本年 3月3日に現代日本を代表する大文豪の大江健三郎さん (敢えて 先生とお呼びせず、“大江さん”と呼ばせて頂きます) が亡くなられました。私の大好きな小説家の一人です。謹んで哀悼の意を表します。
大江さんは戦後の日本文学の旗手として数々の文学賞を受賞し、日本人として二人目のノーベル文学賞(1994年)も受賞されました。また核兵器や平和問題、そして憲法改正に反対する会や脱原発を訴えるデモの呼びかけ人など、社会問題に対しても発言を続けてこられました。
大江さんの訃報ニュースが流れた際、恐れ多いことに 私は友達の数人からお悔やみの言葉を頂戴いたしました。身に余り とても恐縮しました。
その訳は・・大江さんと私の間でこんなエピソードがあったからです。
1993年1月23日に大江さんのご講演を聴きにパルテノン多摩(多摩センター駅)に行った時のことです。なぜ正確な日付を覚えているかと言うと、その日は安部公房さんが亡くなった (没1993年1月22日) 翌日だったからです。
当日、私は気合を入れ かなり早く家を出ました。講演会場に早めに着き、前方の席でご講演を聴くためです。ただ・・、京王線の乗るべき電車を間違えました。「橋本行き」ではなく「八王子(高尾)方面行き」の電車に乗ってしまったのです。
元来、私は方向音痴な上に おっちょこちょいです。いつまで乗っても多摩センター駅に着きません。焦りました。そのうち、やっと間違いに気づき 調布駅まで戻りました。そして「橋本行き」に乗り換えました。1月です。雪もちらつき始め、涙がでました。
開場時間を大幅に過ぎ、やっと多摩センター駅に着きました・・。
今度こそ、会場である「パルテノン多摩」に間違いなく到着できるよう、細心の注意をはらいました。念のため、改札口を出たところにあった「案内地図看板」を念入りにチェックしました。
そして会場に向かおうとした時、その「案内地図看板」の反対側にどこかでお見かけしたことのある方と目が合いました。穏やかに微笑みながら私を見ています。「あれっ? どなたかしら・・。私の知り合い?」 (その2に続く)
湯島天神 |