男児の ‘時計’ へのこだわりは「お母さん(ご家族)のお迎えを、今か今かと心待ちにしている」その表れのような気がしました。大きな時計を胸に抱えて私の腕時計を覗きこみ「いま、何時?」と訊ねた‘その顔’が忘れられません・・。
20年ほど前、私は養父母の介護中に体調を崩して入院し手術を受けました。1ヶ月弱の入院になりました。然しながら、monthlyの学会(論文)誌の編集が仕事でしたので、入院中は電話でアルバイトに指示を出し、退院後も直ぐに出勤しなければならない状態でした。
幸い入院前に、父を介護療養型医療施設(今でいう介護医療院)に、そして母は何とかぎりぎりで 運よく特別養護老人ホームに入居させることが出来ました。ただ、退院後は思うように体力が戻らず、私は日々の勤めだけで精一杯でした。
そんな状態でしたので、平日はもとより土日も疲れて 其々の病院や施設に様子を見に行くのがままならず、毎週日曜日に父母どちらかの一箇所にしか行けませんでした。(可哀想なことをしました。)
退院直後 久しぶりに父の病院を訪ねると 父は私の顔が分かりませんでした。風邪予防のためのマスクのせいかと思い 外しましたが、父は困ったように首を傾げました。ハッとしました。私が以前より痩せていたからです。父の姪が私の名前を伝えると、父は初めて嬉しそうに笑顔を向けてくれました。
親戚の人達は本当に良く手伝ってくれましたが、やはり、父母は私の面会を待っていたのです。其々の所に、月2回づつの訪問が2~3ヶ月続きました・・。
二度目に父へ会いに行った時は、待ちかねたように笑顔で迎えてくれました。が・・、私が辛そうにしゃがみ込むと、父はあんなに私の来訪を待ちわびていたのに「疲れているようだから今日はもう帰りなさい。」と優しく しかし目を伏せて言いました。私は自分が情けなくなりました。病院の滞在時間は たったの10分でした。
その後は徐々に体力も回復し 頻繁に父母の面会に行けるようになりました。
或る日、父は私の顔をみると「この腕時計は壊れている。」と訴えました。そして「新しい時計を買ってきて欲しい!」と頼まれました。「いくら高くても良いから。」と 外国の高級腕時計の商品名をあげました。
父は腕時計を外して私に見せました。でも・・、時計は正常に動いているし、時刻も正確でした。故障などしていません。そう伝えても父は頑として聞きませんでした。「時間がぜんぜん進まないんだ。」と言い張りました。
その父とのやり取りを聞いていた 年配の看護師さんが言いました。「お父さんはいつもいつも時計を見ているの。あなたを待っているのよ。」と。私はやっと解りました・・。高級腕時計なら ‘正しい’ 時を刻むだろうと父は考えたのでしょう。切ない話です。
「こんど娘はいつ来るんだろう? 今日かな。明日かなあ?」「今日は日曜日だし、もう直ぐかな? 早く来ないかなあ。」等と待っていたのでしょうね。だから なかなか ‘時計が進まない’ のです。何ともやるせない気持ちになりました。
男児や父の ‘時計’ に対する思い入れは「時間への執着心」のように思われました。男児は「淋しさや不安感から何かにしがみつきたい気持ち」そして父の場合は「孤独感」でしょうかね。いずれも愛情を求めているのだと思いました。私はそう感じました・・。
幼稚園の男児が父と同じ気持ちだったとは思いませんが、父の時も 先日の幼稚園でも、私は胸が締め付けられる思いがしました。