2016年12月25日日曜日

4) 傾聴初日 認知症フロアー その2 『救世主あらわる?』

その時、陽がさしている窓際から声をかけてくれた女性がいました。
『たいへんねぇ!』と。 職員さんかしら? 助け舟を出して頂いたように感じました。

その場をとりなすように、お食事のメニュ―表を示して下さったり、壁に飾ってあるお人形用の着物の説明もして下さいました。
でも・・・、いろいろお話をしているうちに、普通に思えた70代の女性ですが、ところどころ辻褄が合わなくなるのです。

ふと見ると、彼女のニットブルゾン首のところから、ぬいぐるみのワンちゃんがちょこんと顔を出しているではありませんか。

そして彼女はそのワンちゃんに話しかけ始めました…。
『寒くない?そろそろご飯にしようかね?』と・・・。 ハットしました。
そうです。 ここは痴呆症状の重い方々のフロアーだったのです。

暫くすると、湯島天神の「菊祭り」から戻られた方々がフロアーに集まりはじめました。
私がご挨拶をすると、車いすで帰られた80代の女性が楽しそうに「菊祭り」のお話をしはじめました。 私は少しホッとしました。

傾聴時間も終わりに近づき、私は気を取り直して、もう一度最初にお話を伺いにいった方の所に行ってみました。

彼女の隣に腰を屈め、ただ傍に寄り添っていたら、急に彼女が涙を流しはじめました。そして今度は私の顔をじっと見つめました。
胸がつまりました。熱いものが込み上げてきました。少しだけ‘つたわった’ような気がしました。

傾聴時間の一時間を終え、帰り際にみなさんに笑顔で手を振ると、何人かが手を振りかえしてくれました。そして『また来てね!』と背中の方でどなたかの声が聞こえました。

(実施日:2015年10月31日(土)14:00~15:00 (認知症状の重いフロー))




photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios


2016年12月10日土曜日

3) 傾聴初日 認知症フロアー その1 『いきなり試練?』

ひとり立ち一日目。でも何か変! 指定された階は前回お約束した6階ではなく
4階でした。不安がつのりました。

4階フロアーは6階とは異なり、フロアーにいる方々みんなが傾聴の対象ではなく
介護士さんから特定の方を指定されました。

80代の女性。警戒心がつよく容易には人を寄せ付けない方のようで顔も合わせて
くれません。いきなりピンチ!

でも仕方ないですよね。誰だって見ず知らずの人にそう易々とはこころを許して
くれる筈ないですものね。

私は先ずしゃがんで目線を同じくし、笑顔でやさしく‘威圧感’を与えないように
注意して言葉をかけてみました。

でもダメでした。何をきいても『存じません。』の一点張りです。お名前さえ教えて
はくれませんでした。完全アウエー状態です。

どうしよう、どうしたら良いの…? 早くも傾聴はしっぱい?
頭がパニック状態になりました。

(実施日:2015年10月31日(土)14:00~15:00 (認知症状の重いフロー))


宿根木の少年ボランティア
宿根木の町並み案内 少年ボランティア



上記の写真は、昨年の夏、佐渡旅行した際に、観光バスで宿根木を訪ねた時のものです。そこは風光明媚で素晴らしいところでした。

宿根木は佐渡金山が栄えた17世紀を経て、北前船の寄港地として発展した小木海岸の入り江の集落で、迷路のような路地に今も100棟を超える板壁の民家が密集しているとのことでした。船大工さんの技術が集結した町並は、いにしえの人々の生活や物語がたくさん染み入っており、穏やかな時間が流れておりました。

そして何より感動したのが、町並みを案内して下さった中学生ボランティアの皆さんでした。とてもよく勉強されていて、我々はみなその一生懸命さと純粋な熱意にこころを動かされました。

中学生ボランティアは、平成25年以前の小木中学校の頃から続けられてきたガイドで、夏休みの土日に限るガイドさんだそうです。

現在は地元の南佐渡中学校の皆さんが担当し、宿根木の「夏の風物詩」の一つになっているそうです。宿根木への好印象が倍増し、また訪れたいと心から思いました。

今回「敬聴のブログ」に彼らの写真を掲載させて頂いたのは、宿根木の「けなげ」で「純粋な」少年ボランティアの皆さんのお顔をみれば、ホームのお年寄りたちもさぞかし喜ばれることだろうと思ったからです。







2016年11月25日金曜日

2) 実習 『102才 世話好きなおばあちゃんとの出会い』

今日はいよいよ傾聴の実習日。傾聴ボランティアの先輩と待ち合わせし、担当する地域の特別養護老人ホームで初めての傾聴にのぞみました。
お相手は102才の女性 カズさんと90才の男性 ヨウジさん。初っ端からすごいお相手です!

カズさんはとても世話やきの方で、6Fの談話室に集まっている入所者の一人一人のプロフィールを教えてくれました。完璧でした!とても102才とは思えない程しっかりしておりました。

おまけにこの日は月一回の回診日に当たっていたようで、経営者であり理事長のドクターY先生にまで、私を紹介して下さったのです。
(私はまだ若葉マークの研修生なのですが。)

一方、お習字が得意のヨウジさんは容易には心を許さない昔気質の方でした。
若いころ(20才位とのこと)千葉県佐倉市の第64連隊(*佐倉と言えば歩兵第57連隊の筈ですが)に所属していたそうです。(お世話やきのカズさんからお聞きしました。)

その話に水を向けた時だけ「キリッとした」表情になり、『(あの時代は)とても大変だった!』と仰っておりましたが、この時はまだ詳しいお話は聴かせてもらえませんでした。
ただ『(いろいろ遭っても)せっかく生きているのだから、頑張って(仲間の分まで)長生きしなきゃ。』とだけ何遍も繰り返しお話されていました。
戦争中は計り知れない辛さがあったのだと胸がつまりました。たいへんな青春時代だったのでしょう。

帰りにカズさんから『明日も来るの?』 『次はいつ来るの?』ときかれました。
人恋しく寂しいのだと感じました。

初めての傾聴なので緊張しましたが、とても充実した時間となりました。
次回からの独り立ちした傾聴(→敬聴)が楽しみになりました。

(実習日:2015年8月23日(日) 14:00~15:00)







2016年11月19日土曜日

1) イントロダクション

私が「傾聴」と言う言葉をはじめて耳にしたのは、12年前の文京区主催「文の京第一期 生涯学習司養成講座」のカリキュラムの時でした。(生涯学習司というのは文京区より授与される資格の一つで、生涯学習に関する一定の知識を習得し、講座を企画・コーディネイトする力を養い、生涯学習のリーダーとして地域で活動する人のことです。)きき慣れない「傾聴」とう言葉が深く胸にささりました。

ただ、内容に共鳴し興味はあるものの、仕事にかまけ実際に行動を起こすまでにはかなりの時間を要しました。
その間、第3期の生涯学習司となられた方とは意気投合し「傾聴」を熱く語り、書物の貸し借り等もして、将来は傾聴(ボランティア)の仕事をしてみたいと話し合ったものでした。でもその彼女は突然の病に倒れ帰らぬ人となりました。私はあらためて彼女の分まで「傾聴」に取り組んでみようと決心しました。 

個人的な話ですが、私は15年程前に一人で父母の介護をしておりました。
特に母は認知症もありたいへんでした。今思えば母の介護の際の実体験から、傾聴の大切さがわかったような気がします。

母がお世話になっていた病院や施設では、歯茎が痩せ、合わなくなった入れ歯は誤嚥を防ぐためはずされておりました。当然ながら言葉は話せなくなりました。その上、同室の認知症患者同士では会話も成り立たず、次第に口数も少なくなっていきました。

しかし母は家族や近しい人には思いを伝えたい(話をしたい)らしく、訪ねる者の顔を見つめ、口をモゴモゴと動かしておりました。
親類は『何を言っているか分からない。話なんか出来るはずがない。』と相手にしてくれませんでした。

私は腰をかがめ母と同じ目線で母の眼を見つめ、ひたすら言葉にならない母の「声」に耳を傾けました。そしてその表情から思いを読み取ろうとしました。
時には母の眼の奥を覗き、口元を見つめ、頷いたり合いの手を入れたりもしました。母はとても満足そうでした。

誰にだって伝えたいこと、きいて欲しい事があると思います。
感情表現は人間が人間らしくあることの尊厳の一つだと思います。
彼らに寄り添ってこれらを受けとめることが敬聴だと私は思います。



鶴居村の丹頂鶴