当時(コレラは別ですが)デング熱に感染しても、若いので数日安静にしていれば治ったそうです。看護婦という職業柄や勤務地が東南アジアの熱帯地域、シンガポールという事で伝染病に罹る率は高かったとのことです。
日本赤十字社看護婦養成所を卒業した者は、平時には日赤病院その他に勤務し、戦時招集状が届けば、いかなる家庭の事情があろうとも戦地に出動するのが原則であったとのこと。
※2デング熱:ネッタイシマカなどの蚊によって媒介されるデングウイルスの感染症であり、熱帯病の一つである。デングウイルス感染症がみられるのは、媒介する蚊の存在する熱帯・亜熱帯地域、特に東南アジア、南アジア、中南米、カリブ海諸国であるが、アフリカ・オーストラリア・中国・台湾においても発生している。蚊の吸血活動を通じてウイルスが人から人へ移り、高熱に達することで知られる一過性の熱性疾患である。症状は発熱・頭痛・筋肉痛・関節痛、はしかの症状に似た特徴的な皮膚発疹など。
治療方法は対症療法が主体で、急性デング熱には今起きている症状を軽減するための支持療法が用いられ、軽度または中等度であれば経口もしくは点滴による水分補給、より重度の場合には点滴静脈注射や輸血といった治療が用いられる。
※3コレラ:コレラ菌を病原体とする経口感染症の一つで、衛生改善と清潔な水へのアクセスが必要である。経口コレラワクチンは投与するとおよそ6か月効果が続く。主な治療法は経口水分補給である。尚、コレラにかかっても、栄養状態の良い日本人が死ぬことはまずない。軽い下痢で終わる人も多いようである。治療は点滴。下痢がひどい場合には水分がどんどん失われので取敢えず点滴。抗生剤で治療しなくても殆どの場合よくなる。
『当時はね、※4海軍省管轄の※5-1医療船(? 病院船のことでしょうか)があったのよ。』と在りし頃を懐かしむカズさん。
※4海軍省:日本の第二次世界大戦以前の行政官庁各省の中の一つであり、大日本帝国海軍の軍政機関。主任大臣は海軍大臣。海軍大臣は現役の海軍大将または中将が天皇から任命された。軍令は最高司令官である天皇に直属する軍令部が担当する。海軍省には軍務、兵備、人事、教育、軍需、医務、経理、法務などの「局」が置かれた。
※5-1医療船(?):病院船(びょういんせん)とは、戦争や飢餓、大災害の現場で傷病者に医療ケアのプライマリ・ケアを提供したり、病院の役割を果たすために使われる船舶である。
通例、世界中のさまざまな国々の海軍が運用しているが、医療システムにかかる維持費等のコストが莫大であることから、輸送艦や強襲揚陸艦として運用されている病院船も少なくない。赤十字活動の勃興とともに病院船の戦時国際法上の地位も確立されていった。一次世界大戦、第二次世界大戦などでは、いくつかの国で客船を改装した病院船が整備され運用された。例えばイギリスのブリタニック、日本の氷川丸など。
※5-2日本の病院船:うらる丸はかつて大阪商船(現:商船三井)が所有・運航していた貨客船である。
日中戦争や太平洋戦争の一時期には病院船として使用された。1944年に戦没。 日中戦争中の1937年~1938年は日本陸軍に徴用されて病院船となった。
その後は通常航路に戻っていたが、太平洋戦争が勃発すると再び陸軍に徴用されて、主に輸送船として使用された。日本周辺、シンガポール、フィリピン、ラバウル、パラオ方面への輸送に従事した。一時は病院船として使用され、白色船体に赤十字などの識別塗装がされていた。病院船として運用中の1943年4月3日にアメリカ軍機の爆撃を受け損傷したため、日本側は戦争犯罪であるとして非難した。(カズさんが仰っている船とはこの船のことでしょうか。)
カズさんは一人思いを巡らせているようでしたので、私はそっとお傍にいるだけにしました。
因みに、シンガポールのマ-ライオン(全身がコンクリート製で、波を象った台の上に乗り、口からは水を吐いている‘上半身がライオンで、下半身は魚の像’)はその当時は未だなかったそうです。(1972年 設置)
ともあれ、お元気なお年寄りの方々の姿は眩しく、急逝した母の死をまだ受け入れられずにいた私には羨ましく思えました。
( 実施日:2018年9月23日(日) 14:00~15:00 )
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