2021年3月25日木曜日

116) 【徒然に】桜の季節に -看護師 関口さん-

晩年 入退院を繰り返した父の闘病生活で一番 思い出深いのは、看護師の関口さん(仮名)の親切さです。娘として今でもこころから感謝しております。

父は感謝の気持ちを忘れない人でした。何事も当たり前だとは思わずに、周りの人に対して「ありがとう」という感謝の言葉や「ご苦労さま」という労いの言葉を伝える人でした。

入院時にも、清掃員の方が病室にゴミ収集に来ると「ありがとう。ご苦労さま。」と必ずお礼を言っておりました。酸素マスクを装着している時でさえ、その方へ微かに目をやり 少し片手を上げて感謝の意を表すのです。心をうたれ 私はあらためて父を尊敬したものです。

その父はCOPD(慢性閉塞性肺疾患)のため、常に痰が絡み ほぼ寝たきりなので、吸引しなければならなくなりました。吸引をちょっと怠ると、痰が上顎にくっつき 乾いて瘡蓋(かさぶた)になってしまうのです。

或る日 いつものように、私が仕事帰りに入院している父のもとを訪れ、身の回りの世話を終え 洗濯物を抱えてエレベーターホールに向かっていると、後ろから 顔なじみになったベテラン看護師の関口さんが 小走りに追って来ました。夜勤のようでした。『娘さん、ちょっと来て手伝ってくれませんか!』と。

何事かと思い 慌てて父の病室に戻ると、看護師さんが二人がかりで 上顎の粘膜にくっつき、瘡蓋(かさぶた)となった痰を強引に剥がそうとしているところでした。

父の口まわりは血だらけです。父は痛さで顔を歪め苦しそうです。必死に看護師さんの手をふり払おうとしておりました。声にならない抵抗でした。ビックリしたのと同時に私は涙が溢れました。

『お父さまを我慢させてください!』と言われました。でも・・「私でも瘡蓋を痛み止めなしに剥がされたら我慢など到底出来ない」と思いました。

看護師さんは「瘡蓋を取り除かないと、その瘡蓋がはがれ、気道に詰まり窒息する(してしまう)かもしれない」と仰いました。

私は父を宥め(なだめ)その手を両手で握りました。『痛いよね、ごめんね。ごめんね。少しだけ・・我慢してね。』と涙ながらに説得しました。すると驚いたことに・・、父はおとなしくなりました。看護師さん達はホッとされたようです。でも、私はかえって・・、悲しくなりました。落ち込みました。

その一件以来、関口さんは耳鼻咽喉科の先生のところに行き、痰(瘡蓋)をとかす薬などを父が大好きな ‘棒付きキャンディ(ChupaChups)’ に塗れないか、或いは何か良い方法はないものかを相談して下さったそうです。

また 或る時は、ベッドから動けなくなった父のために、病院の敷地内に咲いた桜の枝を折り(そんなことをして大丈夫だったのでしょうか。叱られなかったのでしょうか。私は心配でした。 )父に見せて下さいました。ベッド横のテーブルには可憐な桜の花が飾ってありました。

その後 転院し父が亡くなった3年後、今度は同じ病院に母が入院いたしました。診療科が違うので父とは別の階でしたが、もし 関口さんがまだ病院に勤務されているのなら、是非 お礼を申し上げたく 母の担当看護師さんに尋ねてみました。(公立病院なので別の病院に移られたか、或いはご退職されたか、自信はありませんでした。)

すると嬉しいことに、父がお世話になった階にまだお勤めされているとのことでした。何度かそのフロアを訪ね、三度目にやっと関口看護師さんにお会い出来ました。でも、既に3年も経っていましたし、数多い患者の名前など覚えてはいらっしゃらないと思いました。が・・、

『ああ、あの○○○○さん(何とフルネームでした!)の娘さんですよね。お父さま、良い人だったもの。わたし大好きでした!』とにこやかに仰いました。私は胸がつまって涙がこみ上げてきました。

小石川植物園

法真寺にて
















2021年3月15日月曜日

115) 【徒然に】まず傾聴! -カズさんは ‘わたあめ’ を持って-

こんな時代だからこそ たくさんの人々が傾聴を必要としている気がします。

傾聴とは本来「こころを傾けて聴く」ことです。
対面でのコミュニケーションが取れない昨今、耳ではなく「こころで聴く」のが敬聴だと思い至りました。その方の心に寄り添い ‘おもい’ を聴くのです。

以前、ゆしまの郷のカズさん(106才 女性)から 同じフロアに入居されている、ご病気で言葉が不自由になった方への敬聴を依頼されたことがありました。(このブログの 16)「言葉でのコミュニケーションが難しくなった方にも敬聴は出来る!」参照。)

対面し直接 話(言葉)を聴くより、相手に寄り添って心の声をひろうのは時間がかかります。相手を思いやり 相手の立場にたって伺う。共感することの大切さを痛感しました。

そして 少々 苦手な方に対しても構えず 相手の話を否定せず聴くこと。鉄則ですね。優しい眼差しと好意的な態度は相手にも伝わります。

先日、東日本大震災の復興支援に関するNHKのTV番組で、長崎大学原爆後障害医療研究所教授(2020年より東日本大震災・原子力災害伝承館の館長)の高村昇先生の話をお聴きしました。

長崎大学の高村教授らによる福島の復興支援は、2012年に 全村避難し役場機能と住民の多くが郡山市に身を寄せていた川内村で始まりました。高村先生は震災直後から福島県内の各地を巡回し講演をされていたそうですが、川内村の村長から帰還のために「土壌や水の放射線量」を調べて欲しいと相談されたそうです。

データで放射線被曝による疾病の確率を述べても説得力に欠け、住民たちの「放射線被曝=死」という不安や怯えがなくならず、最初は住民たちに話を聞いて貰えなかったとのこと。その後、川内村に復興推進の拠点を置き、寝泊まりし同じものを食べたそうです。住民に寄り添い 話を聴くことが大切だと思うようになったと述べておられました。

一方的な講演ではなく、住民の現実問題として「一番何が不安で心配なのか」や「この地で安全に暮らせるのか」など、住民たちの声を「先ず聴くこと」の大事さを語っておられました。

たとえ講演であっても、聴衆が求めている事柄に、耳を傾けて話すことが大切なのです。それからは、住民たちの表情が柔らかくなり、講演にも耳を傾けてくれるようになったと発言しておられました。まさに傾聴の大切さですね。


先日「ゆしまの郷」の家族会の方から送られてきた便りに、カズさんのお元気な姿がありました。2月のイベントで ‘わたあめ’ が配られたらしく、わたあめを手に、お澄まし顔で得意気な いつものカズさんです。(変わっていません。)

私はホッとすると共に、とても嬉しくなりました。 早くお会い出来る日が来ますように!

本郷弓町のクスノキ