2022年2月25日金曜日

138) 【徒然に】クラス会は寂光院で

コロナ禍により全く旅に出られなかった私ですが、昨年末の愛媛旅行でその醍醐味と懐かしい記憶が蘇りました。久しぶりに霊場巡りをしたからでしょうか。それは仲良しクラス会を京都の「寂光院」に参ることで叶えた思い出です。

10年ほど前、私は仏教彫像の第一人者である 文化庁の主任文化財調査官、奥健夫先生の講義を受ける機会を得ました。そして先生から「地蔵菩薩に関心があるのなら※1 寂光院 (天台宗の尼寺) の旧本尊 木造地蔵菩薩立像 (
六万体地蔵菩薩の拝観と※2『地蔵菩薩霊験記』をお読みになることをお薦めします。」とのアドバイスを頂いたのです。

※1: 寂光院の本堂は 2000年5月に放火され全焼。本堂に安置されていた 重要文化財の(旧)本尊の木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代初期の作)も焼損した。しかし真っ黒に焼けこげた本尊(像高256.4センチ)の胎内から、多数の地蔵菩薩像を納めた桐箱がほぼ無傷で 本尊に守られるように奇跡的に難を逃れた。

その後 この被災した地蔵菩薩は劣化を防ぐために3年がかりで樹脂を塗られ、収蔵庫に保管された上で 重要文化財指定も継続されている。そして現在は本堂よりも高台にある収蔵庫に安置され、特定日のみ一般に公開されている。

文化庁は日本に所在する建造物、美術工芸品、考古・歴史資料等の有形文化財のうち、歴史・芸術上価値の高いものや学術的価値の高いものを、文化財保護法に基づき国が指定した文化財を重要文化財とし、その中でも世界文化の見地から価値が高いものを国宝に指定しその保護を図っている。

私は先生からお話をお聴きし、寂光院の旧ご本尊、真っ黒に焼けこげた「地蔵菩薩立像」を是非とも拝観させて頂きたいと思いました。しかし拝観できるのは
特定日のみです。残念ながら、その年の特別公開は一日違いで既に終了していました。拝覧は翌年までお預けとなりました・・。

翌年はしっかり特別公開日を調べ上げ 京都に行く準備は万全でした。そんな時、中学校の仲良しクラス会の話が持ち上がりました。私は事情をつたえ 
欠席の返事をしました。すると、友人達は一緒に京都に行きたいと言い出しました。「一緒に京都に行って拝観し、美味しい京料理を頂くクラス会でも良いのでは」と。

というわけで、少し遠出のクラス会となりました・・。ただ 私のマニアックな想いに付き合って頂くことには少々気が引けました。交通費もかかりますし、せっかくの京都なので 一泊すること等も考慮すると更に旅費が嵩みます。しかし・・、友人達はみな ‘乗り’ でした!

そして・・寂光院。旧ご本尊で真っ黒に焼けこげた 重要文化財の「地蔵菩薩立像」は、厳重に管理された収蔵庫 (室温20℃前後 湿度50〜60%) の中で凛として立っていらっしゃいました。威厳がありました。対面した瞬間、そのオーラに圧倒され私は息をのみました。胸が詰まり ただただ涙が流れ落ちました。

後に続いた友人たちの誰もが言葉を失い 茫然としていました。涙したり、目をしばたたかせていました。心に残るクラス会となりました。

焼けこげた「旧本尊 地蔵菩薩立像」が特別に重要文化財として継続されたいきさつを「歴史・芸術上の高い価値や学術的な価値を失っても、人びとの深い信仰の対象であることは 充分に重要文化財としての意義があるため。」と奥先生は仰いました。とても深い言葉です。重みがありました。

(※2『地蔵菩薩霊験記』については 次回 139)にて書かせて頂きます。)

大洲和紙で作った桜鯛のブローチ 特注 (とおん舎)


2022年2月15日火曜日

137) 【徒然に】愛媛松山の道後温泉

あこがれの道後温泉本館は、平成31年1月15日~(令和6年12月まで)一部営業しながらの保存修理中で、鮮やかなブルー地に2羽の白鷺が描かれた 工事用素屋根テントで覆われていました。楽しみにしていたのに・・とても残念でした。

道後温泉は愛媛県松山市に湧出する温泉で、日本三古湯の一つと言われています。その存在は古代から知られ 万葉集巻一にも記され、また夏目漱石の小説『坊つちやん』にも描かれ 愛媛県の代表的な観光地です。 

本館は道後温泉のシンボルであり「神の湯」に代表される温泉施設です。そして日本の公衆浴場として 平成6年に初めて国の重要文化財に指定されながら、博物館化せずに 現役の公衆浴場として営業を続けていることが素晴らしいです。

神の湯本館は、道後湯之町初代町長の伊佐庭如矢が 明治27年(1894)に改築した木造3階建てで、大屋根の中央にギヤマンを使用した塔屋 (振鷺閣) を載せ、その上に道後温泉ゆかりの白鷺が据えられて 西洋の技法を取り入れたトラス構造を用いた壮麗な三層楼の本館となっているそうです。

そして明治32年に桃山時代の様式を模して造られたという又新殿も(日本で唯一の皇室専用浴室だそうですが)今回の旅では観覧できませんでした。(*令和4年1月20日より一般観覧を再開したようです。)

他にも「神の湯」をはじめ、雑誌でよく取り上げられる「二階席の大広間(休憩室)」も利用できず※「坊っちゃんの間」も見学できませんでした。

※「坊っちゃんの間」: 道後温泉本館改築後の明治28年に松山へ赴任した夏目漱石が、その年の10月に正岡子規と利用したといわれる個室 (本館三階個室の北西の角部屋) で、昭和41年に夏目漱石の娘婿である文人・松岡譲氏により命名された。

今回、私が入浴できたのは「霊(たま)の湯」。神の湯に比べるとこぢんまりしているそうですが、最高級の花崗岩である庵治石や大島石を使った浴室に、壁面には大理石を使用するなど高級感があふれる浴室となっていました。

温泉好きな私としては道後温泉は憧れでした。私は仲間たちと名湯・秘湯を含め、生まれ故郷 山形の銀山温泉、長野の七味温泉や中房温泉、そして富山は大牧温泉、和歌山の白浜温泉や兵庫の有馬温泉と城崎温泉、さらに大分の別府・湯布院温泉など等には既に訪れておりました。

道後温泉の泉質は単純温泉でした。岩手の大沢温泉(アルカリ単純泉)や長野の高峰温泉(炭酸水素塩温泉)と同じくらいに 肌に優しい化粧水のような温泉水で、過密スケジュールの旅ゆえ 入浴時間は限られていたものの 私は満ち足りた気分になりました。
 


来島海峡大橋