2021年4月15日木曜日

117) 【徒然に】心にのこる旅:「キエフ・モスクワと北欧」編 その1 にわか添乗員!

コロナ禍で思い描いていた生活が一変しました。退職して多少時間が自由に取れるようになり「年に一回くらいは海外旅行を!」と目論んでおりましたが、ここ数年は無理なようですね。残念です。そこで今回は私の ‘忘れがたい旅’ を書かせて頂きます。

心にのこる旅と言えば 先ずマチュピチュをあげざるを得ません。回り道になりますが、マチュピチュに少し触れておきます。

これまで一番魂が揺さぶられた旅は 世界遺産の「空中都市マチュピチュ」です。さすがインカ帝国の遺跡、息を呑むほどでした! 特に マチュピチュ山から見下ろす「マチュピチュ遺跡」は黄金色につつまれ、神々しいオーラを放っていました。それまでの人生観が変わるほどのです。

前置きが長くなりましたが、今回は ‘別の意味で’ 印象深く忘れられない「キエフ・モスクワと北欧の旅」の話をいたします。

在職中にやっと頂いた夏季休暇で、7月中旬から12日間の旅行だったと思います。私はツアーに一人参加しました。早めに成田国際空港に着き、指定された搭乗受付カウンター付近を見渡しましたが、参加者らしき人は見当たりません。ご高齢の方が数人 屯(たむろ)しているだけでした。

早く着き過ぎたかと思い、辺りをうろうろしておりました。一周して元のところに戻ると、関西方面から合流の参加者を引き連れた 男性添乗員さんが、ツアー名と旅行会社名を書いた旗を持って現われました。うん? その参加者たちはかなりご高齢の方々ばかりです・・。

添乗員さんは私を見て「○○さんですか、こちらです。皆さん、こちらに集まって下さい。」と大声で仰いました。すると、先程から屯していたご高齢の方々も集まりはじめました。総勢・・40名くらいでした!平均年齢は75歳くらい。当時、私は30代前半でした。

やっと・・状況が読めました。私のお隣に並ばれた初老のご婦人は「あなたもご一緒? それは良かったわ。よろしくお願いしますね!」とにこやかに仰いました。他の参加者たちもこちらを見ています。

その時から、私は「にわか添乗員」になりました。


鳥越神社


クロッカス


2021年3月25日木曜日

116) 【徒然に】桜の季節に -看護師 関口さん-

晩年 入退院を繰り返した父の闘病生活で一番 思い出深いのは、看護師の関口さん(仮名)の親切さです。娘として今でもこころから感謝しております。

父は感謝の気持ちを忘れない人でした。何事も当たり前だとは思わずに、周りの人に対して「ありがとう」という感謝の言葉や「ご苦労さま」という労いの言葉を伝える人でした。

入院時にも、清掃員の方が病室にゴミ収集に来ると「ありがとう。ご苦労さま。」と必ずお礼を言っておりました。酸素マスクを装着している時でさえ、その方へ微かに目をやり 少し片手を上げて感謝の意を表すのです。心をうたれ 私はあらためて父を尊敬したものです。

その父はCOPD(慢性閉塞性肺疾患)のため、常に痰が絡み ほぼ寝たきりなので、吸引しなければならなくなりました。吸引をちょっと怠ると、痰が上顎にくっつき 乾いて瘡蓋(かさぶた)になってしまうのです。

或る日 いつものように、私が仕事帰りに入院している父のもとを訪れ、身の回りの世話を終え 洗濯物を抱えてエレベーターホールに向かっていると、後ろから 顔なじみになったベテラン看護師の関口さんが 小走りに追って来ました。夜勤のようでした。『娘さん、ちょっと来て手伝ってくれませんか!』と。

何事かと思い 慌てて父の病室に戻ると、看護師さんが二人がかりで 上顎の粘膜にくっつき、瘡蓋(かさぶた)となった痰を強引に剥がそうとしているところでした。

父の口まわりは血だらけです。父は痛さで顔を歪め苦しそうです。必死に看護師さんの手をふり払おうとしておりました。声にならない抵抗でした。ビックリしたのと同時に私は涙が溢れました。

『お父さまを我慢させてください!』と言われました。でも・・「私でも瘡蓋を痛み止めなしに剥がされたら我慢など到底出来ない」と思いました。

看護師さんは「瘡蓋を取り除かないと、その瘡蓋がはがれ、気道に詰まり窒息する(してしまう)かもしれない」と仰いました。

私は父を宥め(なだめ)その手を両手で握りました。『痛いよね、ごめんね。ごめんね。少しだけ・・我慢してね。』と涙ながらに説得しました。すると驚いたことに・・、父はおとなしくなりました。看護師さん達はホッとされたようです。でも、私はかえって・・、悲しくなりました。落ち込みました。

その一件以来、関口さんは耳鼻咽喉科の先生のところに行き、痰(瘡蓋)をとかす薬などを父が大好きな ‘棒付きキャンディ(ChupaChups)’ に塗れないか、或いは何か良い方法はないものかを相談して下さったそうです。

また 或る時は、ベッドから動けなくなった父のために、病院の敷地内に咲いた桜の枝を折り(そんなことをして大丈夫だったのでしょうか。叱られなかったのでしょうか。私は心配でした。 )父に見せて下さいました。ベッド横のテーブルには可憐な桜の花が飾ってありました。

その後 転院し父が亡くなった3年後、今度は同じ病院に母が入院いたしました。診療科が違うので父とは別の階でしたが、もし 関口さんがまだ病院に勤務されているのなら、是非 お礼を申し上げたく 母の担当看護師さんに尋ねてみました。(公立病院なので別の病院に移られたか、或いはご退職されたか、自信はありませんでした。)

すると嬉しいことに、父がお世話になった階にまだお勤めされているとのことでした。何度かそのフロアを訪ね、三度目にやっと関口看護師さんにお会い出来ました。でも、既に3年も経っていましたし、数多い患者の名前など覚えてはいらっしゃらないと思いました。が・・、

『ああ、あの○○○○さん(何とフルネームでした!)の娘さんですよね。お父さま、良い人だったもの。わたし大好きでした!』とにこやかに仰いました。私は胸がつまって涙がこみ上げてきました。

小石川植物園

法真寺にて
















2021年3月15日月曜日

115) 【徒然に】まず傾聴! -カズさんは ‘わたあめ’ を持って-

こんな時代だからこそ たくさんの人々が傾聴を必要としている気がします。

傾聴とは本来「こころを傾けて聴く」ことです。
対面でのコミュニケーションが取れない昨今、耳ではなく「こころで聴く」のが敬聴だと思い至りました。その方の心に寄り添い ‘おもい’ を聴くのです。

以前、ゆしまの郷のカズさん(106才 女性)から 同じフロアに入居されている、ご病気で言葉が不自由になった方への敬聴を依頼されたことがありました。(このブログの 16)「言葉でのコミュニケーションが難しくなった方にも敬聴は出来る!」参照。)

対面し直接 話(言葉)を聴くより、相手に寄り添って心の声をひろうのは時間がかかります。相手を思いやり 相手の立場にたって伺う。共感することの大切さを痛感しました。

そして 少々 苦手な方に対しても構えず 相手の話を否定せず聴くこと。鉄則ですね。優しい眼差しと好意的な態度は相手にも伝わります。

先日、東日本大震災の復興支援に関するNHKのTV番組で、長崎大学原爆後障害医療研究所教授(2020年より東日本大震災・原子力災害伝承館の館長)の高村昇先生の話をお聴きしました。

長崎大学の高村教授らによる福島の復興支援は、2012年に 全村避難し役場機能と住民の多くが郡山市に身を寄せていた川内村で始まりました。高村先生は震災直後から福島県内の各地を巡回し講演をされていたそうですが、川内村の村長から帰還のために「土壌や水の放射線量」を調べて欲しいと相談されたそうです。

データで放射線被曝による疾病の確率を述べても説得力に欠け、住民たちの「放射線被曝=死」という不安や怯えがなくならず、最初は住民たちに話を聞いて貰えなかったとのこと。その後、川内村に復興推進の拠点を置き、寝泊まりし同じものを食べたそうです。住民に寄り添い 話を聴くことが大切だと思うようになったと述べておられました。

一方的な講演ではなく、住民の現実問題として「一番何が不安で心配なのか」や「この地で安全に暮らせるのか」など、住民たちの声を「先ず聴くこと」の大事さを語っておられました。

たとえ講演であっても、聴衆が求めている事柄に、耳を傾けて話すことが大切なのです。それからは、住民たちの表情が柔らかくなり、講演にも耳を傾けてくれるようになったと発言しておられました。まさに傾聴の大切さですね。


先日「ゆしまの郷」の家族会の方から送られてきた便りに、カズさんのお元気な姿がありました。2月のイベントで ‘わたあめ’ が配られたらしく、わたあめを手に、お澄まし顔で得意気な いつものカズさんです。(変わっていません。)

私はホッとすると共に、とても嬉しくなりました。 早くお会い出来る日が来ますように!

本郷弓町のクスノキ

















2021年2月25日木曜日

114) 【徒然に】青林檎と病理学者のイシイちゃん

コロナがなかなか収束せず 高齢者施設での敬聴ができません。とても口惜しい
です。そこで【徒然に】と称し、今回も私の素敵な友人の一人、イシイちゃんのことを書かせて頂きました。

彼は大学病院に勤務している病理学者です。かなりの肥満体で大食い男子です。人柄は温厚でいつもニコニコしており、一緒にいても気を遣わずに楽しく過ごせる友人です。彼は教え子である医師や学生さん達からも慕われています。

一度、青林檎という 私の自宅近くにあるビアレストランでの飲み会に、イシイちゃんが以前 教鞭をとっていた大学の教え子さんが、医師国家試験に合格したお礼とプレゼントの富士山ビアグラスを携えて現れ、合流したことがあります。

その学生さんにとって もう指導教官ではないイシイちゃんに、合格の報告とお礼に来るなんて見上げた学生さんです。私は感動しました。イシイちゃんの(学生さんに向けた)優しい眼差しと学生さんの彼に対する信頼感がひしひしと伝わってきて、私まで幸せな気分になったものです。

イシイちゃんはかなりの大食漢で人の2倍は食べます。たくさんの料理を注文した後も、隣のお客さんのテーブルに並べられた料理をみて「うまそうだなあ。あれも頼みましょうよ!」と真顔で私に勧めます。一方 私の方は彼の食べっぷりを見ているだけでお腹がいっぱいになり、食欲がなくなってしまいます。

大抵はもう一人の友人Kさん(微生物学者)をまじえ 3人で青林檎に集っております。このメンバーでの飲み会予約時には「大食いを一人連れてきます!」と私は冗談交じりに言いますが、ママも「ほほほ。」といつも笑いながら応じてくれます。

因みに、青林檎は仲間うちでは知る人ぞ知るお店で、私は友人・知人、そして兄弟や甥姪にまで紹介し長く通っております。

ただ、イシイちゃん等との3人会は忙しい人ばかりなので、会える日は限られております。そして昨年3月に、しびれを切らしたイシイちゃんから「忘年会も新年会も出来ませんでしたね。残念です。青林檎でまた3人で飲みたいのですが、ご都合はどうですか?」というメールが届きました。

私はコロナが危惧されていた時期でしたので返答に困り「ウイルスの専門家 Kさんにきいてみましょう!」とKさんに判断を一任しました。イシイちゃんも納得です。

もちろん、Kさんからの回答はNO! 「今回のようなウイルスはみたことがない。暖かくなってからにしようよ。」でした。でも・・、コロナは第2波、第3波と続き 結局 未だに実現していない幻の飲み会となってしまいました。

それから半年後の9月、イシイちゃんから久しぶりに電話がありました。車中からのようで、騒音で言葉がよく聞こえず、おまけに声が若くハンサムなものだったので(失礼!)、私は間違い電話かと思い「失礼ですが、どちらさまでしょうか?」と尋ねてしまいました!

彼は長野に向かう新幹線の中から電話をかけていたそうです。大学の同級生が長野の病院におり、病理診断を頼まれたとのことでした。イシイちゃんは「長野は未だコロナ感染者があまり出ていないので、気兼ねなく飲める!」と嬉しそうに説明してくれました。にこにこ顔が目に浮かぶようでした。

(東京の「青林檎」には行けなかった・・。ああ、なるほど。 それで長野で「
(青)りんご」か。よっぽど林檎が好きなのね、イシイちゃんは。)

その後もたびたび「青林檎が心配です。つぶれないかなあ。大丈夫かなあ。」というイシイちゃんからの熱いメールが届きます。

錦糸公園 河津桜















2021年2月15日月曜日

113) 脳外科医 まこっちゃん 【追悼】

まこっちゃんが昨年10月に亡くなりました。まだ60才そこそこでした。

元職場の同僚から訃報のご連絡を頂きました。「あの、まこっちゃんが・・・?」私は呆然とし何度も文面を読み返しました。とても信じられませんでした。

最後にご一緒したのは、2018年10月 大阪の学会だったと思います。私は事務局のメンバーと反省会という名の夕食会に参加しておりました。そこに まこっちゃんからのメールです。もう20時30分を回っておりました。「美味しい店を見つけた。今から出てこられない? 一緒に飲もうよ!」と。

私のお腹はいっぱいでしたが、「(こんな時間に連絡が来るとは)何かお話でもあるのかな?」と思い、重い腰を上げて指定されたお店に向かいました。

瀟洒なお店の奥の席にまこっちゃんはひとり座っていました。心なしか少し寂しそうでした。既に瓶ビールが一本空になっており「後から、○○さん(学会の運営会社の方)も来るからね。」と言いながら、いきなりノートパソコンを開き始めました。

お父さまが亡くなられたとのことでした・・。PC画面にはM大学の小児科教授だったという 白衣姿の優しそうなお父さまが映っていました。とても穏やかでハンサムな方でした。お父さまのご友人達が、その業績を30分程のビデオにまとめて下さったそうです。一緒にみせて頂きました。まこっちゃんの解説付きで。

まこっちゃんは目を赤くし 目を潤ませながら「親父はすごい!」と仰いました。息子として、お父さまが大学病院で診療している姿や学会発表の様子などは見たことが無かったそうです。いささか興奮気味でした。

そして・・仰いました。「人は亡くなった時にその真価が問われるんだよ。どのくらいの人が葬式に来てくれたかだよね。」と。私はその言葉が頭から離れませんでした。そして今、胸に突き刺さります。

このコロナの時代でなかったら、まこっちゃんの葬儀にはどのくらい大勢の方々が参列されたかと思うと涙をぬぐえません。胸が締めつけられます。

私は退職してから一年半余りになります。まこっちゃんからは退職後 何度かご連絡を頂いていたのに、いつも私の都合がつかずお会い出来ませんでした。悔やまれます。

まこっちゃんはT大出身の脳外科医です。腕がよく とても優秀ですが、何より情にあつく 人間性がピカイチでした。全然 偉ぶらずユーモアがあり、先輩や後輩や部下の面倒見のよい方でした。また学閥を超えた交流もお持ちで、何人かの先生をご紹介して頂きました。

都立病院の脳外科部長をされていて、看護師さん達にも支持され 慕われていました。年に数回 看護師さんや検査技師の方、また事務の方々にもお声をかけ、新年会をはじめ、お花見やバーベキュー、また忘年会等などを催しておられました。バーベキューには*馴染みのお寿司屋さんご夫婦もいらしてました。

私も何度かお誘いを頂き ご一緒させて頂きました。食通で美味しいもが大好き。まこっちゃんはそれを皆で分かち合いたいのです。特にワインには目がなく *お気に入りの寿司屋さんにはイタリアから取り寄せた 白ワインを特別にキープしてもらっていました。

兎に角 まこっちゃんはよく連絡を下さり、私は何度も国分寺まで足を運びました。雪の中 看護師さん等と4人での土曜寿司ランチは、楽しく美味しかった思い出があります。

学術総会中にもお食事(飲み)に誘って頂き、まこっちゃんの同窓で仲良しの先生方とB級グルメも楽しませて頂きました。先生方は高級料理など食べ慣れていらっしゃるせいか、豪華な会長招宴の晩餐よりも、気が置けないお店の料理の方がお口に合う(?)ようでした! 

しかし、私にとっては どちらも捨てがたく迷うところでした。「8:10 pm ロビー集合!」と、まこっちゃんから 会長招宴の真っ最中に メールで呼び出しをかけられ、私はメインディッシュである豪華なステーキに後ろ髪を引かれながら、待ち合わせのロビーへと向かうのでした。(今となっては懐かしい思い出です。)

何故あんなに良くして下さったのでしょうか。私は単なる学会誌の編集担当者なのに・・。ただ まこっちゃんは学会誌の編集委員もされていました・・。査読はそれほど早い方ではなく、私は何度も催促の電話をおかけしておりましたが。

脳外科の先生方は通常の診療や手術、そして時には大学での講義などもあります。さらに様々な小学会やセミナーもあり、論文の査読はたいへんな ご負担だったはずです。まこっちゃんは遅くても 丁寧な査読をして下さいました。

昨年、一昨年は、まこっちゃんが会長である学会を多く抱えていらっしゃいました。私はお邪魔をしないように 落ち着いてからご連絡をさせて頂こうと思っておりました。ところが、このコロナ騒ぎです。少々 疎遠になりました。時間が経ち過ぎました・・・。

2019年5月18日0:56分:まこっちゃんからのメール「今日の挨拶良かったよ」
これは、パシフィコ横浜での学会で 120名のお偉い先生方(教授や病院の部長先生)の前で私が述べた ‘退職の挨拶’ に対してです。 

その後も 最高級のホワイトアスパラを出張先の札幌から送って下さいました。私は例年のごとく 山形からさくらんぼをお送りする手配をしておりましたが、先生は札幌の学会から そのままNYでの学会に行かれ、7月も10日程 過ぎてしまいました。残念ながら、さくらんぼの出荷時期はすでに終わっていました・・。

そして最後のメールは2019年12月7日17:08分です。国分寺のお寿司屋さんでの「カニの会」のお誘いでした。総勢12名位とのこと。でも・・、残念無念。私は熊本・鹿児島の坂巡検があり伺えませんでした。

そのお返事は「遅かったか。。」「じゃまた次回」で終わっています・・・。

先生から頂いた たくさんのSMSを私は未だ消せずにおります。
こころより、心よりご冥福をお祈り申し上げます。                          合掌                             

湯島天神



2021年1月25日月曜日

112) 敬聴は必要! いつでも どこででも出来る

こんな時代だからこそ、たくさんの人達が傾聴を必要としている気がします。

施設に入居されている高齢者の方々のみならず、身近な友人であれ、知人であれ、若い人達だって心のうちや痛み、また やりきれなさ等を誰かに聴いて貰いたいと思っているのではないでしょうか。

あらためて「気づき」がありました。最近に親しくなった知人の話を伺った時です。敬聴はいつでも、どこででも出来るものなのですね。

知人は「難病をかかえ入院されている姪御さんの話をされました。姪御さんは遠方にいらっしゃり、何の力にもなれない、祈ることしか出来ないと仰いました。とても歯がゆい思いをされているようでした。

長い時間ではありませんでしたが、私も(もちろん)敬聴を意識した訳ではありませんでしたが、知人に そのお話に寄り添い、こころを傾けてお話を伺いました。その夜、彼女から『お話をきいて頂いて、少し気が楽になりました。』というメールを頂きました。

私がお話を伺ったことにより「相手のこころが少しでも軽くなった」のなら何よりです。聴かせて頂いた方も嬉しいです。聴くことしか私には出来ませんでしたが。

大きく構えるのではなく、日常でも傾聴が必要な場面はたくさんあると思いました。私自身だって友達や知人等に傾聴して頂いているのだとあらためて気づきました。‘いまさら’ ではありますが。

最近かかった病院で、こちらの話をきいて下さらず、(怪我の)現状を説明して下さらない医師と出会いました。ただ『大丈夫!』だけの言葉では、なかなか納得出来ませんでした。「どこがどう大丈夫なのか」を話して欲しいのです。自分の気持ちを伝えられず、もどかしい思いをしました。

私が尊敬している恩師 故 I先生(このブログ 27)を参照)は『医師たるものは、ラビットマインドを持って患者と向き合わなければならない。』と、医局員たちに指導されていました。患者のこころと言葉に敏感になれと言う意味です。まさに傾聴ですね。名言だと改めて思いました。

相手(この場合は患者)の言う言葉に耳を傾け、その問いに答えるのもお仕事だと思います。誠意だと思いました。聴くことの大切さをあらためて 身に沁みて感じました。どんな場面でも、そこに相手がいるかぎり ‘傾聴(敬聴)’ は必要だと私は思います。


天狗人形


2021年1月15日金曜日

111) 最年長の友 ふくさんと最年少の友 トモ君のお話 その3

それから ふくさんとの、いや ふくさんご一家との交流が始まりました!

ふくさんは、趣味では能もたしなむ 才媛の一人娘さん(国家公務員の中でも難関の職種につき、当時は管理職)との二人暮らしでしたが、その家族の一員として 片仮名で「フク」と名づけられた愛犬も一緒でした!

とにかく いろんな人々が寄り集う家でした!役者さんがいたり、ベトナムの若い女性たちが見えたり。お二人はベトナムの子供たちの里親にもなられていました。他国の方の面倒を見るのは並大抵のことではありません。ご立派だと感動しました。

私も月に1~2回 招かれて 食事をご馳走になりました。ふくさんお手製のお料理です。私は有難くて もったいなくて、お腹がいっぱいでも残せませんでした。その中のお料理をいくつか教わりました。そして人生訓も学びました。素晴らしい師匠でもありました!

アクティヴで面倒見がいい ふくさんは、都立深川高等学校(前身 第一東京市立高等女学校)の初代 生徒会長だったそうです。後輩には6代目 現在の三遊亭円楽師匠がいらして、彼も深川高等学校の生徒会長だったようで、母校の式典でお二人が笑顔で肩を並べている 貴重なツーショット写真がありました。

そんなふくさんは、矍鑠(かくしゃく)と言う言葉がピッタリの女傑でした!私は世間話から波乱に満ちた その半生まで伺いました。会話がとても楽しいのです。当時 私にとって一番高齢の師であり友でしたが、いつも 若い私の方が元気を頂いておりました。

出会ってから数年後、私が入院・手術をすることになった際にも、入院前日に わざわざ励ましのお電話を下さいました。とても有難かったです。そして ‘年の離れた弟‘ のトモ君も沖縄からお電話をくれました。旅がご縁で出会った お二人からです。たくさんの良い気とエネルギーを頂きました!

因みにこの時 山形から駆けつけてくれていた兄は、同年代の友人達の他に、この年齢差のギャップが半端ない お二人の相次ぐ励ましのお電話には、舌を巻いておりました。懐かしくありがたい思い出です。

そのふくさんも106才、あと数ヶ月で107才の誕生日を迎える2017年に、黄泉の国へと旅立たれました。                      合掌


牛天神北野神社 狛牛

狛牛

牛石(ねがい牛)