書道ボランティアの方々は手早くテーブルのお片づけを始めました。
一人取り残されたサトシさん(72才 男性)は、まだ書道の先生のお手本に目を向けています。私の 「一緒に書きましょう!」 と言う申し出で我に返ったようでした。
ゆっくりお顔を私に向け 「一緒に?(書いてくれるの?)」 と少しにっこりしました。
それでも・・なかなか筆は進みません。私は 「先ず、書いて見ましょうよ。」 と柔らかく促しました。そしてサトシさんの隣に座り ただ寄り添い しずかに呼吸を合わせていると・・
「ここに、この字を書けばよいのかな?」 とサトシさんは私にお尋ねになりました。
そして親指と人差し指を広げて文字の大きさを測りはじめました。なんども何度も測りました。ただ、筆を半紙の上までは運ぶのですが、やはり駄目でした。書けません。長期戦です・・・。
そのうち 「ここに書くの?」 とまたお尋ねになりました。私はにっこり笑って頷きました。
そのトライアル3度、4度。そして、5度目に・・ついに書きました。書けました!
筆を運び、きちんと 「楽」 という字が半紙に書き下ろされました。
サトシさんは少しだけ胸をはり得意そうになさいました。
書道教室のボランティアの皆さまと家族会の方々が引き上げる際、家族会の*Fさん(女性)から 「もし、お時間があったら喫茶ルームにいらして。」 とのお誘いをうけました。
*Fさんとの出会いは私にとって とても意義のある出会いとなりました。
敬聴を終えて喫茶ルームに着くと、先程のボランティアの先生方と家族会の方々が一緒にお茶を召し上がっていました。私はFさんから皆さまにご紹介して頂き、着席いたしました。
メンバーの方々は今後の活動について意見を出し合っておられました。活気がありました。今回の書道教室はも‘ゆしまの郷’ の家族会が依頼したそうです。
家族会はその他にも 「ゆしまの郷祭り」 等の企画にもお力添えをされているとの事でした。 (なるほど、だから充実していて、入所者を喜ばすことが出来るのですね。納得です!) 施設に任せっぱなしではなく、家族の方々が積極的に参加されているのです。
大事な家族を丸投げするのはダメですよね!
( 2019年 4月27日(土)14:00~16:00 )
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| NZ オタゴ大学 |
敬聴のため6階に到着すると、書道ボランティアの方々が大勢いらっしゃっていました。そして・・お馴染みのお年寄り達にお習字の手解き(てほどき)をしておられました。
私も拝見させて頂くと・・、「お上手でした!」 皆さま とてもお上手でした!
先ず 姿勢が良いのです。素晴らしい! 普段とは違って背筋が伸び‘しゃん’としてました。不思議です。書道の基本が身についておられるのでしょうか。
筆の持ち方も綺麗でした。筆を立ててお書きになっていらっしゃいます。肩に余分な力など入っていませんでした。自然体です。そして利き手でない方の左手で半紙の左下を押さえておられました。(ご立派です!)
先生からそれぞれ「とてもお上手です。」とか「良く書けてますね。」等と 朱墨の文字で書かれ、皆さまとても嬉しそうでした。お顔がほころび、心なしか自信に満ちてお出ででした。人間には「自信」や「誇り」が大切! 必要不可欠なのですね。
一方、元教師のサトシさん(72才 男性)ですが、まだ一筆もお書きになっていません。何だかんだ仰りながら、書けないのです。その一筆が出ないのです。
教師という ご職業柄か、あるいはその律儀なご性格からなのか、字配り(字の配置)ばかり気にされているようでした。逡巡しておられました。傍で見ている私には歯がゆくて、またお可哀そうに映りました。
そうこうする内に、書道教室の終了時間がきたようで、各テーブルではお片づけが始まってました。
サトシさんはポカンとしておられます。ただただ 書道の先生のお書きになったお手本ばかりを眺めておられました。彼にとって「書道教室」はまだ終わっていないのです。一人だけ 取り残されてしまいました・・・。
私は意を決し、サトシさんと目線が合うようお隣にしゃがみました。やさしく 「一緒に書きましょう!」 と申し出ました。
ゆっくり お顔を私に向けるサトシさん・・・。
( 2019年 4月27日(土)14:00~16:00 )
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| NZ |
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| 世界一急な坂道 ダニーデン |
「 come on! 」 と向こうの方からカズさん(御年106才 女性)が、茶目っ気たっぷりに私を手招きしました。(何かしら・・?)そして 「〇〇さん(私のこと)、こっちこっち!」 と、しきりに急き立てます。
目を遣るとN子先生(この施設の代表者で理事長 Y先生の奥様)のお姿も見えました。( なるほど ) カズさんは私達を引き合わせようとなさっているのですね。でも、私は既にN子先生にはお目にかかっており、自己紹介も済んでおりました。それもカズさんのご紹介で・・。N子先生はにっこり笑って私を見ていらっしゃいました。
私はカズさんのご好意に敬意を表して、N子先生にあらためてご挨拶をしました。
すると早速 N子先生は 「あなたのブログを読んでね、(インドネシア人の介護士さん)エドに 『 夕子さんのことを ‘タコ (蛸)’なんて呼ばないように! 』 と注意したのよ。」 と仰いました。(このブログの 64) 参照。)「雰囲気も良くなったでしょう。」 とN子先生は自慢げに仰いました。
N子先生は私のブログをお読みになり、問題点を把握され 改善を図って下さったようです。誠実な方だと思いました。その後もN子先生はご主人であるY先生のお身体のことやいろいろなお話をされました。どこの世界でも旦那さまを支えるのは奥さまの役目。たいへんなのですね。本当に頭が下がります!
また、この日は定例の理事会の日。久しぶりにY先生もお顔をお見せになりました。お元気そうです。私も安心いたしました!
すると・・、Y先生を見つけたマリコさん(83才 女性)とカズさんが先生の取り合いを始めました。我先にと先生のもとに行き、話しはじめたのです。凄いエネルギーです。
Y先生はモテモテです。無理もありません、だってカッコいいです!お年を召されていても私から見ても素敵でした!
そして今度は・・、奥様のN子先生が 「〇〇さん(私のこと)、主人です!」 とY先生を私に紹介して下さいました。戸惑う・・、Y先生と私。
実はY先生とも既に顔見知りでした。3年余り前の研修(実習)日にカズさんから紹介されてました。(このブログの 2) 参照。) しかもY先生は 『蓄音機の演奏会』 にもお出でになり、結構、ノリノリでした!(このブログの27)その4 参照。)
その後もN子先生のお話は続きました。インドネシアから介護士さんを招くにあたり、‘日本での母親代わり’ をお約束したそうです。お食事の支度をしたり、イスラム教徒であるインドネシア人にとって神聖な〝ラマダン〟期間は (日中は断食なので) 日没から日の出までの間に (介護士としての仕事があるので) 充分な栄養を摂らせたりするなど等。
また、インドネシア料理には欠かせない ‘日本では手に入らない食材’ を現地から取り寄せることもあるそうです。たいへんなご苦労です。陰の力が大事なのですね。人に対する愛情でしょうね・・・。
そんな折、‘噂の介護士’ エドさんに車椅子を押されハルさん (85才 女性) がやって来ました。 (このブログの 68 )参照。) ハルさんは私に向かってこう叫びました!
「まだ、生・き・て・た・よ!」と。
( 2019年3月2日(土) 14:00~15:00 )
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| 犬山城 |
明治村 コブシの花
沈黙を破ったのは、なんと・・父でした!
父は全てを察したかのように「もう、帰ろう・・。」と静かに口を開きました。私たちに ‘その顔’ を見せぬよう 俯(うつむ)き、足元の地面を見つめていました。
私は緊張の糸が切れ・・、ホッとしました。この濃密な時間を止めたのが私ではなく父だったからです。もし、この情景を断ち切ったのが私だったなら、その後ずっと後悔した筈です。
父は思いを振り払うかのように、私の方に向き直りました。その眼は「これで御仕舞い。さあ、病院に戻ろう。」と言っていました。
その後は 一切うしろ(後から車椅子で付き従う母)を振り返らず、真っ直ぐに前を見て 毅然としておりました。男子(おのこ)でした! 父は強く優しい男子でした。
あの堅物の父が自ら手を差しだし、母の手を握るのはとても衝撃的でした。瞼にはまだその余韻が残っております。恥じらう母。おぼこのように ぽっと頬を染めたあの姿・・。私は二人をとても愛おしく思いました。
そして・・、その四か月後に父は静かに・・逝きました。
あの時 父は自分の寿命がわかっていたのでしょうか。今でも不思議です。あの父の振る舞いが。この時の写真は私の一番の宝物になっております。桜の時期になると思い出し胸が熱くなります。
私は ‘あの城北交通公園’ に行ってみたいと思いました。
桜の木の下に父母が仲良く佇み、にこにこと笑っているような気がします。
《エピソード》
その1:見学に行った介護施設への入所を頑なに拒み、入所しているお年寄り達の ‘風船キャッチボール(ボール投げ)’ や ‘折り紙・塗り絵’ を「バカバカしい。」等と言っていた父は、認知症の母がデイサービスやショートステイに通うようになると「母さんと同じところ(施設)に行きたい!」と言うようになりました。
その2:その後 老健(3か月間 限定の介護老人保健施設。介護を受けながらリハビリをし在宅復帰を目指す施設)に入ることになった父母ですが、父の願いは叶わず、母は3階の認知症専門棟へ、父は2階の一般棟へと別れ別れになりました。私は施設の方に「お食事の時だけでも 何とか二人を一緒にさせて欲しい。」と懇願いたしました。おかげさまで念願が叶い、父は満足し、母も嬉しそうに ‘束の間のひと時’ を共に過ごしました。
そんなある時、疲れた母は 父がトイレに行っている隙に、2階にある父のベッドで寝てしまいました。トイレから車椅子をこぎ 一所懸命に戻ってきた父は その姿をみて苦笑しました。でも、とても嬉しそうでした! 母は安心しきって無邪気に寝ておりました。とても微笑ましい光景でした。
その3:父が亡くなり半年ほど経った頃、友人夫妻が母を(彼女の)大好きな富士山に連れて行ってくれることになり、特別養護老人ホーム(特養)まで車でお迎えに来てくれた時の話です。
私は外泊願いを出すため、施設担当者のところに行っておりました。母は車椅子を押してくれた友人に「お父さん(父のこと)が亡くなってしまったの!」と涙を浮かべ訴えたそうです。不思議です。父の死は母には内緒でした。親戚間で取り決めたことです。あえて認知症の母を悲しませることはないとの判断でした。
知っている筈はありませんでした。では一体どうして・・?
友人はビックリしつつも 否定してくれたそうですが・・・。
でも 母は私が戻った時には笑顔でした。ケロッとしていて泣いたそぶりも見せませんでした。狐につままれたようです。亡くなっても なお 二人は一心同体なのでしょうか。
その母も父との逢瀬から二年後に、眠るように旅立ちました・・・。
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| さった峠からの富士山 |
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| 不退寺(業平寺)黄菖蒲 |
この時期(4月)になると決まって思い出すことがあります。
それは介護療養型医療施設と特別養護老人ホームに、それぞれ入所していた養父母が最後に逢瀬(デート)をした素敵な場面です。15年ほど前のことです。まるで映画のワンシーンのようでした。
場所は薄桃色の桜が満開になった板橋区の城北交通公園。公園内ではサッカーに興じる中学生の歓声が湧き上がってました。若さ弾ける声でした。
一方、老いた父母にとっては人生最後のお花見デートでした。
両親の郷里である山形から、従兄が養父母のお見舞いの為に上京していました。
私たちは先ず母がお世話になっている特別養護老人ホームに行き、母を連れ出して父が入院している病院(介護療養型医療施設)に向かいました。
久しぶりに両親を対面させましたが、認知症の母は父のところに来ると不思議な事にシャキッとします。そして看護師さんが留め間違った父のパジャマの第一ボタンをはめ直しました。素晴らしい夫婦愛です。感動・・しました。
向かい側の患者さんへの注射を終え、通りかかった看護師さんは、その様子をみて目を見張りました。そして一言、「ステキですね。」と仰いました。
その後、私が父を車椅子に乗せて城北交通公園に連れて行き、従兄は母を車椅子に乗せて同じく公園に連れて来てくれました。
天気も良く暖かく、最高のお花見日和でした。のどかな春の一日でした・・。
ただ黙って二人はともに並び、桜の花を見上げてました。言葉はありませんでした。
私は胸が苦しくなりました。息を呑み、佇みました。まるで言葉など発してはいけないような雰囲気でした。時は・・静かに流れました。しばらくして、従兄が「写真を撮ろう!」と言ってくれました。私たちは車椅子を移動させ、一番きれいな桜のもとに父母を誘導しました。
すると父がいきなり隣の母の手を握りました。ビックリする母・・。おぼこのように恥じらい、手を振りほどこうとしました。決まり悪そうな表情です。でも、頑として父は握った母の手を離しませんでした。
あのような強引な父を見たのは初めてでした。実直でしかも年代的にも人前で女性の手を握る世代ではありません。意を決したかのような行為でした。
そして二人は写真に納まりました。生涯忘れられないほど 美しい瞬間(とき)の写真でした。心に沁みつきました。でも・・、時は無情に過ぎていきました。少し風も出てきたようです。
私は「このまま時間が止まり、二人の逢瀬の時間がずーっと続けば良いのに。続いて欲しい・・。」と切に願いました。
ただ、従兄も私もまだ昼食を済ませておりませんでした。 私は少しもお腹など空いてはおりませんでした。というより胸が一杯でした。でも男性である従兄は別です。しかも彼には山形へ帰る時間が迫っていました。
(・・・どうしよう?)
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| 千鳥ヶ淵の夜桜 |
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| 名古屋 ノリタケの森 |
2017年3月に講習をうけた「色カルタ ※クオリア・ゲーム」~色を通して人生の物語を聴く、色によりイメージした話を聴く~に再度 参加してきました。
※クオリア(qualia)とは、個人の感覚的、主観的な経験に基づく独特の質感のこ と。
例えば「‘青空’のような清々しい感じ」とか「‘フルートの音色’のような高く澄んだ感じ」等など。しかし リンゴを見た時に感じる「赤」(その人の感じる‘赤’がクオリア) の感覚は、人により感じる「赤み」が異なる。あくまでも個人の主観と感覚である。
今回はその実践編でした。(下記は先術ブログ ‘34)’ のまとめと復習です。)
一般的に認知症の方は症状の進行と共におしゃれ心がなくなり、服装にも気を使わなくなる。そして暮らしの中で ‘色’ に対する興味も薄れるようである。特に高齢者施設などでは環境の変化が乏しく、自分で着る服の「色」も選ぶことが無くなっている。
しかし眼から入る刺激が低下すれば脳の活性も落ち、認知機能にも悪影響が及んでしまう。つまり「色」を意識すると気持ちにも彩りが出てくるのである。
「色カルタ クオリア・ゲーム」とは「色」を見て選ぶことにより、視覚を刺激し、イメージを膨らませて「思い出」やその時の「気持ち」を蘇らせ、「話をする」きっかけ作りをすると言うゲームである。つまり傾聴活動のツールの一つとなるのです。
今回の実践編では傾聴ボランティアのメンバーがグループになり、実体験するという趣旨でした。
【一般的な実践方法】
①色カルタをテーブルに並べる。
参加者のお年寄りたちの前に、色カルタ(100色以上が望ましい)を広げる。 (お年寄りたちに色カルタを広げるのを手伝って貰ってもよい。)
②リーダーが読み札(読み札には「初恋を色に例えると?」等とテーマが記載されている)を読む。あるいは単純に「赤いカルタを取って下さい!」とか「黒を取ってください!」等と言っても良い。
③参加者はその言葉から連想した色を取る。(「赤」でも様々な「赤色」を用意しておく。) 参加対象者はなるべく同じくらいの認知症レベルの方々でグループを作る。
④何故その色を選んだか、色のイメージについて会話をする。
参加者にはテーマ毎に色カルタの中から一枚選んで頂き、その方の「状況」や「気持ち」を想像しながら選んだ理由を聴いていくのである。
※②~④を繰り返して参加者との会話を続けていく。
【ゲームをする時の約束事】
・自分の言葉で自由に話をして頂く。
・誰かが話をしている時は最後まで聴くように促す。
・評価、批判、否定をしないで聴いてもらう。
・個々の見え方の違いは問題にしない。ex. 青と緑、赤とピンクなど。
・この場で聴いた情報(秘密)は守るように言っておく。
【注意事項】
・リーダー(読み手)は指導者でもなくまとめ役でもない。
・リーダーはひたすら話を聴く。
・心理的な分析や性格を読み取らない。
・話を誘導しない。
・自分勝手な思い込みやレッテルを貼らない。
・参加者の要介護者がカードを取っていなくても、探しているのか、止めてし
まったのか等の様子をよく見てゲームを進める。
・話し手に身体ごと(お臍を)向けて、にこにこ笑顔で聴く。
・色カルタを選んだ方には必ず全員にお話を伺う。
・話し始めて止まらなくなってしまった方には、相手の状況により「お隣の〇〇さんのお話も聞いてみましょうね」等と言って話を終わらせるようにする。
・感情的になってしまった方には、その感情を肯定する声掛けをする。「大変でしたね」「嬉しかったですね」「素敵な思い出ですね」など等。
・常に全体を見ながら、話す際は相手に集中すること。
・また、このゲームは早さを競うものではないので、ゆっくり考え のびのびと話して頂く。
※興味深い例としては
①「春と言えば何色?」という問いに対して、たいていは ‘桜の花’ から連想し、「ピンク」とか「薄桃色」、または 青空の「ブルー」等を思い浮かべるが、一人「淡緑色」のカルタを選んだ方がいらっしゃいました。それは*御衣黄桜の色とのことでした。
*御衣黄桜とは、ソメイヨシノが散った後、4月中旬~下旬頃に咲く桜。サトザクラの品種の1つで、開花したばかりの花は淡い緑色、徐々に黄色(萌黄色)に変化していき、やがて花びらの中心部が赤く染まっていくのが特徴。
②「青春の色は?」では、「黒」とお答えになった方がお出ででした。
その理由を尋ねると、「学ランの色」とお答えになりました。(納得です!)
③「お母さまの色は?」の問いでは、お母さまが 普段 お召しになっていた着物(服)の色や優しい母のイメージによる淡い色の「ベージュ」。或いは 優しいけれども厳しかったお母さまのイメージからか「赤茶色」を選んだ方もお出ででした。
色って、それぞれの方々のイメージなんですね。あらためて合点がいきました。
大切なのは参加者との会話を楽しむこと。相手の話をよく聴き、よく話をさせてあげる事。そして参加者の様子に気を配り、話は一人ひとり丁寧に聴くこと。つまり一人ひとりの思いと尊厳を大切にすることなのです。
【効果】
①参加者のお年寄りが自ら考え、選び、説明することが出来ることで、自己満足感が得られる。
②同じ色を見ながら、話し手、聴き手がそれぞれに「状況」や「気持ち」をイメージ出来る。
③お互いに共感でき、人と人のつながりもできる。
④忘れていた記憶を取り戻すこともある。
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| ヒヨドリ |
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| ヤマガラとシジュウカラ |
皆さま、何やら熱心に色とりどりの ‘10センチ四方’ の薄紙を折ったり、手で握ってくしゃくしゃにしてました。(何かしら?)
奥のテーブルに目を遣ると、節分用の大きな鬼のお面がありました。そして頭の一部に丸めた茶色の薄紙が貼ってありました。なるほど、貼り絵ですね!
インドネシア人の介護士 エドさんも、左手のひらに薄紙をのせ、もう片方の手と合わせ、器用にも薄紙を ‘くるくる’ と丸めてました。
私もそれを真似て、両手のひらに薄紙をはさみ ‘くるくる’ と回して紙のボールを作ると、お年寄り達から感嘆の声が上がりました。
私が「こうすると、簡単に可愛い薔薇のようなボールができますよ!」と言うと 皆さま一斉に薄紙を手にし 真似して作り始めました。 が・・、丸いボールは上手に出来ませんでした。
トシコさん(95才 女性)は「あなたと違って歳をとっているのだから、手も足も乾燥して丸まらないわよ。」と訴えました。(あっ、そうか・・。ごめんなさい! 不覚でした、私。)
「でも、トシコさんのお顔はつるつるですよ!」と私が言うと、
「あなたとは全然違うわよ、キレイね、あなた。肌が違うわね、やっぱり若いから。」とトシコさんに褒められ(?)ました。(若くはないのですけれど・・私。)
それから私は トシコさんに ‘ご自慢の息子さん’ へと話を向けました。(このブログの66)参照。)「息子さんは文京区にお住まいでしたよね、慶應ボーイの!」と言うと、「そうよ、私には4人もいるのよ、息子が。」とトシコさんはお答えになりました。
話によると、トシコさんのお子さんは男性ばかりの4人で、そのうちお二人は双子だそうです。また、そのお名前が・・おめでたい名前ばかりでした!
『竹蔵』『松男』『末廣』(敬称略)、そして もう一人のお名前は・・忘れたそうです。
「男の子の子育ては大変よ。一人でたくさんよ! もう一人で充分! たいへんだもの。」「食事の支度だってね、食べ盛りの男の子ばっかりでしょ。たいへん!もう一人で充分だわよ!」と何度も力説なさいました。
そのうち 介護士さんが3時のおやつにヨーグルトとミルクたっぷりのコーヒー
を配りはじめました。皆さま おとなしくそれをお飲みになりました。
其々が飲み終えると、キクさん(100才 女性)はお片付けをし始めました。
他の方々が飲み終えたカップをまとめたり、空になったヨーグルトカップを重ねたり。いつだってきちんとお片付けするのはキクさんです!
そこに 介護士のエドさんに車椅子を押されてハルさん(85才 女性)がやって来ました。ハルさんは私を見つけると、目を輝かせて「ワタシの大好きな ‘おねえさん’ がいる。会いに来て
くれたの、嬉しい! 」と仰いました。(そんな風に言って頂き恐縮でございます!)
「ありがとうございます。でも、私はもう ‘おねえさん’ と言って頂ける年ではありませんよ。」とお応えしました。「ハルさんもお元気そうで何よりですね!」と続けると「そんなことないよ。もう早くお迎えにきて欲しいの。皆に迷惑をかけちゃうから。」と言いながら自嘲気味に笑いました。
そして いきなり「この ‘頭のぼけた’ 婆さん、早く死んでしまえ!」と言いながら、ご自分の頭を叩きました。(ビックリしました! ・・とても悲しくなりました。私、切ないです。やるせないです。)
歳をとって物忘れがひどくなり、物事が(多少)分らなくなるのが、そんなに悪いことなのでしょうか、歳をとることは罪なのでしょうか。一番つらく悲しいのは ‘そのことに気がつき、でも どうにもならない’ ご本人です。
歳をとれば誰でも、多かれ少なかれ物忘れが多くなり、身体も「不‘自由’・不便」になります。周りに迷惑をかけている自分を卑下し、苦しませる社会の方が罪です!(と私は思います。)
「今、生きていること」「生きてきたこと」に誇りを持ってください。
ハルさん、あなたは何も悪くありませんよ!
( 2019年1月14日(月) 成人の日 14:00~15:00 )
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| 銀山温泉 |
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| 白銀の滝 |