2024年11月29日金曜日

193) 【徒然に】3回目の敬聴訪問 ~こんなところで油を売っていないで...~

一ヶ月ぶりに文京区の高級有料老人ホームへ傾聴に伺いました。お相手はT大の名誉教授、いつものKさんです。昼食が遅くなったということで30分ほどロビーで待たされました。

施設の方からは「Kさんは ちょっと気難しくて、日によってムラがある方なので、気をつけてください。」と言われました。そうかな?と私は思いました。

お部屋に伺うと「君は誰だっけね?」と言われました。私が「今日で3回目ですが、傾聴ボランティアの◯◯です。」と答えると、
「ああ、そうか。最近はみんな忘れちゃうんだよ。」と仰いました。ちょっと悲しげな表情をされました。

私が「今日はKさんのお食事が終わるまで、30分くらいロビーでお待ちしていましたよ。」とお伝えすると、Kさんは目を丸くされ「言ってくれれば、食事をやめて戻って来たのに。」と仰いました。そして「悪かったね。」と。

私の「昼食は美味しかったですか」の問いには、かぶりを振り「食欲がないから・・」とぽつんとお答えになりました。「何がお好きなのですか。食べたい物はありますか?」と尋ねると、「カレーライス!」と即座に仰いました。長い教員生活のKさん。40年くらいだそうです。「学食のカレーライスも美味しいですよね。」と水を向けると、にっこりとなさいました。

Kさんはボランティアに興味があるらしく「ボランティアねぇ。 ちゃんとお金は貰えるの?」とお尋ねになりました。私が「ボランティアですから、貰えません。」とお答えすると「そう。じゃあ、本職は何?普段はどんな仕事をしているの。」等とお尋ねになりました。
 
私は以前の仕事をお伝えし「今は文京区で別のボランティア活動をしています。」とお答えすると「そりゃ大変だ。ご苦労さま。」と労って下さいました。最近は
朗読も学んでいて、来月には頼まれて朗読をするとお伝えすると「朗読! 良いね。何処でするの?」と興味津々です。

場所をお教えし演目もお伝えすると、少し視線を上に向けて(想像されているのでしょうか)「君は声が良いからいいね。」と褒めてくださいました。私は思いがけない言葉にびっくりしました。

その後、Kさんは歌を歌いはじめました。例の明治大学の校歌です。もはや ご自分の世界です。しばらくすると「君、こんなところで油を売っていないで、早く帰りなさい!」「帰った方がいいよ」と仰いました。傾聴訪問が ‘油を売っている’ だって。思わず吹き出しそうになりました。でも 心が温かくなりました。

敬聴終了の間際に、私が窓から外を見て「ちょっと曇ってきましたねえ。これから雨だそうですよ。」と言うと、「傘は持っているの、大丈夫かい?」と案じてくださいました。そして・・「今日はこれで失礼致しますね。」と言うと、Kさんは少し手を上げ、何度も「ありがとう。」「ありがとう!」と繰り返し仰いました。私は胸が熱くなりました。

帰りに事務室でご報告すると、係の女性が「◯◯さん(私のこと)だと話が弾むのねぇ。
相性が良いんですね。」と仰いました。
Kさんは他の傾聴ボランティアには全然話をしない時もあり、30分くらいで引き上げてしまう方も多いとのこと。

そして、しみじみと仰いました。「あなたのお人柄ね。」と。くすぐったいような褒め言葉を頂戴しました。私は・・とても恐縮しました。


ふるさと山形 石崎神社の紅葉



2024年11月17日日曜日

192) 【徒然に】一隅を照らす ー大正大学ー

10月末に初めて大正大学へ行って参りました。天台宗主催の「※一隅を照らす」という運動の一つです。

※「一隅を照らす者、これ国の宝なり」は最澄の有名な言葉です。一隅とは、今自分がいる場所のこと。自分が置かれている場所や立場で、ベストを尽くして照らすことで『周囲も光ってくる』という意味。

私の家は天台宗ではありませんが、母の実家が天台宗だったときいておりました。天台宗といえば、総本山が比叡山延暦寺で宗祖は伝教大師最澄です。私はどちらかと言えば、真言宗宗祖、弘法大師空海の方に興味があります。因みに、真言宗の総本山は、昨年の秋に友人と参った「高野山真言宗 総本山金剛峯寺」です。

今回のイベントは、昨年春のお彼岸法要をして頂いた際に、霊園のチラシでその活動を知りました。残念ながら 昨年はイベントに参加出来ませんでしたが、今年もご案内を頂いたので参加して参りました。

当日は声明や雅楽、御詠歌での「特別法要」から始りました。安らぎのある、心地よい空間でした。もともと声明が大好きなので、天台宗の声明も ぜひ聴いてみたいという思いから参加いたしました。お気に入りの醍醐寺の声明とは差違がありますが、また別の味わいもありました。

法要の最後には、導師として「東叡山輪王寺門跡門主 寛永寺貫首」の浦井正明 大僧正が講話をされました。御年87歳とのことですが、矍鑠とされ、そのお話しは心にひびき、感銘を受けました。素晴らしい方でした。

イベントは盛り沢山で、体験教室では下記の写真にあります「匂い香づくり」と「腕輪念珠づくり」に挑戦しました。匂い香づくりは、京都に本店がある ‘香老舗 松栄堂’ のお店の方からご説明をうけ作りました。

用意された‘香りのタブレット’ から、自分の好きな香りを数種類(ラベンダー、桂皮、丁子、甘松、竜脳など)選び、組み合せて作りました。自分だけの「オリジナル匂い袋」です。結構、気に入っています。

更に 大正大学仏教学部准教授の木内堯大師による『落語と仏教って面白い!』という特別授業は、面白くて60分があっと言う間に過ぎてしまいました。

木内堯大師によると、落語の起源は戦国時代であり、武田信玄や豊臣秀吉などの戦国武将の話し相手をした 曾呂利新左衛門等が書いた『御伽衆』という面白本や浄土宗の僧侶 安楽庵策伝の『醒睡笑』などの書物が、その雛形と言われているそうです。

また、実際には江戸時代になってから 京都・江戸(東京)・浪花(大阪)の三都において、人前で辻噺(つじばなし)という形で 今の ‘落とし噺’ のようなものをやったものが、現在の※職業落語家の始まりとされているとのお話でした。

※京都の露の五郎兵衛(元日蓮宗の談義僧)、大坂の米沢彦八、江戸の鹿野武左衛門などが有名。

とても勉強にもなり、満足した一日でした。大正大学は、もちろん昔から名前だけは知っていましたが、校内に入ったのは今回が初めてです。

思い起こせば、大正大学の存在を知ったのは私が大学二年生の時でした。当時、神保町のスキーショップでアルバイトをしていましたが、不慣れなスキー用品の説明に苦慮していた時、親切に優しく教えてくれたのが大正大学の学生さんでした。

私より二学年先輩の男の人でしたが、とても良くして頂き 優しいお兄さんという感じでした。たしか・・彼は西新井の有名なお寺のご子息でしたが。今頃はきっと 立派なご住職さんになられていることでしょうね。

そんなことを思い出しながら、西巣鴨にある 大正大学の広い敷地内を散策しながら帰路につきました。


   

    
     

 
     



2024年10月19日土曜日

191) 【徒然に】第三回「ひとり朗読会」を終えて

今年もまた 9月28日に無事「第三回 ひとり朗読会」を開催することが出来ました。ひとえに私を支えて下さっている友人達のおかげさまです。感謝です。チラシ作りから生演奏での協力、また当日の会場設営や受付や着物の着付けなど等です。

この場をお借りして、皆さまの御礼申し上げます。有難うございました。

出し物は『白子屋騒動 2024』(村上元三作)と『十三年』(山川方夫作)でした。今回もあまりお声がけをぜすに、友人や知人などの内輪の会にしました。それでも32名の方々にお集まり頂きました。とても有難いことです。

仲間内ゆえ、ほめ言葉をたくさん頂戴しましたが、話半分(三分の一)としても嬉しかったです。何より「面白かった」「引き込まれた」「情景がはっきりと浮かび上がった」とか「来年も楽しみにしている」など、また 次回のお手伝いを買って出て下さる方が多いのを有難く思いました。来年も頑張ろうという意欲が湧いてきました。 
   
朗読会が終わって早いもので3週間になりますが、今は別の作品をレッスン中です。振り返ると、朗読のレッスンが楽しかったこと。今回は相関図を作りましたが、登場人物の一人ひとりに感情移入ができたこと。そして気持ちよく朗読できたことが進歩でした。

朗読の最後の場面では「この『白子や騒動』という作品とも暫しお別れなのか」という思いがよぎりました。寂しさを覚えたくらいです。

そして本日、朗読会に来て下さった知人のNさん(70代の男性)からビックリするような依頼を頂きました。読書ゼミ(Nさんが所属している会)で私に朗読をして欲しいと仰るのです。‘えっ、私で良いの?’ という気持ちとは裏腹に、また『白子や騒動』を朗読できる、作品が寄り添ってくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

Nさん曰く「出演料は払えないけど、日本酒でもワインでも沢山お酒は飲ませてあげるからね。」と。でも・・、最近の私は あまりお酒が飲めない(それほど欲しない)のですが・・!? とにかく 楽しんで頂けるようにがんばります。  

※「イベント・その他」欄もご覧ください。今回の朗読会の写真を載せてあります。



 











2024年10月12日土曜日

190) 【徒然に】母の法要とかみのやま温泉「名月荘」

今年の9月は本当に忙しい日々でした。8月の夏バテのしわ寄せもあったのですが、山形の母の7回忌や文京区の委員長絡みのしごと、そして恒例の「第3回 ひとり朗読会」の開催などがあったからです。

そんな訳で久しぶりのブログとなります。拙いブログですが、楽しみにされている方もお出でです。更新が遅れていることにご指摘をうけました。有難うございます。ご心配をお掛けいたしました。

さて、忙しいさなか 私は郷里 かみのやま温泉の「名月荘」に行ってまいりました。憧れの名旅館です。やっと予約がとれました。全室‘離れ’風。妹を誘っての温泉旅でした。とは言っても・・、私は母の法要後の一種の「※直会(なおらい)」のつもりでした。

※直会とは、本来は神式で祭事が終わってから、お神酒や供物を下げていただく会食のことですが、仏式では法要後の会食でお斎(とき)とも言います。身を清めるといった意味合いもあります。

7回忌は「第3回 ひとり朗読会」のちょうど一週間前に行われました。当日を含め山形に滞在中の三日間は大雨警報や避難勧告まで飛び出す荒れようです。法要中、称念寺の本堂に参列していた親族の携帯が一斉に鳴り響き、異様な空気につつまれました。驚きの体験でした。

然しながら、車社会の地方都市 山形、車での移動はスムーズでした。ただ一つ心残りなのは、足場の悪い山の中腹にあるお墓参りに行けなかったことです。私は「また、お墓参りに来ればよい」と自分に言い聞かせました。

その翌日、久々に妹と水入らずで訪れたのが、かみのやま温泉「名月荘」でした。静寂な場所にあり、お料理も美味しく、落ち着いた見事な旅館でした。実は30年くらい前にも一度、祖父の法要後のお斎をした旅館です。泊ったのは初めてでした。

その夜は、地元産の食材で手の込んだ美味しい料理(写真はごく一部、撮り忘れました)に舌づつみを打ち、久しぶりに妹と母の思い出を語ったり、ゆっくり話ができて、幸せな一夜となりました。これも故人を偲ぶ 供養のひとつだと私は思いました。






















2024年7月27日土曜日

189) 傾聴ボランティア その2 「本当は大工になりたかったんだよ!」

先日のK先生のところへまた敬聴に伺いました。今日はご体調(気分)がすぐれないようで、あまり元気がありませんでした。こんな時には言葉を選びます。余計なことを言ってはいけません。

“歌しかないな” と私は思いました。六大学の校歌です。話しを向けましたが、歌詞がおぼつきません。そこで私はバッグから携帯を取り出し、六大学の校歌を検索しました。歌詞を口ずさみ、リードしながらK先生に歌って頂きました。でも・・途切れがちです。

今度はYouTubeで校歌を見つけ、流して見ました。K先生は耳を傾け、ところどころを一緒に歌われました。よかったです。

私が「学生さんの頃が、一番楽しかったですか。」とお尋ねすると、にっこり頷かれました。そして ‘お気に入り’ の明治大学の校歌を歌いはじめました。

私が「父は明治大学の法学部と日本大学の土木工学科、両方の出身で建築士でした。」と言うと、「凄いなぁ。羨ましいなぁ。」と仰いました。なんとK先生のお父様も建築士だったそうです。そして「本当は、僕は大工になりたかったんだよ!」と仰ったのです。

江戸っ子気質の庶民的な先生で、子どものようでした。
ただ、ちょっと寂しそうに「でもね、僕は不器用だから、釘を打つと釘頭が曲がっちまうんだよ。」と仰いました。私は笑ってもよいのかどうか困りました。

「建築士なら なれたのでは?」と水を向けると「僕は大工になりたかったんだよ!」ともう一度、仰いました。建築士ではなく職人である ‘大工さん’ になりたかったのだそうです。高名な歴史学者が・・。人生いろいろですね。

それにしても、こんなに明治(大学)贔屓で・・。私は「父が生きていて、この話を聞かせたら、たいそう喜んだだろうなあ」と心の中で思いました

ホワイトホース


ホワイトホース






2024年7月10日水曜日

188) 傾聴ボランティア再開!~東大の名誉教授とデュエット~

久々の敬聴訪問です。実に4年半ぶりでした。コロナ前にも伺っていた 文京区の高級有料老人ホームに着くと、事務の方から「今日の方(男性)は少し気難しいかもしれません。」と おどかされました。個室で男性入居者と一対一での敬聴は初めてでしたので、私は少々怯みました。

エレベーターに乗り、指定されたKさんのお部屋を訪ねると、奥のベッドに白髪で品の良い方(Kさん)が横たわっておられました。そばに行きご挨拶をすると・・、Kさんは開口一番「(あなたは)何処の大学(出身)?」とお聞きになりました。意外な質問に私はたじろぎましたが・・、母校を告げると にこっとされ、専攻までお尋ねになりました。

お部屋を見渡すと、本棚がたくさんあるのに気がつきました。サイドテーブルの上にも書籍が山積みにされています。Kさんに許可を得て、並んでいる書籍をみせて頂きました。よく見ると・・、書籍の著者名のほとんどがKさんでした。

なるほど! Kさんは元大学教授、学者さんだったのです。今回 私が敬聴させて頂くのは高名な歴史学者、東京大学の名誉教授でした。

重厚なグリーンのソファの脇に車椅子が置いてあります。K先生はベッドに寝転んだまま、私はベッドの傍に椅子を運び 座っての敬聴となりました。

失礼ながらご年齢をお聞きすると「昭和6年生まれ!」と仰いました。私が「では、今年93歳ですね。」と言うと、「えっ、僕はそんな歳?」と仰いました。
「計算すると93歳ですが・・、先生はお幾つだと思っていらっしゃいましたか?」と尋ねると、「80歳くらい!」と即答されました。男性も女性も一緒ですね、若く見られたい(若いと思いたい)のは。

それから、いろいろな話を聴かせて頂き 私もお話させて頂きました。古文書の話になった際、私が師事していたN先生が、K先生のお弟子さんと言うことが分かりました。奇遇です。世の中は広いようで狭いとつくづく思いました。

K先生はたいへん朗らかな方で、いろいろお喋りしてくださいました。ご自分が大学で教えたお弟子さん達の話になると、目が輝き 生き生きし始めます。また六大学の校歌が大好きとのことでした。特に早稲田の校歌、それから慶応、そして一番好きな校歌は明治大学だと仰っていました。腕を振りながら朗々と歌っておられました。

私が「東大の校歌はどんな歌ですか。」と尋ねると、「僕が学生の頃には東大に校歌はなかった」と仰っていました。(※後で調べたら、本当に東大には校歌は無いようです。東京大学運動会歌「大空」と東京大学応援歌「ただ一つ」を「東京大学の歌」としています。)

その後はご両親やご兄弟の話などをお聞かせ下さいました。楽しそうでした。御妹さん方がお好きだったという ‘西城秀樹’ さんの歌まで歌いだしました。「傷だらけのローラ」や「Y.M.C.A.」などです。歌詞がおぼろげな部分は、私も一緒に歌ってしまいました。デュエットです!お部屋の外にまで聞こえる程の大合唱でした。

敬聴時間は少々オーバーしましたが、帰りがけ K先生はご自分の著書を私に一冊くださいました。固くお断りしたのですが・・。(たくさんあるからと仰って。)そしてK先生は「愉快だったね。ありがとう! また来てね。」と仰いました。






2024年6月20日木曜日

187) 【徒然に】全盲の文化人類学者 広瀬 浩二郎先生

6月15日に文京シビックホール会議室にて、特別公開講座「触る文化」が拓く共生社会の未来―ユニバーサル・ミュージアムの実践からーが開催されました。満席の大盛況でした。

講師は広瀬 浩二郎氏。全盲の文化人類学者で、現在は国立民族学博物館の教授です。「座頭市流フィールドワーカー」あるいは「琵琶を持たない琵琶法師」と自称する先生です。

13歳の時に失明。筑波大学附属盲学校から京都大学に進学し、同大学院にて文学博士号取得。日本宗教史・民俗学・障害者文化論・触文化論を研究。2023年12月には 令和5年度文化庁長官表彰を受けました。

先生は非接触が強調されるコロナ禍の中、触れ合いの大切さを訴える「ユニバーサル・ミュージアム展」を大阪で開催しました。全ての展示物を自由に触ることができる「ユニバーサル・ミュージアム展」の全国巡回を目指しているそうです。

私は広瀬先生とは今回で三度目の御目文字となりますが、その変わらぬ若々しさと純粋さに驚嘆しました。今回は受講者ではなく、司会者の立場での再会となりましたが、そばに居るだけで幸せな気分になりました。

数分間の打ち合わせ(ご挨拶)の際、私は先生に一言だけ申し出たことがあります。それは、ご講演中 私は先生の傍、司会者席に(待機して)いる旨です。何か予想外のことが起こった場合には “対応する” という意味合いでした。そしてご講演中は邪魔をしないように気配を消すことに努めました。

障害をお持ちの方への対応はナイーブなことが沢山あります。大切なのはその方その方が望む手助けをして差し上げることです。然しながら 人それぞれ、ゆえに難しいです。ただ、少なくともお声がけは必要だと思います。私は『小さな親切、大きなお世話』にならぬよう気をつけました。

ご講演は予想通り 素晴らしいもので、時には冗談を交えユーモアたっぷりに話されました。心に響きました。講演の中にリラックス体操までご用意されていて、私は広瀬先生のご指名により、先生と両手を合わせて即興のパフォーマンスをしました。心の温かさを感じる先生の両手でした。

後日、広瀬先生と面識のある知人は仰いました。『広瀬浩二郎先生には何度かお会いし、お江戸の町をご案内したことがあります。お酒好きで豪快な方ですね。』と。




暮夜の湯島天神




2024年5月22日水曜日

186) 【徒然に】異人たちとの夏

私には数多くのお気に入り脚本家がいます。例えば、池端 俊策氏、市川 森一氏、大西 信行氏、鎌田 敏夫氏、宮藤 官九郎氏、倉本 聰氏、野島 伸司氏、早坂 暁氏、三谷 幸喜氏、そして向田 邦子氏などです。その中でも大好きな脚本家の一人が、山田 太一氏です。彼は小説家としても素晴らしい作品を残されています。

山田氏は人々の日常生活での哀歓や心の揺れを描くことで知られています。松竹で木下惠介監督に師事し、監督の映画をテレビドラマに脚色する仕事を始めました。そして1973年『それぞれの秋』で、平凡な家庭が崩壊の危機に直面するさまをシリアスに描き芸術選奨新人賞を受賞しました。

その他、忘れられない作品は『男たちの旅路』『岸辺のアルバム』『沿線地図』『想い出づくり』『ながらえば』『早春スケッチブック』、そして何と言っても『ふぞろいの林檎たち』です。

小説としては『異人たちとの夏』が私は一番好きですが、この作品で1988年に山本周五郎賞も受賞しています。今や英語だけでなく、フランス語やドイツ語、タイ語など10以上の言語に翻訳されています。他には『終りに見た街』や『飛ぶ夢をしばらくみない』そして『冬の蜃気楼』等の小説もあります。

『異人たちとの夏』は1988年に映画化されましたが、何と36年ぶりの2023年にイギリスの名匠アンドリュー・ヘイ監督によりリメイクされました。『異人たち』というタイトルです。現在日本でも公開中です。(チラシ添付)

邦画『異人たちとの夏』:
妻子と別れ 孤独な日々を送るシナリオ・ライターが、ある日浅草で幼い頃に死別した若い父母そっくりな二人に出逢う。そして・・・。

山田太一氏の自伝的要素がつよいファンタジー映画です。不思議な時間と非現実な空間。懐かしくて情緒たっぷりの昭和の浅草と主人公の両親を演じた*鶴太郎さん、秋吉久美子さんが素晴らしく、今でも感動が残っています。

*キャストは風間杜夫さん、片岡鶴太郎さん、秋吉久美子さん等です。第一回山本周五郎賞を受賞した小説を市川森一さんが脚色し、大林宣彦さんが演出した異色作です。

そして、この作品は第12回日本アカデミー賞最優秀賞2部門受賞のほか、優秀賞11部門受賞、また第43回毎日映画コンクールの脚本賞・助演男優賞受賞のほかに1988年度の映画賞を独占しました。

私は公開中のイギリス リメイク作品『異人たち』をまだ観ておりません。時間がなく観に行けないのです。もどかしい思いをしています。

実は数年前、友人の一人に「山田太一氏には『異人たちとの夏』という素晴らしい小説があり、それが映画にもなった。一度 読むか 観てみてね。」と勧めました。

そして昨年、私は偶然にもNHKのニュースで、イギリスで『異人たちとの夏』がリメイクされるという情報を知りました。早速 その友人に伝えたところ、今年になって彼女から『異人たち』が現在 公開中であると教えて貰ったのです。

彼女は既に鑑賞してきたそうです。先を越されました。彼女から「鑑賞後の感想を言い合うのが楽しみ。」と言われました。私はどうしても、邦画の『異人たちとの夏』が また観たくなりました。それで・・AmazonでDVDを購入してしまいました。

私としては、先に公開中の『異人たち』を観に行くか、先日購入した邦画『異人たちとの夏』のDVDを観てから、イギリスのリメイク映画を映画館で鑑賞するか、迷えるところです。










2024年4月16日火曜日

185) 【徒然に】神田祭(四月大歌舞伎 片岡仁左衛門と坂東玉三郎)

念願が叶い先日、人間国宝の片岡仁左衛門さん(80歳)と坂東玉三郎(73歳)さんが共演する「四月大歌舞伎」に行って参りました。大好きなお二人の舞台に感動しました。魂を揺さぶられました。苦労してチケットを取った甲斐がありました。


夜の部の四世 鶴屋南北作『於染久松色読販(おせめ ひさまつうきなのよみうり)』は、惚れた男のために悪事をはたらく玉三郎演じる土手のお六と、凄みのある色気で悪に満ちた仁左衛門演じる鬼門の喜兵衛夫婦が活躍する人気狂言の上演です。
 
そして次の演目は清元の舞踊『神田祭』です。こちらが私の一番のお目当てでした。粋で いなせな鳶頭を仁左衛門さんが、艶やかな芸者を玉三郎さんが演じる至高のカップルの舞台です。江戸の粋 華やかな江戸風情が展開されて私は江戸時代にタイムスリップした気分になりました。

初めて玉三郎さんの舞台を観せて頂いたのは1985年12月、日生劇場で上演された『天守物語』でした。天守夫人富姫を玉三郎さんが演じ、相手役の姫川図書之助を真田広之さんが演じられました。当時青年座の座員だった友人からチケットを頂き、私は仕事を休み 彼女の代わりに観せて頂いたのです。席はなんと一番前の真ん中でした。

そして仁左衛門さんの舞台はたくさん観せて頂きましたが、一番印象的なのは2010年3月の「御名残三月大歌舞伎」。菅原伝授手習鑑『道明寺』での仁左衛門さんです。こちらも忘れられません。最高でした。歌舞伎座建替えのためのさよなら公演でした。

今回の舞台では仁左衛門さんの年齢を超越した圧倒的な色気に私は完全にノックアウトされました!至福のひと時でした。本当に行った甲斐がありました。観劇料の18,000円は安いくらいです。(こんなに良い席は年に一回くらいですが。)

そして玉三郎さんはどんな役をされてもひたすら高貴!美しすぎます。『於染久松色読販』の伝法な‘悪婆’と呼ばれるお六を演じてもです。

言うまでもなく、お二人の息はピッタリ! 特に花道での芝居 掛け合いは圧巻でした。‘男女の恋の濃密さ’がただよい、まさに二人だけの世界でした。ご両人の色香が舞台中 そして客席にまで広がり 息苦しくなるほどでした。至極のひと時を過ごしました。

同時代にあのような素敵な歌舞伎役者さんに出会えて有難いと思いました。上質で成熟した芝居、私は「ありがとう」の気持ちでいっぱいになりました。



























2024年3月29日金曜日

184) 【徒然に】新年度にむけて

退職してから随分経ちますが、今年ほど ‘年度末’ を身にしみて感じたことはありません。文京区での各ボランティア活動も4月からは新体制になります。それに伴い納めの活動も多々あり、忙しい日々をおくりました。

新年度の4月からも 文京アカデミア「学習推進委員」に選考され、継続して務めることとなりました。そして あらたに文京アカデミア「生涯学習司の会」を会長から依頼され、手伝うことになりました。各委員や区民のためのスキルアップ講座や研修会などを企画運営します。

学習推進委員は文京アカデミア講座の企画を担当します。また、委員長は応募された多くの企画の中から実際に開講する企画の選定も行います。委員個人での講座企画や委員会としての企画もあります。そして区民プロデュースの企画相談やコーディネートも担います。たいへんですが やり甲斐もあります。

特に、区民の方ご提案の企画をブラッシュアップさせて頂き、さらに魅力的な講座が出来上がった際には 自分が企画した講座と同じくらい(或いはそれ以上に)嬉しいものです。委員は客観的な視点、俯瞰的な立場でのアドバイスが求められます。

私は新年度から、区民プロデュース講座に応募される方々のための相談窓口(区認定の有資格者が交替で)に立つことになりました。講座を企画するお手伝いです。さて、どんな心躍る企画と出合えますか。楽しみでもあります。

(下記の写真は文京シビック大ホールの舞台裏などです)