2024年2月15日木曜日

183) 【徒然に】ヒロミちゃん

久々に風邪をひいてしまいました。検査をして頂きましたがコロナでもインフルエンザでもありませんでした。ただ、なかなか治りません。発熱が続き、怠いのと、喉の痛みや声がれがつらいです。

安静にし 癒し系の音楽を聴きながらベッドに横になっていると、ふと 古い記憶がよみがえりました。「前にもこんな事(こんな状況)があったような・・」です。

それは 遥か昔、私が中学生の頃です。やはり風邪をひき、学校を休み自室で寝ていた時のことです。熱も下がったので、氷まくらを外し音楽を聴きながら、とりとめの無いことを考えていると、部屋をノックする音が聞こえ「ヒロミちゃんがあなたにお見舞いだって!」と母の声。

「ヒロミちゃんって?」私は考え込みました。誰だろ? 学校の友達ならまだ授業中だし・・。すると、今度は母の友人のUさんから「お加減はどう? 孫のヒロミがね、どうしても○○ちゃん(私のこと)のお見舞いがしたいって言うのよ。」と声をかけられました。

「えっ、ヒロミちゃんって! まだ3歳なのに?」私は飛び起きて、軽く身づくろいをしドアを開けると、そのヒロミちゃんがアイスクリームの入った袋をぶら下げて立っていました。

私はもうびっくりでした。たまに絵本を読んであげたからでしょうか。何といたいけな子どもでしょう!

風邪をうつしてはいけないので「どうもありがとうね!」と少し離れてお礼を言い、お見舞いのアイスクリームを頂きました。ヒロミちゃんは「○○ちゃん、早く元気になってね。」と見舞ってくれました。彼女は私の最年少の友だちになりました。

なぜか今回 その時の光景が目に浮かびました。そして彼女はその10年後、私の家庭教師、最初の生徒さんになりました。





2024年1月16日火曜日

182) 【徒然に】いろいろな出逢い

昨年はたくさんの良い出会いと出逢いがありました。また旧交を温めることも出来ました。有難いことです。

朗読などを通してだったり、偶然の重なりもありました。偶然からはじまった必然でしょうか。哲学的なことは分かりませんが、とにかく嬉しい出逢いでした。大事にしたいと思っております。

昨年の秋には、その年の3月まで大学で教鞭をとっていた友人が、十数年ぶりに私のマンションを訪れました。たまたま 私も在宅しており、久しぶりに話に花が咲き、あっという間の3時間(4時間)でした。楽しい時間でした。

彼女とは住まいはそれほど遠くないのに、お互いの時間があわず、ご無沙汰状態でした。昨年は私の朗読会に
事情があり来れませんでしたが、今年の朗読会には来てくれるそうです。

彼女は大学で栄養学を教えていたので、江戸ものを語る私の朗読会では 江戸時代の庶民の食事などについて話して頂こうかと思っております。分かりやすく楽しい話をして貰い、ご来場頂いた皆さまに喜んで頂けたらと 今から企画を練っております。

そして、今年に入ってからも面白い出会いもありました・・。

私は昨年から「小津安二郎 生誕120年」のイベントをきっかけに、彼の映画を再び観はじめています。「東京物語」や「麦秋」「晩春」等などです。これも一種の懐古的出合いと言えますでしょうか。小津安二郎大全集のDVDは既に持っておりましたが。

実は大学時代 私は映研に属しており「戦艦ポチョムキン」から「雨月物語」「幕末太陽傳」などの古い映画はかなり観ておりました。その時に、小津監督をはじめ、黒澤明監督、「雨月物語」の溝口健二監督や「鬼婆」の新藤兼人監督等の作品もたくさん観せて頂きました。

あらためて昔の映画を観てみると 普遍性が高いとつくづく思います。大切にしなくてはと思いました。

先週の12日には江東区の古石場文化センターで開催された「第17回 江東シネマフェスティバル」に行ってきました。初めての場所で方向音痴の私は迷いましたが、途中に※小津橋もあり、この方向で間違いないと安堵しました・・。

※小津橋は親水公園の川(昔は今より大きく 舟で荷物を運んでいた)に架かっていますが、荷物の運搬のために 川の両岸に土地を持っていた小津家が架けたものだそうです。

さて、私はおかげさまで早めに会場に着き、イベント参加は無事に終わりました。が、終了後にセンター内の「小津安二郎紹介展示コーナー」を見入ってしまい、かなりの時間を費やしてしまいました。

帰りは日も暮れ真っ暗で、門前仲町駅の場所が分かりません。明るければ何とか分かったかも知れませんが。人通りもなく途方に暮れていると、前方に携帯を片手に駅に至る道を探している女性を見つけました。私と同じく道に迷っているのだと思いました・・。

やはりそうでした! 彼女と知恵を出し合い(?)一緒に駅まで行くことにしました。どんなに心強かったことか。彼女は開演間際に会場ヘタクシーで駆けつけたとのこと。取材のためだったそうです。彼女は某新聞社の文化部の記者でした・・。

話をしている内に意気投合し、門前仲町で軽く飲むことにしました。しかし彼女は社に戻って原稿を纏めなければならないということで、焼き鳥屋さんで30分程度のプチ飲み会となりました。こんな展開は初めてです。

次回を約束してお開きになりました。





*おまけ 浜松城(2023坂巡検)




2023年12月25日月曜日

181) 【徒然に】『文の京十八の町物語を聞く』より

「我が町」というテーマで原稿を依頼されました。とても光栄なことです。

文京アカデミア講座※『文の京十八の町物語を聞く』が六周年をむかえ その記念と、本年度で一区切りとなる『この講座』の集大成として記念誌が発行されることになりました。その原稿依頼です。

※『文の京十八の町物語を聞く』:文京の町に暮らし 町を愛している講師(語り部)が参加者に‘ご自分の経験や思い出’を語ります。むかし(子どもが)近所のお年寄りの周りに集まって地域の昔話を聞くような雰囲気の講座。そのため、机は置かず椅子だけのセッティングです。

語り部は、町会長・元大学教授・講談師・僧侶・宮司・和菓子屋さん・パン屋さん・飴細工師など等で、その内容は多岐にわたります。「生きた町の歴史と文化」を知る文京人が語るのです。

寄稿者は「語り部」としてご登壇された五十余名(実際の執筆者は三十名)の方々と講座に関わった我々スタッフ八名です。(私はこのような講座に携わることが出来て、良かったと思っております。)

さて、今の私にとって「我が町」と言えば湯島です。もう20年以上の居住となりました。私のライフワークの一つである“傾聴活動”も湯島です。ゆしまの郷やアリア文京本郷に傾聴ボランティアで伺っておりますが、大好きな町となりました。

『文の京十八の町物語を聞く』では、
講師を務められるご長老の方々に対し敬って聴かせて頂いておりますが、傾聴に伺う施設の入居者のお話をきく際にも 敬意を払って聴かせて頂いております。ゆえに「傾聴」ではなくて「敬聴」なのです。

その「傾聴活動」を通し あらためて湯島の町を見てみると「優しくて人情味あふれる良い町だなぁ。」とつくづく思うのです。因みに、湯島は老舗の名店も多く江戸の匂いがします。

湯島天満宮(湯島天神)の梅まつりの時には、入居者をお花見にお連れしたり、おみ足が不自由な方へは介護士さんが車イスを押してご案内したりされていました。観光名所が近くにある施設のご入居者は幸せだなと羨ましく思います。

湯島天神の菊まつりの時も然りです。ゆったりと美しい菊を眺めると、みんな和やかな笑顔になります。そんな町って素晴らしいと心底思うのです。

私は「湯島会」という町会に属しておりますが、毎年新年にはイベントで湯島天神初詣があります。みんな揃って本堂の内陣でお祓いをして頂くのです。厳かで身の引き締まる思いがします。湯島町会も最高です。

そして毎年五月下旬には、歴史ある「湯島天神例大祭」が開催されます。御神輿が出て、老若男女が半纏を着て威勢よく担ぎます。

祭典自体は五月二十五日に固定されていますが、鳳輦・神輿の渡御や神楽などの催し物は二十五日に近い週末に行なわれます。そして隔年ごと(西暦の偶数年)の本祭の土曜日に神幸祭として鳳輦と宮神輿(宮神輿は台車で渡御)が渡御します。また偶数年の日曜日には、宮神輿の担ぎ渡御する年と町神輿が連合宮入する年が交互に来ます。

御神輿は観ている者の気持ちまで高揚させてくれます。祭り好きの私は身体もこころも浄化されるような清々しい気持ちになります。

文京花の五大まつり(さくら・つつじ・あじさい・菊・梅)の内二つのまつりと天神祭の町、それが「我が町」湯島です。(写真は2023年 年末の湯島天神 他)

























2023年12月15日金曜日

180) 【徒然に】吉野山(金峯山寺)と高野山(金剛峯寺)その2

今回は高校時代の友人を誘っての旅でしたが、高めの旅行代の上に 宿泊施設と料理が楽しみだった彼女にとっては、宿坊や精進料理は期待はずれだったようです。(可哀想なことをしました。)お母さまの介護問題で疲弊している彼女の気分転換になればと思い、聖地に誘ってみたのですが。

高野山の宿坊は(高野山に限らないかも知れませんが)外国人目当てのところが多く、なんと一泊198,000円というお宿もあるようです。まさに外国人ファースト。ご時世とはいえ釈然としませんでした。友人には食事に関しての修行となってしまいました。 

私はパンフレットの記載はともかく あまり料理には期待をしておりませんでした。吉野の老舗旅館(芳雲館)では国産の松茸の天婦羅も出ましたし、そこそこの料理だったと思います。

しかし高野山の宿坊(赤松院)の精進料理には正直 私もガッカリしました。本来の精進料理の意図から外れ 全ての料理が冷たく天婦羅はカピカピで冷めていました。冷凍料理をそのまま自然解凍したように思えました。

観光でいえば、吉野山ではグループごと(私たちは二人)に3時間 自由なタクシー観光が組み込まれており、普段はあまり訪れないであろう※吉野町の史跡、西行庵に行けたので私は満足しました。そこはまさに侘び寂びの世界でした。

※歌人である西行法師が出家後、三年間 侘び住まいをした場所、奥の千本。内部には西行像が置かれている。

「蔵王権現」さまへの参拝については前回記載した通りです。
高野山の宿坊(赤松院)でも朝のお勤めがありましたが、こちらは略式でした。宿の本堂で行われましたので友人も参加しましたが、ここでは僧侶のみで我々はお経を唱えませんでした。ちょっと物足りなかったです。

その後、私にとって四度目の参拝となった高野山奥之院で 初めて弘法大師空海さまへの食事「※1生身供(しょうじんぐ)」の※2儀式を拝観しました。念願が叶い たいへん満足しました。

※1生身供:今なお ここで生き続けているとされる弘法大師さまへの食事のこと。

※2奥の院御廟橋(ごびょうばし)手前の御供所にて調理された食事を嘗試(あじみ)地蔵での味見を経て、2人の僧が白木の箱に納めて御廟へと運んでいく。先頭には案内人の維那(ゆいな/僧侶の職名)が歩き、御廟橋を渡って燈籠堂の中へ食事をお供えした後、読経して再び御供所へと戻ってくる。

朝食として6時、昼食としては10時半の一日2回捧げられています。何と1200年間も続いているそうです。厳かでとても感動的な儀式でした。

吉野山の「蔵王権現さま」の夜間拝観、そして高野山の「奥之院」での生身供 拝観、こうして二つの聖地への旅はおわりました。


高野山駅



生身供の儀式




広目天像 (2015年造立
仏師 松本明慶作)

壇上伽藍 六角経蔵


多聞天像(1819年造立)
持国天像(1819年造立)

増長天像(2015年造立 仏師 松本明慶作)




大塔の鐘

















2023年11月25日土曜日

179) 【徒然に】吉野山(金峯山寺)と高野山(金剛峯寺)その1

先日 二つの世界遺産、吉野山(金峯山寺)と高野山(金剛峯寺)に行って参りました。まるで修行のようでした。

吉野の金峯山寺には2回目、そして高野山の金剛峯寺には今回で4回目の参拝となります。一番の目的は金峯山寺の蔵王権現様への参拝でした。

金峯山寺では国宝の仁王門大修理勧進のため「秘仏であるご本尊金剛蔵王大権現」の特別御開帳があり、私は宿泊者限定の秋に5日間だけという「夜間拝観」にも運よく参拝させて頂くことが出来ました。

扉を閉め切った蔵王堂内で、蝋燭の灯りだけをたよりに法要に参列するのです。100名限定でした。厳かと言うか、粛然たる雰囲気の中での儀式でした。声明と暗闇に浮かぶ群青色の「蔵王権現様」は圧巻でした。息を呑みました。本当に身が引き締まりました。

日本最大の木像秘仏である「金剛蔵王権現立像」は高さが7.3メートル(中央)あり、三尊の全身は、悪魔をはらう怒りの形相を現されていますが、それは、釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩を本来のお姿とする変化身です。三尊は向かって右側から現在、過去、未来の順に並ばれていて、三世に渡って私たちを守ってくださる守護仏でもあります。

私は翌朝 朝のお勤め(朝勤・ちょうごん)にも参加させて頂きました。お経を唱え皆のために祈るのです。「蔵王権現様」のお身体の色は前夜と異なり、朝靄に包まれ、幾分うすい青色に見えました。充実した大満足の参拝でした。

午後からは特別列車「天空」に乗り、高野山(金剛峯寺)へと向かいます。





西行
西行庵




金峯山寺 蔵王堂




金剛峯寺






2023年11月15日水曜日

178) 【徒然に】三越落語会など

今年は日本橋三越(劇場)にご縁があるようで、9月・10月の二ヵ月で何と6回も足を運びました。ビックリです。同じ劇場にこんなにも頻繁に通ったのは初めてです。新内からはじまり、演劇や落語会や二つの朗読会など等です。

『音語り 東京物語~小津安二郎映画を聞く~』(中井貴恵さん朗読)はさすが元女優、素晴らしかったです。『東京物語』の映像が目に浮かびました。笠智衆さんや原節子さん、また杉村春子さんの顔が見え 声が聞こえるようでした。まるで映画を一本みたような気分になりました。

そして10月25日は初めて三越落語会に行ってきました。三越創業350周年、三越落語会は70年だそうです。そして今回開催した落語会は第628回目とのことでした。凄い歴史です。記念の特製手ぬぐい(下記写真)が来場者にプレゼントされました。

そのせいか出演者は超豪華。「明石飛脚」の笑福亭べ瓶さん「風呂敷」の三遊亭萬橘さん「元犬」の柳家三三さん、そして「電話の遊び」の三遊亭遊雀さんと「徂徠豆腐」の立川志の輔さんでした。

今回、私は立川志の輔さんがお目当てでした。もちろん柳家三三さんは言うまでもありませんが。志の輔さんの落語は初めて聴きました。圧巻でした。素晴らしかったです。落語で泣いたのは初めてでした。

ご出演された各一門の落語家さん達の話はそれぞれに面白く、趣も其々で泣き笑いの落語会になりました。上方落語の笑福亭べ瓶さんは、見台を前にして小拍子を鳴らし、旅ネタを軽妙なトークを交えてされました。大好きだった柳家小三治さん亡き後、久しぶりに落語を堪能できました。

若くて勢いのある落語家さんも良いけれど、ベテラン方の技量は半端ないです。その上、新鮮で瑞々しい語りでした。ひとりで聴きに行ったのですが、声を出して笑って帰って来ました。

今更ながら、私って落語が好きなんだなあと再認識した次第です。今後は大御所の落語をもっともっと聴きたいと思いました。







2023年10月25日水曜日

177) 【徒然に】ビーチサンダルで三越劇場へ

先日、大事な「第二回 ひとり朗読会」前に左足の小指を骨折してしまいました。不覚でした。急いでいてベッドの脚にぶつけたのです。

その日は「新内仲三郎公演ー江戸の粋 吉原と新内舞踏ー」に行くために慌てておりました。指の痛みは尋常ではなかったのですが、仲三郎さんのご子息 ‘新内多賀太夫’ さんの艶のある美声を生で聴いてみたい一心と、やっと取れた席がもったいなくて無理して三越劇場まで参りました。(その時は打撲だと思っていたからです。)

ただ、いざ到着してみると、あろうことか私は公演日を二日も間違えておりました。小指の痛さと悔しさで踏んだり蹴ったりの日になりました。

その二日後の当日、三越劇場に電話し事情を説明しましたが、もちろんキャンセル出来るはずはありませんでした。よく考えたすえ、私は自宅前からタクシーに乗り、限りなく劇場に近い入口に向かいました。右足はスニーカー、骨折した左足小指は腫れあがって靴が履けないので、素足にビーチサンダル姿でです。

恥ずかしかったのですが、三越劇場の係の方から『ビーチサンダルでいらしても大丈夫です。構いません。』と言われたからです。(所詮、他人事ですからね。)

私は医師から「うっ血しないよう患部を高くするように」とのアドバイスを受け、係の方にお願いして 席の前に靴箱のような左足を載せる台をご用意して頂き、おかげさまで無事に鑑賞してこれました。(感謝です。)

包帯の足を箱台にのせていると、隣の席に座られた70代の粋な女性から『どうなさったの?』と心配そうな声をかけられました。そのお隣のご友人も私の足に注目なさっています。私はいきさつを説明せざるを得なくなりました。

ひと通りお話しすると、その方はよりご心配や同情して下さり、私は 大事な朗読会を控えている’ 等の話もしてしまいました。優しくて素敵な方でした。公演終了後には『くれぐれもお大事にね。朗読会のご盛況を祈ってます。』とのお言葉まで頂戴しました。

さて、肝心な新内節ですが、新内の三味線は中棹ですが 多賀太夫さんはピンマイクをつけておられました。もう少し声量のある方かと思っていた私には意外でした。それ程の感動はありませんでした。昔、ある所で聴いた ‘新内流し’ を思い出しました。情感にあふれ心を打たれたことを憶えています。

三味線は普段 私が聞きなれている ‘義太夫の太棹三味線’ の方が迫力があり、私は好きだなとあらためて思いました。勿論ジャンルが違いますし、好みの問題ですが。

今回の新内舞踏は「ひとり朗読会」の前に、江戸の雰囲気を味わっておきたいという思いもあっての鑑賞でした。



肥後細川庭園