2021年8月25日水曜日

126) 【徒然に】パンチョ先生

8月 この時期になると思い出す 辛い出来事があります。
もう20年も前のことになりますが、J大学 放射線科の講師 S先生(※通称 パンチョ先生)の水難事故のことです。

※パンチョ:本来の意味はスペイン語でふくよかな男性の意。本名よりは愛称として用いられる。

当時、私はJ大学の脳外科教授室で学会誌の編集をしておりましたが、S先生はそのI教授(当時は学長も兼ね 後に理事長。このブログ 27) 番外編「回想法」【 余談 2 】をご参照ください。)がとても信頼なさっていた先生です。

S先生はもともと脳外科医だったそうですが、重い椎間板ヘルニアを患い 放射線科に転科されていました。I教授はポッチャリとした体格の愛弟子、S先生を親しみを込めて “パンチョ” とお呼びになっていました。

その年の8月末、パンチョ先生は夏季休暇をとり 釣り仲間と3人で浜名湖にいらしていました。台風が来ていたのでしょう。船舶免許を持つ先生が操縦していた船が 事故をおこしたのです。

先生は船が転覆しないように 最後までハンドルを離さず、お仲間たちが無事に船から脱出するまで見届けられたようです。そして先生だけが・・・。痛ましい事故死でした。

実はパンチョ先生は事故の1年くらい前に肝臓がんを患い、経過観察中でもありました。かなり重篤な状態だったパンチョ先生にたいし、I先生は病名を隠すほどでした。それが奇跡的に良くなられた矢先の出来事でした。亡くなられた後 (調べると) あれほど心配したがんは転移もなく消えていたそうです・・。

恩師 I先生のショックは計り知れず、あんなに憔悴した先生を見るのは初めてでした。がっくり肩を落とし 目はうつろ、いっきに歳をとられたかのように 私には見えました。

パンチョ先生はいつもニコニコとされており、院内であっても、教授室でお会いしても、親しげで柔和な微笑みを下さいました。時には ピエロのような おどけた笑顔を向けて下さることもありました。

ある時、パンチョ先生は外来診療を終え、放射線科の医局がある建物に向かう途中、私を見つけると(私が助教授に厄介な頼み事をされた後で 浮かない顔でもしていたのでしょう。)道端に立ち止まり、『どうしたの? 何かあった?』と声をかけて下さいました。

私はにっこり笑い『(気分転換に)これから こちらの彼女と飲みにでも行こうかと話をしているところです。』と伝えると、先生は『医局にビールもあるし、美味しい ‘たたみいわし’ なんかもあるよ。良かったら、医局で飲んだら?』と仰いました。いつもの優しい笑顔で。

出版社のMさんと相談し、私たちはお言葉に甘えることにしました。生スルメやくさや、干しくちこ等など、お酒の肴ばかり。珍味のオンパレードでした! 先生は自ら たたみいわしを炙ってくださいました。先生のお心遣いと初めて口にした ‘たことんび’ (タコの口) の味が今でも忘れられません。もちろん優しい笑顔と共に。

心よりこころより パンチョ先生のご冥福をお祈り申し上げます。    合掌


不忍池















2021年8月15日日曜日

125) 【徒然に】肘折温泉 ー庄助伯父さんとの想い出 その2ー

旅館で借りた下駄をはき、※銅山川沿いをゆっくり散策しました。暫くすると・・在りました!レトロな佇まいのお寿司屋さんが。風情があります。もちろん肘折には一軒だけでした。

※銅山川(どうざんがわ):最上川水系の支流で山形県最上郡大蔵村を流れる河川。
鳥川とも呼ばれる。源流地には、かつて「日本三大銅山」と呼ばれた永松銅 山があり、銅山川の名はこれに由来している。(Wikipediaより)

お寿司屋さんは平日の15時のせいか 閑散としており、もちろんお客は私達二人だけでした。お酒も飲まない伯父が山奥の温泉町でお寿司屋さんを知っているのは意外でした・・。

ただ、思い起こすに 伯父はグルメでした・・。父が怪我をし入院した際、お見舞に上京した伯父は母と私を労って新宿のフランス料理店に連れて行ってくれたことがありました。

当時は母も私もまだフレンチのフルコースなど頂いたことがありませんでした。ナイフとフォークさばきが見事な伯父に 目を見張ったことを憶えています・・。

肘折のお寿司屋さんで 伯父は海軍時代の若かりし頃の青春物語や軍港都市 舞鶴での思い出話をたくさん聴かせてくれました。戦時中で辛いことがたくさんあったはずですが、遠くを見つめ 懐かしそうに語る伯父は次第に浄化されていくようでした。

今でも青年に戻ったかのように生き生きと話す その時の ‘伯父の顔’ が忘れられません。肘折温泉と言えば、私は必ず庄助伯父さんを思い出します。

ついでながら、その時 泊った旅館は目前に朝市が立つ*斎藤茂吉逗留の宿「松井旅館」です。素朴なあたたかい旅館でした。
*斎藤茂吉:山形県上山市生まれの医師であり 雑誌『アララギ』の中心的歌人。

・肘折のいで湯浴(あ)みむと秋彼岸の狭間路とほくのぼる楽しさ
・のぼり来し肘折の湯はすがしけれ眼(まなこ)つぶりながら浴ぶるなり
         【茂吉が詠んだ歌 「肘折温泉と斎藤茂吉」より抜粋】 

今年こそ あの肘折温泉へ湯治に行きたい! 行こうと思うのですが・・。


ヒョウモンチョウ類

ルリシジミ類