2022年3月25日金曜日

140) 【徒然に】文京区の老舗和菓子店 その1 壺屋総本店

以前に文京区主催の『文の京 お茶のいまむかし』という企画展のため、区内の老舗和菓子店を調べたことがあります。老舗とは ‘代々つづいて繁盛し 有名になっている店’ のこと。昔から長く続いている信用ある店のことを指します。

この時に調べた老舗和菓子店のうち、私が特に気に入ったお店が二軒あります。一軒目は「壺屋総本店」、そしてもう一軒は「江戸あられ 竹仙」です。二軒とも大好きなお店で、月に一度 必ず買いに行きます。

文京区で老舗和菓子店の筆頭は「壺屋総本店」です。企画展にも資料を提供して頂きました。壺屋は江戸(東京)で創業した和菓子屋としては最古で、江戸前期の寛永年間に 町民が開いた最初の菓子店「江戸根元(えどこんげん)菓子店」という老舗和菓子店です。

現在 お店は東京大学の龍岡門近く 春日通りに面したところにありますが、店主はなんと18代目だそうです。

まずは勝海舟のエピソードから。
明治維新の折、江戸の大店は「新政府の世になって商いを続けていては、長年に渡りお世話になった徳川様に申し訳が立たない」と次々に暖簾を下ろしていったそうです。

壺屋もまた廃業を決意していましたが、大の壺屋贔屓で、常連客でもあった勝海舟に「市民が壺屋の菓子を食べたいと言っているから続けるように」と諭され再開したのだそうです。つまり勝海舟が閉店を阻止したわけです。

今も店内には この時に贈られた「神逸気旺(しんいつきおう)」の書が大切に飾られています。‘神頼みをするのではなく、気力をもって事に当たる’ という意味だそうです。そして壺屋は江戸時代に京都中御門家より由緒ある店へ贈られる称号である「出羽掾(でわのじょう)」「播磨大掾(はりまだいじょう)」も受けています。

また、永井荷風の『断腸亭日乗』や田山花袋の『蒲団』などの小説にも壺屋の名が見られ、美食家として知られる池波正太郎の『鬼平犯科帳』には化粧品店としてその名が記されています。

看板商品である最中の餡は、北海道産の上質な小豆とざらめを使用しており、その皮は専門の皮屋さんが作った もち米100%の皮です。勝海舟が愛した「壺々最中」それより少し大きい「壺最中」そして壺の形をした大ぶりの「壺形最中」の3種類があります。最中はここのお店のものが一番美味しいと私は思っております。

ちなみに、もち米100%の最中は歯の裏にくっつくこともなければ、パサつくこともありません。買った直後も 皮の香ばしさが際立っています。

なお、材料を厳選し 手作り仕上げの壺屋伝統の味は、本郷のお店に行かないと購入できません。保存料などの添加物を一切使わず日持ちがしないこと、また一つ一つ丁寧に作っていて量産できないことから、ネット通販やお取り寄せ対応はしていないそうです。

また、隠れた逸品の練り切りは 繊細な細工と色合いが素晴らしく まさに食べる芸術品でした!



壺屋の壺形最中

江戸あられ 竹仙








2022年3月15日火曜日

139) 【徒然に】地蔵菩薩霊験記

『地蔵菩薩霊験記』※2 の原文を読むことが私の課題となりました。奥健夫先生からのアドバイスです。

※2 『地蔵菩薩霊験記』:平安時代の仏教説話集で、三井寺の僧実睿(じつえい)撰と称する2巻本と、さらに実睿撰と称する巻三、また良観 (16~17世紀の人であるが伝不明) 撰と称する巻四~十四を加えた14巻本が存在する。

奥健夫先生は仏教彫像の研究において私が最も尊敬する方で、その先生から「『地蔵菩薩霊験記』は、地蔵菩薩を考える上で示唆に富む文献と思います。たいへん面白い説話集なので 是非ともご覧になってください。」という貴重なお言葉を頂いたのです。

先生は『仏教彫像の制作と受容―平安時代を中心に―』で第31回 2019年度の*國華賞を受賞されました。(*國華賞とは1989年に岡倉天心らにより生まれた雑誌『國華』の創刊100年を記念して創設され、日本および東洋の美術についての優れた研究に贈られます。)

その『仏教彫像の制作と受容―平安時代を中心に―』は『地蔵菩薩霊験記』を読む上でも たいへん参考になりました。また私の大好きな 京都 六波羅蜜寺の運慶作 ‘地蔵菩薩坐像’(通称、夢見地蔵)や寂光院の焼けこげた ‘地蔵菩薩立像’ についても かなり詳しく言及されています。文献も豊富で 奥先生の御研究の集大成とも言うべき素晴らしい研究書でした。

然しながら『地蔵菩薩霊験記』の方は全て漢字で書かれており、私は難しくて手を付けられずにおりました。当時は仕事も忙しく 時間的にも精神的にも余裕がなかったためでもあります。

そして・・、何と10年もの歳月が経ってしまいました。それが最近、不意に頭をよぎったのです。今年になり、やっと私は辞書を引きながら読み始めました。

内容は地蔵を安置する寺院の縁起や地蔵信仰によって得たご利益などで、阿弥陀や観音霊験記とあまり変わりませんが、地獄から蘇生した話が多いのが地蔵菩薩霊験記の特徴のようです。

【地蔵】より

… 平安時代後期、民間にも仏教が広く浸透するにつれて地蔵信仰は大いに発達した。11世紀の中ごろ三井寺(園城寺)の僧実睿が民間地蔵説話を集成した《地蔵菩薩霊験記》は後に散逸したが、その説話の多くは《今昔物語集》巻十七に再録されており、当時の民間地蔵信仰の特色をうかがうことができる。

功徳の集積が容易な貴族たちの間では、死後の地獄の恐怖がさして切実ではなく 地蔵への関心が薄いのに対し、浄土往生の功徳を積むすべのない民衆の間では、〈地獄は必定〉という深刻な地獄観の下で、地獄に入って人々の苦しみを代わり受ける地蔵の信仰が発達し、〈ただ地蔵の名号を念じて、さらに他の所作なし〉といった地蔵専修さえ成立したのであった。…

地蔵菩薩霊験記という書物は、平安時代から鎌倉初期にかけて成立したものに、室町時代や江戸初期を通じて増補されたもので、それぞれの時代における地蔵信仰の実態を伝える きわめて貴重な記録として注目されるものであった。

読みおえるまで まだまだ時間がかかりそうです。しかし この際 ゆっくりと楽しみながら解読したいと思っております。 


西表島のサガリバナ