2023年7月15日土曜日

171) 【徒然に】忍野八海散策 ~Fさんと~

6月下旬に傾聴ボランティアの懇親会を兼ねた日帰り旅行があるときき申し込みました。仲間同士の意見交換も必要だと考え 私は初めて参加を決めたのです。しかも目的地が「忍野八海」その散策と聞いてこころ躍りました。

しかし・・、当日 指定されたバスの集合場所(講道館前)に着くと、傾聴ボランティアの仲間はFさん(女性)お一人だけでした。しかも初対面です。私は唖然としました。他は文京各地区の有志、殆どが高齢者で何人かは若い方(と言っても中高年)が交じっている程度でした。

旅行企画の運営会社の方に伺うと、今回の参加者は文京区内の各ボランティアグループや地域活動グループ、また趣味の会のメンバーということでした。あらためてその活動グループの多様さに驚きました。

今回、初対面の傾聴ボランティア仲間 Fさんと隣り合わせに座わり、いろいろとお話が出来て有意義でした。年齢は83歳ということでしたが、言葉遣いが綺麗で、頭もクリアでシャープ。素晴らしい方でした。見習うべき先輩に出会えて嬉しく思いました。Fさんは70歳を過ぎてから「子供心理カウンセラー」の資格もとったそうです。

高齢者施設ではそのスキルを活かし、「絵本の読み聞かせ」を軸にボランティア活動をされているとのことでした。私の目指す「敬聴」とはかたちが異なりますが、訪問した施設の高齢者の方々に心待ちにされ、喜んで頂くことを目的にするのは同じです。勉強になりました。

梅雨時の忍野八海はあいにくの雨でしたが、何と散策中は雨がやみ浅間神社にもしっかり詣でることが出来ました。














2023年6月25日日曜日

170) 【徒然に】『文の京十八の町物語を聞く』の記念誌

前回に続き文京アカデミア講座『文の京十八の町物語を聞く』に関するお話です。この講座は本年度後期で満六年を迎えるとのこと。凄いですね。

これほど長く そして多くの区民に支えられた講座は他に類を見ません。「語り部」となった講師の数はのべ50余名だそうで、文京区内の‘町単位‘’で それぞれの地域に昔から住んでいらっしゃるご長老などに「生きた町の歴史や文化」を当時の貴重な写真を交えてお話して頂く講座です。

そしてこの度 その記念として、また本年度で終了する(私は初めて知りましたが、一区切りでしょうか)講座の集大成として記念誌を刊行することになり、私はその執筆を依頼されました。

文京区の貴重な歴史として、受講者や区民の心にいつまでも残る記念誌を編みたいとのことで、これまでにご登壇された全ての「語り部」と文京区に縁のある方々がお書きになるそうです。その文京の「生きた町の歴史」を残すための記念誌に「別の角度からのアプローチで」と私も寄稿を依頼されました。






2023年6月15日木曜日

169) 【徒然に】『文の京十八の町物語を聞く』

文京区に「文京アカデミア講座」という区民向けの講座があります。この講座は人気が高く区外からの受講希望者も多いです。バラエティ豊富な上にクオリティが高く、その上受講料がお安いからです。滅多にありませんが、定員に満たない講座のみ区外の方でも応募できます。

私も3年前に『娘義太夫のいろは』と言う講座を企画したことがあります。受講者からは、なんと「満足度98%」という高評価を頂きました。現在は学習推進委員として、その「アカデミア講座」のブラッシュアップを担当しております。感慨深いです。

アカデミア講座の中でも、特に人気の高い講座が『文の京十八の町物語を聞く』です。この講座は今年で六年にもなる継続中の人気講座です。文京区が誇るヒット講座です。歴史と文化の町、文京区ならではの企画でファンがたいへん多いのです。

前期・後期・後期Ⅱと年に3回開催されるこ『文の京十八の町物語を聞く』の「同心町金富町の今昔」編のMCを依頼されました。数年前にも「別の町」でお引き受けしたので今回で2回目になります。

先日、私はMCの参考に「小石川久堅町界隈ー戦前・戦後・現代ー」を見学させて頂きました。感動でした! 御年八十七歳、そのお人柄のせいか温かく 両目がご不自由にも拘らず、明るくお元気な話しぶりで、聞き入ってしまいました。まさに「敬聴」です。心から敬って聴かせて頂きました。

戦前の「尋常小学校」が「国民学校」と名を変え、戦後は「小学校」になった話や学童疎開の思い出、また当時の遊びは “小石川植物園” で、遠足も“小石川植物園” だったこと。その植物園内にある「枯れ井戸」が宮城(江戸城)につながっているという都市伝説を探りに行った話など盛り沢山でした。

その中でも特に心にのこったのは、二二六事件当日の話です。
未熟児だったIさんは昭和11年1月に生まれましたが、一ヶ月以上も経った2月26日に産院を退院。二二六事件で外出禁止令が出ていた為、ご自宅に向かう途中 お母さまが憲兵につかまり尋問されたとのこと。驚きました。歴史を身近に感じました。

「二二六事件」や「憲兵」「尋問」等の用語は私には縁がなく 教科書や高倉健さんの映画「動乱」等で知っている程度の遠い言葉でした。でも、私はワクワクしながら当時に思いを馳せ(もちろん想像の枠内ですが)そのドラマチックさに引き付けられました。

Iさんは締めくくりに「戦争は絶対にだめです。一番の犠牲になるのは女の人と子どもです!」と仰いました。重みがありました。上っ面だけの政治家の発言とは全く異なりました。








2023年5月25日木曜日

168) 【徒然に】ちょっといい話 老舗の学生食堂で落語会

落語家つながりで、もう一人忘れられない落語家さんのお話です。
かなり前に私は七代目古今亭志ん馬さんの落語を聴いたことがあります。場所は東大赤門前にある*食堂 もり川です。

*食呑味処のもり川は “東大生と共に明治から” というキャチコピーで知られた 創業125年の老舗食堂です。

志ん馬さんの師匠は、六代目古今亭志ん馬さんと三代目古今亭志ん朝さんです。彼は1996年にNHKの新人演芸大賞落語部門大賞を受賞された実力のある落語家さんでした。私はもり川で初めて
志ん馬さんの落語をききました。

その落語会は
大の落語好きである ‘もり川の店主’ が趣味で催したものでした。席も限られ、お店がはねた夕方から地下のお座敷で馴染みのお客さん25~30名くらいしか入れませんでした。私は友人のコバヤシくんとイシイちゃん(このブログの114)をご参照)を誘いました。それぞれ法医学者、病理学者という堅物です。

その時にいらしたのが志ん馬さんと三代目古今亭志ん朝さんのお弟子さんだった落語家さんでした。(名前は失念しました。)

なにせ店主の ‘趣味の会’ でしたので、木戸銭は格安で、しかも飲み放題!大食いで吞兵衛のイシイちゃんからはとても喜ばれました。彼は余興のビンゴゲームでは焼酎一本をゲットする有様です。落語を聴いたのは「人生で初めて」と言っていた彼がです。

落語がおわると、二人の落語家さんは其々に三卓の和座敷テーブルを周って一緒に飲んだり歓談をしました。志ん馬さんは三つのテーブルを一通り周ると、もう一度 私たちの席にいらっしゃいました。

既にかなりお飲みになっていましたが、私たちの質問に答えてくれたり、笑い話などをおきかせ下さった後、泣き上戸らしく もう一方の落語家さんを「あいつは顔が丸くて ふくよかだから、落語として得なんだよなぁ・・。」「おれは痩せていて、(顔の印象が)暗く見えるから・・。」等と、酔うほどに ちょっと涙を流しながら仰いました。

私は性分で生意気にも彼を励ましはじめました。「ひとはひと。比べちゃあ、だめよ!志ん馬さんの良いところをのばしましょ!」なんて言ってしまいました。

すると、志ん馬さんは私の顔をみて「ありがとう。姐さん!」と仰いました。粋なご商売の方に「あねさん!」などと言われたのは初めてでした・・。

下段一番目の写真がその時 特別に下さった手ぬぐいです。志ん馬さんはその数年後 若くして亡くなられました。 合掌
                               


狂歌仲間の古今亭ぎん志師匠

大先輩の夢月亭清磨師匠

2023年5月15日月曜日

167) 【徒然に】人間国宝、鶴澤津賀寿さんの記念演奏会と祝賀会で

連休最終日に紀尾井小ホールで催された「5月公演 鶴澤津賀寿・人間国宝認定(令和4年度)記念 女義太夫演奏会」と鶴澤津賀寿さんの祝賀会に行って参りました。素晴らしいものでした!

記念演奏会の演目は『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』と『寿詞繭依絲(ことほぎてまゆのよりいと)』(企画:鶴澤津賀寿、構成:村尚也)そして『壺坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)山の段』です。

人間国宝の竹本駒之助師匠とその弟子で新たに人間国宝になられた鶴澤津賀寿さんの豪華な共演です。また東京の女流義太夫の皆さま総出演の演奏会でした。お祝いの演奏会に相応しい おめでたく楽しいステージでした。

どの曲も素晴らしかったのですが、津賀寿さん企画の『寿詞繭依絲』のうち「近頃河原逹引 堀川猿廻しの段」(浄瑠璃: 竹本越若、三味線: 鶴澤津賀寿、ツレ: 鶴澤賀寿)には心を揺さぶられました。圧巻でした!

その後、ホテルニューオータニの鳳凰の間で『鶴澤津賀寿さん 人間国宝認定を祝う会』がありました。竹本駒之助師匠、鶴澤津賀寿さん、京舞の井上八千代さんや新内の鶴賀若狭掾さん、歌舞伎音楽 竹本の太夫 竹本葵太夫さん等、5名の人間国宝が勢揃いしました。

ステージの傍らで椅子に腰かけながら、お弟子さんである津賀寿さんを優しく見守っていらした 齢88の竹本駒之助師匠が、司会者にマイクを向けられ『つがじゅさん、おめでとう!』とお言葉を述べられた時には、会場は拍手喝采でした。私まで涙が出そうになりました。

他にも、劇団四季の坂本剛さんの演奏や花束贈呈等のサプライズが盛りだくさんで、会場のボルテージが上がりました。

余談ですが、祝賀会には先日文京区の「避難訓練寄席」(このブログ 161) をご参照ください)にご出演頂いた古今亭菊之丞さんもお出ででした。その時の話をすると、菊之丞さん曰く『はい。ネタにさせて頂いております!』とのこと。さすが落語家さんです。

そして『あれで災害の時 役に立つんですかね。』と仰いましたので、私は『はい。区民はとても喜んでいましたので、充分 役に立つと思いますよ。災害時には慌てず、落語会の時のように「これは訓練だ」と思って、落ち着いた行動ができそうな気がします。』と(区長に成り代わって?)お答えしておきました!



    


井上八千代さん


竹本駒之助師匠
おまけ(古今亭菊之丞さんと)







2023年4月25日火曜日

166) 【徒然に】ちょっといい話 柳家小三治さんと柳家三三さん

落語には子供の頃から慣れ親しんでおりました。父に連れられて浅草演芸ホールや新宿の末廣亭などに行ったり、テレビやラジオでも落語を聴いていたからです。

古くは八代目桂文楽(端正なお顔立ち)次に六代目三遊亭圓生、それから三代目の古今亭志ん朝、上方では二代目桂枝雀(十代目桂小米の時代から聴いていました。)そして大好きな十代目柳家小三治(傾倒していました。)桂文珍も良いですね。最近では古今亭文菊(現在の一押し)等です。(以上、敬称略)

柳家小三治さんは落語協会の第十代会長も務められ、年功序列となっていた真打ち昇進の基準を変更し、春風亭一之輔、古今亭文菊らを香盤(落語家の序列)を超えて昇進させ、落語界の発展に一石を投じました。素晴らしいです。

その後、2014年には落語家として3人目の人間国宝に認定されました。

飄々とした表情でぶっきら棒にしゃべる。そこが最高に面白いと私は思いました。『うどん屋』『小言念仏』『死神』『芝浜』『初天神』などの演目が特に私は好きです。

むかし(1991年の秋)『噺家カミサン繁盛記』(脚本:布勢博一 フジテレビ)という連続ドラマが放送されました。小三治さんが二つ目昇進から妻との結婚、弟子とのトラブル等の半生を題材としたドラマで、原作は小三治夫人の郡山和世さんでした。懐かしく思い出します。私はこの頃から大ファンになりました。

晩年はお弟子さんに手を引かれ高座に上がるなどしていましたが、座布団の上では衰えを見せず生涯現役として、最後まで名人芸を貫きました。

その晩年の独演会での話です。会場は板橋区立文化会館でした。
私は仕事を終え、雨でしたので急いで会場に向かいました。指定席でしたが、ちょうど開場の時間とあって 大勢の方々が列をなしていました。

私は順にゆっくりと進みましたが、会場手前のコーナーには人だかりがしていました。小三治さんの写真雑誌とDVDを発売しているようでした。気になりましたが、取敢えず、傘立てに傘を収め、席に荷物を置いてから、もう一度コーナーに行ってみようと思いました。

そして再度コーナーに行ってみると、まだ人だかりです。よく見ると、何と 柳家三三さんが ‘売り子’ をされいたのです。ビックリしました。そうです、彼は小三治さんのお弟子さんでした。

後ろにもたくさんの人が並んでいたので、私は小三治さんのDVDだけ購入すると即座にコーナーを離れました。でも、多くの方々が遠巻きに柳家三三さんの写真を撮っていました。

私は席に戻りましたが・・、大事な友人が柳家三三さんの大ファンなので、彼女のために写真を一枚 撮れたらと思い、もう一度コーナーに向かいました。

念のため、文化会館の会場係の方に「(三三さんの)写真を撮らせて頂いてもよろしいでしょうか?」と尋ねると、「僕は分かりません。」との返事。でも他の方々は平気で写しています。困っていると・・「(三三さん)ご本人に聞いてください。」と大胆なご回答。

私は意を決し人だかりが少なくなってから、三三さんのところに行き「あのう、先程 DVDは購入させて頂いたのですが、凄いですね、自ら売り子さんをなさるなんて。」と言うと、三三さんは「凄いことはないやぁ。‘自ら’と言ったって、俺のじゃないよ、師匠のだよ。」と ちょっとニヒルに笑いました。

そして私が「友人が三三さんの大ファンでして、写真を1~2枚撮らせて頂いてもよろしいでしょうか。」と尋ねると、三三さんは「良いよ。でも、こそッとね!」と仰いました。

その時の写真が以下です。何となくカメラを意識している感じがしますが。三三さんも素敵な方でした。もちろん私もファンになりました!

ただ、今にして思うと・・、あの時は「小三治さん」の不測に事態に備え(体調が悪くなった時など)代役のために待機していたのではないかと思うのです。素晴らしい師弟関係だと 私は感じ入りました。









2023年4月15日土曜日

165) 【徒然に】ちょっといい話 大江健三郎さん編 その2

大江健三郎さんでした! その方は。私はパニック状態、混乱しました。なんだか狐につままれたような気分です。とりあえず私は軽く会釈をしました。

すると、大江さんはホッとし嬉しそうに2~3歩私の方に近づいて来られました。私は慌てて「今から先生のご講演を拝聴しに行くところです。」とだけお伝えしました。頭が真っ白になり、ご本人を前にしても早く会場に行って良い席を取らねば等と考えてしまう私でした。

大江さんは優しい笑顔で「ああ、良かった!では貴方は場所をご存知なのですね。わたしも一緒に連れて行ってください。」と(お返事)頼まれました。(私がご案内?でも私はとびっきりの方向音痴。)情けないことに不安がよぎりました。

「私もここは初めての場所で、いま地図をみて確認したところです。」とやんわりと申したのですが、大江さんはにこにこと私の横に並びました。

大江さんとは道すがら、ご長男の光さんのお話をしました。その日はご自宅でTVを見ていると仰っていました。大江さんは紳士でありながら、お茶目で可愛らしい方だと思いました。

暫くすると、同じく講演会にいらした年配の方々から「あのう、あなたは(大江さんと)お知り合いなんですか?」とか「一緒について行っても良いですか?」等と尋ねられました。

そして、15~6分くらい歩いて行くと、某カルチャーセンターのお偉い方と思しきご夫妻が大江さんに近づいて来られました。顔見知りの方のようでした。大江さんを待っていたようです。でも 関係者ならご自宅にお迎えに行くとか、せめて改札口付近でお待ちする等、幾らでも方法はあっただろにと私は思いました。

その方々と二言三言ご挨拶を交わした後、大江さんは私の顔を見て「ご一緒に連れてきて頂き どうも有難うございました。」とご丁寧なお礼を仰いました。そしてカルチャーセンターの方に「此の方に、ここまでご案内して頂きました。」と私を紹介して下さいました。

某カルチャーセンターのお偉い方は、畏まって私にお礼を述べました。大江さんは終始にこにことされています。大江さんの素晴らしいお人柄に触れられて私は大感激しました。

後日、私は友人達にこのエピソードを「これからは私のことを ‘やんごとなき 此の方’ と呼んで。」とジョークを交えながら話しました。

さて、ご講演で大江さんは亡くなれれた安部公房さんの話もされました。私はその日、安部公房さんのご著書『方舟さくら丸』を持っておりました。

余談になりますが、帰宅後、母に一連の話を伝えると「なぜ絶好のチャンスだったのに、尊敬している大江さんにサインを頂かなかったの。まったく積極性がないんだから。」と言われました。不甲斐ないと思ったようです。

でも・・、いくら大江さんと安部公房さんが仲良しだったと言えども、他の作家の本にサインはして頂けません。失礼です。むしろ当日、大江さんの本を持参しなかった私の落ち度です。前日に安部公房さんが亡くなられていなければ・・。残念ではありましたが懐かしい思い出です。

電車を間違えるのも “時には” 良いものですね。そしてその一年後の1994年
大江健三郎さんはノーベル文学賞を受賞されました。       合掌       
 

犬山城

徳川園

明治村