2023年5月15日月曜日

167) 【徒然に】人間国宝、鶴澤津賀寿さんの記念演奏会と祝賀会で

連休最終日に紀尾井小ホールで催された「5月公演 鶴澤津賀寿・人間国宝認定(令和4年度)記念 女義太夫演奏会」と鶴澤津賀寿さんの祝賀会に行って参りました。素晴らしいものでした!

記念演奏会の演目は『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』と『寿詞繭依絲(ことほぎてまゆのよりいと)』(企画:鶴澤津賀寿、構成:村尚也)そして『壺坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)山の段』です。

人間国宝の竹本駒之助師匠とその弟子で新たに人間国宝になられた鶴澤津賀寿さんの豪華な共演です。また東京の女流義太夫の皆さま総出演の演奏会でした。お祝いの演奏会に相応しい おめでたく楽しいステージでした。

どの曲も素晴らしかったのですが、津賀寿さん企画の『寿詞繭依絲』のうち「近頃河原逹引 堀川猿廻しの段」(浄瑠璃: 竹本越若、三味線: 鶴澤津賀寿、ツレ: 鶴澤賀寿)には心を揺さぶられました。圧巻でした!

その後、ホテルニューオータニの鳳凰の間で『鶴澤津賀寿さん 人間国宝認定を祝う会』がありました。竹本駒之助師匠、鶴澤津賀寿さん、京舞の井上八千代さんや新内の鶴賀若狭掾さん、歌舞伎音楽 竹本の太夫 竹本葵太夫さん等、5名の人間国宝が勢揃いしました。

ステージの傍らで椅子に腰かけながら、お弟子さんである津賀寿さんを優しく見守っていらした 齢88の竹本駒之助師匠が、司会者にマイクを向けられ『つがじゅさん、おめでとう!』とお言葉を述べられた時には、会場は拍手喝采でした。私まで涙が出そうになりました。

他にも、劇団四季の坂本剛さんの演奏や花束贈呈等のサプライズが盛りだくさんで、会場のボルテージが上がりました。

余談ですが、祝賀会には先日文京区の「避難訓練寄席」(このブログ 161) をご参照ください)にご出演頂いた古今亭菊之丞さんもお出ででした。その時の話をすると、菊之丞さん曰く『はい。ネタにさせて頂いております!』とのこと。さすが落語家さんです。

そして『あれで災害の時 役に立つんですかね。』と仰いましたので、私は『はい。区民はとても喜んでいましたので、充分 役に立つと思いますよ。災害時には慌てず、落語会の時のように「これは訓練だ」と思って、落ち着いた行動ができそうな気がします。』と(区長に成り代わって?)お答えしておきました!



    


井上八千代さん


竹本駒之助師匠
おまけ(古今亭菊之丞さんと)







2023年4月25日火曜日

166) 【徒然に】ちょっといい話 柳家小三治さんと柳家三三さん

落語には子供の頃から慣れ親しんでおりました。父に連れられて浅草演芸ホールや新宿の末廣亭などに行ったり、テレビやラジオでも落語を聴いていたからです。

古くは八代目桂文楽(端正なお顔立ち)次に六代目三遊亭圓生、それから三代目の古今亭志ん朝、上方では二代目桂枝雀(十代目桂小米の時代から聴いていました。)そして大好きな十代目柳家小三治(傾倒していました。)桂文珍も良いですね。最近では古今亭文菊(現在の一押し)等です。(以上、敬称略)

柳家小三治さんは落語協会の第十代会長も務められ、年功序列となっていた真打ち昇進の基準を変更し、春風亭一之輔、古今亭文菊らを香盤(落語家の序列)を超えて昇進させ、落語界の発展に一石を投じました。素晴らしいです。

その後、2014年には落語家として3人目の人間国宝に認定されました。

飄々とした表情でぶっきら棒にしゃべる。そこが最高に面白いと私は思いました。『うどん屋』『小言念仏』『死神』『芝浜』『初天神』などの演目が特に私は好きです。

むかし(1991年の秋)『噺家カミサン繁盛記』(脚本:布勢博一 フジテレビ)という連続ドラマが放送されました。小三治さんが二つ目昇進から妻との結婚、弟子とのトラブル等の半生を題材としたドラマで、原作は小三治夫人の郡山和世さんでした。懐かしく思い出します。私はこの頃から大ファンになりました。

晩年はお弟子さんに手を引かれ高座に上がるなどしていましたが、座布団の上では衰えを見せず生涯現役として、最後まで名人芸を貫きました。

その晩年の独演会での話です。会場は板橋区立文化会館でした。
私は仕事を終え、雨でしたので急いで会場に向かいました。指定席でしたが、ちょうど開場の時間とあって 大勢の方々が列をなしていました。

私は順にゆっくりと進みましたが、会場手前のコーナーには人だかりがしていました。小三治さんの写真雑誌とDVDを発売しているようでした。気になりましたが、取敢えず、傘立てに傘を収め、席に荷物を置いてから、もう一度コーナーに行ってみようと思いました。

そして再度コーナーに行ってみると、まだ人だかりです。よく見ると、何と 柳家三三さんが ‘売り子’ をされいたのです。ビックリしました。そうです、彼は小三治さんのお弟子さんでした。

後ろにもたくさんの人が並んでいたので、私は小三治さんのDVDだけ購入すると即座にコーナーを離れました。でも、多くの方々が遠巻きに柳家三三さんの写真を撮っていました。

私は席に戻りましたが・・、大事な友人が柳家三三さんの大ファンなので、彼女のために写真を一枚 撮れたらと思い、もう一度コーナーに向かいました。

念のため、文化会館の会場係の方に「(三三さんの)写真を撮らせて頂いてもよろしいでしょうか?」と尋ねると、「僕は分かりません。」との返事。でも他の方々は平気で写しています。困っていると・・「(三三さん)ご本人に聞いてください。」と大胆なご回答。

私は意を決し人だかりが少なくなってから、三三さんのところに行き「あのう、先程 DVDは購入させて頂いたのですが、凄いですね、自ら売り子さんをなさるなんて。」と言うと、三三さんは「凄いことはないやぁ。‘自ら’と言ったって、俺のじゃないよ、師匠のだよ。」と ちょっとニヒルに笑いました。

そして私が「友人が三三さんの大ファンでして、写真を1~2枚撮らせて頂いてもよろしいでしょうか。」と尋ねると、三三さんは「良いよ。でも、こそッとね!」と仰いました。

その時の写真が以下です。何となくカメラを意識している感じがしますが。三三さんも素敵な方でした。もちろん私もファンになりました!

ただ、今にして思うと・・、あの時は「小三治さん」の不測に事態に備え(体調が悪くなった時など)代役のために待機していたのではないかと思うのです。素晴らしい師弟関係だと 私は感じ入りました。









2023年4月15日土曜日

165) 【徒然に】ちょっといい話 大江健三郎さん編 その2

大江健三郎さんでした! その方は。私はパニック状態、混乱しました。なんだか狐につままれたような気分です。とりあえず私は軽く会釈をしました。

すると、大江さんはホッとし嬉しそうに2~3歩私の方に近づいて来られました。私は慌てて「今から先生のご講演を拝聴しに行くところです。」とだけお伝えしました。頭が真っ白になり、ご本人を前にしても早く会場に行って良い席を取らねば等と考えてしまう私でした。

大江さんは優しい笑顔で「ああ、良かった!では貴方は場所をご存知なのですね。わたしも一緒に連れて行ってください。」と(お返事)頼まれました。(私がご案内?でも私はとびっきりの方向音痴。)情けないことに不安がよぎりました。

「私もここは初めての場所で、いま地図をみて確認したところです。」とやんわりと申したのですが、大江さんはにこにこと私の横に並びました。

大江さんとは道すがら、ご長男の光さんのお話をしました。その日はご自宅でTVを見ていると仰っていました。大江さんは紳士でありながら、お茶目で可愛らしい方だと思いました。

暫くすると、同じく講演会にいらした年配の方々から「あのう、あなたは(大江さんと)お知り合いなんですか?」とか「一緒について行っても良いですか?」等と尋ねられました。

そして、15~6分くらい歩いて行くと、某カルチャーセンターのお偉い方と思しきご夫妻が大江さんに近づいて来られました。顔見知りの方のようでした。大江さんを待っていたようです。でも 関係者ならご自宅にお迎えに行くとか、せめて改札口付近でお待ちする等、幾らでも方法はあっただろにと私は思いました。

その方々と二言三言ご挨拶を交わした後、大江さんは私の顔を見て「ご一緒に連れてきて頂き どうも有難うございました。」とご丁寧なお礼を仰いました。そしてカルチャーセンターの方に「此の方に、ここまでご案内して頂きました。」と私を紹介して下さいました。

某カルチャーセンターのお偉い方は、畏まって私にお礼を述べました。大江さんは終始にこにことされています。大江さんの素晴らしいお人柄に触れられて私は大感激しました。

後日、私は友人達にこのエピソードを「これからは私のことを ‘やんごとなき 此の方’ と呼んで。」とジョークを交えながら話しました。

さて、ご講演で大江さんは亡くなれれた安部公房さんの話もされました。私はその日、安部公房さんのご著書『方舟さくら丸』を持っておりました。

余談になりますが、帰宅後、母に一連の話を伝えると「なぜ絶好のチャンスだったのに、尊敬している大江さんにサインを頂かなかったの。まったく積極性がないんだから。」と言われました。不甲斐ないと思ったようです。

でも・・、いくら大江さんと安部公房さんが仲良しだったと言えども、他の作家の本にサインはして頂けません。失礼です。むしろ当日、大江さんの本を持参しなかった私の落ち度です。前日に安部公房さんが亡くなられていなければ・・。残念ではありましたが懐かしい思い出です。

電車を間違えるのも “時には” 良いものですね。そしてその一年後の1994年
大江健三郎さんはノーベル文学賞を受賞されました。       合掌       
 

犬山城

徳川園

明治村





2023年3月25日土曜日

164) 【徒然に】ちょっといい話 大江健三郎さん編 その1

本年 3月3日に現代日本を代表する大文豪の大江健三郎さん (敢えて 先生とお呼びせず、“大江さん”と呼ばせて頂きます) が亡くなられました。私の大好きな小説家の一人です。謹んで哀悼の意を表します。

大江さんは戦後の日本文学の旗手として数々の文学賞を受賞し、日本人として二人目のノーベル文学賞(1994年)も受賞されました。また核兵器や平和問題、そして憲法改正に反対する会や脱原発を訴えるデモの呼びかけ人など、社会問題に対しても発言を続けてこられました。

大江さんの訃報ニュースが流れた際、恐れ多いことに 私は友達の数人からお悔やみの言葉を頂戴いたしました。身に余り とても恐縮しました。

その訳は・・大江さんと私の間でこんなエピソードがあったからです。

1993年1月23日に大江さんのご講演を聴きにパルテノン多摩(多摩センター駅)に行った時のことです。なぜ正確な日付を覚えているかと言うと、その日は安部公房さんが亡くなった (没1993年1月22日) 翌日だったからです。

当日、私は気合を入れ かなり早く家を出ました。講演会場に早めに着き、前方の席でご講演を聴くためです。ただ・・、京王線の乗るべき電車を間違えました。「橋本行き」ではなく「八王子(高尾)方面行き」の電車に乗ってしまったのです。

元来、私は方向音痴な上に おっちょこちょいです。いつまで乗っても多摩センター駅に着きません。焦りました。そのうち、やっと間違いに気づき 調布駅まで戻りました。そして「橋本行き」に乗り換えました。1月です。雪もちらつき始め、涙がでました。

開場時間を大幅に過ぎ、やっと多摩センター駅に着きました・・。
今度こそ、会場である「パルテノン多摩」に間違いなく到着できるよう、細心の注意をはらいました。念のため、改札口を出たところにあった「案内地図看板」を念入りにチェックしました。

そして会場に向かおうとした時、その「案内地図看板」の反対側にどこかでお見かけしたことのある方と目が合いました。穏やかに微笑みながら私を見ています。「あれっ? どなたかしら・・。私の知り合い?」  (その2に続く)


湯島天神






2023年3月15日水曜日

163) 【徒然に】上杉 謙信って・・

M教授の退官記念講演は「夢と志」というタイトル。先生が心酔している武将の一人、上杉謙信の言葉 ‘天地人’ に絡めてのお話でした。天が与えてくれた「恩師との出会い」そして地の利(良い環境)での「研究課題」それから何より大切な「研究班のメンバーたち(人)との和」を述べておられました。医師としての生涯の研究テーマやその素晴らしい業績などを織り込んだ講演でした。

あらためて調べてみました。「天地人」とは上杉謙信の言葉からとられていますが、これは、孟子の教え「天の時 地の利人の和」を上杉謙信が引用したと考えられています。 戦に勝つには、即ち 物事を成功させるにはこの3つの条件が必要だということです。 

上杉謙信は戦が強かったことから「軍神」とか「越後の龍」などと呼ばれていましたが、その一方、自分の欲よりも義を重んじた武将としても知られています。上杉謙信は、助けを求める人には手を差し伸べるなど義に厚い面があったそうです。

これは幼少時から寺に入門して仏道を学び、信仰心や義の心を育んだことも影響していたようです。因みに、自らを「毘沙門天」の生まれ変わりと称していました。

『運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり』という名言は、上杉謙信の居城である春日山城の壁に書かれた「春日城壁書」の一節です。言葉の意味は「運に任せないで、自分自身で道を切り拓け」という武士としての心得を示すものだそうです。

また「敵の弱みにつけこまず、逆に苦境から救う」という意味の「敵に塩を送る」という言葉は上杉謙信が塩不足で苦しんでいた敵将の武田信玄に“塩を送った”行動から生まれたことわざ(古事)とされています。史実は分かりません。

余談ですが、上杉謙信は「実は女性だった」という俗説(歴史小説家、八切止夫氏など)もあるようですが、真意はともかく「敵に塩を送る」等という心遣いも憶測を生む要因の一つでしょうか。

私は以前、古文書を学んでいたことがありますが、謙信の書状の筆跡はとても繊細で美しく線も細かった記憶があります。女性的と言えば女性的。墨も黒々としてはおらず、薄かったように覚えております。もちろん達筆でした。

読書の好みも源氏物語や伊勢物語などの恋愛ものだった(『戦国大名と読書』小和田哲男著)とか生涯独身を貫いたことなど等も、上杉謙信女性説の根拠となったようです。但し 王朝文学である『源氏物語』は戦国武将の基礎教養の一つだったとも書いてありました。

最近評判の男女逆転劇、NHK総合 ドラマ10の『大奥』(原作:よしなが ふみ)と相まって、私の妄想が膨らみました。


マールブランシュ(一枚一枚 花びらのよう)


京大病院と一緒に考えたスイーツ


2023年2月25日土曜日

162) 【徒然に】まっぴらごめん?

久しぶりにMさん(このブログ 75) 76) 131) をご参照)と電話でお話をしました。彼女は現在83歳だそうですが、たいへんな読書家で好学の士でもあります。

今回はお母さまのお話が大半でした。お母さまは亡くなったご主人(Mさんのお父様)の後を継ぎ、中堅会社の社長をなさっていたそうです。

決断力に優れ、美しく豪快な女性だったようで『(そんなことは) まっぴらごめんよ!』とか『(これでは) 気が済まないわ。』等とよく仰っていたそうです。江戸っ子のようです。Mさん曰く「母の仕事に対する『気が済まない。』は、とことんまで追求する プロフェッショナルとしてのプライド」とのこと。納得です!

ただ、『気が済まない』と言うフレーズは「もう死語ですね。」と寂しそうに仰いました。今や気が済むまで仕事に打ち込む人は「頑固一徹な職人」さんくらいでしょうか。残念ですが。でも私はそんな職人さんが大好きです。

また、お母さまはお医者さまに健診結果などをきく際『結果は上等ですか』と尋ねていたそうです。このような「上等」という言葉使いは、懐かしいですが もう殆ど使われていませんね。素敵な言い回しだと私は思うのですが。

さらに、昔は子供を叱る時『(そんな事をしては)いけません。』だったのが最近は『(そんな事しちゃ)・・ダメ!』と断定する言い方になったと嘆いておられました。確かに『・・・ダメ!』はきつい言葉ですよね。

最近は『一文字足りないのですよ。』「例えば『そうです。』ではなくて、『そうです。』とか『そうですよね。』と言えば、優しい物言いなのにね。」とも仰いました。忘れかけていた大事なことを思い起こさせて下さいました。因みに、そのMさんは今「歌舞伎の名セリフ」を覚えるのに夢中だそうです。


※写真は元上司の「退官記念講演」を拝聴しに大阪・京都に行った際のもの。

大阪リーガロイヤル



壬生寺




2023年2月15日水曜日

161) 【徒然に】避難訓練寄席

2月2日に文京シビック小ホールで 開催された「避難訓練寄席」に私も参加させて頂きました。安全な避難誘導を目的とする 来場者参加型の「避難訓練寄席」です。このようなイベントは今回で4回目だそうですが 私は全く知りませんでした。もっとも、ここ3年はコロナ感染症対策のため中止していたそうです。

文京シビック大ホールや小ホールで開催中の各種公演や講演などと「避難訓練」をジョイントした試みは素晴らしいと思いました。前回はクラシックの演奏会で「避難訓練」を行ったそうです。文京区の災害対策に対する熱量は有難いことに半端ないです。

今回ご出演の落語家 古今亭菊之丞師匠は ‘まくら’ の途中で鳴り響いた「大地震を知らせるサイレン」と「照明の点滅」に反応し、高座でお尻に敷いていた紫の座布団を頭に被って避難されました。笑わせながらスマートに退場されました。さすがです。

私たち観客も その場でバッグ等で頭を守り、スタッフの指示に従います。その後
館内で出火したという想定のもと、係員に避難誘導されました。シビックの避難階段を使って施設の外まで出るという設定でした。とても勉強になりました。

そして落語ですが、訓練後 私たちは小ホールに戻り、菊之丞師匠もいつもの愛嬌のある微笑みで再登場し 落語を一席されました。演目は『二番煎じ』。火事に因んだ演目でした。故古今亭志ん朝師匠をはじめ、古今亭一門の落語家さんの『二番煎じ』は洗練されていて品のある都会的な落語です。楽しく可笑しく江戸情緒をたっぷり味わえました。

昔、私が大好きな柳家小三治師匠の『二番煎じ』を聴いたことがありますが、ちょっと違います。庶民的で男っぽいものでした。小三治師匠を懐かしく思い出しました。自宅に帰り、私はYouTubeで小三治師匠の『二番煎じ』をもう一度 聴いてみました。