国分寺駅が近づくにつれ、私の目に涙が滲んできました。まこっちゃんがいなかったら、ここはあまりご縁のなかった場所かもしれません。
まこっちゃんはとても優秀な脳外科医でした。(このブログ 113) をご参照。)先日、まこっちゃんと何度かご一緒させて頂いた 国分寺の「治鮨」に行って参りました。コロナ禍により伺えず、やっと願いが叶いました。
今回の目的は、勿論 まこっちゃん先生のご供養をするためでした。お店の大将や女将さんと共に先生を偲びたかったのです。
私は下段の写真に載せたフェルトの*ブローチ(これは主に男性がスーツの襟につけるアクセサリーで ‘ラぺルピン’ と言うらしい。 )をつけて伺いました。このブローチ(ラぺルピン)は生前 まこっちゃんから頂いたものです。まさか形見になろうとは・・、その時は夢にも思っていませんでしたが。
この*ブローチを頂いた経緯ですが・・・。
数年前、学術総会の各セクションが終わった20時過ぎくらいだったでしょうか、まこっちゃんから「もう、夕食済んだ? 駅ビルの中に良さげなお店を見つけたんだけど、行こうよ!」との呼び出しを受けました。
私は学会事務局のみんなと夕食を終えたとお返事しましたが「ちょっとだけ、軽く飲まない?」と再度のお誘い。「何かお話でもあるのかしら? それとも淋しいのかな。」等と考えながら私は出かけました。
指定された駅ビルのお店に着くと、すでに窓際のテーブル席にまこっちゃんが座っていました。私が真向かいの席に座ると、先生はちょっと嬉しそうな顔をされました。その時 先生がジャケットにつけていた ‘ワインレッドのブローチ’ が目に留まったのです。(いかにもワイン好きの先生が選んだ色だと思いました。)
ただ、古風な感覚の私からすると(単なる無知ですが)、男性が深紅の梅花のブローチ(本当はブローチではなく ラぺルピンなのですが、当時 私はその言葉すら知りませんでした。)をつけているのには、少々違和感がありました。
まこっちゃんは「これ(ラぺルピン)、良いでしょう!」と自慢げに仰いました。今思えば褒めて欲しかったのでしょうね・・。そんな思いはつゆ知らず、私は冗談で「でも、色からしても 私の方が似合いそうですけれど。」と返答しました。決して欲しかったわけではありません。
すると少し考え「本当だね。じゃあ、上げるよ!」と先生はブローチを外し 私に下さいました。もうビックリです。私は「とんでもない、冗談ですよ。」と言って丁寧にお断りしましたが・・、結局 プレゼントされてしまいました。困りました。(下世話な話ですが、伺った値段が思った以上にお高かったからです。)
そのブローチ(ラぺルピン)を先生は ‘伊勢丹’ で購入したそうですが、なんと学会会期中に同じブローチをしているドクターに出会った。」とも話して下さいました。そして「明日、その先生の名前を確かめて来る。」などと目を輝かせて仰いました。まったく子供みたいに無邪気な人だなあと、あらためて私は思った次第です。
このブローチには、そんな貴重で大切な思い出があります。
しかし・・、なんと 治鮨の女将さんも、別素材(レザー)で同じ梅花のブローチを胸当てエプロンに着けていました! 女将さんによると、残り少なくなった先生の遺品の中からそのブローチを選んだそうです。あの後、先生はこのお気に入りのブローチ(ラぺルピン)をふたたび購入したのでしょうか・・。
もしかしたら、私に下さった ‘ワインレッド’ のラペルピンがなくて「レザー製の薄茶色」のものを買われたのかもしれません。想像が膨らみました。そうだとしたら申し訳ない気がします。気に入ったので「同じデザインで別素材のものも。」と思われたのなら良いのですが・・。もう、まこっちゃんに訊ねることは出来ません。
帰りがけに、女将さんから “まこっちゃんの笑顔の写真(嬉しそうにビールジョッキーを掲げ、乾杯のしぐさ)” のカラーコピーと「みんなで分けてしまったから、これしか残っていないのよ。」と言いながら 持って来て下さった ‘薬の商品名が印字された’ ボールペンを頂きました。私はとてもとても 有難かったです。
いま、その写真のコピーを小さな額縁に入れ飾っています。
※治鮨の大将からお聞きしました。まこっちゃん先生は亡くなる3日前も脳外科手術を行っていたそうです。本当に頭が下がります。ご立派です。
そして学閥をこえた脳外科医たちが、「谷口真先生の思い出を永遠に」という追悼サイトをつくりご寄稿されていらしゃいました。皆に愛された先生です。合掌