2021年10月15日金曜日

129) 【徒然に】ありがとう、カズさん

カズさん (107才 女性) がご逝去されました。大往生だったそうです。長い間 お世話をされていた 姪御さん、Tさんとの電話で知りました・・。ショックのあまり、私は言葉が出ませんでした。二週間ほどの入院で 退院出来る筈だったそうですのに・・。

最初に敬聴をさせて頂いた方がカズさんでした。青葉マークの私が実習で伺った施設にいらしたのです。その日から私の敬聴の師匠になりました。いろいろと大切なことを教えて頂き、同時に とても可愛がって下さいました。 

その模様はこのブログにも たくさん書かせて頂きましたが、特に 16)の「言葉でのコミュニケーションが難しくなった方にも敬聴はできる!」は私のこころに深く刻まれました。相手の気持ちに寄り添えば『心の声をきく敬聴は出来る』と気づかせて頂きました。

「150才まで生きたい!」と仰っていたカズさんは、亡くなる直前まで何やら歌を歌われていたそうです。さすがです。苦しまなかったのですね。それがせめてもの救いです。でも・・、せめて、もう一度だけでも お会いしてお話を伺いたかったです。コロナ禍が悔やまれます。

「伯母は幸せでした。あなたと出会えて。あなたのことが大好きでしたもの。伯母に会いに行くと、“この間 ○○さん(私のこと)がね・・云々。” 等と言って、嬉しそうにあなたのことを話してましたのよ。あなたと会ってから明るくなりましたもの。」と姪御さんに言われました。(勿体ないお言葉で恐縮です。)

そして「伯母のことを書いた記事(ブログ)を是非 読ませてね。」と何度も頼まれました。

カズさんとの出会いは、私にとって貴重で大切なものでした。私の方こそ感謝です。 “敬聴” に取り組む姿勢に大きな影響を与えて下さいました。今後の敬聴活動について、課せられた役割をしっかり受け止めたいと思っております。

本当にカズさんには可愛がって頂きました。大好きだったカズさんに最後のお別れです。ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
                                                                                                       合掌

カズさんはずーっと私のことを、安倍晋三元総理大臣の秘書(このブログ 28)『えっ、総理秘書?』と29)クリスマス会をご参照下さい。)だと 頑なに信じておられました。思い込んでいらしたのです。そのまま逝ってしまわれたのが 少々 心残りではあります。                       
                                

ヤマボウシ
フジバカマ





2021年9月25日土曜日

128) 【徒然に】ひととのつながり

会えませんね。友人達となかなか会えません。メールでは伝わらないことがたくさんあります。電話でも細かいニュアンスや言葉とは裏腹の本音も伝えられません。対面していないからです。コミュニケーションには顔の表情も大切ですから。

コロナ禍で人に会う機会が少なくなった昨今、人との繋がりの大切さを心底 実感しました。前文と矛盾しますが、どんな形であれ コンタクトして下さる方は有難いです。特別な用件がなくてもご連絡を頂くのは嬉しいです。

幸いなことに 私は親類縁者以外にも 学生時代の友人や趣味の仲間たち、また区内のボランティアメンバー等からご連絡を頂戴しております。とても有難いです。

そんな中、月一くらいで 必ずメールをくれる元職場の後輩がいます。ゆかりちゃんです。30代前半で 現在は転職し新しい職場で頑張っています。年齢差もあるのに親しくして頂き とても嬉しいです。この間も 前に私がお薦めした「速水御舟」の特別展が山種美術館で開催中との事でお誘いを頂きました。

彼女とは現役中もランチや飲み会に行っておりましたが、その際には相談事をされ(気恥しいですが)アドバイスをする事も多々ありました。彼女はなんと私の言葉をメモに書き留めていました。私は背筋が伸びる思いをしたものです。

また先日は、編集作業でお付き合いのあった 印刷出版会社のはっとりちゃん(40代前半の男性)からもメールとお電話を頂きました。退職し もう2年が過ぎましたのに 覚えていてくれて嬉しい限りでした。会社の近況や編集業務のこと等で話が弾みました。

私の近況を尋ねられたので「最近は朗読のレッスンで 樋口一葉の『たけくらべ』」を学んでいるの。丁寧に読むと深くて素晴らしい小説よ。」と答えました。序でに 参考文献まで紹介してしまいました。(ご迷惑だったかしら?)

私にとっては『たけくらべ』が最も旬な話題だったので、熱く語ってしまいました!

彼は「良いですねぇ・・。私は恥ずかしいのですが『たけくらべ』は未だ しっかりとは読んだことがありません。でも 気にはなっていました。是非、読んでみたいと思います!」と爽やかに応えました。以前から 清々しい好青年でしたが、更にステキな男性になったなあと私は思いました。

覚えていて下さって 気にかけて頂くのはとても有難いことです。忘れられてしまう事が一番淋しいですよね。ですから 私は友人や知人たちに なるべく連絡を取るように心がけております。

ただ、気がかりなのが敬聴に伺っていた施設のご老人たちです。お元気でしょうか、訪れる人が少なくなって、淋しい思いをされていらっしゃるのではないでしょうか。施設のすぐ近くまで足を運んでも、ドアを開ける事が出来ない現状が辛く、もどかしい日々です。

カワラナデシコ

シュロソウ

2021年9月15日水曜日

127) 【徒然に】シャレた関係?

前回 126)の「パンチョ先生」を書いている時に思い起こした Ⅰ先生の素敵な言葉があります。今回はそのお話です。

私は在職中に一ヶ月ほど入院し 手術を受けたことがあります。学会誌の編集担当者は私 ただ一人で、入院中も気が気ではありませんでした。月刊誌ですので休刊は出来ず、術後も直ぐに 病院内の公衆電話から職場(事務局)や出版社等への連絡は欠かしませんでした。

それにしても 主治医の先生や職場(学会)の先生方、また友人達にはたいへんお世話になりました。本当に有難いです。兄弟や従姉妹は(みな地方在住)病院近くにウイークリーマンションを借り、交替で看病をしてくれました。感謝しかありません。

さて、その中のお一人 A先生はつい最近まで J大学の学長で、当時は脳外科の教授でした。A先生はⅠ先生(このブログ 27) 番外編「回想法」【 余談 2 】をご参照)の愛弟子であり、脳外科学会の役員でもありました。そのA先生とは私がJ大学にて学会誌の編集に携わって以来の長いご縁です。

ある時、何度か検温にいらっしゃる看護師さん(女優の山本陽子さんによく似た 超美人でした)から「A先生は毎日 あなたのカルテチェックや様子を診にいらしているけど、どんな関係?」と唐突に尋ねられました。

私は真意が分かりかね、言葉に詰まりました。とにかく誤解を生まないように、A先生が講師時代に、私はお隣の教授室 (当時はⅠ先生が教授) で編集業務を行っていた等、細かくご説明しました。冷や汗がでました。

後日、その経緯を恩師 Ⅰ先生にお話しすると一笑に付した後 「バカだなぁ。そんなこと、いちいち真面目に答えんでもよろしい。」と言われました。私は「そうですかね・・。でも、A先生は看護師さん達に評判が良く おモテになるので、へんに誤解されないようにと思って(ご説明したのですが)・・。」と返答しました。

そして、逆に私はI先生に訊ねました。「そのような場合、どのように答えれば よろしいのでしょうか?」と。

I先生曰く「そうだなぁ。まあ、シャレた関係とでも言っておけ!」とのお返事。さすがです・・! 数々の有名人をお相手にされているスター教授は違います。野暮ったい私の頭には浮かばない言葉でした。洒落っ気たっぷり 遊び心満載 のI先生です

私はこのエピソードとその言葉を友人達に伝えましたが、ついでながら、母や兄にも話して聞かせました。すると、同じ血筋の兄は大いに感動しました。「なるほどなー。我々には言えない言葉だなぁ。」と兄。そして「おしゃれな関係か・・。」と。(・・・?私。)

「シャレた関係」と「おしゃれな関係」は全然違います。やっぱり我が兄、見事な野暮天です・・。ともあれ たくさんの方々にお世話になった 感慨深い思い出と言葉です。


ニコライ堂






2021年8月25日水曜日

126) 【徒然に】パンチョ先生

8月 この時期になると思い出す 辛い出来事があります。
もう20年も前のことになりますが、J大学 放射線科の講師 S先生(※通称 パンチョ先生)の水難事故のことです。

※パンチョ:本来の意味はスペイン語でふくよかな男性の意。本名よりは愛称として用いられる。

当時、私はJ大学の脳外科教授室で学会誌の編集をしておりましたが、S先生はそのI教授(当時は学長も兼ね 後に理事長。このブログ 27) 番外編「回想法」【 余談 2 】をご参照ください。)がとても信頼なさっていた先生です。

S先生はもともと脳外科医だったそうですが、重い椎間板ヘルニアを患い 放射線科に転科されていました。I教授はポッチャリとした体格の愛弟子、S先生を親しみを込めて “パンチョ” とお呼びになっていました。

その年の8月末、パンチョ先生は夏季休暇をとり 釣り仲間と3人で浜名湖にいらしていました。台風が来ていたのでしょう。船舶免許を持つ先生が操縦していた船が 事故をおこしたのです。

先生は船が転覆しないように 最後までハンドルを離さず、お仲間たちが無事に船から脱出するまで見届けられたようです。そして先生だけが・・・。痛ましい事故死でした。

実はパンチョ先生は事故の1年くらい前に肝臓がんを患い、経過観察中でもありました。かなり重篤な状態だったパンチョ先生にたいし、I先生は病名を隠すほどでした。それが奇跡的に良くなられた矢先の出来事でした。亡くなられた後 (調べると) あれほど心配したがんは転移もなく消えていたそうです・・。

恩師 I先生のショックは計り知れず、あんなに憔悴した先生を見るのは初めてでした。がっくり肩を落とし 目はうつろ、いっきに歳をとられたかのように 私には見えました。

パンチョ先生はいつもニコニコとされており、院内であっても、教授室でお会いしても、親しげで柔和な微笑みを下さいました。時には ピエロのような おどけた笑顔を向けて下さることもありました。

ある時、パンチョ先生は外来診療を終え、放射線科の医局がある建物に向かう途中、私を見つけると(私が助教授に厄介な頼み事をされた後で 浮かない顔でもしていたのでしょう。)道端に立ち止まり、『どうしたの? 何かあった?』と声をかけて下さいました。

私はにっこり笑い『(気分転換に)これから こちらの彼女と飲みにでも行こうかと話をしているところです。』と伝えると、先生は『医局にビールもあるし、美味しい ‘たたみいわし’ なんかもあるよ。良かったら、医局で飲んだら?』と仰いました。いつもの優しい笑顔で。

出版社のMさんと相談し、私たちはお言葉に甘えることにしました。生スルメやくさや、干しくちこ等など、お酒の肴ばかり。珍味のオンパレードでした! 先生は自ら たたみいわしを炙ってくださいました。先生のお心遣いと初めて口にした ‘たことんび’ (タコの口) の味が今でも忘れられません。もちろん優しい笑顔と共に。

心よりこころより パンチョ先生のご冥福をお祈り申し上げます。    合掌


不忍池















2021年8月15日日曜日

125) 【徒然に】肘折温泉 ー庄助伯父さんとの想い出 その2ー

旅館で借りた下駄をはき、※銅山川沿いをゆっくり散策しました。暫くすると・・在りました!レトロな佇まいのお寿司屋さんが。風情があります。もちろん肘折には一軒だけでした。

※銅山川(どうざんがわ):最上川水系の支流で山形県最上郡大蔵村を流れる河川。
鳥川とも呼ばれる。源流地には、かつて「日本三大銅山」と呼ばれた永松銅 山があり、銅山川の名はこれに由来している。(Wikipediaより)

お寿司屋さんは平日の15時のせいか 閑散としており、もちろんお客は私達二人だけでした。お酒も飲まない伯父が山奥の温泉町でお寿司屋さんを知っているのは意外でした・・。

ただ、思い起こすに 伯父はグルメでした・・。父が怪我をし入院した際、お見舞に上京した伯父は母と私を労って新宿のフランス料理店に連れて行ってくれたことがありました。

当時は母も私もまだフレンチのフルコースなど頂いたことがありませんでした。ナイフとフォークさばきが見事な伯父に 目を見張ったことを憶えています・・。

肘折のお寿司屋さんで 伯父は海軍時代の若かりし頃の青春物語や軍港都市 舞鶴での思い出話をたくさん聴かせてくれました。戦時中で辛いことがたくさんあったはずですが、遠くを見つめ 懐かしそうに語る伯父は次第に浄化されていくようでした。

今でも青年に戻ったかのように生き生きと話す その時の ‘伯父の顔’ が忘れられません。肘折温泉と言えば、私は必ず庄助伯父さんを思い出します。

ついでながら、その時 泊った旅館は目前に朝市が立つ*斎藤茂吉逗留の宿「松井旅館」です。素朴なあたたかい旅館でした。
*斎藤茂吉:山形県上山市生まれの医師であり 雑誌『アララギ』の中心的歌人。

・肘折のいで湯浴(あ)みむと秋彼岸の狭間路とほくのぼる楽しさ
・のぼり来し肘折の湯はすがしけれ眼(まなこ)つぶりながら浴ぶるなり
         【茂吉が詠んだ歌 「肘折温泉と斎藤茂吉」より抜粋】 

今年こそ あの肘折温泉へ湯治に行きたい! 行こうと思うのですが・・。


ヒョウモンチョウ類

ルリシジミ類



2021年7月25日日曜日

124) 【徒然に】肘折温泉 ー庄助伯父さんとの想い出 その1ー

子供の頃から湯治に行くなど 温泉好きの私としては、緊急事態宣言下ではありますが そろそろ温泉が恋しくなってきました。一日も早いコロナの収束を祈るばかりです。

大人になってからも元職場の友人達と「秘湯の会」をつくり、毎年日本各地の秘湯巡りをしておりました。コロナ禍により中断しておりますが、もう15年余りになります。

今回はお気に入りの温泉の一つである 肘折温泉のご紹介とまつわるお話です。
肘折温泉は日本有数の豪雪地帯である山形県最上郡大蔵村にある開湯1,200年の歴史ある温泉です。地蔵権現の教えを信じ 今に伝わる長い歴史があります。

縁起書には肘を折った老僧がこの湯につかったところ たちまち傷が治ったと記されており、近郷の農山村の人々が農作業の疲れを癒す温泉場として、そして骨折や傷に有効な湯治場として賑わってきました。

また、肘折温泉には月山を始めとする出羽三山葉山 両山への参道口があったため 多くの宿坊ができたようです。

私は幼稚園や小学校の頃、毎年夏に両親と共に湯治に行っておりました。空気が良く 川遊びもできる肘折は、小児喘息気味だった私には うってつけの所でした。

社会人になってから、父方の伯父夫婦と両親、そして私の五人で肘折温泉に行ったことがあります。当時は山形駅まで旅館の送迎バスが迎えに来てくれたのです。その時の庄助伯父さんとの思い出話です。

体格のよい伯父は若いころ海軍に属しており、物を書く仕事もしていたようです。晩年は自費出版で本等もを出していました。メモ魔でもあり、いろいろとスクラップもしていました。話題が豊富でした。

伯父は話好きでしたが、息子夫婦は仕事で忙しく、孫も話し相手には幼すぎました。また近くに住む甥や姪達も興味がないのか、あまり熱心に話をきくことはありませんでした。もっぱら東京から訪ねた私が話し相手であり、聴き手でした。

私は昔から人の話を聴くのが好きで、特に年配者の話を聴くのは大好きでした。伯父はとても喜んでくれました。今日(こんにち)、敬聴ボランティアをする下地があったのでしょうか。

さて、伯父夫婦と私達家族は肘折温泉に着くと 先ずひと風呂浴びました。そして伯母と母はお茶を入れ テーブルに果物やらお菓子を並べました。二人はよもやま話を楽しむと、くつろぎ横になり始めました。因みに 父は温泉に浸かり 部屋に戻ると横になってTVを見ていましたが、いつの間にか寝ておりました。

伯父は寛いでいる皆を尻目に、私を肘折の散策とお寿司屋さんに誘いました。暇を持て余していた私に 散策はグッドタイミングでした。でも・・(数十年前のこと)「こんな鄙びた山奥に、お寿司屋さんなんてあるのかしら?」半信半疑でした。


ハナイカダ


ニッコウキスゲ






2021年7月15日木曜日

123) 【徒然に】介護と敬聴

5月末にカズさん(107才 女性)をお世話されている姪御、Tさんからお電話を頂きました。

この一年、ご自身も持病を抱えていて体調が悪いとのこと。その上 娘さんとの意見の相違などで気分が落ち込んでいると仰っていました。お話を伺い 励ますことしか私には出来ませんでしたが、Tさんは感謝して下さり 話を聴いて貰って気が楽になったと仰ってくださいました。

私も早くカズさんにお会いしたいです。どうされているか心配でした。早朝散歩で湯島天神に詣でると、カズさんがいらっしゃる「ゆしまの郷」に足が向いてしまいます。近況は「ゆしまの郷」の家族会の方からのお手紙や写真では分かっているのですが・・。

また、もう一か所 敬聴に伺っているK有料老人ホームの方々のことも気がかりです。やはり早朝散歩で霊雲寺に参った際に、そのK有料老人ホームの前を通ってしまいます。お元気でしょうか。

敬聴活動は私自身も癒されていたとあらためて思いました。人生の先輩方のお話を伺っていると楽しく心も満たされます。敬聴ではお話のみならず、その方に寄り添うことが何より大切。肌感覚やお互いの体温伝達が大事なのですがね。

私の両親介護生活は12年余りでした。仕事を持ちながら、両親を一人で介護するのは なかなかのもの でした。でも振り返るに、自分も年を重ね 当時 両親に向けて言った言葉や行動が自分にも当てはまるようになってきております。

父母は「老いの姿」を見せてくれました。一人の人間の人生、生きざまです。介護は「老い」に対する心構えとその予行演習だった気もしています。無駄なこと等ありませんでした。今は介護をしてきて良かった、有難かったとさえ思っております。

『子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの。』