2025年1月28日火曜日

197) 【徒然に】両国 回向院で女流義太夫『菅原伝授手習鑑 寺子屋の段』

先週の土曜日、両国の回向院 念仏堂ホールで開催された「女流義太夫 京之助の会」に行って参りました。演目は『菅原伝授手習鑑 寺子屋の段』。浄瑠璃 竹本京之助さん、三味線 鶴澤津賀寿さん(人間国宝)。大汗をかいての大熱演で、2日間に渡る素晴らしい演奏会の初日でした。

私は大江戸線で両国駅に行きましたが、方向音痴で回向院が分かりません。駅員さんに尋ねると「先ずは、JRの両国駅方面に向かってください。」と言われました。私は公演祝いに花を贈るため早めに出かけました。ここで迷子になるわけにはいきません。太夫の京之助ちゃんから、花は受付に飾りたいと言われていました。(若干、焦りました。)

それで路上の案内地図をチェックしていたところ、私の横を地域の学校帰りの中学生(高校生?)くらいの男子生徒が通り過ぎました。これはラッキーと思い、私は優しくて純朴そうな男生徒に尋ねました。「JRの両国駅はどこですか?」と。

彼は「僕たちも(駅に)向かっていますから、一緒の方向に行けば大丈夫です!」と教えてくれました。よく見てみると、男子生徒と女子生徒の合わせて30人くらいが駅に向かっていました。

歩いているうちに、私は「いっそのこと、回向院はどこですか」と訊くべきだったと気がつきました。それで今度は、すぐ隣で楽しそうに笑い合っている 可愛らしい女子生徒たちに回向院への道をたずねました。

5人の女子生徒はポカンとして顔を見合わせました。そして逆に「※回向院って何ですか」と尋ねられました。今度は私がビックリです。今の子(高校生でした)は直ぐそばにある歴史的建造物を知らないのです。授業でも習っていないとのこと。

そこで、(方向音痴で恥ずかしながら、彼女らに道を訊いているくせに)私は彼女たちに(下記のごく一部)お教えしました。そしてチラシ(下記の写真)を見せて、これから聴きにいく "娘(女流)義太夫" についても。

【※1 回向院は今から360年位前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院。この年江戸は「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われた。

*因みに、明暦の大火・明和の大火・文化の大火を江戸三大大火と呼ぶ。現在放映中のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の初回 冒頭の大火事は明和の大火(明和9年に江戸で発生した大火事。

多くは身元や身寄りのわからない人々だった。将軍家綱はこのような無縁の人々を無縁仏として大法要を執り行い、この時に建てられたお念仏を行じる御堂が日本一の無縁寺、回向院である。

そして江戸後期になると勧進相撲の定場所になり、明治末期までの七十六年間、いわゆる“回向院相撲”の時代を日本相撲史上に刻した。ただ、その後も度重なる大火の被害をこうむった。

また 時代劇で義賊として活躍する「鼠(ねずみ)小僧次郎吉」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗み、町民の長屋に小判をそっと置いて立ち去ったといわれ、その信仰は江戸時代より盛んだった。

長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛んで、現在も特に合格祈願に来る受験生方があとをたたない。】

話し終えると、女子生徒たちは感激し、その中の一人の子がスマホで回向院の場所を調べてくれました。そして「私、興味があります。一緒に行ってみたいです」と言ってくれました。ただ、友人等に「塾はどうするの?」と窘められ、がっかりしていました。

【※2 最下段の写真がお贈りしたお花です。】

京之助ちゃんから「お客様からもスタッフからも大好評でした!」とメールが届きました。とても気に入ってくれたようです。甲斐がありました。

今回 お花屋さんをかなり吟味しました。電話でも5〜6回は打ち合わせをしました。 帰宅後すぐに お花屋さんに御礼の電話をすると、彼は「気持ちが伝わって良かったですね。僕も嬉しいです!」と言ってくれました。
因みに、その花屋さんには
今回の「京之助の会」のチラシを置いてきました。