先日のK先生のところへまた敬聴に伺いました。今日はご体調(気分)がすぐれないようで、あまり元気がありませんでした。こんな時には言葉を選びます。余計なことを言ってはいけません。
“歌しかないな” と私は思いました。六大学の校歌です。話しを向けましたが、歌詞がおぼつきません。そこで私はバッグから携帯を取り出し、六大学の校歌を検索しました。歌詞を口ずさみ、リードしながらK先生に歌って頂きました。でも・・途切れがちです。
今度はYouTubeで校歌を見つけ、流して見ました。K先生は耳を傾け、ところどころを一緒に歌われました。よかったです。
私が「学生さんの頃が、一番楽しかったですか。」とお尋ねすると、にっこり頷かれました。そして ‘お気に入り’ の明治大学の校歌を歌いはじめました。
私が「父は明治大学の法学部と日本大学の土木工学科、両方の出身で建築士でした。」と言うと、「凄いなぁ。羨ましいなぁ。」と仰いました。なんとK先生のお父様も建築士だったそうです。そして「本当は、僕は大工になりたかったんだよ!」と仰ったのです。
江戸っ子気質の庶民的な先生で、子どものようでした。
ただ、ちょっと寂しそうに「でもね、僕は不器用だから、釘を打つと釘頭が曲がっちまうんだよ。」と仰いました。私は笑ってもよいのかどうか困りました。
「建築士なら なれたのでは?」と水を向けると「僕は大工になりたかったんだよ!」ともう一度、仰いました。建築士ではなく職人である ‘大工さん’ になりたかったのだそうです。高名な歴史学者が・・。人生いろいろですね。
それにしても、こんなに明治(大学)贔屓で・・。私は「父が生きていて、この話を聞かせたら、たいそう喜んだだろうなあ」と心の中で思いました。