2020年12月25日金曜日

110) 最年長の友 ふくさんと最年少の友 トモ君のお話 その2

早めに結婚披露宴会場に着くと、ロビーの中ほどに、木漏れ日を浴び 白髪が美しいご高齢の婦人に目が留まりました。後光がさしているように見えました。その方こそが「ふくさん」(当時 90才)でした!

ふくさんは薄いグレーの訪問着をお召しになり、右手には杖をお持ちでした。ご高齢な方の凛とした姿に、暫し私は見とれていました。

すると、ふいに椅子から立ち上がられました。お手洗いにでもいらっしゃるご様子でした。でも、和服のうえ 杖をつきながら、礼装用のバッグとサブバッグを持たれていて大変そうでした。当時、両親を介護していたこともあり、私は放っておけませんでした。

思った通りトイレの方に向かわれていました。私は思い切ってお声がけしました。『こんにちは。(突然)失礼いたします。私もこちらの披露宴にお招き頂いた○○と申します。よろしかったら 私もトイレに参りますので、ご一緒いたしましょうか。』と。

ふくさんは少し驚いたようでしたが、直ぐに にっこりなさいました。お許しを頂けたので、私はふくさんにゆっくり歩調を合わせ、そして軽く腕に手を添えました。

『大きい方のバックだけでもお持ちしましょうか?』と申し出ると、ふくさんは相好を崩され、『ありがとう!』と仰って嬉しそうなお顔をなさいました。

披露宴の時間になり、ご一緒に席を探しましたが、何とお席は隣り合わせでした。そのため 少しだけお世話をやかせて頂きました。その後 親しくお話を伺うと、ふくさんもまたトモ君の旅仲間でした。80才を過ぎてから海外旅行にいきはじめたそうです。それも年に2回、トータルで20か国にもなるそうです。すごーい! 

話が弾み楽しいひと時でした。思い出に残る旅仲間の披露宴となりました。

ふくさんは私に出会えたことをとても喜んで下さいました。『御不浄(ごふじょう)にまで 連れて行って下さり ありがとう!』と何度もお礼を言われました。御不浄とはトイレのことですが、私も久しぶりに耳にした言葉です。

そして こう仰いました。『娘にも紹介し お礼を言わせたいので、今度、ぜひ家に遊びにお出でなさいまし。』と。

錦糸公園


2020年12月15日火曜日

109) 最年長の友 ふくさんと最年少の友 トモ君のお話 その1

ふくさん(当時90歳 女性)はわたしの最年長の友でした。その出会いは最年少の友、自称 ‘年の離れた弟’ のトモ君の結婚披露宴です。運命の出会いでした! 私たち3人は旅がご縁で巡り会いました。

トモ君とは、彼が小学5年生、私が社会人5年目の時に出会いました。ともに夏休みを利用して参加した10日間の中国ツアーです。当時、中国への旅行者は少なく、ましてや子供の参加者はトモ君ひとりでした。ご両親と3人で参加されていました。

ツアーは万里の長城や西安、大連、そして上海や北京までを巡る かなり盛りだくさんの企画でした。私は中国(語)には全く馴染みがなく、ひたすら添乗員さんを頼みに観光をしておりました。

しかし 観光地での ちょっとした買い物や、お目当てのお土産である、端渓の硯や掛軸、カシミアのセーター等を選ぶ時は 言葉でかなり苦労しました。

一方、トモ君は 子供なのに なんと中国語が話せ 私はビックリしました。そして或るお店では、ふと気がつくと傍にトモ君がいて、通訳までしてくれました!

その後も『おねえさん、おねえさん!』と呼び 慕ってくれて、いつも私と一緒です。トモ君はちょっと生意気な人懐っこい少年でした。彼はお母さまが ‘やきもちを焼く’ くらい私の傍にいてくれました。

当時、私はトモ君と同じ年頃の子供たちに勉強を教えており、その年代の子供たちとは違和感なく普通にコミュニケーションが取れましたが、彼はとくべつ 頼もしかった記憶があります。そして今でも 彼に選んで貰った ‘モスグリーンのカシミアのセーター’ は捨て切れずに持っております。

帰国後も交流が続き、私がバレンタインデーにチョコレートをあげると、ホワイトデーにはトモ君がお返しの品を私の自宅まで届けてくれるなど、いっぱしのボーイフレンドでもありました。

高校生になると、トモ君は中国に短期留学をしました。本当に中国が好きなんだなと思いました。聞くところによると、お父さまの仕事の関係で中国に関心を持ち、中国の歴史や文化芸術に造詣が深くなったようです。(納得!)

10数年後、そのトモ君から結婚披露宴への招待状が届きました・・。そして会場である都内のホテルでは、運命的なふくさんとの出会いが待っていたのです!

シオン

朝焼けの伊達政宗騎馬像
photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios