2020年7月25日土曜日

100)青森ねぶた祭(N先生と幹おばあちゃま)その2

「いま 無事に○○君(私のこと)、到着! これから ‘ねぶた小屋’ に案内してから帰るから!」と、N先生は先ずご自宅の奥様に電話をなさいました。

そして その魅力を色々な方から伺っていた(経歴というか 生き方が素晴らしい)ご長男からベストセラーの印税でプレゼントされたと言う ご自慢の車で 青い海公園にある ‘ねぶた小屋’ に向かいました。

ねぶた制作小屋には、今夜 出陣するたくさんの大型ねぶたが所狭しと立ち並び 待機していました! TVで見たものとは違い、本物のねぶたは圧巻で、その迫力に早くも私は圧倒されました!夜のねぶた祭が待ちきれなくなりました。

ねぶた小屋を30分程で引き揚げ、いよいよN先生のご自宅訪問です。

「ただいま!」と先生は声をかけ玄関のドアを開けて下さいました。私が促されて中に入ると、にこやかな笑みを浮かべ先生のお母さま(幹おばあちゃま)とステキな素敵な奥様がお出迎えをして下さいました。感激して緊張がうすれ、温かい気持ちになりました。

幹おばあちゃまは清楚な白いレースのブラウスと紺のスカート姿でした! それはそれはチャーミングな方で、ミス本郷だったのも頷けます。
素敵!きれーい!可愛らしい!まるで女優の八千草薫さんのようでした。理想のおばあちゃまでした。

リビングに通され 椅子に座ると、少しして 先生が「○○君、シャワーでも浴びるかい?」と尋ねました。(なんと・・! 突拍子もないことを。‘よそさま’ のお宅で、いきなりシャワーなんて・・・。)遠慮してお断りすると、

奥様まで「そうね。暑かったでしょう。シャワーを浴びて、一息ついてそれから出かけましょう!」と仰いました。幹おばあちゃまはにこにこと私をご覧になっていらっしゃいました。結局、シャワーを浴びさせて頂きました・・私。

本当に和やかな温かいご家族でした。会食の時間まで お茶を戴きながら談笑し、その後、静岡で病院長をされている 先生のご学友夫妻と合流する お寿司屋さんに向かいました。ご友人夫妻とN先生ご夫妻 そして幹おばあちゃまと私の6人で歓談しながら 美味しいお寿司を頂きました!

N先生の奥様は 冷凍ミカンやおつまみ、お菓子等が詰まって パンパンに膨れ上がったリュックを背負い、両手にはたくさんのペットボトルが入った袋を下げていました。私が持とうとすると断られました。N先生が助っ人でした。20人分位はありそうでした。

私は幹おばあちゃまの歩調に合わせ ゆっくりとお話を伺いながら 手をつないで後について行きました。

先生のやんちゃな子供時代の話(永代橋のアーチ部分に登り なかなか降りてこず大変だった!)や二つ下の弟さんとの兄弟愛(早くにお父さまを亡くされ、弟さんは何処へ行くにも先生に纏わり付いていたそうです。)等など。とても温かくて微笑ましいお話ばかりでした。そのウイットに富んだ話術に 私は敬服いたしました!

そうこうするうちに・・、ねぶた祭の会場に到着しました。 会場はすでに大勢の見物客で埋めつくされていました!







2020年7月15日水曜日

99)青森ねぶた祭(N先生と幹おばあちゃま)その1

コロナ禍により ここ数ヶ月間は高齢者施設での敬聴や朗読、また幼稚園での読み聞かせボランティア活動は休止状態です。

そこで 両施設が再開され 敬聴や朗読、読み聞かせ活動が出来る日まで 番外編として 今まで巡り会った魅力的な方々との ‘ちょっといい話(思い出話)’ を書かせて頂きます。

第一回目は、医学系学術団体で論文の編集をしていた時に、懇意にして頂いたN先生とそのお母様 幹おばあちゃまのお話です。

N先生とは先生が北陸の国立大学に勤務され、学術総会の開催校として担当責任者になられ、一緒にお仕事をさせて頂いた折に 知り合いました。そのご縁で後々も親しくさせて頂きました。因みに、N先生は このブログ 92) 「敬聴の達人 T大学学長の教え」のT学長先生のお弟子さんです。

総会から数年後、N先生から「〇〇くん(私のこと)、ねぶた祭を観にに来ないかい? 凄いぞー。 (恩師)○○先生や医局員、俺の大学の同級生も来るんだぞ。」とお誘いを頂きました。是非 行ってみたいお祭りの一つでしたので、私はお言葉に甘え 二つ返事でお受けさせて頂きました!

が・・その後、先生から「宿だけど、俺んち、泊れよ!」とのお電話を頂きました。浅虫温泉に宿泊のはずが、都合により先生のご自宅に変更になったとのこと。「(えっ、おれんち? 先生のご自宅に・・泊るの?私。)」 目が点になりました。電話口で返事に窮し、困っていると、

「大丈夫だよ。(家族は)みんな 良い人 だから!」と、屈託のない先生。断り切れず・・受けてしまいました!

当時アルバイトに来てくれていた友人に顛末を話すと「大丈夫、大丈夫! ○○さん(私のこと)なら。おばあちゃんがいらっしゃるのなら なおさら大丈夫! 敬聴、得意だもんね!」と これまた呑気に太鼓判を押してくれたのでした(!?)

その後すぐに 先生から大きな封筒が送られてきました。お人柄そのもので、封筒いっぱいに大きく私の宛名が書かれており、中には日程表と青森観光名所の各種パンフレットまで同封されていました。そして何より驚き感動したのは、そのカバーレターでした。

「○○○○君(私のフルネーム)へ 歓迎! ねぶた祭ツアー ようこそ青森へ! 」と書かれていました。その紙面からはファンファーレが聴こえ クラッカーから飛び出た 紙テープや紙ふぶきが見えるようでした。そして下段には綿密なスケジュールが記載されていました。(さすが脳外科医!)

またお祭りの翌日の欄には、先生(おんみずから)が車で名所案内と記されていました。所謂(いわゆる)アッシー君をして下さると言うのです。(たいへん恐縮でした。)

そしてそして・・、いよいよ 青森ツアーの第一日目。
N先生は麦わら帽子を被り、短パンにTシャツ、ビーチサンダルという姿で新青森駅のや改札口までお迎えに来て下さいました。(・・私。)そして 私を見つけると 大きな声で「おおい!○○くん、ここだ、ここだ!」と手を振って合図をなさいました。

周りの方々が振り向く程の・・大音声で です。いつもの ‘満面の笑み’ で。当時、先生は大きな県立病院の病院長でした!


伝通院