2021年12月15日水曜日

133) 【徒然に】司会と朗読

先日、文京シビックホール(スカイホール)での特別公開講座「人類と感染症の歴史 ~ペスト・コレラ・インフルエンザ~」の司会を仰せつかり 無事に終えることが出来ました。講演はおかげさまで大盛況でした。

然しながら 朗読と司会の伝え方は(頭では分かっていたのですが)本当に ‘別物’ だと実感しました。作品の ‘世界観’ というか ‘イメージ’ を伝える朗読と催し物の進行役で傍役である司会者の伝え方は全く異なりました。

司会者は会を円滑に、またお客様には正確で分かりやすく伝達することが求められます。

今回が初司会だった私は、当日 先輩方にアドバイスをお願いしました。すると「声のトーンは少し上げたら。」とか「マイクの位置は下げた方が・・。」等など。また着用するマスクによって聞こえ方が異なると言ったご指摘を頂きました。

私は原稿を頭に入れ「お客さまのお顔を満遍なく見ながら伝えよう・・」と臨んだのですが、「原稿は手に持ち、時々 その原稿に目を遣る感じの方が良い」と、リーダー(某テレビ局の元重役)からアドバイスを頂戴しました。難しいものです。

そして講演中には ご高齢の講師が 突然 マスクを外して話されると言うハプニングが起きました。ご来場者には軽くお断りされた上での行為でしたが。数名での打ち合わせ時には 全く仰っていませんでした。

区側の担当者は狼狽え、司会者の私に「(講演終了後)ご来場の皆様にお詫びとご説明をして欲しい」と頼まれました。いきなりの難題、臨機応変な対応が必要となりました。(何とかクレームもなく無事に乗り越えましたが。)

一方、朗読の方は必ずしも「内容をしっかりと伝達する」ことが大事ではありません。語り手の感性というか読解力、イメージを表現することが求められます。ゆえに、伝え方は司会とは全く異なります。

朗読の目標を
「健康のために 楽しく音読をしながら朗読に近づける」や「誰かのために 読み聞かせをしながら聞き応えのある朗読に近づける」、そして「聴く人の心にしっかり残り、感動を生む芸術を目指す」と仰った方がいます。奥が深いです。

そんな中 私はちょっと変わった「朗読会」を企画中です。今回は ‘誰かのための朗読’ とか ‘感動を生む芸術的な朗読’ ではなく、想いを伝え 共感して頂ける朗読会にしたいと考えております。「飛び入り参加もあり(試案)」等、内輪の楽しい会です。

そんなのは ‘本来の朗読会ではない’ とお叱りを受けそうですが。さて、どうなりますことやら・・。

日枝神社

レンギョウ