2019年1月25日金曜日

64)「インフルエンザワクチン」って皮下注射それとも筋肉注射?

カズさん(105才 女性)が訴えました。105才からの提言です!  

「エド(インドネシア人の介護士)はね、単語しか言えないのよ。だからコミュニケーションがとれないの。」
「そしてね、何かあるとすぐに大きな声を出すの。」とカズさんは頭(かぶり)を振りました。

「皆がいうことを聞かない時に。」とカズさんは顰め面(しかめづら)をして続けました。 
「そばに行って話をきくとか、説明するとかをしないのよね、彼らは・・。」
「皆、ビックリして、かえって萎縮してしまうのにね。」さらに続けました。 

 外国人介護士さんを雇う際の問題点です。よくご覧になっていますね。 

 その後、話は先日受けたばかりという ‘インフルエンザの予防接種’ の話しに移りました。因みにカズさんは「インフルエンザワクチンは筋肉注射!」と言い切っておりました。
さらに「※筋肉は身体(からだ)を構成している(一番)大切なものなの。」と力説しました。さすが元看護師さん、偉大なOBです。

※1筋肉の減少は進行すると命に関わることもある
筋肉量の減少は30代から始まるが、特に40代以降は顕著になる。健康な人でも80歳前後には30%程度の筋肉が減少する。 

 2筋肉は脳に直結しており、鍛えるには脳神経の興奮が必須
筋肉は身体を動かす運動器という役割にとどまらず、生きた器官として全身の臓器と密接に関わっている。骨格筋として姿勢や動作を保つ役割は想像がつくが、消化管や血管など内臓の動きにも関与している。
体の中には発汗の際に働く汗線周囲の筋肉や、視力を調節するレンズ周囲の筋肉など小さな筋肉も含めると650種類もの筋肉があり、その全てが連動して生命活動を支えている。これら全ての筋肉には共通点があり、筋肉は神経を介して脳とつながっているということである。


(でも・・、インフルエンザの予防接種って、筋肉注射だったかな? 皮下注射では なかったかしら?)等と生意気にも素人の私は思いました。

それで少々調べました。すると良い記事が見つかりました。タイムリーでした。 それは亀田総合病院 健康管理課の医長が関連施設において「インフルエンザワクチンの皮下注、筋肉注射における発症率および副反応について」の調査を2018年10月1日から行っていると言う記事でした。

【研究の意義と目的】:「インフルエンザワクチンは国際的に筋肉内への注射で行われています。しかし、本邦は皮下への注射が薬剤説明書の方法となっています。 
筋肉注射が国際的方法となっている理由は、腫脹や痛みなどの注射部位の副作用が 少ない事や、感染防御能力をしめす抗体の増加が良好であるためです。

ですから筋肉内注射が最良の方法と考えられますが、本邦の薬剤説明書に記載がない方法のため、医療現場においては最良の方法が簡単には選択できないという問題を起こしています。よって筋肉注射の有用性を検証する調査が本邦には必要です。・・云々。
本研究は筋肉注射と皮下注射でのインフルエンザ症状の発症率を比較するのが目的となります。他に副作用を比較するのも目的といたします。」(抜粋)と書かれておりました。

つまり、現状はインフルエンザワクチン注射は皮下もしくは筋肉で行っており、担当看護師や病院により 打つ部位や方法が異なっているようなのです。

カズさんが熱弁をふるっている時、介護士のエドさんがにこにこして、トシコさん(仮名95才 女性)に向かて 「タコ。」 「タコ。」 と連発しておりました。
カズさんまで 「タコちゃん?」 と言って振り返りました。

以前、私はトシコさんから 「本名は種子島で生まれたので ‘タネ’ 。」 とお聞きしたことがあります。その後 何故か [タネ] が漢字となり [夕子(ゆうこ)] へ、そして今は愛称(?)の [タコ] になったようです。

私がトシコさんに 「(トシコさんは)人気者なのですねぇ。愛称で呼ばれるなんて!」 と言うと、ニコリともしない表情で 「ふざけているのよ。」 と一刀両断でした。
そうですね。‘タコ(蛸)’ ではねぇ、確かにちょっと・・。悪意はないのでしょうが、褒め言葉には聞こえません。それと、両者の距離感・・もありますかね。

それはさて置き 敬聴終了後には、皆さま にこやかに手を振り送ってくださいました!

( 2018年11月17日(土) 11:00~11:30 )
影富士1

影富士2


2019年1月15日火曜日

63)病院でも敬聴?

この日、私は整形外科の受診日でした。
診察が終わり 看護師さんから処方箋を頂くのを待っていると、お隣に座った年配の女性から声をかけられました。

「わたし・・、何才だと思う?」と。「(うーん)・・。」私は考えました。 
すると「もうね、92才になるの。」と、にこにこしてお答えになりました。
「あら、ほんとですか。 見えませんね!」と私。

「この年になるとね、何もかもが大変なのよ・・。でもね、一人息子が何でもしてくれるの。ご飯も作ってくれて、ゴミ出しもしてくれるのよ。『私が(ゴミ出しを)するわよ。』って言っても聞かないの。」とその方は続けました。

「それは とても親孝行な息子さんですね。ありがたいですね。」と私が言うと、「本当よね。でも60(才)を過ぎてまだ独身なのよ・・。」と少々顔をしかめました。

それから、少し離れたところに座っている、酸素ボンベカートを携え、鼻チューブ(カニューラ)を装着した、3才年下だというご主人の話や生業などを詳しく話し始めました・・。私はあまり立ち入った話にならないように注意しながら、お聴きしておりました。

話はあれこれと長く続きました・・。
それから、唐突に 膝の上のバッグから歌手の ‘氷川きよし’ さんから頂いたという ‘セピア色になった年賀状’ を数枚取り出しました。いつも持ち歩いているようで四隅がボロボロでした。

以前は後援会に入っていたそうです。後援会に入会していた年数分の年賀状でしょう。私に一枚一枚、宝物のように見せて下さいました。もちろん手書きのメッセージがない大量印刷の年賀状でした。

「前に 知り合いに見せたら、『あの人はダメよ!』と氷川きよしくんを悪く言うのよ。」と口惜しそうに仰いました。

私が「人の好き嫌いなんて十人十色ですから、気にしないで応援すれば良いんじゃないですか。」と答えると、おばあちゃんは顔をほころばせました。

そうこうする内に診察の順番がきたようで、おばあちゃんの名前が呼ばれました。おばあちゃんは大事そうにその年賀状をバッグに戻し、持っていた杖を真っ直ぐに突きなおして 腰をあげました。

そして「話を聴いてくれてありがとう!」と私にお礼を言って下さいました。
診察室のドアが開いてからも何度も振り返り会釈をしてくれました。

私は(少しは良いことをしたのかな。)と思いながら、時計に目をやり急いで会計に向かいました。

     ( 2018年10月24日(水) 9:00~10:00 )




建仁寺 双龍図


四天王寺