2021年1月25日月曜日

112) 敬聴は必要! いつでも どこででも出来る

こんな時代だからこそ、たくさんの人達が傾聴を必要としている気がします。

施設に入居されている高齢者の方々のみならず、身近な友人であれ、知人であれ、若い人達だって心のうちや痛み、また やりきれなさ等を誰かに聴いて貰いたいと思っているのではないでしょうか。

あらためて「気づき」がありました。最近に親しくなった知人の話を伺った時です。敬聴はいつでも、どこででも出来るものなのですね。

知人は「難病をかかえ入院されている姪御さんの話をされました。姪御さんは遠方にいらっしゃり、何の力にもなれない、祈ることしか出来ないと仰いました。とても歯がゆい思いをされているようでした。

長い時間ではありませんでしたが、私も(もちろん)敬聴を意識した訳ではありませんでしたが、知人に そのお話に寄り添い、こころを傾けてお話を伺いました。その夜、彼女から『お話をきいて頂いて、少し気が楽になりました。』というメールを頂きました。

私がお話を伺ったことにより「相手のこころが少しでも軽くなった」のなら何よりです。聴かせて頂いた方も嬉しいです。聴くことしか私には出来ませんでしたが。

大きく構えるのではなく、日常でも傾聴が必要な場面はたくさんあると思いました。私自身だって友達や知人等に傾聴して頂いているのだとあらためて気づきました。‘いまさら’ ではありますが。

最近かかった病院で、こちらの話をきいて下さらず、(怪我の)現状を説明して下さらない医師と出会いました。ただ『大丈夫!』だけの言葉では、なかなか納得出来ませんでした。「どこがどう大丈夫なのか」を話して欲しいのです。自分の気持ちを伝えられず、もどかしい思いをしました。

私が尊敬している恩師 故 I先生(このブログ 27)を参照)は『医師たるものは、ラビットマインドを持って患者と向き合わなければならない。』と、医局員たちに指導されていました。患者のこころと言葉に敏感になれと言う意味です。まさに傾聴ですね。名言だと改めて思いました。

相手(この場合は患者)の言う言葉に耳を傾け、その問いに答えるのもお仕事だと思います。誠意だと思いました。聴くことの大切さをあらためて 身に沁みて感じました。どんな場面でも、そこに相手がいるかぎり ‘傾聴(敬聴)’ は必要だと私は思います。


天狗人形


2021年1月15日金曜日

111) 最年長の友 ふくさんと最年少の友 トモ君のお話 その3

それから ふくさんとの、いや ふくさんご一家との交流が始まりました!

ふくさんは、趣味では能もたしなむ 才媛の一人娘さん(国家公務員の中でも難関の職種につき、当時は管理職)との二人暮らしでしたが、その家族の一員として 片仮名で「フク」と名づけられた愛犬も一緒でした!

とにかく いろんな人々が寄り集う家でした!役者さんがいたり、ベトナムの若い女性たちが見えたり。お二人はベトナムの子供たちの里親にもなられていました。他国の方の面倒を見るのは並大抵のことではありません。ご立派だと感動しました。

私も月に1~2回 招かれて 食事をご馳走になりました。ふくさんお手製のお料理です。私は有難くて もったいなくて、お腹がいっぱいでも残せませんでした。その中のお料理をいくつか教わりました。そして人生訓も学びました。素晴らしい師匠でもありました!

アクティヴで面倒見がいい ふくさんは、都立深川高等学校(前身 第一東京市立高等女学校)の初代 生徒会長だったそうです。後輩には6代目 現在の三遊亭円楽師匠がいらして、彼も深川高等学校の生徒会長だったようで、母校の式典でお二人が笑顔で肩を並べている 貴重なツーショット写真がありました。

そんなふくさんは、矍鑠(かくしゃく)と言う言葉がピッタリの女傑でした!私は世間話から波乱に満ちた その半生まで伺いました。会話がとても楽しいのです。当時 私にとって一番高齢の師であり友でしたが、いつも 若い私の方が元気を頂いておりました。

出会ってから数年後、私が入院・手術をすることになった際にも、入院前日に わざわざ励ましのお電話を下さいました。とても有難かったです。そして ‘年の離れた弟‘ のトモ君も沖縄からお電話をくれました。旅がご縁で出会った お二人からです。たくさんの良い気とエネルギーを頂きました!

因みにこの時 山形から駆けつけてくれていた兄は、同年代の友人達の他に、この年齢差のギャップが半端ない お二人の相次ぐ励ましのお電話には、舌を巻いておりました。懐かしくありがたい思い出です。

そのふくさんも106才、あと数ヶ月で107才の誕生日を迎える2017年に、黄泉の国へと旅立たれました。                      合掌


牛天神北野神社 狛牛

狛牛

牛石(ねがい牛)