2021年6月15日火曜日

121) 【徒然に】心にのこる旅:「キエフ・モスクワと北欧」編 その5 ムンク美術館

北海道のTご夫妻とは 帰国後も連絡を取り合うほど 仲良くなりました。そしてお二人は夕食のみならず 朝食や昼食の時にも 私の席を取っておいて下さるようになりました。

そのうち 他のメンバーに対し私のことを「うちの娘!」と冗談交じりに吹聴しはじめました。メンバーの何人かは真に受け、また 訝しく思われた方々は私にその真偽を確かめにくるようになりました。

そんな中でのオスロ観光です。見学はノルウェー王宮やオスロ市庁舎、そしてヴィーゲラン彫刻公園などでした。足元の悪い階段で、私はかなりご高齢の女性の手をとり(手を繋いで)歩いたところ、他の方々にやきもちを妬かれました。依怙贔屓した訳ではありませんが、まずかったのでしょうか・・。

今回のオスロ観光には私の二つ目の目的である ※ムンク美術館は
入っていませんでした。しかし何としても行きたい場所の一つでした。私はひそかに添乗員さんにどこか途中(ムンク美術館に近いトイレ休憩所など)で降ろして貰えないかと頼んでおりました。

※ムンク美術館:画家エドヴァルド・ムンクの作品や生涯についての資料を展示している、ノルウェーのオスロにある美術館

でも 彼から『あなたがいなくなると皆さんが心配するし、一緒にムンク美術館へ行きたい等と言い兼ねません。一旦 ホテルに着いてから ‘こっそり’ 出かけて頂けると助かります。』とやんわり断られました。

さらに『ホテル到着後すぐに夕食となりますので、あなたの夕食は無しとなりますがよろしいでしょうか。英語は通じますから ホテルからタクシーを呼んで、そっとお一人でいらして下さい。』と言われてしまいました・・。

宿泊ホテルは館内ムンク一色でした。いたるところにムンクの複製画が飾ってあります。国の誉れ。市民から大切にされている画家なのですね。私は急いで
部屋に荷物を置き、すぐにロビーに向かいました。

すると・・、ツアーメンバーのK赤十字病院の院長ご夫妻から声を掛けられました。『あら? もう直ぐ夕食なのに何処へいらっしゃるの?』




2021年5月25日火曜日

120) 【徒然に】心にのこる旅:「キエフ・モスクワと北欧」編 その4 キエフの蚊

翌 2日目はウクライナの首都 キエフ観光です。聖アンドリーイ教会、聖ソフィア大聖堂、キエフ・ペチェールシク大修道院などを見学しました。

ここでも お仲間たちから「トイレはどこかしら?」とか「いま、ガイドさん 何て仰ったの?」そして「次はどこ行くの?」等々 問われるありさまです。にわか添乗員の私は大忙しです!?

お昼にはキエフ風カツレツ(ウクライナの郷土料理で、バターを骨なしの鶏胸肉で巻き、小麦粉、溶き卵、パン粉の衣をつけて焼くか揚げたカツ料理。)が用意されていました。とても美味しかったのですが・・。

尾籠な話ですが、その昼食時に トイレから戻ってきた 艶子さんという70代後半の方から「あなた、早く御不浄(トイレのこと)に行ってらっしゃい。一番奥のよ!」と言われ ビックリしたことを憶えています。

理由を伺うと「あなたの為に 便座シートで(トイレを)きれいに(掃除)してきたから、他の人が使う前に行ってほしいの。」とのお返事でした。なんとも ご親切な?方でした。せっかくなので・・ 、私は無理して行ってきました。

キエフのホテルはオリンピスキ・スタジアムの傍にあり、その夜はサッカーの試合があったらしく、観客の歓声で私は眠れませんでした。おまけにツアー客の中で私ただ一人が蚊に刺され、痒くて眠りが浅かったことも覚えております。

キエフの蚊はカトンボのように大きく しかも貪欲で、私が長袖のパジャマを着ていたにも関わらず その上から刺したのでした。「キエフの蚊、恐るべし!」

翌日は赤く腫れました。なぜ私一人が刺されたのでしょう。若かったからでしょうか? 心優しい旅の仲間たちは心配して下さり、ムヒやオイラックス、また病院の処方薬など、たくさんの虫刺され軟膏を分けて下さいました。さすが旅の達人、用意周到でした!

そして、次の訪問地 憧れのフィンランドで体験した本場のサウナ後は、ますます血行が良くなり、私の腕はさらに赤く腫れあがりました!




2021年5月15日土曜日

119) 【徒然に】心にのこる旅:「キエフ・モスクワと北欧」編 その3 エルミタージュ美術館

さて、第一日目はモスクワ市内観光。私は定番の世界遺産となった赤の広場」でネギ坊主の建築物 聖ワシリイ大聖堂などを写真におさめ、同時に旅の仲間たちのご要望に応え、記念写真のお手伝いもしました。皆さま、積極的かつマイペースです。

ただ、お一方のお手伝いをすると 次々に他の方々もお願いにきます。旧ロシア帝国の宮殿であるクレムリンやレーニン廟でも同様でした・・。

私には今回の旅で二つの目的がありました。その一つがエルミタージュ美術館でした。時間が気になります。(間に合うのかしら? エルミタージュって何時まで開いているのかしら。)気が急きました。

そして・・一時間後、モスクワからアエロフロートに乗り やっと!サンクトペテルブルクに着きました。フライト時間は1時間30分位でした。到着後はホテルに直行し チェックインです。しかし遅々として進みません。お元気だった旅の仲間たちにも疲れが見えはじめました。

添乗員さんに(エルミタージュの)閉館時間を尋ねると「エルミタージュはアジアからの団体客の場合、夕方からの鑑賞になっています。」と涼しい顔で仰いました。そして「白夜だし大丈夫ですよ。」と。曜日により21時まで開館とのことでしたが・・。

ようやく着いた 憧れのエルミタージュ美術館は、宮殿としての建物やその宮殿装飾、美術品は圧倒されるほど素晴らしく 言葉もありませんでした!

特に絵画部門はあまりにも壮観で私は茫然としました。しかし
美術館の鑑賞時間は短く限られており、私は館内地図と照らし合わせながら 目的の作品の所まで必死に進み、名作も逸品も目で追うだけの ‘全集中の10秒鑑賞’。勿体なかったです

イタリア絵画ではレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、そしてラファエロの有名な作品。また オランダ絵画はルーベンスやレンブラントに ゴッホの名作の数々。そしてスペインからはエル・グレコにベラスケス、はたまた ゴヤやピカソの貴重な作品等など。

大好きなピカソ・コレクションは充実しており「青の時代」から「キュビズム」 初期の作品が中心となっていましたが、青の時代の『二人の姉妹』(訪問)を直に観れて私は感激しました! 

ただ、日が陰り 西日除けのカーテンのせいで 室内が薄暗く 見にくかったことを憶えております。その上、鑑賞時間が切迫しており 精神的にもゆとりがなく・・作品をじっくりとは観れませんでした。不完全燃焼です。とても心残りでした。

せめて(最低でも)一日は必要です。さわりだけ観るのは かえって酷だと思いました。次回は個人旅行しかないと私は心に決めました!

本郷給水所公苑








2021年4月25日日曜日

118) 【徒然に】心にのこる旅:「キエフ・モスクワと北欧」編 その2 異国の地下バー

旅のお仲間は 30代の添乗員さんと私(当時。今の私は浦島花子です)を除き、70代・80代の紳士 淑女の方々でした!皆さま 好奇心旺盛でマイペース。健啖家でもありました。 長寿の秘訣でしょうか。

最初の訪問地はモスクワ。到着まではかなりの長旅だったのに、皆さま お元気で疲れを見せませんでした。ホテルに到着後 すぐに夕食でしたが、現地時間で20時を回っていたせいか 豆料理中心の質素なものでした。ビール等もありません。

フライトの疲れもあり、私は早めに退散し 部屋で日本から持参したカップ麺でも食べようと思いました。一方、旅の達人たちは・・、各々 きちんと召し上がっておられました!柔な私とは違います。逞しいです!

そこに添乗員さんがあらわれ、小声で「この会場にはアルコール類はありませんが、地下に観光客向けのバーがあります。ちょっとしたおつまみも。別料金ですがドルもつかえますよ!」と仰いました。

もちろん 私は部屋での淋しい ‘カップ麵 ひとりディナー’ をやめ、異国の地下バーに連れて行ってもらいました!私を含め5~6名ほどの参加でしたが、そこには 何でも・・揃っていました。美味しいものが。「社会主義国って凄い!」と私は妙に感動したものです。

それで味を占めた訳ではありませんが、この晩 ご一緒し 親しくなった北海道から参加のTご夫婦と毎晩 観光地の宿泊ホテル内にあるバーに繰り出しました。最高に贅沢な旅となりました。

蛇足ですが、旅の最終日ヘルシンキでは、3人の両替し残った現地通貨(当時はマルッカ ペンニ)を集めて全て「※アクアビット(Akvavit)」にかえ飲み干しました!

※アクアビット:北欧のお酒でジャガイモを主原料にした蒸留酒。

翌日、第一日目は先ずモスクワの市内観光。世界遺産となった赤の広場に行き ネギ坊主の建築物 聖ワシリイ大聖堂を見て、旧ロシア帝国の宮殿であるクレムリンやレーニン廟などを観光します。

そしてその後は、いよいよレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)にあるエルミタージュ美術館へ。期待が高まりました!



ツルニチニチソウ(蔓日々草)
カニングハム・メモリアルハウス(MFYサロン)







2021年4月15日木曜日

117) 【徒然に】心にのこる旅:「キエフ・モスクワと北欧」編 その1 にわか添乗員!

コロナ禍で思い描いていた生活が一変しました。退職して多少時間が自由に取れるようになり「年に一回くらいは海外旅行を!」と目論んでおりましたが、ここ数年は無理なようですね。残念です。そこで今回は私の ‘忘れがたい旅’ を書かせて頂きます。

心にのこる旅と言えば 先ずマチュピチュをあげざるを得ません。回り道になりますが、マチュピチュに少し触れておきます。

これまで一番魂が揺さぶられた旅は 世界遺産の「空中都市マチュピチュ」です。さすがインカ帝国の遺跡、息を呑むほどでした! 特に マチュピチュ山から見下ろす「マチュピチュ遺跡」は黄金色につつまれ、神々しいオーラを放っていました。それまでの人生観が変わるほどのです。

前置きが長くなりましたが、今回は ‘別の意味で’ 印象深く忘れられない「キエフ・モスクワと北欧の旅」の話をいたします。

在職中にやっと頂いた夏季休暇で、7月中旬から12日間の旅行だったと思います。私はツアーに一人参加しました。早めに成田国際空港に着き、指定された搭乗受付カウンター付近を見渡しましたが、参加者らしき人は見当たりません。ご高齢の方が数人 屯(たむろ)しているだけでした。

早く着き過ぎたかと思い、辺りをうろうろしておりました。一周して元のところに戻ると、関西方面から合流の参加者を引き連れた 男性添乗員さんが、ツアー名と旅行会社名を書いた旗を持って現われました。うん? その参加者たちはかなりご高齢の方々ばかりです・・。

添乗員さんは私を見て「○○さんですか、こちらです。皆さん、こちらに集まって下さい。」と大声で仰いました。すると、先程から屯していたご高齢の方々も集まりはじめました。総勢・・40名くらいでした!平均年齢は75歳くらい。当時、私は30代前半でした。

やっと・・状況が読めました。私のお隣に並ばれた初老のご婦人は「あなたもご一緒? それは良かったわ。よろしくお願いしますね!」とにこやかに仰いました。他の参加者たちもこちらを見ています。

その時から、私は「にわか添乗員」になりました。


鳥越神社


クロッカス


2021年3月25日木曜日

116) 【徒然に】桜の季節に -看護師 関口さん-

晩年 入退院を繰り返した父の闘病生活で一番 思い出深いのは、看護師の関口さん(仮名)の親切さです。娘として今でもこころから感謝しております。

父は感謝の気持ちを忘れない人でした。何事も当たり前だとは思わずに、周りの人に対して「ありがとう」という感謝の言葉や「ご苦労さま」という労いの言葉を伝える人でした。

入院時にも、清掃員の方が病室にゴミ収集に来ると「ありがとう。ご苦労さま。」と必ずお礼を言っておりました。酸素マスクを装着している時でさえ、その方へ微かに目をやり 少し片手を上げて感謝の意を表すのです。心をうたれ 私はあらためて父を尊敬したものです。

その父はCOPD(慢性閉塞性肺疾患)のため、常に痰が絡み ほぼ寝たきりなので、吸引しなければならなくなりました。吸引をちょっと怠ると、痰が上顎にくっつき 乾いて瘡蓋(かさぶた)になってしまうのです。

或る日 いつものように、私が仕事帰りに入院している父のもとを訪れ、身の回りの世話を終え 洗濯物を抱えてエレベーターホールに向かっていると、後ろから 顔なじみになったベテラン看護師の関口さんが 小走りに追って来ました。夜勤のようでした。『娘さん、ちょっと来て手伝ってくれませんか!』と。

何事かと思い 慌てて父の病室に戻ると、看護師さんが二人がかりで 上顎の粘膜にくっつき、瘡蓋(かさぶた)となった痰を強引に剥がそうとしているところでした。

父の口まわりは血だらけです。父は痛さで顔を歪め苦しそうです。必死に看護師さんの手をふり払おうとしておりました。声にならない抵抗でした。ビックリしたのと同時に私は涙が溢れました。

『お父さまを我慢させてください!』と言われました。でも・・「私でも瘡蓋を痛み止めなしに剥がされたら我慢など到底出来ない」と思いました。

看護師さんは「瘡蓋を取り除かないと、その瘡蓋がはがれ、気道に詰まり窒息する(してしまう)かもしれない」と仰いました。

私は父を宥め(なだめ)その手を両手で握りました。『痛いよね、ごめんね。ごめんね。少しだけ・・我慢してね。』と涙ながらに説得しました。すると驚いたことに・・、父はおとなしくなりました。看護師さん達はホッとされたようです。でも、私はかえって・・、悲しくなりました。落ち込みました。

その一件以来、関口さんは耳鼻咽喉科の先生のところに行き、痰(瘡蓋)をとかす薬などを父が大好きな ‘棒付きキャンディ(ChupaChups)’ に塗れないか、或いは何か良い方法はないものかを相談して下さったそうです。

また 或る時は、ベッドから動けなくなった父のために、病院の敷地内に咲いた桜の枝を折り(そんなことをして大丈夫だったのでしょうか。叱られなかったのでしょうか。私は心配でした。 )父に見せて下さいました。ベッド横のテーブルには可憐な桜の花が飾ってありました。

その後 転院し父が亡くなった3年後、今度は同じ病院に母が入院いたしました。診療科が違うので父とは別の階でしたが、もし 関口さんがまだ病院に勤務されているのなら、是非 お礼を申し上げたく 母の担当看護師さんに尋ねてみました。(公立病院なので別の病院に移られたか、或いはご退職されたか、自信はありませんでした。)

すると嬉しいことに、父がお世話になった階にまだお勤めされているとのことでした。何度かそのフロアを訪ね、三度目にやっと関口看護師さんにお会い出来ました。でも、既に3年も経っていましたし、数多い患者の名前など覚えてはいらっしゃらないと思いました。が・・、

『ああ、あの○○○○さん(何とフルネームでした!)の娘さんですよね。お父さま、良い人だったもの。わたし大好きでした!』とにこやかに仰いました。私は胸がつまって涙がこみ上げてきました。

小石川植物園

法真寺にて
















2021年3月15日月曜日

115) 【徒然に】まず傾聴! -カズさんは ‘わたあめ’ を持って-

こんな時代だからこそ たくさんの人々が傾聴を必要としている気がします。

傾聴とは本来「こころを傾けて聴く」ことです。
対面でのコミュニケーションが取れない昨今、耳ではなく「こころで聴く」のが敬聴だと思い至りました。その方の心に寄り添い ‘おもい’ を聴くのです。

以前、ゆしまの郷のカズさん(106才 女性)から 同じフロアに入居されている、ご病気で言葉が不自由になった方への敬聴を依頼されたことがありました。(このブログの 16)「言葉でのコミュニケーションが難しくなった方にも敬聴は出来る!」参照。)

対面し直接 話(言葉)を聴くより、相手に寄り添って心の声をひろうのは時間がかかります。相手を思いやり 相手の立場にたって伺う。共感することの大切さを痛感しました。

そして 少々 苦手な方に対しても構えず 相手の話を否定せず聴くこと。鉄則ですね。優しい眼差しと好意的な態度は相手にも伝わります。

先日、東日本大震災の復興支援に関するNHKのTV番組で、長崎大学原爆後障害医療研究所教授(2020年より東日本大震災・原子力災害伝承館の館長)の高村昇先生の話をお聴きしました。

長崎大学の高村教授らによる福島の復興支援は、2012年に 全村避難し役場機能と住民の多くが郡山市に身を寄せていた川内村で始まりました。高村先生は震災直後から福島県内の各地を巡回し講演をされていたそうですが、川内村の村長から帰還のために「土壌や水の放射線量」を調べて欲しいと相談されたそうです。

データで放射線被曝による疾病の確率を述べても説得力に欠け、住民たちの「放射線被曝=死」という不安や怯えがなくならず、最初は住民たちに話を聞いて貰えなかったとのこと。その後、川内村に復興推進の拠点を置き、寝泊まりし同じものを食べたそうです。住民に寄り添い 話を聴くことが大切だと思うようになったと述べておられました。

一方的な講演ではなく、住民の現実問題として「一番何が不安で心配なのか」や「この地で安全に暮らせるのか」など、住民たちの声を「先ず聴くこと」の大事さを語っておられました。

たとえ講演であっても、聴衆が求めている事柄に、耳を傾けて話すことが大切なのです。それからは、住民たちの表情が柔らかくなり、講演にも耳を傾けてくれるようになったと発言しておられました。まさに傾聴の大切さですね。


先日「ゆしまの郷」の家族会の方から送られてきた便りに、カズさんのお元気な姿がありました。2月のイベントで ‘わたあめ’ が配られたらしく、わたあめを手に、お澄まし顔で得意気な いつものカズさんです。(変わっていません。)

私はホッとすると共に、とても嬉しくなりました。 早くお会い出来る日が来ますように!

本郷弓町のクスノキ