2021年11月25日木曜日

132) 【徒然に】在りし日の「ゆしまの郷」の人びと

このコロナ禍の間に「ゆしまの郷」で出会った 魅力的なお年寄りたちが天国に旅立たれました。カズさんの他、キクさん、マツさん、トシコさん、そしてサトシさんです。あらためまして ご冥福をお祈り申し上げます。

今にして思えば、蓄音機演奏家のオヤビンさんのご厚意で、施設において「蓄音機の会」を催すことが出来て 本当に良かったです。

交通費も出ない、完全に無償のボランティアで たっぷり1時間の蓄音機の演奏をお年寄り達にお聞かせしたことです。楽しみの少ない生活をされているお年寄り達に、束の間でも「楽しく、幸せな気分になって頂きたい。」という私の思いからでした。無理をきいて下さったオヤビンさんに感謝です。

当日、6Fのフロアにはお年寄り達が整列しスタンバイされていました。そして演奏が始まると、皆さまの目が輝き お顔の表情が生き生きとし出しました。中には一緒に歌い出す方もお出でで、特に盆踊りの定番曲 『東京音頭』 になると、手踊りまでされる方もいらっしゃいました。 

皆さまとても嬉しそうでした。普段 おとなしいミヨコさん(当時87才 女性)も、リラックスして 優雅に足なんか組み 指先でリズムを刻んでいました。レコードの曲目リストをご覧になり、積極的にリクエストもされていました。

他にも 不自由な手で曲目リストを握り、食い入るように見つめていらっしゃる方もお出ででした。驚いたことに、私が知らない古い歌の歌詞を1番から3番まで ‘そら’ で口ずさむ方もいらっしゃいます。

印象的だったのは、ご自分から殆ど話などされないマツさん(当時90才 女性)まで、歌詞のなかの ‘屋形船’ に反応し、『あたしも若い頃には屋形船に乗ったものだよ。』『綺麗なべべ着て 美味しいご馳走も食べたよ!』 と舌をもつれさせながら、昔話を聴かせて下さったことです。

お年寄りたちの全盛期、華やかなりし頃の姿を垣間見たような気がしたものです。そして 満足感に浸っている私に、カズさん(当時103才 女性)が『○○さん(私のこと)が、この企画をして下さったんですって?』 と茶目っ気たっぷりに私を見つめ、そのお顔をほころばせたことが忘れられません。

その時 私は『異人たちとの夏』(山田太一著、映画は大林宣彦監督)やロバート・デ・ニーロ主演の映画※『レナードの朝』を思い出しました。

『レナードの朝』:医師・オリバー・サックス著作の医療ノンフィクションで、マウント・カーメル病院に入院していた嗜眠性脳炎の20名に、1960年代に開発されたパーキンソン病向けの新薬L-ドーパを投与し覚醒させたが、耐性により効果が薄れていった状況を記述してます。

【ボールや音楽など 様々なものを使った訓練により、患者たちの生気を取り戻すことに成功するが、更なる回復を目指してセイヤーは、パーキンソン病の新薬を使うことを考える。

そして最も重症のレナードに対して使うことを認めてもらう。当初は成果が現れなかったが、ある夜 レナードは自力でベッドから起き上がり、セイヤーと言葉を交わす。

30年ぶりに目覚め 機能を回復したレナードは、セイヤーとともに町に出る。30年ぶりに見る世界はレナードにとって全てが新鮮であり、レナードとセイヤーは患者と医師との関係を超えた友情を育む。

その後、他の患者たちにも同じ薬を使用することになる。すると期待通りに全ての患者が機能を回復する。目覚めた患者たちは生きる幸せを噛み締める。が、最後にはレナードをはじめ、同じ薬を使った患者たちは全て元の状態に戻ってしまう。

セイヤーらはその後も治療を続け、患者たちの状態が改善することもあったが、1969年の夏に起きたような目覚ましい回復が見られることはなかった。Wikipediaより抜粋

ゆしまの郷の人びととの思い出が走馬灯のように浮かんで過ぎていきました。  「蓄音機との会」に参加された あの時の あの方々はもういないのです。   合掌