落語には子供の頃から慣れ親しんでおりました。父に連れられて浅草演芸ホールや新宿の末廣亭などに行ったり、テレビやラジオでも落語を聴いていたからです。
古くは八代目桂文楽(端正なお顔立ち)次に六代目三遊亭圓生、それから三代目の古今亭志ん朝、上方では二代目桂枝雀(十代目桂小米の時代から聴いていました。)そして大好きな十代目柳家小三治(傾倒していました。)桂文珍も良いですね。最近では古今亭文菊(現在の一押し)等です。(以上、敬称略)
柳家小三治さんは落語協会の第十代会長も務められ、年功序列となっていた真打ち昇進の基準を変更し、春風亭一之輔、古今亭文菊らを香盤(落語家の序列)を超えて昇進させ、落語界の発展に一石を投じました。素晴らしいです。
その後、2014年には落語家として3人目の人間国宝に認定されました。
飄々とした表情でぶっきら棒にしゃべる。そこが最高に面白いと私は思いました。『うどん屋』『小言念仏』『死神』『芝浜』『初天神』などの演目が特に私は好きです。
むかし(1991年の秋)『噺家カミサン繁盛記』(脚本:布勢博一 フジテレビ)という連続ドラマが放送されました。小三治さんが二つ目昇進から妻との結婚、弟子とのトラブル等の半生を題材としたドラマで、原作は小三治夫人の郡山和世さんでした。懐かしく思い出します。私はこの頃から大ファンになりました。
晩年はお弟子さんに手を引かれ高座に上がるなどしていましたが、座布団の上では衰えを見せず生涯現役として、最後まで名人芸を貫きました。
その晩年の独演会での話です。会場は板橋区立文化会館でした。
私は仕事を終え、雨でしたので急いで会場に向かいました。指定席でしたが、ちょうど開場の時間とあって 大勢の方々が列をなしていました。
私は順にゆっくりと進みましたが、会場手前のコーナーには人だかりがしていました。小三治さんの写真雑誌とDVDを発売しているようでした。気になりましたが、取敢えず、傘立てに傘を収め、席に荷物を置いてから、もう一度コーナーに行ってみようと思いました。
そして再度コーナーに行ってみると、まだ人だかりです。よく見ると、何と 柳家三三さんが ‘売り子’ をされいたのです。ビックリしました。そうです、彼は小三治さんのお弟子さんでした。
後ろにもたくさんの人が並んでいたので、私は小三治さんのDVDだけ購入すると即座にコーナーを離れました。でも、多くの方々が遠巻きに柳家三三さんの写真を撮っていました。
私は席に戻りましたが・・、大事な友人が柳家三三さんの大ファンなので、彼女のために写真を一枚 撮れたらと思い、もう一度コーナーに向かいました。
念のため、文化会館の会場係の方に「(三三さんの)写真を撮らせて頂いてもよろしいでしょうか?」と尋ねると、「僕は分かりません。」との返事。でも他の方々は平気で写しています。困っていると・・「(三三さん)ご本人に聞いてください。」と大胆なご回答。
私は意を決し人だかりが少なくなってから、三三さんのところに行き「あのう、先程 DVDは購入させて頂いたのですが、凄いですね、自ら売り子さんをなさるなんて。」と言うと、三三さんは「凄いことはないやぁ。‘自ら’と言ったって、俺のじゃないよ、師匠のだよ。」と ちょっとニヒルに笑いました。
そして私が「友人が三三さんの大ファンでして、写真を1~2枚撮らせて頂いてもよろしいでしょうか。」と尋ねると、三三さんは「良いよ。でも、こそッとね!」と仰いました。
その時の写真が以下です。何となくカメラを意識している感じがしますが。三三さんも素敵な方でした。もちろん私もファンになりました!
ただ、今にして思うと・・、あの時は「小三治さん」の不測に事態に備え(体調が悪くなった時など)代役のために待機していたのではないかと思うのです。素晴らしい師弟関係だと 私は感じ入りました。