2018年2月25日日曜日

42) 【余談 3】

晩年、母は認知症になりました。でも、元気だった頃には、いろいろな方々をお呼びして料理を振舞うのが大好きでした。

私が友人たちを花火大会(以前 住んでいた板橋区の ‘花火大会’ は有名!)やお正月に招くと、口では『まったく、お友達を呼ぶなんて、忙しくて大変だわ! (あなたは)直ぐにお友達を家(うち)に呼んじゃうのだから・・。』等と言いながらも、嬉しそうに、いそいそと沢山の料理を拵えて(こしらえ)おりました。

友人の多くは私に会いに来ると言うよりも、母に会いに 延いては母の料理を目当てに遊びに来るのが常でした。また、ちゃっかりした友人などは、彼女のボーイフレンドや姉妹までも一緒に連れてくるような有り様でした。
そして母は、大目に拵えた料理の数々を全部(家族の分さえも残さずに)、招いた友人等にお土産として持たせておりました。

そんな母を (そして私をも) 父は頭(かぶり)を振りながら 「こんな狭い家に( 人様をお招きするような家でもないのに ) しょうがないなぁ。」 と言うような面持ちで、でもやさしく見守っておりました。素敵な父母でした。理想の夫婦でした!

年を重ね、足腰が衰えて一人では外出が困難になってくると、あれ程 ‘外’ に出ることが好きだった母は、滅多に出かけなくなってしまいました。

思うに・・、ご近所の方々に 老いて腰が曲がり、歩行が覚束なくなった姿を見せたくなかったのでしょう。ある日、やむを得ず出かける羽目になった母を一人では危ないと言うことで、従姉が手を繋いで歩いていた時のことです。運悪く(?)知人と出くわした母は、とっさに握っていた従姉の手を離したそうです。弱みを見せたくなかった母の ‘プライド?’ でしょうか。

その数年後、母はやっと入所できた施設のベッドから転落し、大腿骨を骨折し入院してしまいました。結局、それが原因で施設には戻れなくなり、病院を転々とする、いわゆる ‘病院お遍路さん’ になりました。

でも、何処に行ってもいつも前向きな母は、看護師さん達に可愛がられ、痴呆ながらも山形県の民謡 『真室川音頭』 を彼女たちの前で唄い、教えたりしておりました。周囲の人々から可愛がられる、とてもチャーミングな自慢の母でした。

さらに痴呆が進んでからも、ことある度に 『早く家に帰って、みんなに美味しい料理をご馳走したい!』 と言っておりました。

ただ、悲しいのは・・、病院が変わるたび (入院期間制限があるため)、自宅に帰れるものと勘違いした母は 『まぁ、こんなに(たくさん)皆が来てくれて! せっかく来てくれたのだから、今日はたくさんお料理を作るわね。』 等と言って、はしゃいでいたことです。いま思い出しても胸が熱くなります。

【そして序ながら・・】 そんな母の葬儀には、大勢の友が集まり、さながら (母に世話になった) 私の友人等による “友人葬(宗教団体によるものとは別)” のようでした。母の人徳でしょう。

新潟の友人(開業医)は 『なま仏に会いたかった!お母さんにとてもお世話になったから。』 と言い、忙しい合間をぬってお通夜に駆けつけてくれました。有難いことです。

そして、以前 お世話になっていた 特養の当時の介護士さん達4名も仕事着の短パン姿のまま かけつけて下さいました。口々に『○○さん(母のこと)には
とてもお世話なり、いろいろ教えて頂きました。』と涙ながらに仰って下さいました。痴呆の母が介護士さん達のお世話を? 一体、何をお教えしたのでしょうか。

「人間とは何か、プライドとは何か、そして痴呆になった人の ‘尊厳’ とは・・。」 など等を考える今日この頃です。

※ 因みに
【余談 1】はこのブログの 24) のプライド!に。
【余談 2】はこのブログの 27) の番外編「回想法」その2 に掲載しております。


【風花に佇む】
photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios

2018年2月15日木曜日

41) 『北朝鮮に行ってたの?』

カズさんは6Fフロアーではお姉さん的存在です!
誰も文句など言えません。だってフロアー 一のご長寿、‘100年もの’(このブログの35)に掲載)の103才ですもの。

カズさんは ‘健康診断’ によるお疲れのため、暫くの間、自室で休まれていたようですが、車イスに乗り
気だるげにフロアーに現れました。私を見つけると 『ああ、良かった! ○○さん (私のこと) 無事だったのね。』 『北朝鮮にでも行っていたのかと思っていたのよ。 毎日毎日 「○○さんを守って下さい!」 とあなたの無事を祈っていたのよ!』 と仰いました。  
「ええっ?!」 私は返す言葉が見つかりませんでした。

(カズさんは私のことを ‘安倍晋三総理の秘書’ と未だ頑なに信じているのです。
  詳しくはこのブログ 28) 29) に掲載)

でも・・、「まっ、いっか!」 お年寄りの ‘勘違い(妄想)’ など たいして罪にもならないでしょう。内容はともかく、私は ‘無事’ を祈って頂いて有難いと思いました。 

・・・さらに続きました。 『虎屋の羊羹を持って行ったの?』 と・・。なかなか具体的です!

そしてカズさんは 『今日はね、年一回の健康診断の日で、さっきレントゲンと血液検査、そして尿検査もしたのよ。』 と教えてくれました。さすが元看護師さんです。受けた検査内容を正確に教えてくれました。

他の方々は 『血を採られた!』 とだけ仰っておりましたが。

  最近 新しくカツコさん(80才 女性)と言う方が入所されました。毎日ご家族の方がお土産を持ってお出でになるそうです。(カズさん談)


そして、カズさんは 『(カツコさんの)お部屋はとても綺麗だから、あなたも見せてもらいなさい。』 としきりに私に勧めました。言い出したら聞かないカズさんです。
私は改めてカツコさんにご挨拶し、どうしたものか・・困惑し、お互いに顔を見合わせるよりほかはありませんでした。

でも・・、結局 私はカツコさんのお部屋にお邪魔することになりました。


カツコさんにご案内して頂き なかに入ると、そこには無駄なものが何も無く、さっぱりとした素敵なお部屋でした。
壁際のチェストの上には、サンスベリア(トラノオ)とクンシラン(君子蘭)、ドラセナ等の観葉植物の小さな鉢植えが置いてありました。
なるほど! 爽やかでスッキリとしたお部屋です。


一方 キクさん(99才 女性)は、白寿のお祝いに、施設から名前の入った ‘ひざ掛け’ を頂いたそうで、介護士さんから私も見せて貰いました。キクさんの元にその ‘ひざ掛け’ をお届けすると、とても嬉しそうに膝にかけておられました。


敬聴終了後、この日は今年最後の敬聴訪問日でしたので、お一人ひとりのお名前をお呼びして、年末のご挨拶と握手をさせて頂きました。

そしてエレベーターに向かう途中、いつの間にか エレベーター寄りのテーブルに一人 ぽつんと座ってらした、ミヨコさん(88才 女性)を見つけました。

ミヨコさんのお傍に行き、お名前をお呼びしてご挨拶すると、ミヨコさんはちょっと驚いて、 『あらっ、私の名前を覚えていてくれたの? ありがとう!』 『でも、ごめんなさい。私はあなたの名前を覚えていないの。』 と悲しそうに仰いました。
私は鼻の奥がツンとしました・・・。
 

奥のフロアー テーブルからは 『またね!』 と叫ぶ、カズさん達の声がきこえ、いつまでも笑顔で手を振って下さっておりました。

  ( 実施日:2017年12月9日(土) 14:00~15:00 )



水滴に閉じ込めて
photo: (c) Hiro K
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