2020年3月25日水曜日

92) 敬聴の達人 T大学学長の教え

K介護付き有料老人ホームに入居されているカツコさん(85才 女性)のお話です。

大会社の会長夫人であるカツコさんはいつも大きな本物のジュエリーを身につけていらっしゃいます。また大変にオシャレな方で、宝石類のアクセサリーの他、ファッション全般にご興味がお有りになるようでした。それゆえに 敬聴に伺う際 私がつけているアクセサリーや洋服などにも関心をお寄せになります。

一度 私が誕生石であるパールのネックレスを着けて伺った際は「それは ‘ミキモト’ ?」と尋ねられ 戸惑った記憶があります。「いえいえ、普段使いですので ‘ミキモト’ ではありません。」とお答えしましたが・・。また 別の日には、私の小さなダイヤの指輪や馬のペンダントをご覧になり「それ、見せて!」とお願いされたこともあります。

そして私が少々 都会的(シック)な装いで伺った時は「その服はどこのブランド?」と訊かれました。等々。そのオシャレなカツコさんは、ネイルも銀座のサロンに行きネイリストさんに塗って頂いているそうです。「あなたは何処のサロンにいらしているの?」と真顔で訊かれたこともありました。

嫌味なのではなく カツコさんの ‘ご興味のあらわれ’ と思って私は聴いてます。

或る日、この話を友人にすると「あらっ、(敬聴のために)老人ホームに行く時も、そんな風にオシャレをして行かなければならないの?」と逆に質問されました。(私がジュエリーをつけるのは もちろんオシャレのためでもありますが、一種の魔よけです。美輪明宏さんの影響ですが。)

ただ、ファッションに興味を持たれているカツコさんに対し、お話のきっかけ・糸口としてアクセサリー等も良いかなと私は思っております。

この時、今は亡き北陸の国立大学の学長だったT先生を思い出しました。(このブログの49)参照。)先生はそのIQ値がご出身の旧帝国大学で 未だ破られていない程のスーパーブレインの持ち主でした。でも・・、見た限りでは普通の庶民的で気さくなお爺さんでした。そして学長退職後には同県の介護老人保健施設(老健)の施設長になられました。

ある学会でお目にかかり お茶をご一緒した折にこんなお話を聴かせて下さいました。私が10年余り両親を介護していたと告げた時のことです。
当時 現役の老健施設長だったT先生は、真面目なお顔で『オレはなぁ、施設長として一つだけ守っていることがあるんだ。・・。』 と切り出されました。

『オレなんか大したことは出来ないけど、毎月一日だけ 一人5分間だけど、全ての入所者さんとの面談の時間を設けているんだ・・。相手が痴呆であろうと話など出来ない(病気で喋れない)人だろうと、5分間は ‘その人だけとの対面の時間’ にしているんだ。』といつもの気どらない 温かい物言いで仰いました。

その施設は当時 認知症の方40名を含めた総勢100名の方が入所されていました。一人5分間なら具合の悪い方を除き半数位だとしても、4~5時間はかかります。まさに一日仕事です。凄いです。

ある痴呆の女性は、5分間何も喋らずに ただ毎回 先生のネクタイばかりを見つめているそうです。ネクタイにどんな思いがあったのでしょうか。彼女のために 普段は決して ‘オシャレ’ とは言い難い先生は、毎回 ネクタイを替えていると仰いました。(因みに その ‘オシャレなネクタイ’ はパリ在住の姪御さんが、毎年 先生のお誕生祝いにプレゼントして下さったものだそうです。)

・・・その方に合った敬聴、寄り添い方が大切だと私は思いました。

T先生のような ‘ 情け深い’ 施設長にめぐり遇えた入所者さん達は、さぞかし幸せだろうと 私は心から羨ましく思いました。また同時に T先生こそ「敬聴の達人」だと気づきました。今回、その教えをあらためて・・嚙み締めました。

                      ( 2020年1月14日(火) 16:00~17:00)


photo: (c) Hiro K
http://ganref.jp/m/md319759/portfolios


2020年3月15日日曜日

91) 傾聴ボランティアと朗読ボランティアの違い?

今日は朗読ボランティア デビューの日です。

緊張感を抱き 念入りにボランティアの先輩方と打ち合わせをして、市ヶ谷にある介護付き有料老人ホームMに向かいました。

そこは病院に併設されている施設でした。同じ介護付き有料老人ホームとは言え、常日ごろ傾聴ボランティアで伺っている文京区の施設とはだいぶ雰囲気が異なりました。

レクレーションルームのような所に通されると、既に8名の入居者たちが 我々の到着をお待ちになっていらっしゃいました。70~80代の女性ばかりで、中には車イスの方もお二人ほどお出ででした。

その中のお一人が「待ってました!」と大声で仰いました。(待ってました?)私はビックリしました。何故なら 内心『(それほど)楽しみに我々の ‘朗読’ を待っていらっしゃる方はお出でにならないだろう。介護士さんに勧められ義理(?)で集まっていらっしゃるのだろう。』と思っていたからです。私の思い込みでした。(反省です。)

そして、この実績を作られた先輩方は凄い!と思いました。・・と同時に 身の引き締まる思いがしました。

軽く皆さまにご挨拶した後、先輩リーダーから新人である私のご紹介があり、トップバッターとして朗読をさせて頂きました。
まだレパートリーの少ない私は、昨年暮れの「第12回 朗読アラカルト」で選んだ『花さき山』を読ませて頂きました。

皆さま 熱心に耳を傾けてくださり、時には頷いて聴いて下さいました。その中のお一人からは「良かったわ。素敵だったわよ!」と労われました。

前回の大きな舞台とは違って、直接 聴いて下さる方々のお顔が見え、反応がわかるのは有難く勉強になりました。読み手側のこころも解放されます。

その後は先輩たちの朗読が続き、また ‘今回の試み’ の一つとして、先輩と二人で掛け合いの朗読も致しました。これは日本テレビの『笑点』(毎週日曜の夕方放送)で大喜利コーナーにて出されたお題『18才と81才の違い』の朗読でした。

たとえば「道路を暴走するのが18才、逆走するのが81才」「偏差値が気になるのが18才、血糖値が気になるのが81才」「恋に溺れるのが18才、風呂で溺れるのが81才」など等。これはとても好評で、皆さまから笑いが起こりました!

そして最後は、みんなで一緒に唱歌「一月一日」を歌いました。皆さま 嬉しそうに 一所懸命に声を出され お歌いになっていらっしゃいました。93才の「私は目と耳が不自由だから 歌の文句など読めない!」と仰っていた女性も・・・です。とても懐かしそうでした!

朗読ボランティアの終了後には、皆さまから「ありがとう。楽しかったわ。また来てね!」とお礼を言われました。私も嬉しかったです。敬聴とは違う喜びと達成感がありました。

『傾聴ボランティアと朗読ボランティアの違いは何だろう?』

どちらも相手の方に喜んで頂ける。そして両方とも主役は相手(他者)。敬聴の時は話し手であるお年寄り。朗読なら聴いて下さるお年寄りたち。

違いは(我々の側からすれば)、「敬聴」は受け身であり、「朗読」は自ら発信の自発。でも それだけの違いでしょうか・・・。それとも違いなど ないのでしょうか。また一つ 課題が増えました。

       ( 2020年1月28日(火) 14:10~15:00)