ゆしまの郷のいつもの6階フロアに着くと、既にカズさん(106才 女性)は右手奥のテーブル席近くに陣取っておられました。そして隣のテーブル席にはキクさん(101才 女性)と、リツコさん(83才 女性)も座っておられました。大きな声でご挨拶すると、皆さまにこやかに応じて下さいました。
さっそくカズさんのお傍に行くと、「あなたも大変ね。総理の秘書ってお忙しいでしょ。」と開口一番、私に仰いました。
まだ 私を安倍総理の秘書だと思い込んでおられるのです。更にカズさんは「総理はあんなに激務なのに、いつもきちんとネクタイを締め、ピシッとしたスーツ姿で決めていて偉いわ! あなたのおかげね!」とも仰いました。(私・・?)困りました。何度 訂正しても、カズさんはこの件だけは分って下さらないのです。
そこへ インドネシア人の介護士 エドさんが我々の前を横切りました。するとカズさんはエドさんを呼び止めて私を紹介し始めました。エドさんは苦笑しながら「前に紹介してもらったよ。」と片言で答えました。
その後、カズさんはもう一人のインドネシア人介護士 リオさんを見つけると「※マカン マカン スダ?」と声をかけました。リオさんは笑いながら「スダ」と答えました。
私はびっくりしました! カズさんはインドネシア語まで話せるのです。なんと・・、カズさんはトリリンガルだったのです!
リオさんに尋ねると「マカンマカンスダ?」とはインドネシア語で『食事は済んだの?』と言う意味だそうです。英語のみならずインドネシア語まで話せる「106才のカズさんは凄い!」と思いました。
※「マカンmakan」とは食事のこと。そして「マカンマカン」とはインドネシア語で「食べて食べて」という意味だそうです。また 「スダ(sudah)」とは「もう~した。もう~である。」という(完了)を表す助動詞です。
リオさん曰く、マレーシア(マレー語)とインドネシア語はとてもよく似ているそうです。ゆえに、従軍看護婦時代にマレーシアに行ったことのあるカズさんは インドネシア語(マレー語)が話せるのだろと教えてくれました。
それにしても80年近く前の言葉を覚えていて 話せるなんて凄すぎます。
話題は今日の昼食に移りました。カズさんは「最近、お粥食になっちゃったのよね。」と今度はいつになく神妙に仰いました。
私が「食べやすいし消化が良いからではないですか。」と言うと
カズさんは「でも、お粥のカレーライスよ。」と不満そうに訴えました。
「食べたい物を食べて、言いたい事を言って生きたいの! ワタクシは。」と付け加えました。そうです! そう来なくっちゃ いつものカズさんではありません。「・・・を食べて、言いたい事を言って死にたい。」ではなくて 『・・・生きたい!』が前向き(?)なカズさんらしいと思いました。
106才からの提言でした!
( 2019年10月 8日(火) 14:00~15:00 )
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安田講堂 |
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安田講堂 |
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東大 三四郎池 |
ゆしまの郷に着くと、なにやら賑やかな音楽が流れていました。正面玄関の壁に目を遣ると、「ゆしまの郷 敬老会」というチラシが貼ってありました。楽しげな可愛らしいチラシでした!
第一部は11時からで、第二部が14時からと書いてありました。私が敬聴をさせて頂く6階は午前中に終わったようです。
さて、6階に着くと、お馴染みの方々がテーブル席に座っておられました。キクさん(101才 女性)はテーブルに凭れ(もたれ)眠そうでした。トシコさん(95才 女性)も所在無げにされていました。でも、ご挨拶すると嬉しそうに応えてくれました。
暫くすると キクさんが身体を起こされ、私と目が合いましたのでお傍に行きました。「こんにちは。お元気でしたか。今日は敬老会だったそうですね。」と話しかけると「あらっ、そうだったかしら?」ときょとんとされました。
「そこの壁にチラシが貼ってありますよ。」とやんわりお伝えすると
「ごめんなさい。そうだった・・?みたいねぇ。」と自信無げに仰いました。
でもキクさんは「いつも来て下さってありがとうね!」と仰って下さいました。
そうこうする内に、カズさん(106才 女性)が車椅子に乗り 颯爽と現れました。聞くところによると、カズさんは今やこの施設の最年長だそうで、今日、ご長寿を表彰されたとのことでした。(介護士さん談。)
私がカズさんに「おめでとうございます! カズさんは、この施設 一番の〝お姉さん〟だそうですね!」とお祝いの言葉を述べると
「そうみたいね。自覚症状はないけどね!」とのお返事。他人事のように笑って仰いました。最高です、ユーモアのセンスも抜群です。(エクセレント!)
その後、今日頂いた表彰状を見せて頂くために、 カズさんのお部屋にお邪魔いたしました。4度目の訪問でした!
お部屋の片隅にあるチェストの上に、安倍晋三総理から戴いたという「百歳への表彰状」と小渕恵三元総理から戴いた「第一期生 ※従軍看護婦への感謝状」の隣に、今回の表彰状が立てかけてありました。
※日本の従軍看護制度が始まったのは明治20年代と言われる。1890年(明治23年)4月に、日本赤十字社看護婦養成所に10名が一期生として入校した。養成期間は3年で、卒業後には20年間にわたり応招義務が課せられた。
( 2019年9月21日(土) 14:00~16:00 )
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迎賓館赤坂離宮 庭園 |
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