2022年1月25日火曜日

136) 【徒然に】四国今治の「仙遊寺」

仙遊寺は作礼山の山頂近い 標高300mの高台にあり 今治の市街地を眼下に望めます。また瀬戸内海に浮かぶ島々や平成11年に開通した「しまなみ海道」等も一望できる眺望豊かな地にありました。

ここは四国八十八箇所の第58番札所であり、創建が七世紀後半の高野山真言宗。本尊は千手観世音菩薩で開基は越智守興です。

とにかく伝説の多い寺で、奈良時代にかけて現在の寺名「仙遊寺」の由来ともなった出来事がありました。天智天皇の御代の頃から「阿坊仙人」という修行僧が、養老2年まで約40年間お寺に住み、諸堂を整えたと言われています。

しかし その後 忽然と姿を消し その様子がまるで雲と遊ぶかのようだったとのことから、のちに「仙遊寺」と名付けられたと伝えられています。

また、仙遊寺には「阿坊仙人の伝説」の他、竜女が海から竜登川を伝って作礼山に登り、一刀刻むごとに三度礼拝して 何日もかけて千手観音菩薩像を彫ったという「竜登川と観音様の伝説」や「ごろべえ坂の伝説」また「犬塚池の伝説」など 多くの伝説があります。

その仙遊寺へは歩き遍路の場合、山門をくぐり お寺の参道を進むのが順路なのですが、これがなかなかの難所でした。山門からがお寺の境内となるため ある程度は整備された石段道ではあったのですが・・、かなり急勾配でした。

山門から本堂までの距離は約400m、標高差約40mの急な山道を登りきらねばなりません。一緒に付き合ってくれた仲間たちも息を切らしていました。しかし
いたる所で にこやかな微笑みを浮かべたお地蔵さまや石仏が私たちを励ましてくれました。

そして頑張って登った甲斐があってか、境内から眺めた瀬戸内海の景色は最高でした!

仙遊寺の納経所は本堂の中にありましたが、墨書は 以前 浅草に住んでいたという70代の男性がして下さいました。大学で教鞭をとっていたというその方は 
※納経帳の墨書について説明して下さいました。(一応、私はお遍路をしておりますので理解しておりましたが。)

※納経帳には「奉納」の文字に加え、「本尊を表す梵字」と「本尊の名前」そして「札所名」を墨書してくれます。さらに、札所番号の印と本尊の印、また札所の印(ご朱印)を押してくれます。四国霊場では日付は入れません。

因みに、墨書はご住職などお坊さんが書かれることもありますが、今回のように、いわゆる「納経書き」として雇われている人が書かれることもあります。

私はちょっとした登山の程よい疲れと清々しい気持ちで 御朱印を頂きました。