2016年11月25日金曜日

2) 実習 『102才 世話好きなおばあちゃんとの出会い』

今日はいよいよ傾聴の実習日。傾聴ボランティアの先輩と待ち合わせし、担当する地域の特別養護老人ホームで初めての傾聴にのぞみました。
お相手は102才の女性 カズさんと90才の男性 ヨウジさん。初っ端からすごいお相手です!

カズさんはとても世話やきの方で、6Fの談話室に集まっている入所者の一人一人のプロフィールを教えてくれました。完璧でした!とても102才とは思えない程しっかりしておりました。

おまけにこの日は月一回の回診日に当たっていたようで、経営者であり理事長のドクターY先生にまで、私を紹介して下さったのです。
(私はまだ若葉マークの研修生なのですが。)

一方、お習字が得意のヨウジさんは容易には心を許さない昔気質の方でした。
若いころ(20才位とのこと)千葉県佐倉市の第64連隊(*佐倉と言えば歩兵第57連隊の筈ですが)に所属していたそうです。(お世話やきのカズさんからお聞きしました。)

その話に水を向けた時だけ「キリッとした」表情になり、『(あの時代は)とても大変だった!』と仰っておりましたが、この時はまだ詳しいお話は聴かせてもらえませんでした。
ただ『(いろいろ遭っても)せっかく生きているのだから、頑張って(仲間の分まで)長生きしなきゃ。』とだけ何遍も繰り返しお話されていました。
戦争中は計り知れない辛さがあったのだと胸がつまりました。たいへんな青春時代だったのでしょう。

帰りにカズさんから『明日も来るの?』 『次はいつ来るの?』ときかれました。
人恋しく寂しいのだと感じました。

初めての傾聴なので緊張しましたが、とても充実した時間となりました。
次回からの独り立ちした傾聴(→敬聴)が楽しみになりました。

(実習日:2015年8月23日(日) 14:00~15:00)







2016年11月19日土曜日

1) イントロダクション

私が「傾聴」と言う言葉をはじめて耳にしたのは、12年前の文京区主催「文の京第一期 生涯学習司養成講座」のカリキュラムの時でした。(生涯学習司というのは文京区より授与される資格の一つで、生涯学習に関する一定の知識を習得し、講座を企画・コーディネイトする力を養い、生涯学習のリーダーとして地域で活動する人のことです。)きき慣れない「傾聴」とう言葉が深く胸にささりました。

ただ、内容に共鳴し興味はあるものの、仕事にかまけ実際に行動を起こすまでにはかなりの時間を要しました。
その間、第3期の生涯学習司となられた方とは意気投合し「傾聴」を熱く語り、書物の貸し借り等もして、将来は傾聴(ボランティア)の仕事をしてみたいと話し合ったものでした。でもその彼女は突然の病に倒れ帰らぬ人となりました。私はあらためて彼女の分まで「傾聴」に取り組んでみようと決心しました。 

個人的な話ですが、私は15年程前に一人で父母の介護をしておりました。
特に母は認知症もありたいへんでした。今思えば母の介護の際の実体験から、傾聴の大切さがわかったような気がします。

母がお世話になっていた病院や施設では、歯茎が痩せ、合わなくなった入れ歯は誤嚥を防ぐためはずされておりました。当然ながら言葉は話せなくなりました。その上、同室の認知症患者同士では会話も成り立たず、次第に口数も少なくなっていきました。

しかし母は家族や近しい人には思いを伝えたい(話をしたい)らしく、訪ねる者の顔を見つめ、口をモゴモゴと動かしておりました。
親類は『何を言っているか分からない。話なんか出来るはずがない。』と相手にしてくれませんでした。

私は腰をかがめ母と同じ目線で母の眼を見つめ、ひたすら言葉にならない母の「声」に耳を傾けました。そしてその表情から思いを読み取ろうとしました。
時には母の眼の奥を覗き、口元を見つめ、頷いたり合いの手を入れたりもしました。母はとても満足そうでした。

誰にだって伝えたいこと、きいて欲しい事があると思います。
感情表現は人間が人間らしくあることの尊厳の一つだと思います。
彼らに寄り添ってこれらを受けとめることが敬聴だと私は思います。



鶴居村の丹頂鶴