8月 この時期になると思い出す 辛い出来事があります。
もう20年も前のことになりますが、J大学 放射線科の講師 S先生(※通称 パンチョ先生)の水難事故のことです。
※パンチョ:本来の意味はスペイン語でふくよかな男性の意。本名よりは愛称として用いられる。
当時、私はJ大学の脳外科教授室で学会誌の編集をしておりましたが、S先生はそのI教授(当時は学長も兼ね 後に理事長。このブログ 27) 番外編「回想法」【 余談 2 】をご参照ください。)がとても信頼なさっていた先生です。
S先生はもともと脳外科医だったそうですが、重い椎間板ヘルニアを患い 放射線科に転科されていました。I教授はポッチャリとした体格の愛弟子、S先生を親しみを込めて “パンチョ” とお呼びになっていました。
その年の8月末、パンチョ先生は夏季休暇をとり 釣り仲間と3人で浜名湖にいらしていました。台風が来ていたのでしょう。船舶免許を持つ先生が操縦していた船が 事故をおこしたのです。
先生は船が転覆しないように 最後までハンドルを離さず、お仲間たちが無事に船から脱出するまで見届けられたようです。そして先生だけが・・・。痛ましい事故死でした。
実はパンチョ先生は事故の1年くらい前に肝臓がんを患い、経過観察中でもありました。かなり重篤な状態だったパンチョ先生にたいし、I先生は病名を隠すほどでした。それが奇跡的に良くなられた矢先の出来事でした。亡くなられた後 (調べると) あれほど心配したがんは転移もなく消えていたそうです・・。
恩師 I先生のショックは計り知れず、あんなに憔悴した先生を見るのは初めてでした。がっくり肩を落とし 目はうつろ、いっきに歳をとられたかのように 私には見えました。
パンチョ先生はいつもニコニコとされており、院内であっても、教授室でお会いしても、親しげで柔和な微笑みを下さいました。時には ピエロのような おどけた笑顔を向けて下さることもありました。
ある時、パンチョ先生は外来診療を終え、放射線科の医局がある建物に向かう途中、私を見つけると(私が助教授に厄介な頼み事をされた後で 浮かない顔でもしていたのでしょう。)道端に立ち止まり、『どうしたの? 何かあった?』と声をかけて下さいました。
私はにっこり笑い『(気分転換に)これから こちらの彼女と飲みにでも行こうかと話をしているところです。』と伝えると、先生は『医局にビールもあるし、美味しい ‘たたみいわし’ なんかもあるよ。良かったら、医局で飲んだら?』と仰いました。いつもの優しい笑顔で。
出版社のMさんと相談し、私たちはお言葉に甘えることにしました。生スルメやくさや、干しくちこ等など、お酒の肴ばかり。珍味のオンパレードでした! 先生は自ら たたみいわしを炙ってくださいました。先生のお心遣いと初めて口にした ‘たことんび’ (タコの口) の味が今でも忘れられません。もちろん優しい笑顔と共に。
心よりこころより パンチョ先生のご冥福をお祈り申し上げます。 合掌