2020年9月25日金曜日

104)ワインGメンに間違われたK先生

J大学の脳外科教授室で 学会誌の論文編集をしていた頃、査読委員をされていた放射線科のK教授から※『薔薇の名前』と言う、長い上下二巻の本をお借りしました。

『薔薇の名前』:ウンベルト・エーコが1980年に発表した小説。中世イタリアの修道院で起きた連続殺人事件。事件の秘密は知の宝庫ともいうべき迷宮の図書館にあるらしい。記号学者エーコがその博学で肉づけした長編歴史ミステリで、全世界で異例の大ベストセラーとなり、1986年には映画化もされた。 

本好きと見込まれたようです。が、正直言って苦手な分野の本で困りました。しかし・・、 読まずに返却は出来ません、感想の一つも述べないと。医局の先生方に伺ってみると、口々に「難しそうな本なので、お断りした。」と仰いました。 懐かしい思い出です。

今回、faceboookで【7日間のブックカバチャレンジ】というイベントがあった際に、この本をご紹介された方がいらしたので思い出しました。

結局、私は(情けないのですが)何ヶ月もかけて読み上げました。年表まで作り、登場人物を書き出してです。ショーン・コネリー主演の映画も観て、読解の参考にした次第です。

さて、そのK先生ですが、無類のワイン通で 当時は(J大学の放射線科教授にご就任される前)大阪から御茶ノ水にあるJ大学と本郷のT大学に講義のために通われてお出ででした。その頃は、脳の画像診断が出来る放射線科医は少なく、K教授はまさにその道のオーソリティでした。

東京での講義を終えると、新幹線を待つ間 いつも東京駅の大丸デパートに寄って、ワインを一本一本手にとり 眺めていたそうです。想像ですが、売り場の方に質問もされたと思います。

先生は外見も 帽子が良く似合う 背の高い上品な紳士であり、ワインに精通され 造詣が深いので、終いには、ワインGメンに間違われ、大丸デパートのGMから「顧問になって欲しい!」とスカウトされたとか。医局の先生からお聞きしました。

また、無類の食通でもあり、店の格とか有名店にこだわらず、本当に美味しい店のおいしいものを良くご存知で、いつも美味しいものを嬉しそうに召し上がっておられました。

例えば、ご出張で上野駅発着の列車をご利用された場合は、ランチ用の駅弁としては「深川めし」をご購入。大学で講義後のご昼食は、和洋中 それぞれお好きなお店でのランチを。時には、奥さま手作りのサンドイッチ等もありました。私もご相伴させて頂いたことが何度かあります。(とても美味しかったです!)

或る時、ランチに誘われ 本郷の老舗蕎麦屋さんにご一緒いたしました。お店の二階にある床の間に掛けられていた掛軸の漢詩を、情感豊かに中国語で読んで下さいました。その後に解説して下さった漢詩の内容は、ことさら心に響きました。

そして 肝心な私のお仕事、論文査読の際ですが、(私は教授室に呼ばれます。)教授室にはクラシック音楽が流れており、先生の脇机にはステッドマン医学大辞典や医学書、また英英辞典、独和辞典や仏和辞典まで置かれていました。時には私が確認のため 該当する単語を引くなどし使用させて頂きました。優雅な時間でした。

先生は英語のみならず、独学で学んだと言う フランス語が美しい発音で素晴らしく、「会話の中で、原語(その国の言葉)でジョークが言えるくらいでないと まだ本物とは言えない。」と 日頃から仰っていました。

博学な先生のお話は とても面白く勉強になりました。まるで女子大の教授のようでした。そう申し上げると「僕もその方が 楽しかったかもしれないなぁ、」と笑って仰いました。そして「あなたに いろいろ話を聴いてもらって 僕も嬉しいですよ。」と仰って下さいました。

亡くなられる少し前に 病室を見舞った際には、下記の自費出版された非売品の本を下さいました。私の宝です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 合掌











2020年9月15日火曜日

103)今後の敬聴活動とシビックシアター☆トークショー

このコロナ禍により、私のボランティア活動は4月より中断を余儀なくされております。文京区の高齢者施設では今年いっぱい敬聴活動が出来そうにありません。とても残念です。

傾聴ボランティアの会からは『地元のイベントや草花鑑賞を織り込んだ 動画を作成して各施設に配布する。』や『ビデオメッセージや紙芝居、或いはペットの動画を作成しよう。』等の提案がなされておりますが・・。

何もしないでいるよりは良いのかもしれませんが、それらの動画を操作をするのは介護士さんです。コロナ禍で、ただでさえ 仕事量が増えているのに、彼らにこれ以上の負担はかけられません。仕事を増やすことに私は賛成できません。

敬聴とは、本来 話し手(入居の高齢者)が主役です。聴き手である我々は受け身の傍役です。フォローなく動画を送りっぱなしでは本末転倒と考えます。動画を見て頂いた後の お年寄り達の反応や感想など、コミュニケーションこそが 大事だと私は思います。
新しい敬聴のあり方を考え 模索の日々が続いております。まさに袋小路状態です。

「Zoomで敬聴」という手もありますが、同様な観点から 今は踏み込めません。介護士さんの負担が増えてしまいますから。まことに悩ましいところです。

敬聴に限らずリモートでの朗読も、残念ながら 共有している空気感と言うか、その息づかいや波動が伝わりにくいと思います。新しい生活様式での敬聴がどうあるべきか、満足できる答えがまだ見つかっておりません。

このブログをご覧頂いている皆さまのお知恵を拝借したく 切に思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、そんな折 巣籠り状態の私は9月10日、文京シビック小ホールで開催の*シビックシアター・トークショーでの影アナのご依頼を頂きました。今年2月 私が企画し開講した「娘義太夫講座」の時 お力添えを下さった方から等のご推挙でした。

*『疑惑』:1982年制作 監督:野村芳太郎  原作・脚色:松本清張
             音楽:芥川也寸志  主演:岩下志麻 桃井かおり 

当初は岩下志麻さんがお出でになる予定でしたが、大勢の観客で蜜になる危険性を考慮し、ご主人の篠田正浩監督から「講演キャンセル」とのご連絡を頂きました。そして岩波の映画評論家 井坂能行氏のトークショーへと変更になりました。席は収容人数の30%、100席程度に減らし 往復ハガキかメールでの応募でした。

当日は厳重なコロナ対策のなか 116名がご来場されました。大盛況でした! 皆さま ‘イベント’ を待ち望んでいらしたのだと思いました。また、岩下志麻さんからはご丁寧なお手紙とサイン入りの本 10冊が届き、ご来場者に抽選で配られました。

今回のコロナ禍による自粛生活で大切なことに気づきました。人は誰かと喋らないと言葉を発せられなくなるという現実です。喋らないと口まわりの筋肉が衰え、滑舌が悪くなります。声に力もなくなります。身をもって体験しました。

お喋りは大切です。メールでの ‘会話’ ではダメです。今回の影アナの件で早く気がついて良かったです(滑舌トレーニングの良い機会を頂きました。)

施設の高齢者たちが話せなくなる理由の一つが分かりました。痴呆にも繋がる気がします。施設の方と話し合って、リモート傾聴も考える時期なのかも知れません。





2020年8月25日火曜日

102)青森ねぶた祭(N先生と幹おばあちゃま)その4

津軽半島にある龍飛崎は 石川さゆりさんの『津軽海峡冬景色』でも歌われており、また 太宰治の小説『津軽』に登場するなど全国に知られている観光名所です。ガイドブックに記されていた通り、津軽海峡や北海道、下北半島などが見渡せ 雄大で素晴らしい眺望でした!

昼食の時間になると N先生は『(富山の)T先生に電話してみようか。』と悪戯っぽい笑みを浮かべて仰いました。このブログ 92) 「敬聴の達人 T大学学長の教え」のT先生へです。そのT先生は電話の向こうで『○○ちゃん(私のこと)、・・なんで そこにいるんだい?』

昼食後、龍飛埼灯台手前にある駐車場内の売店に寄りました。そこの天日干しのタコが絶品らしく、先生はお母さまに甘えて「タコ串焼き」を買っ貰っていました。

が・・、お母さまが買われた「焼きイカ」の方もおねだりしました。するとお母さまに「あなたにはタコがあるでしょ。このイカは○○さん(私のこと)と私の分よ。」と窘められました。とても微笑ましい家族風景でした。(でも 結局は分けて差し上げていましたが。)

その後 次の観光地に向かう車中でも、お二人のやり取りはこころ温まるものでした。優しいお母さまとN先生。立派な先生も一人の ‘甘えん坊息子さん’ なのですね。

次に訪れたのは、明治40(1907)年に建てられ 重要文化財建造物にも指定されている太宰治の生家・津島邸の「太宰治記念館 ‘斜陽館’ 」です。和洋折衷の入母屋造りの建物には青森ひばが使用されているとのこと。とてもとても重厚でした。 

そして・・・ドライブの終点である五所川原に向かいました。

 ここは青森の三大ねぶた祭り(「青森ねぶた祭」「弘前ねぷたまつり」そして「五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)」)の三ヵ所目です。五所川原の立佞武多は高さが最大で20mを超える山車の壮大な運行が魅力だそうです。

名残惜しいお二人とお別れをして、私は立佞武多の館(立佞武多祭りに出陣する大型立佞武多を常時格納・観覧できる)に立ち寄りました。この佞武多祭りを実際に見たかのように、その素朴さや独特の雰囲気が感じとれました。しかし機会があれば是非観てみたくもあります。もう一度 青森に来たいなと思いました。

そして この旅の締めくくりは※不老ふ死温泉でした。絶景の大海原を眺めながら源泉に入れるのです。私は憧れの五能線に乗り、N先生ご一家の温かくて優しい余韻に浸りながら、日本海を眺め 海辺の赤褐色の露天風呂が有名な不老ふ死温泉に向かいました。ここには夕日を見るために一泊致しました。

※不老ふ死温泉は:世界自然遺産の白神山地の麓にあり、日本海に沈む夕陽を一望できる景勝地 黄金崎に建つ一軒宿。海岸と一体化したひょうたん型の露天風呂は「他では味わえない絶景と開放感が楽しめる」と全国各地から多くの温泉ファンが集まるという。目の前に広がる日本海の大海原は『日本の夕陽百景』にも選ばれた。

翌日は白神山地にも行きました。青池メインの60分散策コースをゆっくり歩きましたが、空気が美味しく青池もブナの森も静かに楽しめました。ガイドブック等で予めチェックしていた青池は、予想通り清々しくて幻想的かつ神秘的な池でした。

その後も幹おばあちゃまとは文通(手紙のやり取り)をさせて頂きました。達筆な上に 言葉遣いがとても綺麗でした。頂いたお手紙は今も私の宝物です。

その幹おばあちゃまも3年前に逝かれたそうです。幹おばあちゃまらしく、ご家族全員に感謝の言葉を残して・・。もう一度お会いしたかったです。本当にN先生とご家族の皆様にはたいへんお世話になりました。言葉では言い表せないくらい感謝しております。(ありがとうございました。)

毎年頂くN先生からの年賀状には、先生の座右の銘が書かれています。
いつでも 明るく朗らかに!と。
                                                              合掌

昇陽
photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios





2020年8月15日土曜日

101)青森ねぶた祭(N先生と幹おばあちゃま)その3

ねぶた祭の観覧席(25席くらいを確保)に着くと、奥様は 早速 リュックと手荷物をおろし、我々がお借りするトイレの交渉のため 向かいのビルに向かいました。
そして 交渉から戻られると、今度は持参したペットボトルと冷凍ミカンを集まった皆に配り始めました。

素晴らしい行動力と気配りです。段取りがよく キビキビとされています。さすがN先生の奥様! 化粧っ気はないのに とてもとてもお綺麗で知的な方でした。

さて、いよいよお祭り本番。
国の重要無形民俗文化財にも指定されている「青森ねぶた祭」は、勇壮な伝説・歴史上の人物を模した人形の光眩しい ‘山車灯籠’ が引き回され 厳かであり壮観でした。

そして その周りを取り囲んだ 跳人(ハネト)と呼ばれる踊り手たちがラッセーラー、ラッセラー!』と威勢のよい掛け声をあげながら、お囃子の音に合わせて飛び跳ねます。息を呑むほどの迫力と熱気に私は圧倒されました!興奮し完全に時間を忘れました・・・。


熱狂の一夜が明け、今日は青森観光です!
『私もご一緒して よろしいかしら。』と幹おばあちゃまが ‘はにかんだ’ ような笑顔で仰いました。(幹おばあちゃまが青森観光にご一緒して下さるの? 嬉しい!)『もちろんです。 よろしくお願いいたします!』と私は即座に答えました。

幹おばあちゃまは清楚な白いブラウスとベージュのスカート姿です。薄化粧で 淡い紅も差されていました。可愛らしい帽子も被られて。とてもオシャレです。私は自分のブルージーンズと紺柄のポロシャツが 少々 恥ずかしくなりました。

でも、幹おばあちゃまは『あなたのお帽子 ステキね! 良く似合っているわ。青森では そんなオシャレなお帽子(黒とベージュのリバーシブル)は売っていないの。』と褒めてくださいました。

因みに、後日 幹おばあちゃまは私と同じ帽子を購入され、私達はお揃いの帽子を持つ(被る)ことになりました。(気に入って頂き光栄でした!)

楽しいドライブでした!40~50分程 運転され信号待ちの時、先生は「○○君(私のこと)悪いなぁ、俺が手術した患者さんの家がこの近くだから、ちょっと顔を見てくるわ。」と仰って車を歩道側に寄せて停め、数年前に執刀されたという患者さん宅に出かけて行きました。

私はビックリしました!そんなDr. コトー (フジTVのドラマ『Dr. コトー診療所』山田貴敏の漫画を原作、吉岡秀隆主演) のような心優しいお医者さんがいらっしゃるとは。何だか嬉しくなりました。そしてN先生の患者さんは幸せだなあとつくづく思いました。

その患者さんの家は海藻(わかめ)せんべい店だそうで、幹おばあちゃまは「患者さんからの頂き物はしないんですの、みんなお断りして。」「でも、その患者さんは『(先生に)とてもお世話になったから、ご自分が作ってるせんべいなので 是非とも先生に食べて頂きたいって。』そう言って聞かないんだそうです。息子も困っておりました。」

そして小声で「それで一度だけ頂いたんです。でも・・、あまり美味しくないんですの。」と屈託のない笑顔で申し訳なさそうに仰いました。

その後の車中での話もたいへん面白く、因みにN先生はハンサムなスキンヘッドで美声の持ち主。そして豪放磊落な方です。その風貌から何度も僧侶に間違われたそうです。(私、納得です。)

【そのエピソードを一つ】
お知り合いの方の法要に行かれた際、係の方から ‘ふつうに’ 僧侶席に案内され、本物の僧侶がいらっしゃるまで、そのままその席についていたとか。幹おばあちゃまはユーモアたっぷりに、笑いながら教えて下さいました。
 
そうこうしているうちに龍飛岬に到着しました!

文京区 麟祥院前 春日局像



2020年7月25日土曜日

100)青森ねぶた祭(N先生と幹おばあちゃま)その2

「いま 無事に○○君(私のこと)、到着! これから ‘ねぶた小屋’ に案内してから帰るから!」と、N先生は先ずご自宅の奥様に電話をなさいました。

そして その魅力を色々な方から伺っていた(経歴というか 生き方が素晴らしい)ご長男からベストセラーの印税でプレゼントされたと言う ご自慢の車で 青い海公園にある ‘ねぶた小屋’ に向かいました。

ねぶた制作小屋には、今夜 出陣するたくさんの大型ねぶたが所狭しと立ち並び 待機していました! TVで見たものとは違い、本物のねぶたは圧巻で、その迫力に早くも私は圧倒されました!夜のねぶた祭が待ちきれなくなりました。

ねぶた小屋を30分程で引き揚げ、いよいよN先生のご自宅訪問です。

「ただいま!」と先生は声をかけ玄関のドアを開けて下さいました。私が促されて中に入ると、にこやかな笑みを浮かべ先生のお母さま(幹おばあちゃま)とステキな素敵な奥様がお出迎えをして下さいました。感激して緊張がうすれ、温かい気持ちになりました。

幹おばあちゃまは清楚な白いレースのブラウスと紺のスカート姿でした! それはそれはチャーミングな方で、ミス本郷だったのも頷けます。
素敵!きれーい!可愛らしい!まるで女優の八千草薫さんのようでした。理想のおばあちゃまでした。

リビングに通され 椅子に座ると、少しして 先生が「○○君、シャワーでも浴びるかい?」と尋ねました。(なんと・・! 突拍子もないことを。‘よそさま’ のお宅で、いきなりシャワーなんて・・・。)遠慮してお断りすると、

奥様まで「そうね。暑かったでしょう。シャワーを浴びて、一息ついてそれから出かけましょう!」と仰いました。幹おばあちゃまはにこにこと私をご覧になっていらっしゃいました。結局、シャワーを浴びさせて頂きました・・私。

本当に和やかな温かいご家族でした。会食の時間まで お茶を戴きながら談笑し、その後、静岡で病院長をされている 先生のご学友夫妻と合流する お寿司屋さんに向かいました。ご友人夫妻とN先生ご夫妻 そして幹おばあちゃまと私の6人で歓談しながら 美味しいお寿司を頂きました!

N先生の奥様は 冷凍ミカンやおつまみ、お菓子等が詰まって パンパンに膨れ上がったリュックを背負い、両手にはたくさんのペットボトルが入った袋を下げていました。私が持とうとすると断られました。N先生が助っ人でした。20人分位はありそうでした。

私は幹おばあちゃまの歩調に合わせ ゆっくりとお話を伺いながら 手をつないで後について行きました。

先生のやんちゃな子供時代の話(永代橋のアーチ部分に登り なかなか降りてこず大変だった!)や二つ下の弟さんとの兄弟愛(早くにお父さまを亡くされ、弟さんは何処へ行くにも先生に纏わり付いていたそうです。)等など。とても温かくて微笑ましいお話ばかりでした。そのウイットに富んだ話術に 私は敬服いたしました!

そうこうするうちに・・、ねぶた祭の会場に到着しました。 会場はすでに大勢の見物客で埋めつくされていました!







2020年7月15日水曜日

99)青森ねぶた祭(N先生と幹おばあちゃま)その1

コロナ禍により ここ数ヶ月間は高齢者施設での敬聴や朗読、また幼稚園での読み聞かせボランティア活動は休止状態です。

そこで 両施設が再開され 敬聴や朗読、読み聞かせ活動が出来る日まで 番外編として 今まで巡り会った魅力的な方々との ‘ちょっといい話(思い出話)’ を書かせて頂きます。

第一回目は、医学系学術団体で論文の編集をしていた時に、懇意にして頂いたN先生とそのお母様 幹おばあちゃまのお話です。

N先生とは先生が北陸の国立大学に勤務され、学術総会の開催校として担当責任者になられ、一緒にお仕事をさせて頂いた折に 知り合いました。そのご縁で後々も親しくさせて頂きました。因みに、N先生は このブログ 92) 「敬聴の達人 T大学学長の教え」のT学長先生のお弟子さんです。

総会から数年後、N先生から「〇〇くん(私のこと)、ねぶた祭を観にに来ないかい? 凄いぞー。 (恩師)○○先生や医局員、俺の大学の同級生も来るんだぞ。」とお誘いを頂きました。是非 行ってみたいお祭りの一つでしたので、私はお言葉に甘え 二つ返事でお受けさせて頂きました!

が・・その後、先生から「宿だけど、俺んち、泊れよ!」とのお電話を頂きました。浅虫温泉に宿泊のはずが、都合により先生のご自宅に変更になったとのこと。「(えっ、おれんち? 先生のご自宅に・・泊るの?私。)」 目が点になりました。電話口で返事に窮し、困っていると、

「大丈夫だよ。(家族は)みんな 良い人 だから!」と、屈託のない先生。断り切れず・・受けてしまいました!

当時アルバイトに来てくれていた友人に顛末を話すと「大丈夫、大丈夫! ○○さん(私のこと)なら。おばあちゃんがいらっしゃるのなら なおさら大丈夫! 敬聴、得意だもんね!」と これまた呑気に太鼓判を押してくれたのでした(!?)

その後すぐに 先生から大きな封筒が送られてきました。お人柄そのもので、封筒いっぱいに大きく私の宛名が書かれており、中には日程表と青森観光名所の各種パンフレットまで同封されていました。そして何より驚き感動したのは、そのカバーレターでした。

「○○○○君(私のフルネーム)へ 歓迎! ねぶた祭ツアー ようこそ青森へ! 」と書かれていました。その紙面からはファンファーレが聴こえ クラッカーから飛び出た 紙テープや紙ふぶきが見えるようでした。そして下段には綿密なスケジュールが記載されていました。(さすが脳外科医!)

またお祭りの翌日の欄には、先生(おんみずから)が車で名所案内と記されていました。所謂(いわゆる)アッシー君をして下さると言うのです。(たいへん恐縮でした。)

そしてそして・・、いよいよ 青森ツアーの第一日目。
N先生は麦わら帽子を被り、短パンにTシャツ、ビーチサンダルという姿で新青森駅のや改札口までお迎えに来て下さいました。(・・私。)そして 私を見つけると 大きな声で「おおい!○○くん、ここだ、ここだ!」と手を振って合図をなさいました。

周りの方々が振り向く程の・・大音声で です。いつもの ‘満面の笑み’ で。当時、先生は大きな県立病院の病院長でした!


伝通院




2020年6月25日木曜日

98) 企画展「護国寺とぶんきょう」と東寺講堂の立体曼陀羅 その2

その話とは・・、男性は定年退職後に一念発起し「巡礼の旅に出ている」という内容でした。その途中で たまたま 格式の高い護国寺を見つけ立ち寄り、また偶然にも私達の「護国寺とぶんきょう」展に遭遇したとのことでした。これも何かのご縁、仏様のお導きだと仰いました。

宙を見つめ、言葉につまりながら語ったのは・・・、

『自分は根っからの企業戦士で家庭を顧みず そのまま定年を迎えた。しかし 最近 大切な一人息子を亡くし、その自責の念から・・巡礼を思い立った。』等。亡くなった理由を詳しくは仰いませんでしたが、息子さんは長い間 引き籠り状態だったそうです。 ‘懺悔の気持ちで巡礼している’ と涙ながらに仰いました。重い話でした・・。

お話を伺っているちに 私は東寺での不思議な そして素晴らしい体験をお伝えしたくなりました。

暫し 沈黙の後、その男性に出来るだけ明るく「護国寺の話ではありませんが、もしよろしければ、私の大好きな東寺講堂でのお話をさせて頂いても よろしいでしょうか。」と切り出しました。
本堂の外に目を遣っていた男性は怪訝そうに私の方に向き直りました。

私は東寺の講堂で 正真正銘とも言える「立体曼陀羅」を見せて頂いた体験をお話しました。

それは勤務先の学術総会への出張で京都を訪れた最終日のことです。連日の早朝会議に疲れ果て、帰京する日 ほんのひと時 訪れた 東寺の講堂。私が講堂に着いたのは拝観受付の終了時間ぎりぎりの16時30分、拝観終了の30分前でした。

その時間帯は観光客もまばらで ゆっくり出来ました。私は講堂を一回りして、拝観者の何人かが腰掛けていた 大日如来を中心に配置された21体の立体曼陀羅の前に(私も皆さまの真似をして)腰をおろしました。すると 瞼が重くなり 疲れのせいで うとうとし寝てしまいました。

暫くすると、重い扉の閉まる音が聞こえ 私はビックリして起き上がりました。講堂の中は真っ暗! 拝観者は私一人だけでした。年配の受付の方にお詫びをし、時間を尋ねると16時55分とのこと。もう時間がありません。私は慌てて「今日はこの講堂だけ 拝観させて頂こうと思い 参りましたが、不覚にも寝てしまいました。もう少し眺めていたかったのに・・残念です。」と言うと、

受付の方は「大丈夫ですよ、まだ5分ありますから。この暗闇で浮かび上がる仏(像)こそが、弘法大師 空海が表現したかった 真言密教 立体曼陀羅の世界ですよ!」と教えて下さいました。

本当に・・そうでした! 目が暗闇に慣れ、木造建築の僅かな隙間から漏れ入る光で仏像が浮かび上がっていました。絶句です。 言葉がありませんでした。
私は涙がでるほど感動しました。

連日 早朝から夕方遅くまで頑張った私に、素晴らしいご褒美を戴いた気がしました。そして東寺の講堂を拝観するなら、この扉が閉まる少し前の時間帯に限ると確信した次第です。

私が話を終えると、その男性は手を差し出し私に握手を求めました・・。彼の目から涙がぽろぽろ流れ落ちました。両手で私の手を握りながら「ありがとう、ありがとう。感銘を受けました。」「素晴らしい話を聞かせて頂き 本当に有難うございました。あなたに会えて良かったです。」「絶対に 夕方5時少し前 東寺の講堂を尋ねます。」と仰いました。

インタープリターとは通訳という意味です。この企画展後に行われた反省会でこの話をすると、指導教授や仲間から「その白装束の方との交流もインタープリターとして最も意味ある行為でしたね!」と言われました。でも、私は 今にして思えば ‘敬聴’ だったような気がしております。

文京区 法眞寺 腰衣 観世音菩薩
樋口一葉像
仏教詩人 坂村真民先生の言葉