2024年10月19日土曜日

191) 【徒然に】第三回「ひとり朗読会」を終えて

今年もまた 9月28日に無事「第三回 ひとり朗読会」を開催することが出来ました。ひとえに私を支えて下さっている友人達のおかげさまです。感謝です。チラシ作りから生演奏での協力、また当日の会場設営や受付や着物の着付けなど等です。

この場をお借りして、皆さまの御礼申し上げます。有難うございました。

出し物は『白子屋騒動 2024』(村上元三作)と『十三年』(山川方夫作)でした。今回もあまりお声がけをぜすに、友人や知人などの内輪の会にしました。それでも32名の方々にお集まり頂きました。とても有難いことです。

仲間内ゆえ、ほめ言葉をたくさん頂戴しましたが、話半分(三分の一)としても嬉しかったです。何より「面白かった」「引き込まれた」「情景がはっきりと浮かび上がった」とか「来年も楽しみにしている」など、また 次回のお手伝いを買って出て下さる方が多いのを有難く思いました。来年も頑張ろうという意欲が湧いてきました。 
   
朗読会が終わって早いもので3週間になりますが、今は別の作品をレッスン中です。振り返ると、朗読のレッスンが楽しかったこと。今回は相関図を作りましたが、登場人物の一人ひとりに感情移入ができたこと。そして気持ちよく朗読できたことが進歩でした。

朗読の最後の場面では「この『白子や騒動』という作品とも暫しお別れなのか」という思いがよぎりました。寂しさを覚えたくらいです。

そして本日、朗読会に来て下さった知人のNさん(70代の男性)からビックリするような依頼を頂きました。読書ゼミ(Nさんが所属している会)で私に朗読をして欲しいと仰るのです。‘えっ、私で良いの?’ という気持ちとは裏腹に、また『白子や騒動』を朗読できる、作品が寄り添ってくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

Nさん曰く「出演料は払えないけど、日本酒でもワインでも沢山お酒は飲ませてあげるからね。」と。でも・・、最近の私は あまりお酒が飲めない(それほど欲しない)のですが・・!? とにかく 楽しんで頂けるようにがんばります。  

※「イベント・その他」欄もご覧ください。今回の朗読会の写真を載せてあります。



 











2024年10月12日土曜日

190) 【徒然に】母の法要とかみのやま温泉「名月荘」

今年の9月は本当に忙しい日々でした。8月の夏バテのしわ寄せもあったのですが、山形の母の7回忌や文京区の委員長絡みのしごと、そして恒例の「第3回 ひとり朗読会」の開催などがあったからです。

そんな訳で久しぶりのブログとなります。拙いブログですが、楽しみにされている方もお出でです。更新が遅れていることにご指摘をうけました。有難うございます。ご心配をお掛けいたしました。

さて、忙しいさなか 私は郷里 かみのやま温泉の「名月荘」に行ってまいりました。憧れの名旅館です。やっと予約がとれました。全室‘離れ’風。妹を誘っての温泉旅でした。とは言っても・・、私は母の法要後の一種の「※直会(なおらい)」のつもりでした。

※直会とは、本来は神式で祭事が終わってから、お神酒や供物を下げていただく会食のことですが、仏式では法要後の会食でお斎(とき)とも言います。身を清めるといった意味合いもあります。

7回忌は「第3回 ひとり朗読会」のちょうど一週間前に行われました。当日を含め山形に滞在中の三日間は大雨警報や避難勧告まで飛び出す荒れようです。法要中、称念寺の本堂に参列していた親族の携帯が一斉に鳴り響き、異様な空気につつまれました。驚きの体験でした。

然しながら、車社会の地方都市 山形、車での移動はスムーズでした。ただ一つ心残りなのは、足場の悪い山の中腹にあるお墓参りに行けなかったことです。私は「また、お墓参りに来ればよい」と自分に言い聞かせました。

その翌日、久々に妹と水入らずで訪れたのが、かみのやま温泉「名月荘」でした。静寂な場所にあり、お料理も美味しく、落ち着いた見事な旅館でした。実は30年くらい前にも一度、祖父の法要後のお斎をした旅館です。泊ったのは初めてでした。

その夜は、地元産の食材で手の込んだ美味しい料理(写真はごく一部、撮り忘れました)に舌づつみを打ち、久しぶりに妹と母の思い出を語ったり、ゆっくり話ができて、幸せな一夜となりました。これも故人を偲ぶ 供養のひとつだと私は思いました。






















2024年7月27日土曜日

189) 傾聴ボランティア その2 「本当は大工になりたかったんだよ!」

先日のK先生のところへまた敬聴に伺いました。今日はご体調(気分)がすぐれないようで、あまり元気がありませんでした。こんな時には言葉を選びます。余計なことを言ってはいけません。

“歌しかないな” と私は思いました。六大学の校歌です。話しを向けましたが、歌詞がおぼつきません。そこで私はバッグから携帯を取り出し、六大学の校歌を検索しました。歌詞を口ずさみ、リードしながらK先生に歌って頂きました。でも・・途切れがちです。

今度はYouTubeで校歌を見つけ、流して見ました。K先生は耳を傾け、ところどころを一緒に歌われました。よかったです。

私が「学生さんの頃が、一番楽しかったですか。」とお尋ねすると、にっこり頷かれました。そして ‘お気に入り’ の明治大学の校歌を歌いはじめました。

私が「父は明治大学の法学部と日本大学の土木工学科、両方の出身で建築士でした。」と言うと、「凄いなぁ。羨ましいなぁ。」と仰いました。なんとK先生のお父様も建築士だったそうです。そして「本当は、僕は大工になりたかったんだよ!」と仰ったのです。

江戸っ子気質の庶民的な先生で、子どものようでした。
ただ、ちょっと寂しそうに「でもね、僕は不器用だから、釘を打つと釘頭が曲がっちまうんだよ。」と仰いました。私は笑ってもよいのかどうか困りました。

「建築士なら なれたのでは?」と水を向けると「僕は大工になりたかったんだよ!」ともう一度、仰いました。建築士ではなく職人である ‘大工さん’ になりたかったのだそうです。高名な歴史学者が・・。人生いろいろですね。

それにしても、こんなに明治(大学)贔屓で・・。私は「父が生きていて、この話を聞かせたら、たいそう喜んだだろうなあ」と心の中で思いました

ホワイトホース


ホワイトホース






2024年7月10日水曜日

188) 傾聴ボランティア再開!~東大の名誉教授とデュエット~

久々の敬聴訪問です。実に4年半ぶりでした。コロナ前にも伺っていた 文京区の高級有料老人ホームに着くと、事務の方から「今日の方(男性)は少し気難しいかもしれません。」と おどかされました。個室で男性入居者と一対一での敬聴は初めてでしたので、私は少々怯みました。

エレベーターに乗り、指定されたKさんのお部屋を訪ねると、奥のベッドに白髪で品の良い方(Kさん)が横たわっておられました。そばに行きご挨拶をすると・・、Kさんは開口一番「(あなたは)何処の大学(出身)?」とお聞きになりました。意外な質問に私はたじろぎましたが・・、母校を告げると にこっとされ、専攻までお尋ねになりました。

お部屋を見渡すと、本棚がたくさんあるのに気がつきました。サイドテーブルの上にも書籍が山積みにされています。Kさんに許可を得て、並んでいる書籍をみせて頂きました。よく見ると・・、書籍の著者名のほとんどがKさんでした。

なるほど! Kさんは元大学教授、学者さんだったのです。今回 私が敬聴させて頂くのは高名な歴史学者、東京大学の名誉教授でした。

重厚なグリーンのソファの脇に車椅子が置いてあります。K先生はベッドに寝転んだまま、私はベッドの傍に椅子を運び 座っての敬聴となりました。

失礼ながらご年齢をお聞きすると「昭和6年生まれ!」と仰いました。私が「では、今年93歳ですね。」と言うと、「えっ、僕はそんな歳?」と仰いました。
「計算すると93歳ですが・・、先生はお幾つだと思っていらっしゃいましたか?」と尋ねると、「80歳くらい!」と即答されました。男性も女性も一緒ですね、若く見られたい(若いと思いたい)のは。

それから、いろいろな話を聴かせて頂き 私もお話させて頂きました。古文書の話になった際、私が師事していたN先生が、K先生のお弟子さんと言うことが分かりました。奇遇です。世の中は広いようで狭いとつくづく思いました。

K先生はたいへん朗らかな方で、いろいろお喋りしてくださいました。ご自分が大学で教えたお弟子さん達の話になると、目が輝き 生き生きし始めます。また六大学の校歌が大好きとのことでした。特に早稲田の校歌、それから慶応、そして一番好きな校歌は明治大学だと仰っていました。腕を振りながら朗々と歌っておられました。

私が「東大の校歌はどんな歌ですか。」と尋ねると、「僕が学生の頃には東大に校歌はなかった」と仰っていました。(※後で調べたら、本当に東大には校歌は無いようです。東京大学運動会歌「大空」と東京大学応援歌「ただ一つ」を「東京大学の歌」としています。)

その後はご両親やご兄弟の話などをお聞かせ下さいました。楽しそうでした。御妹さん方がお好きだったという ‘西城秀樹’ さんの歌まで歌いだしました。「傷だらけのローラ」や「Y.M.C.A.」などです。歌詞がおぼろげな部分は、私も一緒に歌ってしまいました。デュエットです!お部屋の外にまで聞こえる程の大合唱でした。

敬聴時間は少々オーバーしましたが、帰りがけ K先生はご自分の著書を私に一冊くださいました。固くお断りしたのですが・・。(たくさんあるからと仰って。)そしてK先生は「愉快だったね。ありがとう! また来てね。」と仰いました。






2024年6月20日木曜日

187) 【徒然に】全盲の文化人類学者 広瀬 浩二郎先生

6月15日に文京シビックホール会議室にて、特別公開講座「触る文化」が拓く共生社会の未来―ユニバーサル・ミュージアムの実践からーが開催されました。満席の大盛況でした。

講師は広瀬 浩二郎氏。全盲の文化人類学者で、現在は国立民族学博物館の教授です。「座頭市流フィールドワーカー」あるいは「琵琶を持たない琵琶法師」と自称する先生です。

13歳の時に失明。筑波大学附属盲学校から京都大学に進学し、同大学院にて文学博士号取得。日本宗教史・民俗学・障害者文化論・触文化論を研究。2023年12月には 令和5年度文化庁長官表彰を受けました。

先生は非接触が強調されるコロナ禍の中、触れ合いの大切さを訴える「ユニバーサル・ミュージアム展」を大阪で開催しました。全ての展示物を自由に触ることができる「ユニバーサル・ミュージアム展」の全国巡回を目指しているそうです。

私は広瀬先生とは今回で三度目の御目文字となりますが、その変わらぬ若々しさと純粋さに驚嘆しました。今回は受講者ではなく、司会者の立場での再会となりましたが、そばに居るだけで幸せな気分になりました。

数分間の打ち合わせ(ご挨拶)の際、私は先生に一言だけ申し出たことがあります。それは、ご講演中 私は先生の傍、司会者席に(待機して)いる旨です。何か予想外のことが起こった場合には “対応する” という意味合いでした。そしてご講演中は邪魔をしないように気配を消すことに努めました。

障害をお持ちの方への対応はナイーブなことが沢山あります。大切なのはその方その方が望む手助けをして差し上げることです。然しながら 人それぞれ、ゆえに難しいです。ただ、少なくともお声がけは必要だと思います。私は『小さな親切、大きなお世話』にならぬよう気をつけました。

ご講演は予想通り 素晴らしいもので、時には冗談を交えユーモアたっぷりに話されました。心に響きました。講演の中にリラックス体操までご用意されていて、私は広瀬先生のご指名により、先生と両手を合わせて即興のパフォーマンスをしました。心の温かさを感じる先生の両手でした。

後日、広瀬先生と面識のある知人は仰いました。『広瀬浩二郎先生には何度かお会いし、お江戸の町をご案内したことがあります。お酒好きで豪快な方ですね。』と。




暮夜の湯島天神




2024年5月22日水曜日

186) 【徒然に】異人たちとの夏

私には数多くのお気に入り脚本家がいます。例えば、池端 俊策氏、市川 森一氏、大西 信行氏、鎌田 敏夫氏、宮藤 官九郎氏、倉本 聰氏、野島 伸司氏、早坂 暁氏、三谷 幸喜氏、そして向田 邦子氏などです。その中でも大好きな脚本家の一人が、山田 太一氏です。彼は小説家としても素晴らしい作品を残されています。

山田氏は人々の日常生活での哀歓や心の揺れを描くことで知られています。松竹で木下惠介監督に師事し、監督の映画をテレビドラマに脚色する仕事を始めました。そして1973年『それぞれの秋』で、平凡な家庭が崩壊の危機に直面するさまをシリアスに描き芸術選奨新人賞を受賞しました。

その他、忘れられない作品は『男たちの旅路』『岸辺のアルバム』『沿線地図』『想い出づくり』『ながらえば』『早春スケッチブック』、そして何と言っても『ふぞろいの林檎たち』です。

小説としては『異人たちとの夏』が私は一番好きですが、この作品で1988年に山本周五郎賞も受賞しています。今や英語だけでなく、フランス語やドイツ語、タイ語など10以上の言語に翻訳されています。他には『終りに見た街』や『飛ぶ夢をしばらくみない』そして『冬の蜃気楼』等の小説もあります。

『異人たちとの夏』は1988年に映画化されましたが、何と36年ぶりの2023年にイギリスの名匠アンドリュー・ヘイ監督によりリメイクされました。『異人たち』というタイトルです。現在日本でも公開中です。(チラシ添付)

邦画『異人たちとの夏』:
妻子と別れ 孤独な日々を送るシナリオ・ライターが、ある日浅草で幼い頃に死別した若い父母そっくりな二人に出逢う。そして・・・。

山田太一氏の自伝的要素がつよいファンタジー映画です。不思議な時間と非現実な空間。懐かしくて情緒たっぷりの昭和の浅草と主人公の両親を演じた*鶴太郎さん、秋吉久美子さんが素晴らしく、今でも感動が残っています。

*キャストは風間杜夫さん、片岡鶴太郎さん、秋吉久美子さん等です。第一回山本周五郎賞を受賞した小説を市川森一さんが脚色し、大林宣彦さんが演出した異色作です。

そして、この作品は第12回日本アカデミー賞最優秀賞2部門受賞のほか、優秀賞11部門受賞、また第43回毎日映画コンクールの脚本賞・助演男優賞受賞のほかに1988年度の映画賞を独占しました。

私は公開中のイギリス リメイク作品『異人たち』をまだ観ておりません。時間がなく観に行けないのです。もどかしい思いをしています。

実は数年前、友人の一人に「山田太一氏には『異人たちとの夏』という素晴らしい小説があり、それが映画にもなった。一度 読むか 観てみてね。」と勧めました。

そして昨年、私は偶然にもNHKのニュースで、イギリスで『異人たちとの夏』がリメイクされるという情報を知りました。早速 その友人に伝えたところ、今年になって彼女から『異人たち』が現在 公開中であると教えて貰ったのです。

彼女は既に鑑賞してきたそうです。先を越されました。彼女から「鑑賞後の感想を言い合うのが楽しみ。」と言われました。私はどうしても、邦画の『異人たちとの夏』が また観たくなりました。それで・・AmazonでDVDを購入してしまいました。

私としては、先に公開中の『異人たち』を観に行くか、先日購入した邦画『異人たちとの夏』のDVDを観てから、イギリスのリメイク映画を映画館で鑑賞するか、迷えるところです。










2024年4月16日火曜日

185) 【徒然に】神田祭(四月大歌舞伎 片岡仁左衛門と坂東玉三郎)

念願が叶い先日、人間国宝の片岡仁左衛門さん(80歳)と坂東玉三郎(73歳)さんが共演する「四月大歌舞伎」に行って参りました。大好きなお二人の舞台に感動しました。魂を揺さぶられました。苦労してチケットを取った甲斐がありました。


夜の部の四世 鶴屋南北作『於染久松色読販(おせめ ひさまつうきなのよみうり)』は、惚れた男のために悪事をはたらく玉三郎演じる土手のお六と、凄みのある色気で悪に満ちた仁左衛門演じる鬼門の喜兵衛夫婦が活躍する人気狂言の上演です。
 
そして次の演目は清元の舞踊『神田祭』です。こちらが私の一番のお目当てでした。粋で いなせな鳶頭を仁左衛門さんが、艶やかな芸者を玉三郎さんが演じる至高のカップルの舞台です。江戸の粋 華やかな江戸風情が展開されて私は江戸時代にタイムスリップした気分になりました。

初めて玉三郎さんの舞台を観せて頂いたのは1985年12月、日生劇場で上演された『天守物語』でした。天守夫人富姫を玉三郎さんが演じ、相手役の姫川図書之助を真田広之さんが演じられました。当時青年座の座員だった友人からチケットを頂き、私は仕事を休み 彼女の代わりに観せて頂いたのです。席はなんと一番前の真ん中でした。

そして仁左衛門さんの舞台はたくさん観せて頂きましたが、一番印象的なのは2010年3月の「御名残三月大歌舞伎」。菅原伝授手習鑑『道明寺』での仁左衛門さんです。こちらも忘れられません。最高でした。歌舞伎座建替えのためのさよなら公演でした。

今回の舞台では仁左衛門さんの年齢を超越した圧倒的な色気に私は完全にノックアウトされました!至福のひと時でした。本当に行った甲斐がありました。観劇料の18,000円は安いくらいです。(こんなに良い席は年に一回くらいですが。)

そして玉三郎さんはどんな役をされてもひたすら高貴!美しすぎます。『於染久松色読販』の伝法な‘悪婆’と呼ばれるお六を演じてもです。

言うまでもなく、お二人の息はピッタリ! 特に花道での芝居 掛け合いは圧巻でした。‘男女の恋の濃密さ’がただよい、まさに二人だけの世界でした。ご両人の色香が舞台中 そして客席にまで広がり 息苦しくなるほどでした。至極のひと時を過ごしました。

同時代にあのような素敵な歌舞伎役者さんに出会えて有難いと思いました。上質で成熟した芝居、私は「ありがとう」の気持ちでいっぱいになりました。