2022年12月25日日曜日

158) 【徒然に】絵本読み聞かせ講座 その7

絵本の読み聞かせ講座 最終回(全12回)は実践の場である発表会です。一グループ5人づづの3グループに分けられました。そして絵本の選書は各グループで其々がプレゼンを行い読む本を決めました。2週間にわたりプログラムやポスターを作り、前週はゲネプロまでありました。本格的です。

私は『かんぺきなこども』を読ませて頂きました。フランスの翻訳絵本です。
‘完璧な子ども’ を求めて〈こどもストア〉に出向く夫妻。お店では好みの子どもが買えるのです。斬新な発想で風刺に富んだお話です。本当は怖い話なのですが、可愛らしい絵で ユーモア溢れる絵本でもありました。ぜひ大人に読んで頂きたい絵本です。

話が脱線しますが『かんぺきなこども』を読んでいて、大学の同級生 Kさんを思い出しました。Kさんは、当時女子の間で憧れの “東洋の神秘” と言われた トップモデル 山口小夜子さんの ‘おかっぱ頭’ をまね、いつも すまし顔で闊歩していました。

その彼女の放った言葉が忘れられません。ある時 私がサークルの後輩を「あの子、綺麗ね。」と褒めた時、「○○ちゃん(私のこと)はあんな子が好きなの?」とKさん。「いや、別に好きとか嫌いとかではなく・・。」と私。「ああいう顔はデパートで ‘美人ください’ って言うと 出てくるような顔よ。」と言い捨てました・・。今回 その衝撃的な発言と共に彼女のことを思い出しました。


さて、発表会当日はとても寒い日でした。そんな中 関係者の他に数人の大人と4歳と1歳半の兄弟を連れたお母さんが聴きに来てくださいました。よちよち歩きの弟くんはお母さんの胸元で、4歳のお兄ちゃんは最前列の真ん中に陣どり 聴いてくれました。

でもその内 お兄ちゃんはうろちょろと動き回り、観客席を見回したりしていました。そして時おり 読み手の顔をみて「どうして?」とか「すごいね!」等と 質問や感想まで述べているのです。合いの手です。ちゃんと ‘聴いているぞ’ というアピールでしょうか。絶妙でした。

全員の発表が終わると講座の修了式がありました。私が修了証書授与の順番を待っていた時です。その4歳の “年下の男の子” が近寄ってきて手を繋いだのです男の子は胸にサンタさんのアップリケがついた 可愛らしいTシャツを得意げに着ていました!そして私の顔を見て ‘ニッ’ と笑いました。

みなさま、各々 味わい深い『読み語り』でした。朗読の仕方も人それぞれです。上手でなくても伝わる読み方があります。その方 その方の醸し出す「世界」があり、楽しみがあります。とても奥が深いです。突き詰めて言えば、そこに読み手の人間性が表れると私は思うのです。

※講師が朗読した絵本
⑴『そっと いちどだけ』(作:なりゆき わかこ、絵:いりやま さとし) 
◎素晴らしい絵本でした。私の忘れられない一冊となりました。
※借りてきた絵本
⑴『かんぺきなこども』(作:ミカエル・エスコフィエ、絵:マチュー・モデ、訳:石津 ちひろ)
⑵『だいじょうぶ だいじょうぶ』(作・絵:いとう ひろし)
※以前 購入した絵本
⑴『チェンジ・ザ・ワールド! ~世界を変えた14人の女性たち』(作:スーザン・フッド、絵:13人のすばらしき女性画家、訳:渋谷 弘子)












2022年12月15日木曜日

157) 【徒然に】絵本読み聞かせ講座 その6

今回の講座では絵本の選書についても学びました。とても有意義でした。以下は抜粋です。

⑴ 具体的で分かりやすいテーマ、絵だけ見て理解できる内容。
⑵ 絵と文が一致し、時の流れや時代背景とも調和している。
⑶ 絵本のサイズは子供たち全員に見えるもの。
⑷ 声に出して心地よい、リズムがある日本語で書かれているもの。
  結末で主人公が成長しているもの。
⑸ 日頃から子どもたちの興味や関心のあることを調べ、絵本選びに役立てる。

選書というのは、改めてたいへんな作業だと思いました。
いかに「絵」が大切か、あらためて再認識しました。テーマは時代と共に広がってきます。現在、世界がかかえている環境問題とかジェンダーも含めた差別問題など等。

⑷ の「声に出して心地よい、リズムのある日本語」は、とても高度な選択です。また「結末で主人公が成長しているもの」には頭をかかえてしまいました。先ずは絵本をたくさん読むことからでしょうか。次回はグループ発表会に向けての準備とそして いよいよ「読み聞かせ」の実践、発表会です。

※講師が朗読した絵本
⑴『ごめんねゆきのバス』(作:むらかみ さおり) 
※借りてきた絵本
⑴『おこだでませんように』(作:くすのき しげのり、絵:石井 聖岳)
⑵『だってだってのおばあさん』(作・絵:さの ようこ)










2022年11月25日金曜日

156) 【徒然に】絵本読み聞かせ講座 その5

講座では「絵本の読み聞かせ」の基礎的なポイントとして、以下(抜粋)の点をあげていました。これは私が最も学びたかったことです。

⑴絵の見せ方:絵本の ‘かなめ’(絵本の中心部) を下からしっかりと持ち、本がぐらつかないようにする。そして全ての子どもたちに見えるように気を配る。

⑵読み手の顔の向きと姿勢:子どもたちに向き合い、からだが絵本にかぶらない位置につく。子どもの反応をみながら読む。

⑶ 本を大切に扱う:本のあつかい方や受け渡しの際は両手で行うなど、丁寧にあつかう。我々が子供たちに身を以て示す。教育の一つですね。

また、表現する上でのポイントとしては、
⑴面白いところ
⑵見せたい絵
⑶聞かせたい言葉
⑷子供が喜ぶところ
⑸難しいところ
などを予めチェックしておき、読み聞かせる。

あらためて、ナマの声、肉声で伝える大切さを実感しました。AIでは温かさが伝わりません。また子供たちの反応も見えません。一方通行の朗読ではコミュニケーションが成り立ちませんよね。人と人との心のふれあいが大事なのです。

そんな折、私が所属している「傾聴の会 ぞうの耳」の代表から、江戸川橋にある高齢者施設での「傾聴と絵本の朗読」の依頼を受けました。月に1~2回して欲しいとのことでした。念願だった “傾聴と朗読のコラボレーション” です。さて、初めの一歩となりますでしょうか。


※推奨された本
⑴『絵本は心のへその緒』(松居 直 著)
借りてきた絵本
⑴『おまえうまそうだな』(作・絵:宮西 達也)
⑵『あらしのよるに』(作:きむら ゆういち、絵:あべ 弘士)
※購入した
『絵本の力』 (河合 隼雄、松居 直、柳田 邦男 著) 
⑵『人生の一冊の絵本』(柳田 邦男 著)






2022年11月15日火曜日

155) 【徒然に】絵本読み聞かせ講座 その4

8月の中旬に10月29日開催の「文京シビックシアター☆トークショー」での司会とMCを依頼されました。夏バテでうだうだしていた頃です。体調や調整すべき予定もあり逡巡しておりました。が、友人が肩を押してくれ引き受けました。(詳しくは後日ブログに記載)

そんな時に この「絵本読み聞かせ講座」を知り 受講を決めました。いったん今見ている世界(かかわっている事)から離れたかったのです。 ‘絵本’ に癒されたかったのかも知れません。

そして今回いろいろな絵本を読み、あらためて実感したことは、日々の雑多なことで忘れかけていた ‘大事なこと’ を思い起こさせてくれたということです。ピュアな感性だったり、人間としての一番大切なことです。

巡り合ったどの絵本も、みんな新鮮でストレートに心に響きました。余計なことは考えなくても良いとさえ思えました。本日ご紹介した『空のおくりもの:雲をつむぐ少年のお話』は発想がゆたかで、人間の欲深さとか環境破壊など 内容は深いのに なぜか雲のようにほんわかした優しい絵本でした。

※講師が朗読した絵本
⑴『空のおくりもの:雲をつむぐ少年のお話』(作:マイケル・キャッチプール、絵:アリソン・ジェイ、訳:亀井 よし子) 
※借りてきた絵本
⑴『となりのせきの ますだくん』(作・絵:武田 美穂)
⑵『けんかのきもち』(作:柴田 愛子、絵:伊藤 秀男)






2022年10月25日火曜日

154) 【徒然に】絵本読み聞かせ講座 その3

このたび、私の「絵本」に対する認識が一変しました。さらに絵本が大好きになりました。私も含め 高齢者こそ「絵本」の読書が適していると思いはじめました。ページを捲るだけでも、きれいな愛らしい絵に心が癒されます。また内容も簡潔で分かりやすいです。そして深いです。

余談ですが、先日 ひょんなことから絵本作家の方とお話をする機会を得ました。彼女はおもに郷土史を書いておられ、絵は別の方がお描きになっているそうです。

私が「文章と絵の作家がそれぞれ別の場合 ‘絵’ はストーリー作家のイメージ通り(の世界観)になっていますか?」とお尋ねすると、「充分に私の意図を反映しています。」と仰いました。確認の為でしたが 愚問でしたね。

年を重ねたからこそ響くものが沢山あります。絵本は朗読としても、語り方次第で  ‘高齢者施設’ などでも 喜んで頂けると思いました。

受け止め方は人生経験により様々です。現に私はいつも魅了されていますし、読後は充実感があります。このブログで 私が巡り合った素敵な絵本の数々を ご紹介させて頂こうと思います。

※講師が朗読した絵本
⑴『ウェン王子とトラ』(作・絵:チェン・ジャンホン、訳:平岡 敦) 
⑵『しりとりのだいすきなおうさま』(作:中村 翔子、絵:はた こうしろう)
※借りてきた絵本
⑴『島ひきおに』(作:山下 明夫、絵:梶山 俊夫)
※以前 購入した絵本
⑴『てがみをください』(作:やました はるお、絵:むらかみ つとむ)
⑵『パンダ銭湯』(作:tupera tupera)






2022年10月15日土曜日

153) 【徒然に】絵本読み聞かせ講座 その2

思っていた以上に「絵本」は奥が深く素晴らしい読み物でした。今になって「絵本」に目覚めた感があります。絵本は作者が伝えたいことが端的にかかれ、その世界観は ‘絵’ で表現されています。無駄がありません。ストレートに思いが伝わってきます。

特に今回 写真でご紹介した2冊に私は心をわしづかみにされました。
先ず『ブルーがはばたくとき』(作:ブリッタ・テッケントラ ップ、訳:三原 泉)です。絵がとても暖かくて美しいです。しかも二羽の鳥の色はウクライナカラーです。発行は2020年3月ですが、意味深長です。

次に『これは本』(作:レイン・スミス、訳:青山 南)は風刺がきいていて、むしろ学生さんや大人に見て読んで頂きたい絵本です。今回は実際に手に取って読んで頂きたいので、内容をご説明できないのが残念です。

また、今回の講師 足立眞知子さんは ‘傾聴と絵本の朗読’ のコラボレーションを考えている私にはとても魅力的な方でした。個人的にお話を伺いたいと思いました。次回の講義が楽しみになりました。

※講師が朗読した絵本
⑴『ブルーがはばたくとき』(作:ブリッタ・テッケントラップ、訳:三原 泉)
⑵『これは本』(作:レイン・スミス、訳:青山 南)
※借りてきた絵本
⑴『てぶくろをかいに』(作:新美 南吉、絵:いもと ようこ) 
⑵『おしっこ ちょっぴり もれたろう』(作・絵:ヨシタケ シンスケ) 
⑶『くまとやまねこ』(作:湯本 香樹実、絵:酒井 駒子)















2022年9月25日日曜日

152) 【徒然に】絵本読み聞かせ講座 その1

自治体の絵本読み聞かせ講座を受講することにしました。私は「NPO 日本朗読文化協会」の会員ですが、協会の朗読ボランティアグループ ‘かもめ’ の一員でもあります。その活動の一環として九段幼稚園などで読み聞かせもしておりました

ただ、子ども向けの ‘絵本の読み聞かせ’ を学んだわけではありません。そこで、私にとって傾聴(ボランティア)の両輪でもある 朗読(今回は子供向け)のスキルを身につけるため、読み聞かせの基礎を学ぼうと思いました。

「朗読」と「絵本の読み聞かせ」は異なります。「朗読」を聴いて頂く年齢層はおもに大人です。「絵本の読み聞かせ」の方は乳幼児から小学生くらいまでの子どもが対象で、絵本を見せながら読みます。もちろん、大人向けとしての絵本の朗読もありますが、絵をお見せしながら朗読することはあまりありません。また題材も異なります。

表現法も少し異なります。一般的に朗読は文章に抑揚をつけ、例えば「強弱」「高低」または「緩急」などを使い分けて表現します。然しながら、私の朗読の先生はその様なテクニックはあまり使わず、自分が感じた物語の世界、イメージを伝えるべく自然体で語る指導法を取られています。一方、子どもへの読み聞かせの方は、時には誇張したり オーバーな表現もします。

また「朗読」は読み手が主役で自分の感情をイメージにのせて伝えます。「絵本の読み聞かせ」の方はあくまで主役は相手(聴き手)です。ですから、主役である子どもに合わせた読み方が必要です。伝えるイメージは ‘絵’ です。すべて絵に描かれているのです。

私は「絵本の読み聞かせ」は傾聴に通じるものがあると思いました。「傾聴」も主役は相手ですから。

そして 今回の講座では「子どもについての理解」とか「子どもを取り巻く社会・読書の変化」など基礎知識や読み聞かせの技法などの講義もあります。そして「絵本選びの基本」も学べるようです。

さらに「読み聞かせのための身体づくり」という、驚きの講義もありました。どんな内容でしょうかね。楽しみでもあります。「読み聞かせに必要な身体づくり」として「あいうえおの歌」・「口の体操」などの記載がありましたが。

講座後半には「読み聞かせの実習」として個人発表があり、また「読み聞かせの実践」としては、グループ活動の意義を考え グループでの発表会(演習)をするとのことでした。とても盛りだくさんです。

※講師が朗読した絵本
⑴『はじまりの日』(作:ボブ・ディラン、絵:ポール・ロジャース、訳:アーサー・ビナード)
⑵『ぞろりぞろりとやさいがね』(作:ひろかわ さえこ)
※借りてきた絵本
⑴『11ぴきのねことあほうどり』(作:馬場のぼる) 以上





2022年9月15日木曜日

151) 【徒然に】ひとり朗読会

先日 第一回『ひとり朗読会 インフィニティ』を開催いたしました。(このブログの「イベント・その他」欄 ご参照。)もう二ヶ月半も前のことです。現在学んでいる朗読の実践(発表会)で、友人たちの協力があってこそ催せた会でした。

今回は席に限り(15席)があるため、お世話になっている大先輩の方々や日頃から親しくさせて頂いている友人たち、また元職場の後輩等にお越し頂きました。内輪の会なので、私もリラックスして朗読させて頂けました。

ただ、皆さま お忙しい方ばかりです。その大事な時間を頂くわけですから、来て下さった事を後悔せず 退屈な時間にならないように、精一杯努めようと私は思いました。

然しながら 私は学びの途中、 現時点での「朗読」しかお聴かせ出来ません。それゆえ、お出で下さった方々に「楽しんで頂ける朗読会」をモットーにしました。

当日は猛暑日でしたが、おかげさまでお越し下さった方々から「面白かったよ!」「楽しかった!」等と喜んで頂きました。また「次はいつ? 来春?」等と仰って下さった方もたくさんお出でで、私は朗読会の準備疲れが吹き飛ぶほど嬉しかったです。

また、多種多様な職業の方がお出で下さいましたので、皆さまに異文化交流も楽しんで頂け プラスアルファの喜びもありました。

今回は歌あり(朗読の一部)、お喋りあり(朗読のまくらそして朗読中にも作品に因んだ 注釈(脱線?)を入れる等の工夫を凝らしました。皆さま和んでくださり、会場(お客さま)との一体感がありました。とにかく楽しんで頂けて何より嬉しかったです。一番の目的は果たせました!

私は「一体感のある朗読会が良いな。」とあらためて思いました。会場に駆けつけて下さった朗読の先生からは「今後も あなたはトークを入れた ‘ひとり朗読会’ をなさい!その方が合っているし 面白いわ!」と激励(?)されました。私 独自の世界と言うことでしょうか。

もちろん今後の朗読会でも、お喋り(朗読のまくら)は入れます。その方が私自身が落ち着くし、ウオーミングアップにもなりますので。

因みに、文京区の友人達からは「私たちは(ひとり朗読会に)行けないの? 呼んで貰えないの?」などと 不満の声が上がりました。ブーイングです。座席の関係とは言え不義理をしてしまいました。(ごめんなさい。次回はぜひ!)

兎に角、次回は更にグレードアップして 皆さまに楽しんで頂ける朗読会になるように心がけるつもりです。今度は先日お呼び出来なかった多くの友人・知人たちにもお越し頂きたいと思っております。

そして将来的には「傾聴と朗読のコラボレーション」が出来たらと夢が広がりました!


















2022年8月25日木曜日

150) 【徒然に】哀しき時計

九段幼稚園の赤Tシャツ男児による ‘時計’ の件で、私は大好きだった養父のことを思い出しました。腕時計にまつわる記憶です。

男児の ‘時計’ へのこだわりは「お母さん(ご家族)のお迎えを、今か今かと心待ちにしている」その表れのような気がしました。大きな時計を胸に抱えて私の腕時計を覗きこみ「いま、何時?」と訊ねた‘その顔’が忘れられません・・。

20年ほど前、私は養父母の介護中に体調を崩して入院し手術を受けました。1ヶ月弱の入院になりました。然しながら、monthlyの学会(論文)誌の編集が仕事でしたので、入院中は電話でアルバイトに指示を出し、退院後も直ぐに出勤しなければならない状態でした。

幸い入院前に、父を介護療養型医療施設(今でいう介護医療院)に、そして母は何とかぎりぎりで 運よく特別養護老人ホームに入居させることが出来ました。ただ、退院後は思うように体力が戻らず、私は日々の勤めだけで精一杯でした。

そんな状態でしたので、平日はもとより土日も疲れて 其々の病院や施設に様子を見に行くのがままならず、毎週日曜日に父母どちらかの一箇所にしか行けませんでした。(可哀想なことをしました。)

退院直後 久しぶりに父の病院を訪ねると 父は私の顔が分かりませんでした。風邪予防のためのマスクのせいかと思い 外しましたが、父は困ったように首を傾げました。ハッとしました。私が以前より痩せていたからです。父の姪が私の名前を伝えると、父は初めて嬉しそうに笑顔を向けてくれました。

親戚の人達は本当に良く手伝ってくれましたが、やはり、父母は私の面会を待っていたのです。其々の所に、月2回づつの訪問が2~3ヶ月続きました・・。

二度目に父へ会いに行った時は、待ちかねたように笑顔で迎えてくれました。が・・、私が辛そうにしゃがみ込むと、父はあんなに私の来訪を待ちわびていたのに「疲れているようだから今日はもう帰りなさい。」と優しく しかし目を伏せて言いました。私は自分が情けなくなりました。病院の滞在時間は たったの10分でした。

その後は徐々に体力も回復し 頻繁に父母の面会に行けるようになりました。

或る日、父は私の顔をみると「この腕時計は壊れている。」と訴えました。そして「新しい時計を買ってきて欲しい!」と頼まれました。「いくら高くても良いから。」と 外国の高級腕時計の商品名をあげました。

父は腕時計を外して私に見せました。でも・・、時計は正常に動いているし、時刻も正確でした。故障などしていません。そう伝えても父は頑として聞きませんでした。「時間がぜんぜん進まないんだ。」と言い張りました。

その父とのやり取りを聞いていた 年配の看護師さんが言いました。「お父さんはいつもいつも時計を見ているの。あなたを待っているのよ。」と。私はやっと解りました・・。高級腕時計なら ‘正しい’ 時を刻むだろうと父は考えたのでしょう。切ない話です。

「こんど娘はいつ来るんだろう? 今日かな。明日かなあ?」「今日は日曜日だし、もう直ぐかな? 早く来ないかなあ。」等と待っていたのでしょうね。だから なかなか ‘時計が進まない’ のです。何ともやるせない気持ちになりました。

男児や父の ‘時計’ に対する思い入れは「時間への執着心」のように思われました。男児は「淋しさや不安感から何かにしがみつきたい気持ち」そして父の場合は「孤独感」でしょうかね。いずれも愛情を求めているのだと思いました。私はそう感じました・・。

幼稚園の男児が父と同じ気持ちだったとは思いませんが、父の時も 先日の幼稚園でも、私は胸が締め付けられる思いがしました。
 

ヤマシャクヤク




2022年8月15日月曜日

149) 【徒然に】園児たちからの「可愛い~!」コール

またまた コロナ感染者が増え ビクビクしながら市ヶ谷へ向かいました。マスク、消毒液を持参し感染対策はバッチリです。あとは 3蜜(密閉・密集・密接)をさけてと自分に言い聞かせて、いざ幼稚園での「読み聞かせ」ボランティアへ。

でも・・、子供たちが待っている2Fの教室に伺うと、想定外の大人数、25名の園児たちが待ち構えていました。「今日は預かり保育の園児が多いんです。」と先生。先輩の話では「読み聞かせ者一人につき 5名ほどの園児」とのことでしたが。

一つ目の蜜(密集)はあえなく消沈。そして一番手の私が持参した絵本『にんじんさんがあかいわけ』を手に携え いつもの教室ではなく、書棚がある仮設のスペース(密閉?)に向かって歩き出すと・・、いきなり赤いTシャツを着た男児が私の腕をつかみ「いま、何時?」とまさかの超スキンシップ、超 密接! (えっ、なんで?) 

男の子は自分の顔より大きな ‘壁かけのマル時計’ を左の腕で抱きかかえていました。そして(腕)時計に興味があるのか、私の時計をベタベタと触り始めました。
それから私の顔を見て「ねぇ、頂戴!」とおねだりをはじめました。「ごめんね、私、この時計一つしか持っていないの。」とやんわり断りました。「ふうーん。」と彼。残念そうでした。

それで済んだかと思いきや、今度は他の園児たちも私の周りに群がってきました。(またしても・・、なんで?)皆で腕時計を覗きこみます。私は焦りました!何故って、私は敢えて時計を5分進めていたからです。幼稚園の壁掛け時計とは時間が合わないのです。

先に私は園児らに言い訳をしました。「遅刻しないようにわざと進めているの。」と。すると、あの赤シャツ男児や別の男児が「僕もそう(真似)しようーと。」と言い出しました。真似させないように説得するのに私は一苦労しました。(余計なことは言うものでないと反省しました。)

その後も読み聞かせを始めようとすると、今度は女の子たちが私のカメオのペンダントを目ざとく見つけ反応しました。「カワイイ!」「可愛い~!」と。4~5人の女児と男児までが寄ってきました。ペンダントに触ったり、なかには私の膝の上にのる子どもさえいました。超密集、超密接の極まりでした。

読み聞かせ後に一息ついていると、恐竜のティラノサウルスのTシャツを着た(自称)恐竜博士の ‘ハカセくん’ につかまりました。またもや至近距離でたくさんの会話をし、一緒に本を読んだりして 冷や冷やもので ボランティア活動を続けました。 


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2022年7月25日月曜日

148) 【徒然に】絵本の読み聞かせ 再開!

九段幼稚園でも絵本の読み聞かせが再開しています! とは言っても・・、わたくし幼稚園での読み聞かせは今回で2回目の初心者です。(このブログ 96) ご参照)

コロナ前とは様式が変わったとのことです。なるべく家庭の「くつろぎタイム」のようにして欲しい。「自由な雰囲気で!」とお願いされました。(ん? かえって難しいかも。)

実際に訪問してみないと「どこがどう変わったのか」よく分かりませんが、私にとっての大きな変更点とは、読み聞かせの前に園児たちと一緒に行う『はじまるよ はじまるよ』という定番の ‘手遊び歌’ がなくなったことでした。

その『はじまるよ はじまるよ』という ‘手遊び歌’ を読み聞かせが初めての私は存在すら知りませんでした。ましてや読み聞かせの前に ‘歌いながら手遊び(振り)を行う’ 等とは全く聞いていませんでしたし、説明も受けていなかったのです。

その結果は散々なもので、私は可愛いらしい3歳児の男の子につぶらな瞳でじっと見つめられ、たじろいだ記憶があります。男の子は私から目をそらしませんでした。困りました。ずっと私を見たままです。あやふやな私の手振りを責めているような気さえしました。しかし、最後に男の子がにっこりしてくれたので ほっとした次第です。

それで、私は次の訪問までには この手遊びを「何が何でも習得しなければ!」と意気込んでいたのです。でも・・、残念ながらコロナ禍により腕を振るう(手を振るう?)チャンスを逸しました。それが今回からなくなったのです。嬉しいような、気が抜けたような気がしています。

そんな私が今回 持参する絵本は、童心社『にんじんさんがあかいわけ』(松谷みよ子作、ひらやまえいぞう絵)です。ほわっとした読んでいて気持ちが安らぐ絵本です。最後の「とっぴんぱらりのぷう」という魔法のようなフレーズが心にのこります。

園児たちにも喜んで貰えるでしょうか。そして今回も彼らから「芽吹きのエネルギー」を頂けるでしょうか。






2022年7月15日金曜日

147) 【徒然に】そろそろ出番でしょうか

先日、ゆしまの郷 家族会の代表 Fさんからお電話を頂きました。Fさんは以前私を ‘文京区男女平等センター’ の常任委員に推薦して下さった方です。

いま施設に足りないもの、必要なことは「お年寄りたちのこころの声を聴いてくれる人 すなわち、あなたのような傾聴ボランティアです」と。施設長との対談時の話だそうですが、私にボランティアを継続してもらえるかどうかの打診でした。

「もちろん、喜んで!いつでも伺います!」と私は即答いたしました。何故なら それを待ちわびていたからです。絶対に傾聴は必要不可欠だと信じていました。お役に立てるのを嬉しく思いました。

コロナは終息しておりませんが、社会的状況の収束をもって世界は「コロナと共存(共生)」の時代に入りつつあります。私たち以上に 自宅を離れたお年寄りたちは精神的に参っているのではと懸念しておりました。何らかの策を講じて、外部との接触、コミュニケーションを図るのが大切だと私は思います。

今後の傾聴活動は以前のように(私が)各フロアに出向き 複数の方々の敬聴をするのではなく、1Fのホールなどに 入居者をお一人づつ介護士さんに連れてきて貰って行うようです。もちろん双方が感染対策をしっかり講じてです。

そのために アクリルパーテーション等も検討されるようですが、衝立越しの ‘マスク着用での敬聴’ をお年寄りたちが、怖がったり 嫌がったりしないか等、すこし私は心配になりました。そして諸々の物理的な ‘キョリ’ があっても、文字通りその方に「寄り添える」のか・・、不安材料はたくさんあります。

とは言え、始めてみなければ問題点も改善策も見つかりません。私はひたすら心をこめて 初対面となるお年寄りの方々への敬聴をするだけです。




一葉バラ

一葉ゆかりの井戸





2022年6月25日土曜日

146) 【徒然に】まこっちゃんの形見

国分寺駅が近づくにつれ、私の目に涙が滲んできました。まこっちゃんがいなかったら、ここはあまりご縁のなかった場所かもしれません。

まこっちゃんはとても優秀な脳外科医でした。(このブログ 113) をご参照。)先日、まこっちゃんと何度かご一緒させて頂いた 国分寺の「治鮨」に行って参りました。コロナ禍により伺えず、やっと願いが叶いました。

今回の目的は、勿論 まこっちゃん先生のご供養をするためでした。お店の大将や女将さんと共に先生を偲びたかったのです。

私は下段の写真に載せたフェルトの*ブローチ(これは主に男性がスーツの襟につけるアクセサリーで ‘ラぺルピン’ と言うらしい。 )をつけて伺いました。このブローチ(ラぺルピンは生前 まこっちゃんから頂いたものです。まさか形見になろうとは・・、その時は夢にも思っていませんでしたが。

この*ブローチを頂いた経緯ですが・・・。
数年前、学術総会の各セクションが終わった20時過ぎくらいだったでしょうか、まこっちゃんから「もう、夕食済んだ? 駅ビルの中に良さげなお店を見つけたんだけど、行こうよ!」との呼び出しを受けました。

私は学会事務局のみんなと夕食を終えたとお返事しましたが「ちょっとだけ、軽く飲まない?」と再度のお誘い。「何かお話でもあるのかしら? それとも淋しいのかな。」等と考えながら私は出かけました。

指定された駅ビルのお店に着くと、すでに窓際のテーブル席にまこっちゃんが座っていました。私が真向かいの席に座ると、先生はちょっと嬉しそうな顔をされました。その時 先生がジャケットにつけていた ‘ワインレッドのブローチ’ が目に留まったのです。(いかにもワイン好きの先生が選んだ色だと思いました。

ただ、古風な感覚の私からすると(単なる無知ですが)、男性が深紅の梅花のブローチ(本当はブローチではなく ラぺルピンなのですが、当時 私はその言葉すら知りませんでした。)をつけているのには、少々違和感がありました。

まこっちゃんは「これ(ラぺルピン)、良いでしょう!」と自慢げに仰いました。今思えば褒めて欲しかったのでしょうね・・。そんな思いはつゆ知らず、私は冗談で「でも、色からしても 私の方が似合いそうですけれど。」と返答しました。決して欲しかったわけではありません。

すると少し考え「本当だね。じゃあ、上げるよ!」と先生はブローチを外し 私に下さいました。もうビックリです。私は「とんでもない、冗談ですよ。」と言って丁寧にお断りしましたが・・、結局 プレゼントされてしまいました。困りました。(下世話な話ですが、伺った値段が思った以上にお高かったからです。)

そのブローチ(ラぺルピン)を先生は ‘伊勢丹’ で購入したそうですが、なんと学会会期中に同じブローチをしているドクターに出会った。」とも話して下さいました。そして「明日、その先生の名前を確かめて来る。」などと目を輝かせて仰いました。まったく子供みたいに無邪気な人だなあと、あらためて私は思った次第です。

このブローチには、そんな貴重で大切な思い出があります。

しかし・・、なんと 治鮨の女将さんも、別素材(レザー)で同じ梅花のブローチを胸当てエプロンに着けていました! 女将さんによると、残り少なくなった先生の遺品の中からそのブローチを選んだそうです。あの後、先生はこのお気に入りのブローチ(ラぺルピン)をふたたび購入したのでしょうか・・。

もしかしたら、私に下さった ‘ワインレッド’ のラペルピンがなくて「レザー製の薄茶色」のものを買われたのかもしれません。想像が膨らみました。そうだとしたら申し訳ない気がします。気に入ったので「同じデザインで別素材のものも。」と思われたのなら良いのですが・・。もう、まこっちゃんに訊ねることは出来ません。

帰りがけに、女将さんから “まこっちゃんの笑顔の写真(嬉しそうにビールジョッキーを掲げ、乾杯のしぐさ)” のカラーコピーと「みんなで分けてしまったから、これしか残っていないのよ。」と言いながら 持って来て下さった ‘薬の商品名が印字された’ ボールペンを頂きました。私はとてもとても 有難かったです。

    いま、その写真のコピーを小さな額縁に入れ飾っています。

※治鮨の大将からお聞きしました。まこっちゃん先生は亡くなる3日前も脳外科手術を行っていたそうです。本当に頭が下がります。ご立派です。

そして学閥をこえた脳外科医たちが、「谷口真先生の思い出を永遠に」という追悼サイトをつくりご寄稿されていらしゃいました。皆に愛された先生です。合掌      


まこっちゃんから治鮨へ

 





2022年6月15日水曜日

145) 【徒然に】「ゆしまの郷」のN子先生

先日、N子先生(このブログ 65) 66) 72)に登場))と久しぶりに 本当にひさしぶりにお話しが出来ました。

N子先生とは「ゆしまの郷」(私が傾聴ボランティアをしている特別養護老人ホーム)の副理事長です。医師であるご主人のY先生が理事長をされています。

N子先生はとてもパワフルな女性で、行動力が飛びぬけていらしゃいます。先日、初めてN子先生の御年を伺い 驚きました。80才になられたそうです。信じられないです。とてもお元気なスパーウーマンですから。私の憧れの女性です。

私の心がぶれそうになった時、N子先生とお話がしたくなります。原点に戻れそうな気にさせて下さる方です。

さて ゆしまの郷ですが、入居者・入所者の誰一人 コロナ感染者を出していないそうです。立派です。施設の徹底した感染管理体制と介護職員さんの自意識の高さのおかげでしょうね。何とこの二年間、介護士さん達は自重し 誰も「会食」などされていないとのことでした。凄いです。そして頭が下がります。

私は最近(もちろん 感染対策をしっかり講じた上でですが)友人等との外食を始めました。少しずつ日常を取り戻しつつあります。引き籠りは心身に良くないからですが、お話を伺いちょっと後ろめたさを感じました。

今回はN子先生から素敵なお話をお聞きしました。先生は職員さん達をねぎらう時「ご苦労さま」ではなく、感謝の気持ちを表す「ありがとう」という言葉をかけるそうです。頑張っている介護職員さんには「褒める言葉」よりも「感謝の気持ち」を伝えたいとのことでした。(納得です。)

「ご苦労さま」「頑張ってるね」「熱心ね」などの褒め言葉は、上から目線であると仰っていました。(なるほど・・ご尤も、仰る通りですね。)

そして先生は「今は恩返しの時期」とも仰いました。今までご自分が戴いた有形無形のものをアウトプットしようと思っているそうです。「お金はもういいわ。皆に回す番だわ。」と。私は感銘をうけました。

実際、N子先生は日頃からこまめに施設をおとずれ、差し入れなどをされています。そして介護職員さんを労い、入居者の一人ひとりに にこやかに接し お話をされていました。

特にコロナ禍になってからは、入居者さん達や介護士を含めた全ての職員さんを労うため、ほぼ毎日 施設に足を運ばれているようです。そしてコロナ対策に換気の重要性が指摘された折には、開閉が頻繫になる「窓ガラス」の拭き掃除を自ら行ったそうです。「(私が率先して行えば)職員さんたちも手伝ってくれるでしょ。」と、さり気なく仰いました。

さらに先生は インドネシアから招いた介護士さん達へのお食事の世話(支度)のほか、最近は 各フロアー毎に少人数で、職員さん等とランチを兼ねた意見交換もされているとのことです。もちろん差し入れ弁当持参で。

その際に「いま困っていること」や「気づいたこと」また「不満点」などの聞き取りをするそうです。食事をしながらだと忌憚のない意見がきけると仰っていました。

そして最後に一つ、思いがけないことを話されました。介護士さん(介護者も)の方こそ「愛(優しい言葉)に飢えている」のだと。彼らは常日頃 入居者さんにたくさんの優しい言葉をかけているのに、ご自分たちはそういう言葉をかけて貰っていないと。だから、彼らに「愛情を心がけ 与えたいのだ。」と先生は仰いました。

N子先生とお話をさせて頂いて心が浄化され、良いオーラが身体中に流れるのを感じました。

心城院(湯島聖天)








2022年5月25日水曜日

144) 【徒然に】碌山美術館

安曇野市にある碌山美術館に行ってきました。92歳で亡くなられたM氏の遺言により 荻原守衛(碌山)制作の《宮内氏像》が美術館に寄贈されたからです。その特別展示とM氏のお嬢さんによる特別講演が4月22日の碌山忌に合わせ開催されました。《宮内氏像》とはご自宅で見せて頂いた時以来の対面でした。

今回の寄贈により、碌山美術館に展示されている碌山自身の彫刻作品は15点から16点になりました。《宮内氏像》は日本のロダンと言われた荻原守衛の見事な作品で、ロダンの影響が色濃く感じられました。

学芸員の武井敏氏によると「この《宮内氏像》は碌山の作品の中でも特に貴重な作品である」とのことです。

先ず モデルの性格を把握するため彫刻制作に先立った油彩がある点。次に 碌山自身の意思で日英博覧会に出品されることになっていたこと。そして碌山がロダンの傑作と称える「ジャン=ポール・ローランス像」との類似が認められる点など。更には生前鋳造という点でも特別な価値があるそうです。

なお、この美術館がすごいのは その設立に長野県内の教師が力を尽くし、なんと小中学生も寄付金(児童は5円、10円など)を出して協力したことです。地域社会が守る「文化と芸術」素晴らしいです。文化芸術を伝承するための「あるべき姿」だと私は思いました。

このように碌山美術館は以前から気になっていた美術館でした。一度は是非行ってみたいと。ただ、安曇野もたいへん魅力的で素敵なところだと分かっておりましたが、遠いという印象がつよく なかなか伺うチャンスがありませんでした。

今回、思い切って訪れて良かったです。心身共に充実感がありました。そしてこの時期、ハナモモがとてもきれいでした!




 













2022年5月15日日曜日

143) 【徒然に】マッサージサービス

先日、初めて(文京)区のマッサージサービスを受けました! 前々から区報をみて興味がありました。

60歳以上の区民が対象の高齢者マッサージサービスで、月に2回 区内の二つの施設で行います。区報で募集する事前申込制で、決められた日に電話で申込みます。先着順とのことですが、初めての方を優先するそうです。自己負担額は、何とワンコインの500円でした。

サービスは あん摩マッサージ指圧師免許(国家資格)所持者が行います。1人1回40分程度とのことでした。当日、私は更衣室で着替え順番を待ちました。

時間ごとに受付で渡された番号を呼ばれ、畳の部屋に通されると 5人の施術師たちが準備万端で待っておられました。でも・・、みなさま、私よりかなりご高齢の方々ばかりでした。(恐れ多いなと私は思いました。どうしよう?)

今回私を担当して下さった方は、母親くらいの年齢でした。腰も少し曲がり、お年を召している方に身体を揉んで頂くなど 申し訳なく後ろめたいと言うか、私は罪悪感さえ覚えました。

しかし、その方は ‘ツボ’ を心得た 優しく柔らかなマッサージをして下さいました。まるで母にマッサージされているようでした。私は有難く さらに恐縮な気持ちでいっぱいになりました。

東洋医学である(あん摩)マッサージや鍼灸治療を受けた経験はありました。ぎっくり腰になった時です。友人の薦めで、中国人留学生である東大の学生さんに何度かマッサージを受けたのです。その後はご無沙汰していました。因みに、現在は鍼治療にも通っております。

今回 担当して下さった方は「なでる、押す、揉む、叩く」などの手技を用いて下さったので、いわゆる ‘按摩(あんま)さん’ だったのだと 後から思いました。

子供の頃、山形の父が按摩さんを頼み、からだを揉みほぐして貰っていたことを思い出しました。父は仕事で疲れると、自宅からそう遠くない 少々名の知れた「温泉旅館」に宿をとり、一人では寂しいのか 娘や孫を付き合わせ一泊するのが常でした。経営者としてのストレスがあったのでしょう。

その男性の按摩さんはお馴染みの方のようで、施術をうけ 気持ちよさそうに疲れを癒して貰っていた父の姿が目に浮かびます。今ならその気持ちが 私にもよく分かります。そして思うに、馴染みの按摩さんであれば ‘傾聴’ もして頂いていたのではと思いました。

・・・施術者にご高齢の方が多いとは言え、皆さま あん摩マッサージ指圧師免許をお持ちのプロフェッショナルです。お仕事なんだとあらためて思いました。そして私も温泉で按摩さんをお願いできる身分になりたかったなあとも思いました。今更ですが、ちょっと父を羨ましく想いました。


澤蔵司稲荷 霊窟「お穴」への参道にて