2022年6月15日水曜日

145) 【徒然に】「ゆしまの郷」のN子先生

先日、N子先生(このブログ 65) 66) 72)に登場))と久しぶりに 本当にひさしぶりにお話しが出来ました。

N子先生とは「ゆしまの郷」(私が傾聴ボランティアをしている特別養護老人ホーム)の副理事長です。医師であるご主人のY先生が理事長をされています。

N子先生はとてもパワフルな女性で、行動力が飛びぬけていらしゃいます。先日、初めてN子先生の御年を伺い 驚きました。80才になられたそうです。信じられないです。とてもお元気なスパーウーマンですから。私の憧れの女性です。

私の心がぶれそうになった時、N子先生とお話がしたくなります。原点に戻れそうな気にさせて下さる方です。

さて ゆしまの郷ですが、入居者・入所者の誰一人 コロナ感染者を出していないそうです。立派です。施設の徹底した感染管理体制と介護職員さんの自意識の高さのおかげでしょうね。何とこの二年間、介護士さん達は自重し 誰も「会食」などされていないとのことでした。凄いです。そして頭が下がります。

私は最近(もちろん 感染対策をしっかり講じた上でですが)友人等との外食を始めました。少しずつ日常を取り戻しつつあります。引き籠りは心身に良くないからですが、お話を伺いちょっと後ろめたさを感じました。

今回はN子先生から素敵なお話をお聞きしました。先生は職員さん達をねぎらう時「ご苦労さま」ではなく、感謝の気持ちを表す「ありがとう」という言葉をかけるそうです。頑張っている介護職員さんには「褒める言葉」よりも「感謝の気持ち」を伝えたいとのことでした。(納得です。)

「ご苦労さま」「頑張ってるね」「熱心ね」などの褒め言葉は、上から目線であると仰っていました。(なるほど・・ご尤も、仰る通りですね。)

そして先生は「今は恩返しの時期」とも仰いました。今までご自分が戴いた有形無形のものをアウトプットしようと思っているそうです。「お金はもういいわ。皆に回す番だわ。」と。私は感銘をうけました。

実際、N子先生は日頃からこまめに施設をおとずれ、差し入れなどをされています。そして介護職員さんを労い、入居者の一人ひとりに にこやかに接し お話をされていました。

特にコロナ禍になってからは、入居者さん達や介護士を含めた全ての職員さんを労うため、ほぼ毎日 施設に足を運ばれているようです。そしてコロナ対策に換気の重要性が指摘された折には、開閉が頻繫になる「窓ガラス」の拭き掃除を自ら行ったそうです。「(私が率先して行えば)職員さんたちも手伝ってくれるでしょ。」と、さり気なく仰いました。

さらに先生は インドネシアから招いた介護士さん達へのお食事の世話(支度)のほか、最近は 各フロアー毎に少人数で、職員さん等とランチを兼ねた意見交換もされているとのことです。もちろん差し入れ弁当持参で。

その際に「いま困っていること」や「気づいたこと」また「不満点」などの聞き取りをするそうです。食事をしながらだと忌憚のない意見がきけると仰っていました。

そして最後に一つ、思いがけないことを話されました。介護士さん(介護者も)の方こそ「愛(優しい言葉)に飢えている」のだと。彼らは常日頃 入居者さんにたくさんの優しい言葉をかけているのに、ご自分たちはそういう言葉をかけて貰っていないと。だから、彼らに「愛情を心がけ 与えたいのだ。」と先生は仰いました。

N子先生とお話をさせて頂いて心が浄化され、良いオーラが身体中に流れるのを感じました。

心城院(湯島聖天)








2022年5月25日水曜日

144) 【徒然に】碌山美術館

安曇野市にある碌山美術館に行ってきました。92歳で亡くなられたM氏の遺言により 荻原守衛(碌山)制作の《宮内氏像》が美術館に寄贈されたからです。その特別展示とM氏のお嬢さんによる特別講演が4月22日の碌山忌に合わせ開催されました。《宮内氏像》とはご自宅で見せて頂いた時以来の対面でした。

今回の寄贈により、碌山美術館に展示されている碌山自身の彫刻作品は15点から16点になりました。《宮内氏像》は日本のロダンと言われた荻原守衛の見事な作品で、ロダンの影響が色濃く感じられました。

学芸員の武井敏氏によると「この《宮内氏像》は碌山の作品の中でも特に貴重な作品である」とのことです。

先ず モデルの性格を把握するため彫刻制作に先立った油彩がある点。次に 碌山自身の意思で日英博覧会に出品されることになっていたこと。そして碌山がロダンの傑作と称える「ジャン=ポール・ローランス像」との類似が認められる点など。更には生前鋳造という点でも特別な価値があるそうです。

なお、この美術館がすごいのは その設立に長野県内の教師が力を尽くし、なんと小中学生も寄付金(児童は5円、10円など)を出して協力したことです。地域社会が守る「文化と芸術」素晴らしいです。文化芸術を伝承するための「あるべき姿」だと私は思いました。

このように碌山美術館は以前から気になっていた美術館でした。一度は是非行ってみたいと。ただ、安曇野もたいへん魅力的で素敵なところだと分かっておりましたが、遠いという印象がつよく なかなか伺うチャンスがありませんでした。

今回、思い切って訪れて良かったです。心身共に充実感がありました。そしてこの時期、ハナモモがとてもきれいでした!




 













2022年5月15日日曜日

143) 【徒然に】マッサージサービス

先日、初めて(文京)区のマッサージサービスを受けました! 前々から区報をみて興味がありました。

60歳以上の区民が対象の高齢者マッサージサービスで、月に2回 区内の二つの施設で行います。区報で募集する事前申込制で、決められた日に電話で申込みます。先着順とのことですが、初めての方を優先するそうです。自己負担額は、何とワンコインの500円でした。

サービスは あん摩マッサージ指圧師免許(国家資格)所持者が行います。1人1回40分程度とのことでした。当日、私は更衣室で着替え順番を待ちました。

時間ごとに受付で渡された番号を呼ばれ、畳の部屋に通されると 5人の施術師たちが準備万端で待っておられました。でも・・、みなさま、私よりかなりご高齢の方々ばかりでした。(恐れ多いなと私は思いました。どうしよう?)

今回私を担当して下さった方は、母親くらいの年齢でした。腰も少し曲がり、お年を召している方に身体を揉んで頂くなど 申し訳なく後ろめたいと言うか、私は罪悪感さえ覚えました。

しかし、その方は ‘ツボ’ を心得た 優しく柔らかなマッサージをして下さいました。まるで母にマッサージされているようでした。私は有難く さらに恐縮な気持ちでいっぱいになりました。

東洋医学である(あん摩)マッサージや鍼灸治療を受けた経験はありました。ぎっくり腰になった時です。友人の薦めで、中国人留学生である東大の学生さんに何度かマッサージを受けたのです。その後はご無沙汰していました。因みに、現在は鍼治療にも通っております。

今回 担当して下さった方は「なでる、押す、揉む、叩く」などの手技を用いて下さったので、いわゆる ‘按摩(あんま)さん’ だったのだと 後から思いました。

子供の頃、山形の父が按摩さんを頼み、からだを揉みほぐして貰っていたことを思い出しました。父は仕事で疲れると、自宅からそう遠くない 少々名の知れた「温泉旅館」に宿をとり、一人では寂しいのか 娘や孫を付き合わせ一泊するのが常でした。経営者としてのストレスがあったのでしょう。

その男性の按摩さんはお馴染みの方のようで、施術をうけ 気持ちよさそうに疲れを癒して貰っていた父の姿が目に浮かびます。今ならその気持ちが 私にもよく分かります。そして思うに、馴染みの按摩さんであれば ‘傾聴’ もして頂いていたのではと思いました。

・・・施術者にご高齢の方が多いとは言え、皆さま あん摩マッサージ指圧師免許をお持ちのプロフェッショナルです。お仕事なんだとあらためて思いました。そして私も温泉で按摩さんをお願いできる身分になりたかったなあとも思いました。今更ですが、ちょっと父を羨ましく想いました。


澤蔵司稲荷 霊窟「お穴」への参道にて







 

2022年4月25日月曜日

142) 【徒然に】傾聴 ご家族からのお電話

昨年107才で亡くなられた カズさんのご家族(姪御さん)Tさんから、先日お電話を頂きました。生前のカズさんへの ‘敬聴’ のお礼でした。

姪御さんのTさんご自身もご高齢になられ(たぶん70代後半)、持病があり ご体調もすぐれないのに、私のことを懐かしみ わざわざお電話を下さいました。本当に恐縮しました。

『伯母があんなに長き出来たのは貴方のおかげね!』と仰いました。カズさんはTさんが施設へご面会にいくと、いつも開口一番「この間、○○さんがね・・・。」と私が敬聴に伺った際の話をされていたそうです。有難いことです。

それも自慢げに仰ったそうです。『貴方とお会いし、その会話が伯母の生きがいだったのね。』としみじみ話されました。そんなに楽しみにされていたとはびっくりでした。お役に立っていたのですね。‘傾聴’冥利につきます。感慨深いです。

そして姪御さんから「(このブログで)カズさんについて書き綴った文章をぜひ読みたいので、プリントアウトして欲しい。」と頼まれました。もちろん、私は喜んでお受けしました。光栄ですし嬉しく思いました。

姪御さんからお電話を頂いた数日後、在職中 お世話になった北大の名誉教授 A先生からお電話頂きました。今でも お電話で話をするなど 親しくさせて頂いております。先生は一通り話し終わってから、私の近況をお尋ねになりました。

私は『今は残念ながら コロナ禍により中断していますが、傾聴ボランティアが私のライフワークだと思っています。コロナ禍の間は 傾聴活動の一環として朗読を学んでおります。』とお答えしました。

『ゆくゆくは高齢者施設などで朗読をさせて頂くとか、もし出来るならば 高齢者の方々にも短い作品を読んで頂くなど、一緒に朗読を楽しめれば良いと思っております。』と付け加えました。

A先生は『それは素晴らしい! 社会貢献をしているんだね。』と喜んで下さいました。少々 気恥ずかしさも感じましたが、自分のしていることが誰かの役に立ち、また その行為をご自分のことのように喜び 褒めて下さる方がいらしゃるのは本当に有難いことだと思いました。

身を引き締めて頑張らねばとあらためて思いました。(そうだ、この4月から文京区の学習推進委員に選ばれたことも A先生ご報告しようかな。)


GINZA SIX 観世能楽堂





2022年4月15日金曜日

141) 【徒然に】文京区の老舗和菓子店 その2 江戸あられ 竹仙

次なる文京区の老舗は 江戸あられの竹仙です。

江戸 ‘あられ’ の竹仙も和菓子店です。私は和菓子とは「練り切り」や「羊羹」など 和風の甘いお菓子のことだと勝手に思い込んでおりました。

しかし 文京区の『文の京 お茶のいまむかし』という企画展で 区内の老舗和菓子店を調べている際に、その間違いに気づきました。ちなみに「ところてん」や「お赤飯」なども和菓子の中に入ります。

竹仙は春日通りを挟んで本富士警察署の斜め前にあり、レトロなガラスのショーケースが特徴です。店内ではそれが木枠扉付きの(ガラス)ケースなっています。ケース毎に様々な江戸あられが入っています。またケース棚の上には、今では珍しいガラス製の角猫瓶や丸猫瓶、地球瓶などがありました。

商品は全て量り売りで、其々のショーケースの中には、ビニール袋に小分けされたあられが入っています。これが概ね100gです。100g単位で買う人が多いのでしょう。私もその一人ですが、何種類かのあられを100gづつ買い 味わいたいのです。

注文すると、御年(おんとし)96才のお父さん(店主)がショーケースからあられを取り出し、秤に載せて重さを確認し、あられの入ったビニール袋を小さな輪ゴムで器用にとめてくれます。いつも私は見とれてしまいます。

その後、丁寧なキャラメル包みをしてくれます。とても手際が良くお見事です。紙が重なる部分は端を合わせて折り返し輪ゴムで留めるのです。職人さんの技術とプライド、そして心意気を感じる素晴らしい包装なのです。

その種類は「満月」や「小菊」、「雁金」「玉屋」(小さな円盤形なので 打ち上げ花火のイメージか)等など、粋な名前のあられに目に留まります。またお父さん(ご主人)のお勧めの白醬油を使った「笹舟」や変わり種の「山椒のあられ」(さわやかな辛味がクセになる)にも心惹かれます。

さらに、海苔巻きあられも数種類あり固さや海苔が異なります。たとえば「元禄」や「東男」、「のり羽衣」や私の大好きな「江戸錦」等など。焼き海苔と焼いてない海苔のあられもあります。これだけ種類があると選ぶだけでワクワクします。

また、本郷には東京大学医学部附属病院や順天堂大学医学部附属病院等など、大きな病院がたくさんあるので、塩分制限のある方ように「塩を使っていないあられ」を置いているそうです。自分で味つけをしたり、お茶漬けに入れても良いと仰っていました。

竹仙のあられは、保存料や化学調味料などを使っていないシンプルな製法で、もち米のため腹持ちがよくて とても美味しいのです。お父さん曰く「もち米(新潟の指定農家だそうです)が原料なので、煎餅(うるち米)じゃなくて、うち(竹仙)のは ‘あられ’ だよ。」と仰っていました。

あられで ‘江戸の伝統と粋’ を今に伝えているのです。「お父さん」「お母さん」と呼ばせて頂き、親しくさせて頂いている ご夫妻には もっともっと長生きをして、お店を続けて頂きたいです。そう私は心から願っています。


ベニヒワ
photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios


左:のり羽衣 右:かぶき好み




                    





















2022年3月25日金曜日

140) 【徒然に】文京区の老舗和菓子店 その1 壺屋総本店

以前に文京区主催の『文の京 お茶のいまむかし』という企画展のため、区内の老舗和菓子店を調べたことがあります。老舗とは ‘代々つづいて繁盛し 有名になっている店’ のこと。昔から長く続いている信用ある店のことを指します。

この時に調べた老舗和菓子店のうち、私が特に気に入ったお店が二軒あります。一軒目は「壺屋総本店」、そしてもう一軒は「江戸あられ 竹仙」です。二軒とも大好きなお店で、月に一度 必ず買いに行きます。

文京区で老舗和菓子店の筆頭は「壺屋総本店」です。企画展にも資料を提供して頂きました。壺屋は江戸(東京)で創業した和菓子屋としては最古で、江戸前期の寛永年間に 町民が開いた最初の菓子店「江戸根元(えどこんげん)菓子店」という老舗和菓子店です。

現在 お店は東京大学の龍岡門近く 春日通りに面したところにありますが、店主はなんと18代目だそうです。

まずは勝海舟のエピソードから。
明治維新の折、江戸の大店は「新政府の世になって商いを続けていては、長年に渡りお世話になった徳川様に申し訳が立たない」と次々に暖簾を下ろしていったそうです。

壺屋もまた廃業を決意していましたが、大の壺屋贔屓で、常連客でもあった勝海舟に「市民が壺屋の菓子を食べたいと言っているから続けるように」と諭され再開したのだそうです。つまり勝海舟が閉店を阻止したわけです。

今も店内には この時に贈られた「神逸気旺(しんいつきおう)」の書が大切に飾られています。‘神頼みをするのではなく、気力をもって事に当たる’ という意味だそうです。そして壺屋は江戸時代に京都中御門家より由緒ある店へ贈られる称号である「出羽掾(でわのじょう)」「播磨大掾(はりまだいじょう)」も受けています。

また、永井荷風の『断腸亭日乗』や田山花袋の『蒲団』などの小説にも壺屋の名が見られ、美食家として知られる池波正太郎の『鬼平犯科帳』には化粧品店としてその名が記されています。

看板商品である最中の餡は、北海道産の上質な小豆とざらめを使用しており、その皮は専門の皮屋さんが作った もち米100%の皮です。勝海舟が愛した「壺々最中」それより少し大きい「壺最中」そして壺の形をした大ぶりの「壺形最中」の3種類があります。最中はここのお店のものが一番美味しいと私は思っております。

ちなみに、もち米100%の最中は歯の裏にくっつくこともなければ、パサつくこともありません。買った直後も 皮の香ばしさが際立っています。

なお、材料を厳選し 手作り仕上げの壺屋伝統の味は、本郷のお店に行かないと購入できません。保存料などの添加物を一切使わず日持ちがしないこと、また一つ一つ丁寧に作っていて量産できないことから、ネット通販やお取り寄せ対応はしていないそうです。

また、隠れた逸品の練り切りは 繊細な細工と色合いが素晴らしく まさに食べる芸術品でした!



壺屋の壺形最中

江戸あられ 竹仙








2022年3月15日火曜日

139) 【徒然に】地蔵菩薩霊験記

『地蔵菩薩霊験記』※2 の原文を読むことが私の課題となりました。奥健夫先生からのアドバイスです。

※2 『地蔵菩薩霊験記』:平安時代の仏教説話集で、三井寺の僧実睿(じつえい)撰と称する2巻本と、さらに実睿撰と称する巻三、また良観 (16~17世紀の人であるが伝不明) 撰と称する巻四~十四を加えた14巻本が存在する。

奥健夫先生は仏教彫像の研究において私が最も尊敬する方で、その先生から「『地蔵菩薩霊験記』は、地蔵菩薩を考える上で示唆に富む文献と思います。たいへん面白い説話集なので 是非ともご覧になってください。」という貴重なお言葉を頂いたのです。

先生は『仏教彫像の制作と受容―平安時代を中心に―』で第31回 2019年度の*國華賞を受賞されました。(*國華賞とは1989年に岡倉天心らにより生まれた雑誌『國華』の創刊100年を記念して創設され、日本および東洋の美術についての優れた研究に贈られます。)

その『仏教彫像の制作と受容―平安時代を中心に―』は『地蔵菩薩霊験記』を読む上でも たいへん参考になりました。また私の大好きな 京都 六波羅蜜寺の運慶作 ‘地蔵菩薩坐像’(通称、夢見地蔵)や寂光院の焼けこげた ‘地蔵菩薩立像’ についても かなり詳しく言及されています。文献も豊富で 奥先生の御研究の集大成とも言うべき素晴らしい研究書でした。

然しながら『地蔵菩薩霊験記』の方は全て漢字で書かれており、私は難しくて手を付けられずにおりました。当時は仕事も忙しく 時間的にも精神的にも余裕がなかったためでもあります。

そして・・、何と10年もの歳月が経ってしまいました。それが最近、不意に頭をよぎったのです。今年になり、やっと私は辞書を引きながら読み始めました。

内容は地蔵を安置する寺院の縁起や地蔵信仰によって得たご利益などで、阿弥陀や観音霊験記とあまり変わりませんが、地獄から蘇生した話が多いのが地蔵菩薩霊験記の特徴のようです。

【地蔵】より

… 平安時代後期、民間にも仏教が広く浸透するにつれて地蔵信仰は大いに発達した。11世紀の中ごろ三井寺(園城寺)の僧実睿が民間地蔵説話を集成した《地蔵菩薩霊験記》は後に散逸したが、その説話の多くは《今昔物語集》巻十七に再録されており、当時の民間地蔵信仰の特色をうかがうことができる。

功徳の集積が容易な貴族たちの間では、死後の地獄の恐怖がさして切実ではなく 地蔵への関心が薄いのに対し、浄土往生の功徳を積むすべのない民衆の間では、〈地獄は必定〉という深刻な地獄観の下で、地獄に入って人々の苦しみを代わり受ける地蔵の信仰が発達し、〈ただ地蔵の名号を念じて、さらに他の所作なし〉といった地蔵専修さえ成立したのであった。…

地蔵菩薩霊験記という書物は、平安時代から鎌倉初期にかけて成立したものに、室町時代や江戸初期を通じて増補されたもので、それぞれの時代における地蔵信仰の実態を伝える きわめて貴重な記録として注目されるものであった。

読みおえるまで まだまだ時間がかかりそうです。しかし この際 ゆっくりと楽しみながら解読したいと思っております。 


西表島のサガリバナ