晩年 入退院を繰り返した父の闘病生活で一番 思い出深いのは、看護師の関口さん(仮名)の親切さです。娘として今でもこころから感謝しております。
父は感謝の気持ちを忘れない人でした。何事も当たり前だとは思わずに、周りの人に対して「ありがとう」という感謝の言葉や「ご苦労さま」という労いの言葉を伝える人でした。
入院時にも、清掃員の方が病室にゴミ収集に来ると「ありがとう。ご苦労さま。」と必ずお礼を言っておりました。酸素マスクを装着している時でさえ、その方へ微かに目をやり 少し片手を上げて感謝の意を表すのです。心をうたれ 私はあらためて父を尊敬したものです。
その父はCOPD(慢性閉塞性肺疾患)のため、常に痰が絡み ほぼ寝たきりなので、吸引しなければならなくなりました。吸引をちょっと怠ると、痰が上顎にくっつき 乾いて瘡蓋(かさぶた)になってしまうのです。
或る日 いつものように、私が仕事帰りに入院している父のもとを訪れ、身の回りの世話を終え 洗濯物を抱えてエレベーターホールに向かっていると、後ろから 顔なじみになったベテラン看護師の関口さんが 小走りに追って来ました。夜勤のようでした。『娘さん、ちょっと来て手伝ってくれませんか!』と。
何事かと思い 慌てて父の病室に戻ると、看護師さんが二人がかりで 上顎の粘膜にくっつき、瘡蓋(かさぶた)となった痰を強引に剥がそうとしているところでした。
父の口まわりは血だらけです。父は痛さで顔を歪め苦しそうです。必死に看護師さんの手をふり払おうとしておりました。声にならない抵抗でした。ビックリしたのと同時に私は涙が溢れました。
『お父さまを我慢させてください!』と言われました。でも・・「私でも瘡蓋を痛み止めなしに剥がされたら我慢など到底出来ない」と思いました。
看護師さんは「瘡蓋を取り除かないと、その瘡蓋がはがれ、気道に詰まり窒息する(してしまう)かもしれない」と仰いました。
私は父を宥め(なだめ)その手を両手で握りました。『痛いよね、ごめんね。ごめんね。少しだけ・・我慢してね。』と涙ながらに説得しました。すると驚いたことに・・、父はおとなしくなりました。看護師さん達はホッとされたようです。でも、私はかえって・・、悲しくなりました。落ち込みました。
その一件以来、関口さんは耳鼻咽喉科の先生のところに行き、痰(瘡蓋)をとかす薬などを父が大好きな ‘棒付きキャンディ(ChupaChups)’ に塗れないか、或いは何か良い方法はないものかを相談して下さったそうです。
また 或る時は、ベッドから動けなくなった父のために、病院の敷地内に咲いた桜の枝を折り(そんなことをして大丈夫だったのでしょうか。叱られなかったのでしょうか。私は心配でした。 )父に見せて下さいました。ベッド横のテーブルには可憐な桜の花が飾ってありました。
その後 転院し父が亡くなった3年後、今度は同じ病院に母が入院いたしました。診療科が違うので父とは別の階でしたが、もし 関口さんがまだ病院に勤務されているのなら、是非 お礼を申し上げたく 母の担当看護師さんに尋ねてみました。(公立病院なので別の病院に移られたか、或いはご退職されたか、自信はありませんでした。)
すると嬉しいことに、父がお世話になった階にまだお勤めされているとのことでした。何度かそのフロアを訪ね、三度目にやっと関口看護師さんにお会い出来ました。でも、既に3年も経っていましたし、数多い患者の名前など覚えてはいらっしゃらないと思いました。が・・、
『ああ、あの○○○○さん(何とフルネームでした!)の娘さんですよね。お父さま、良い人だったもの。わたし大好きでした!』とにこやかに仰いました。私は胸がつまって涙がこみ上げてきました。