの郷の人びととの思い出が走馬灯のように浮かんで過ぎていきました。 「蓄音機との会」に参加された あの時の あの方々はもういないのです。 合掌
ガマズミの実 |
ホトトギス |
その夜、宿泊先のホテルで一休みした後、友人等と三人で勇んでそのお店に伺ったのです。楽しみでした! 暫くは良い雰囲気で雑談をし、そしてS子姐さんの十八番「武田節」に話が及んだのですが・・。
友人が「彼女は(私のこと)浅草で吉原最後の芸者さんに三味線を習っている。」といった一言で、S子姐さんの顔が強張り、動揺し始めました。後から思うに、“吉原芸者には負けられない!” 等という、気負いのようなものがあったのだろうと推察します。まったく余計な一言を言ったものです、友人は。
それからS子姐さんは 体調が悪いということで、店の二階に上がってしまいました。なかなか戻ってきません。「あららら、どうしちゃったのかしら。」私は心配になりました。
それでも、私たちが帰る少し前に 二階から降りてこられ、カラオケには付き合ってくれました。でも、歌は・・期待した「武田節」ではなく「黒田節」でした。残念ながら、とうとう最後まで三味線の音は聴かせて貰えませんでした。
吉原芸者への引け目というか・・。みな子姐さんは有名人でしたし。それも含めて一目置かれる存在だったからでしょうか。わたしは残念無念でしたが。
みな子姐さん(左から2番目)1985年頃 |
ヤマボウシ |
フジバカマ |
シュロソウ |
ニコライ堂 |
お寿司屋さんは平日の15時のせいか 閑散としており、もちろんお客は私達二人だけでした。お酒も飲まない伯父が山奥の温泉町でお寿司屋さんを知っているのは意外でした・・。
ただ、思い起こすに 伯父はグルメでした・・。父が怪我をし入院した際、お見舞に上京した伯父は、母と私を労って新宿のフランス料理店に連れて行ってくれたことがありました。
当時は母も私もまだフレンチのフルコースなど頂いたことがありませんでした。ナイフとフォークさばきが見事な伯父に 目を見張ったことを憶えています・・。
ヒョウモンチョウ類 |
ルリシジミ類 |
ハナイカダ |
ニッコウキスゲ |
5月末にカズさん(107才 女性)をお世話されている姪御、Tさんからお電話を頂きました。
この一年、ご自身も持病を抱えていて体調が悪いとのこと。その上 娘さんとの意見の相違などで気分が落ち込んでいると仰っていました。お話を伺い 励ますことしか私には出来ませんでしたが、Tさんは感謝して下さり 話を聴いて貰って気が楽になったと仰ってくださいました。
錦糸公園 |
翌 2日目はウクライナの首都 キエフ観光です。聖アンドリーイ教会、聖ソフィア大聖堂、キエフ・ペチェールシク大修道院などを見学しました。
ここでも お仲間たちから「トイレはどこかしら?」とか「いま、ガイドさん 何て仰ったの?」そして「次はどこ行くの?」等々 問われるありさまです。にわか添乗員の私は大忙しです!?
さて、第一日目はモスクワ市内観光。私は定番の世界遺産となった「赤の広場」でネギ坊主の建築物 聖ワシリイ大聖堂などを写真におさめ、同時に旅の仲間たちのご要望に応え、記念写真のお手伝いもしました。皆さま、積極的かつマイペースです。
ただ、お一方のお手伝いをすると 次々に他の方々もお願いにきます。旧ロシア帝国の宮殿であるクレムリンやレーニン廟でも同様でした・・。
本郷給水所公苑 |
旅のお仲間は 30代の添乗員さんと私(当時。今の私は浦島花子です)を除き、70代・80代の紳士 淑女の方々でした!皆さま 好奇心旺盛でマイペース。健啖家でもありました。 長寿の秘訣でしょうか。
最初の訪問地はモスクワ。到着まではかなりの長旅だったのに、皆さま お元気で疲れを見せませんでした。ホテルに到着後 すぐに夕食でしたが、現地時間で20時を回っていたせいか 豆料理中心の質素なものでした。ビール等もありません。
フライトの疲れもあり、私は早めに退散し 部屋で日本から持参したカップ麺でも食べようと思いました。一方、旅の達人たちは・・、各々 きちんと召し上がっておられました!柔な私とは違います。逞しいです!
そこに添乗員さんがあらわれ、小声で「この会場にはアルコール類はありませんが、地下に観光客向けのバーがあります。ちょっとしたおつまみも。別料金ですがドルもつかえますよ!」と仰いました。
もちろん 私は部屋での淋しい ‘カップ麵 ひとりディナー’ をやめ、異国の地下バーに連れて行ってもらいました!私を含め5~6名ほどの参加でしたが、そこには 何でも・・揃っていました。美味しいものが。「社会主義国って凄い!」と私は妙に感動したものです。
それで味を占めた訳ではありませんが、この晩 ご一緒し 親しくなった北海道から参加のTご夫婦と毎晩 観光地の宿泊ホテル内にあるバーに繰り出しました。最高に贅沢な旅となりました。
蛇足ですが、旅の最終日ヘルシンキでは、3人の両替し残った現地通貨(当時はマルッカ ペンニ)を集めて全て「※アクアビット(Akvavit)」にかえ飲み干しました!
※アクアビット:北欧のお酒でジャガイモを主原料にした蒸留酒。
翌日、第一日目は先ずモスクワの市内観光。世界遺産となった赤の広場に行き ネギ坊主の建築物 聖ワシリイ大聖堂を見て、旧ロシア帝国の宮殿であるクレムリンやレーニン廟などを観光します。
そしてその後は、いよいよレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)にあるエルミタージュ美術館へ。期待が高まりました!
ツルニチニチソウ(蔓日々草) |
コロナ禍で思い描いていた生活が一変しました。退職して多少時間が自由に取れるようになり「年に一回くらいは海外旅行を!」と目論んでおりましたが、ここ数年は無理なようですね。残念です。そこで今回は私の ‘忘れがたい旅’ を書かせて頂きます。
前置きが長くなりましたが、今回は ‘別の意味で’ 印象深く忘れられない「キエフ・モスクワと北欧の旅」の話をいたします。
在職中にやっと頂いた夏季休暇で、7月中旬から12日間の旅行だったと思います。私はツアーに一人参加しました。早めに成田国際空港に着き、指定された搭乗受付カウンター付近を見渡しましたが、参加者らしき人は見当たりません。ご高齢の方が数人 屯(たむろ)しているだけでした。
早く着き過ぎたかと思い、辺りをうろうろしておりました。一周して元のところに戻ると、関西方面から合流の参加者を引き連れた 男性添乗員さんが、ツアー名と旅行会社名を書いた旗を持って現われました。うん? その参加者たちはかなりご高齢の方々ばかりです・・。
添乗員さんは私を見て「○○さんですか、こちらです。皆さん、こちらに集まって下さい。」と大声で仰いました。すると、先程から屯していたご高齢の方々も集まりはじめました。総勢・・40名くらいでした!平均年齢は75歳くらい。当時、私は30代前半でした。
やっと・・状況が読めました。私のお隣に並ばれた初老のご婦人は「あなたもご一緒? それは良かったわ。よろしくお願いしますね!」とにこやかに仰いました。他の参加者たちもこちらを見ています。
その時から、私は「にわか添乗員」になりました。
鳥越神社 |
クロッカス |