2022年6月25日土曜日

146) 【徒然に】まこっちゃんの形見

国分寺駅が近づくにつれ、私の目に涙が滲んできました。まこっちゃんがいなかったら、ここはあまりご縁のなかった場所かもしれません。

まこっちゃんはとても優秀な脳外科医でした。(このブログ 113) をご参照。)先日、まこっちゃんと何度かご一緒させて頂いた 国分寺の「治鮨」に行って参りました。コロナ禍により伺えず、やっと願いが叶いました。

今回の目的は、勿論 まこっちゃん先生のご供養をするためでした。お店の大将や女将さんと共に先生を偲びたかったのです。

私は下段の写真に載せたフェルトの*ブローチ(これは主に男性がスーツの襟につけるアクセサリーで ‘ラぺルピン’ と言うらしい。 )をつけて伺いました。このブローチ(ラぺルピンは生前 まこっちゃんから頂いたものです。まさか形見になろうとは・・、その時は夢にも思っていませんでしたが。

この*ブローチを頂いた経緯ですが・・・。
数年前、学術総会の各セクションが終わった20時過ぎくらいだったでしょうか、まこっちゃんから「もう、夕食済んだ? 駅ビルの中に良さげなお店を見つけたんだけど、行こうよ!」との呼び出しを受けました。

私は学会事務局のみんなと夕食を終えたとお返事しましたが「ちょっとだけ、軽く飲まない?」と再度のお誘い。「何かお話でもあるのかしら? それとも淋しいのかな。」等と考えながら私は出かけました。

指定された駅ビルのお店に着くと、すでに窓際のテーブル席にまこっちゃんが座っていました。私が真向かいの席に座ると、先生はちょっと嬉しそうな顔をされました。その時 先生がジャケットにつけていた ‘ワインレッドのブローチ’ が目に留まったのです。(いかにもワイン好きの先生が選んだ色だと思いました。

ただ、古風な感覚の私からすると(単なる無知ですが)、男性が深紅の梅花のブローチ(本当はブローチではなく ラぺルピンなのですが、当時 私はその言葉すら知りませんでした。)をつけているのには、少々違和感がありました。

まこっちゃんは「これ(ラぺルピン)、良いでしょう!」と自慢げに仰いました。今思えば褒めて欲しかったのでしょうね・・。そんな思いはつゆ知らず、私は冗談で「でも、色からしても 私の方が似合いそうですけれど。」と返答しました。決して欲しかったわけではありません。

すると少し考え「本当だね。じゃあ、上げるよ!」と先生はブローチを外し 私に下さいました。もうビックリです。私は「とんでもない、冗談ですよ。」と言って丁寧にお断りしましたが・・、結局 プレゼントされてしまいました。困りました。(下世話な話ですが、伺った値段が思った以上にお高かったからです。)

そのブローチ(ラぺルピン)を先生は ‘伊勢丹’ で購入したそうですが、なんと学会会期中に同じブローチをしているドクターに出会った。」とも話して下さいました。そして「明日、その先生の名前を確かめて来る。」などと目を輝かせて仰いました。まったく子供みたいに無邪気な人だなあと、あらためて私は思った次第です。

このブローチには、そんな貴重で大切な思い出があります。

しかし・・、なんと 治鮨の女将さんも、別素材(レザー)で同じ梅花のブローチを胸当てエプロンに着けていました! 女将さんによると、残り少なくなった先生の遺品の中からそのブローチを選んだそうです。あの後、先生はこのお気に入りのブローチ(ラぺルピン)をふたたび購入したのでしょうか・・。

もしかしたら、私に下さった ‘ワインレッド’ のラペルピンがなくて「レザー製の薄茶色」のものを買われたのかもしれません。想像が膨らみました。そうだとしたら申し訳ない気がします。気に入ったので「同じデザインで別素材のものも。」と思われたのなら良いのですが・・。もう、まこっちゃんに訊ねることは出来ません。

帰りがけに、女将さんから “まこっちゃんの笑顔の写真(嬉しそうにビールジョッキーを掲げ、乾杯のしぐさ)” のカラーコピーと「みんなで分けてしまったから、これしか残っていないのよ。」と言いながら 持って来て下さった ‘薬の商品名が印字された’ ボールペンを頂きました。私はとてもとても 有難かったです。

    いま、その写真のコピーを小さな額縁に入れ飾っています。

※治鮨の大将からお聞きしました。まこっちゃん先生は亡くなる3日前も脳外科手術を行っていたそうです。本当に頭が下がります。ご立派です。

そして学閥をこえた脳外科医たちが、「谷口真先生の思い出を永遠に」という追悼サイトをつくりご寄稿されていらしゃいました。皆に愛された先生です。合掌      


まこっちゃんから治鮨へ

 





2022年6月15日水曜日

145) 【徒然に】「ゆしまの郷」のN子先生

先日、N子先生(このブログ 65) 66) 72)に登場))と久しぶりに 本当にひさしぶりにお話しが出来ました。

N子先生とは「ゆしまの郷」(私が傾聴ボランティアをしている特別養護老人ホーム)の副理事長です。医師であるご主人のY先生が理事長をされています。

N子先生はとてもパワフルな女性で、行動力が飛びぬけていらしゃいます。先日、初めてN子先生の御年を伺い 驚きました。80才になられたそうです。信じられないです。とてもお元気なスパーウーマンですから。私の憧れの女性です。

私の心がぶれそうになった時、N子先生とお話がしたくなります。原点に戻れそうな気にさせて下さる方です。

さて ゆしまの郷ですが、入居者・入所者の誰一人 コロナ感染者を出していないそうです。立派です。施設の徹底した感染管理体制と介護職員さんの自意識の高さのおかげでしょうね。何とこの二年間、介護士さん達は自重し 誰も「会食」などされていないとのことでした。凄いです。そして頭が下がります。

私は最近(もちろん 感染対策をしっかり講じた上でですが)友人等との外食を始めました。少しずつ日常を取り戻しつつあります。引き籠りは心身に良くないからですが、お話を伺いちょっと後ろめたさを感じました。

今回はN子先生から素敵なお話をお聞きしました。先生は職員さん達をねぎらう時「ご苦労さま」ではなく、感謝の気持ちを表す「ありがとう」という言葉をかけるそうです。頑張っている介護職員さんには「褒める言葉」よりも「感謝の気持ち」を伝えたいとのことでした。(納得です。)

「ご苦労さま」「頑張ってるね」「熱心ね」などの褒め言葉は、上から目線であると仰っていました。(なるほど・・ご尤も、仰る通りですね。)

そして先生は「今は恩返しの時期」とも仰いました。今までご自分が戴いた有形無形のものをアウトプットしようと思っているそうです。「お金はもういいわ。皆に回す番だわ。」と。私は感銘をうけました。

実際、N子先生は日頃からこまめに施設をおとずれ、差し入れなどをされています。そして介護職員さんを労い、入居者の一人ひとりに にこやかに接し お話をされていました。

特にコロナ禍になってからは、入居者さん達や介護士を含めた全ての職員さんを労うため、ほぼ毎日 施設に足を運ばれているようです。そしてコロナ対策に換気の重要性が指摘された折には、開閉が頻繫になる「窓ガラス」の拭き掃除を自ら行ったそうです。「(私が率先して行えば)職員さんたちも手伝ってくれるでしょ。」と、さり気なく仰いました。

さらに先生は インドネシアから招いた介護士さん達へのお食事の世話(支度)のほか、最近は 各フロアー毎に少人数で、職員さん等とランチを兼ねた意見交換もされているとのことです。もちろん差し入れ弁当持参で。

その際に「いま困っていること」や「気づいたこと」また「不満点」などの聞き取りをするそうです。食事をしながらだと忌憚のない意見がきけると仰っていました。

そして最後に一つ、思いがけないことを話されました。介護士さん(介護者も)の方こそ「愛(優しい言葉)に飢えている」のだと。彼らは常日頃 入居者さんにたくさんの優しい言葉をかけているのに、ご自分たちはそういう言葉をかけて貰っていないと。だから、彼らに「愛情を心がけ 与えたいのだ。」と先生は仰いました。

N子先生とお話をさせて頂いて心が浄化され、良いオーラが身体中に流れるのを感じました。

心城院(湯島聖天)