2024年11月29日金曜日

193) 【徒然に】3回目の敬聴訪問 ~こんなところで油を売っていないで...~

一ヶ月ぶりに文京区の高級有料老人ホームへ傾聴に伺いました。お相手はT大の名誉教授、いつものKさんです。昼食が遅くなったということで30分ほどロビーで待たされました。

施設の方からは「Kさんは ちょっと気難しくて、日によってムラがある方なので、気をつけてください。」と言われました。そうかな?と私は思いました。

お部屋に伺うと「君は誰だっけね?」と言われました。私が「今日で3回目ですが、傾聴ボランティアの◯◯です。」と答えると、
「ああ、そうか。最近はみんな忘れちゃうんだよ。」と仰いました。ちょっと悲しげな表情をされました。

私が「今日はKさんのお食事が終わるまで、30分くらいロビーでお待ちしていましたよ。」とお伝えすると、Kさんは目を丸くされ「言ってくれれば、食事をやめて戻って来たのに。」と仰いました。そして「悪かったね。」と。

私の「昼食は美味しかったですか」の問いには、かぶりを振り「食欲がないから・・」とぽつんとお答えになりました。「何がお好きなのですか。食べたい物はありますか?」と尋ねると、「カレーライス!」と即座に仰いました。長い教員生活のKさん。40年くらいだそうです。「学食のカレーライスも美味しいですよね。」と水を向けると、にっこりとなさいました。

Kさんはボランティアに興味があるらしく「ボランティアねぇ。 ちゃんとお金は貰えるの?」とお尋ねになりました。私が「ボランティアですから、貰えません。」とお答えすると「そう。じゃあ、本職は何?普段はどんな仕事をしているの。」等とお尋ねになりました。
 
私は以前の仕事をお伝えし「今は文京区で別のボランティア活動をしています。」とお答えすると「そりゃ大変だ。ご苦労さま。」と労って下さいました。最近は
朗読も学んでいて、来月には頼まれて朗読をするとお伝えすると「朗読! 良いね。何処でするの?」と興味津々です。

場所をお教えし演目もお伝えすると、少し視線を上に向けて(想像されているのでしょうか)「君は声が良いからいいね。」と褒めてくださいました。私は思いがけない言葉にびっくりしました。

その後、Kさんは歌を歌いはじめました。例の明治大学の校歌です。もはや ご自分の世界です。しばらくすると「君、こんなところで油を売っていないで、早く帰りなさい!」「帰った方がいいよ」と仰いました。傾聴訪問が ‘油を売っている’ だって。思わず吹き出しそうになりました。でも 心が温かくなりました。

敬聴終了の間際に、私が窓から外を見て「ちょっと曇ってきましたねえ。これから雨だそうですよ。」と言うと、「傘は持っているの、大丈夫かい?」と案じてくださいました。そして・・「今日はこれで失礼致しますね。」と言うと、Kさんは少し手を上げ、何度も「ありがとう。」「ありがとう!」と繰り返し仰いました。私は胸が熱くなりました。

帰りに事務室でご報告すると、係の女性が「◯◯さん(私のこと)だと話が弾むのねぇ。
相性が良いんですね。」と仰いました。
Kさんは他の傾聴ボランティアには全然話をしない時もあり、30分くらいで引き上げてしまう方も多いとのこと。

そして、しみじみと仰いました。「あなたのお人柄ね。」と。くすぐったいような褒め言葉を頂戴しました。私は・・とても恐縮しました。


ふるさと山形 石崎神社の紅葉



2024年11月17日日曜日

192) 【徒然に】一隅を照らす ー大正大学ー

10月末に初めて大正大学へ行って参りました。天台宗主催の「※一隅を照らす」という運動の一つです。

※「一隅を照らす者、これ国の宝なり」は最澄の有名な言葉です。一隅とは、今自分がいる場所のこと。自分が置かれている場所や立場で、ベストを尽くして照らすことで『周囲も光ってくる』という意味。

私の家は天台宗ではありませんが、母の実家が天台宗だったときいておりました。天台宗といえば、総本山が比叡山延暦寺で宗祖は伝教大師最澄です。私はどちらかと言えば、真言宗宗祖、弘法大師空海の方に興味があります。因みに、真言宗の総本山は、昨年の秋に友人と参った「高野山真言宗 総本山金剛峯寺」です。

今回のイベントは、昨年春のお彼岸法要をして頂いた際に、霊園のチラシでその活動を知りました。残念ながら 昨年はイベントに参加出来ませんでしたが、今年もご案内を頂いたので参加して参りました。

当日は声明や雅楽、御詠歌での「特別法要」から始りました。安らぎのある、心地よい空間でした。もともと声明が大好きなので、天台宗の声明も ぜひ聴いてみたいという思いから参加いたしました。お気に入りの醍醐寺の声明とは差違がありますが、また別の味わいもありました。

法要の最後には、導師として「東叡山輪王寺門跡門主 寛永寺貫首」の浦井正明 大僧正が講話をされました。御年87歳とのことですが、矍鑠とされ、そのお話しは心にひびき、感銘を受けました。素晴らしい方でした。

イベントは盛り沢山で、体験教室では下記の写真にあります「匂い香づくり」と「腕輪念珠づくり」に挑戦しました。匂い香づくりは、京都に本店がある ‘香老舗 松栄堂’ のお店の方からご説明をうけ作りました。

用意された‘香りのタブレット’ から、自分の好きな香りを数種類(ラベンダー、桂皮、丁子、甘松、竜脳など)選び、組み合せて作りました。自分だけの「オリジナル匂い袋」です。結構、気に入っています。

更に 大正大学仏教学部准教授の木内堯大師による『落語と仏教って面白い!』という特別授業は、面白くて60分があっと言う間に過ぎてしまいました。

木内堯大師によると、落語の起源は戦国時代であり、武田信玄や豊臣秀吉などの戦国武将の話し相手をした 曾呂利新左衛門等が書いた『御伽衆』という面白本や浄土宗の僧侶 安楽庵策伝の『醒睡笑』などの書物が、その雛形と言われているそうです。

また、実際には江戸時代になってから 京都・江戸(東京)・浪花(大阪)の三都において、人前で辻噺(つじばなし)という形で 今の ‘落とし噺’ のようなものをやったものが、現在の※職業落語家の始まりとされているとのお話でした。

※京都の露の五郎兵衛(元日蓮宗の談義僧)、大坂の米沢彦八、江戸の鹿野武左衛門などが有名。

とても勉強にもなり、満足した一日でした。大正大学は、もちろん昔から名前だけは知っていましたが、校内に入ったのは今回が初めてです。

思い起こせば、大正大学の存在を知ったのは私が大学二年生の時でした。当時、神保町のスキーショップでアルバイトをしていましたが、不慣れなスキー用品の説明に苦慮していた時、親切に優しく教えてくれたのが大正大学の学生さんでした。

私より二学年先輩の男の人でしたが、とても良くして頂き 優しいお兄さんという感じでした。たしか・・彼は西新井の有名なお寺のご子息でしたが。今頃はきっと 立派なご住職さんになられていることでしょうね。

そんなことを思い出しながら、西巣鴨にある 大正大学の広い敷地内を散策しながら帰路につきました。


   

    
     

 
     



2024年10月19日土曜日

191) 【徒然に】第三回「ひとり朗読会」を終えて

今年もまた 9月28日に無事「第三回 ひとり朗読会」を開催することが出来ました。ひとえに私を支えて下さっている友人達のおかげさまです。感謝です。チラシ作りから生演奏での協力、また当日の会場設営や受付や着物の着付けなど等です。

この場をお借りして、皆さまの御礼申し上げます。有難うございました。

出し物は『白子屋騒動 2024』(村上元三作)と『十三年』(山川方夫作)でした。今回もあまりお声がけをぜすに、友人や知人などの内輪の会にしました。それでも32名の方々にお集まり頂きました。とても有難いことです。

仲間内ゆえ、ほめ言葉をたくさん頂戴しましたが、話半分(三分の一)としても嬉しかったです。何より「面白かった」「引き込まれた」「情景がはっきりと浮かび上がった」とか「来年も楽しみにしている」など、また 次回のお手伝いを買って出て下さる方が多いのを有難く思いました。来年も頑張ろうという意欲が湧いてきました。 
   
朗読会が終わって早いもので3週間になりますが、今は別の作品をレッスン中です。振り返ると、朗読のレッスンが楽しかったこと。今回は相関図を作りましたが、登場人物の一人ひとりに感情移入ができたこと。そして気持ちよく朗読できたことが進歩でした。

朗読の最後の場面では「この『白子や騒動』という作品とも暫しお別れなのか」という思いがよぎりました。寂しさを覚えたくらいです。

そして本日、朗読会に来て下さった知人のNさん(70代の男性)からビックリするような依頼を頂きました。読書ゼミ(Nさんが所属している会)で私に朗読をして欲しいと仰るのです。‘えっ、私で良いの?’ という気持ちとは裏腹に、また『白子や騒動』を朗読できる、作品が寄り添ってくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

Nさん曰く「出演料は払えないけど、日本酒でもワインでも沢山お酒は飲ませてあげるからね。」と。でも・・、最近の私は あまりお酒が飲めない(それほど欲しない)のですが・・!? とにかく 楽しんで頂けるようにがんばります。  

※「イベント・その他」欄もご覧ください。今回の朗読会の写真を載せてあります。



 











2024年10月12日土曜日

190) 【徒然に】母の法要とかみのやま温泉「名月荘」

今年の9月は本当に忙しい日々でした。8月の夏バテのしわ寄せもあったのですが、山形の母の7回忌や文京区の委員長絡みのしごと、そして恒例の「第3回 ひとり朗読会」の開催などがあったからです。

そんな訳で久しぶりのブログとなります。拙いブログですが、楽しみにされている方もお出でです。更新が遅れていることにご指摘をうけました。有難うございます。ご心配をお掛けいたしました。

さて、忙しいさなか 私は郷里 かみのやま温泉の「名月荘」に行ってまいりました。憧れの名旅館です。やっと予約がとれました。全室‘離れ’風。妹を誘っての温泉旅でした。とは言っても・・、私は母の法要後の一種の「※直会(なおらい)」のつもりでした。

※直会とは、本来は神式で祭事が終わってから、お神酒や供物を下げていただく会食のことですが、仏式では法要後の会食でお斎(とき)とも言います。身を清めるといった意味合いもあります。

7回忌は「第3回 ひとり朗読会」のちょうど一週間前に行われました。当日を含め山形に滞在中の三日間は大雨警報や避難勧告まで飛び出す荒れようです。法要中、称念寺の本堂に参列していた親族の携帯が一斉に鳴り響き、異様な空気につつまれました。驚きの体験でした。

然しながら、車社会の地方都市 山形、車での移動はスムーズでした。ただ一つ心残りなのは、足場の悪い山の中腹にあるお墓参りに行けなかったことです。私は「また、お墓参りに来ればよい」と自分に言い聞かせました。

その翌日、久々に妹と水入らずで訪れたのが、かみのやま温泉「名月荘」でした。静寂な場所にあり、お料理も美味しく、落ち着いた見事な旅館でした。実は30年くらい前にも一度、祖父の法要後のお斎をした旅館です。泊ったのは初めてでした。

その夜は、地元産の食材で手の込んだ美味しい料理(写真はごく一部、撮り忘れました)に舌づつみを打ち、久しぶりに妹と母の思い出を語ったり、ゆっくり話ができて、幸せな一夜となりました。これも故人を偲ぶ 供養のひとつだと私は思いました。






















2024年7月27日土曜日

189) 傾聴ボランティア その2 「本当は大工になりたかったんだよ!」

先日のK先生のところへまた敬聴に伺いました。今日はご体調(気分)がすぐれないようで、あまり元気がありませんでした。こんな時には言葉を選びます。余計なことを言ってはいけません。

“歌しかないな” と私は思いました。六大学の校歌です。話しを向けましたが、歌詞がおぼつきません。そこで私はバッグから携帯を取り出し、六大学の校歌を検索しました。歌詞を口ずさみ、リードしながらK先生に歌って頂きました。でも・・途切れがちです。

今度はYouTubeで校歌を見つけ、流して見ました。K先生は耳を傾け、ところどころを一緒に歌われました。よかったです。

私が「学生さんの頃が、一番楽しかったですか。」とお尋ねすると、にっこり頷かれました。そして ‘お気に入り’ の明治大学の校歌を歌いはじめました。

私が「父は明治大学の法学部と日本大学の土木工学科、両方の出身で建築士でした。」と言うと、「凄いなぁ。羨ましいなぁ。」と仰いました。なんとK先生のお父様も建築士だったそうです。そして「本当は、僕は大工になりたかったんだよ!」と仰ったのです。

江戸っ子気質の庶民的な先生で、子どものようでした。
ただ、ちょっと寂しそうに「でもね、僕は不器用だから、釘を打つと釘頭が曲がっちまうんだよ。」と仰いました。私は笑ってもよいのかどうか困りました。

「建築士なら なれたのでは?」と水を向けると「僕は大工になりたかったんだよ!」ともう一度、仰いました。建築士ではなく職人である ‘大工さん’ になりたかったのだそうです。高名な歴史学者が・・。人生いろいろですね。

それにしても、こんなに明治(大学)贔屓で・・。私は「父が生きていて、この話を聞かせたら、たいそう喜んだだろうなあ」と心の中で思いました

ホワイトホース


ホワイトホース






2024年7月10日水曜日

188) 傾聴ボランティア再開!~東大の名誉教授とデュエット~

久々の敬聴訪問です。実に4年半ぶりでした。コロナ前にも伺っていた 文京区の高級有料老人ホームに着くと、事務の方から「今日の方(男性)は少し気難しいかもしれません。」と おどかされました。個室で男性入居者と一対一での敬聴は初めてでしたので、私は少々怯みました。

エレベーターに乗り、指定されたKさんのお部屋を訪ねると、奥のベッドに白髪で品の良い方(Kさん)が横たわっておられました。そばに行きご挨拶をすると・・、Kさんは開口一番「(あなたは)何処の大学(出身)?」とお聞きになりました。意外な質問に私はたじろぎましたが・・、母校を告げると にこっとされ、専攻までお尋ねになりました。

お部屋を見渡すと、本棚がたくさんあるのに気がつきました。サイドテーブルの上にも書籍が山積みにされています。Kさんに許可を得て、並んでいる書籍をみせて頂きました。よく見ると・・、書籍の著者名のほとんどがKさんでした。

なるほど! Kさんは元大学教授、学者さんだったのです。今回 私が敬聴させて頂くのは高名な歴史学者、東京大学の名誉教授でした。

重厚なグリーンのソファの脇に車椅子が置いてあります。K先生はベッドに寝転んだまま、私はベッドの傍に椅子を運び 座っての敬聴となりました。

失礼ながらご年齢をお聞きすると「昭和6年生まれ!」と仰いました。私が「では、今年93歳ですね。」と言うと、「えっ、僕はそんな歳?」と仰いました。
「計算すると93歳ですが・・、先生はお幾つだと思っていらっしゃいましたか?」と尋ねると、「80歳くらい!」と即答されました。男性も女性も一緒ですね、若く見られたい(若いと思いたい)のは。

それから、いろいろな話を聴かせて頂き 私もお話させて頂きました。古文書の話になった際、私が師事していたN先生が、K先生のお弟子さんと言うことが分かりました。奇遇です。世の中は広いようで狭いとつくづく思いました。

K先生はたいへん朗らかな方で、いろいろお喋りしてくださいました。ご自分が大学で教えたお弟子さん達の話になると、目が輝き 生き生きし始めます。また六大学の校歌が大好きとのことでした。特に早稲田の校歌、それから慶応、そして一番好きな校歌は明治大学だと仰っていました。腕を振りながら朗々と歌っておられました。

私が「東大の校歌はどんな歌ですか。」と尋ねると、「僕が学生の頃には東大に校歌はなかった」と仰っていました。(※後で調べたら、本当に東大には校歌は無いようです。東京大学運動会歌「大空」と東京大学応援歌「ただ一つ」を「東京大学の歌」としています。)

その後はご両親やご兄弟の話などをお聞かせ下さいました。楽しそうでした。御妹さん方がお好きだったという ‘西城秀樹’ さんの歌まで歌いだしました。「傷だらけのローラ」や「Y.M.C.A.」などです。歌詞がおぼろげな部分は、私も一緒に歌ってしまいました。デュエットです!お部屋の外にまで聞こえる程の大合唱でした。

敬聴時間は少々オーバーしましたが、帰りがけ K先生はご自分の著書を私に一冊くださいました。固くお断りしたのですが・・。(たくさんあるからと仰って。)そしてK先生は「愉快だったね。ありがとう! また来てね。」と仰いました。






2024年6月20日木曜日

187) 【徒然に】全盲の文化人類学者 広瀬 浩二郎先生

6月15日に文京シビックホール会議室にて、特別公開講座「触る文化」が拓く共生社会の未来―ユニバーサル・ミュージアムの実践からーが開催されました。満席の大盛況でした。

講師は広瀬 浩二郎氏。全盲の文化人類学者で、現在は国立民族学博物館の教授です。「座頭市流フィールドワーカー」あるいは「琵琶を持たない琵琶法師」と自称する先生です。

13歳の時に失明。筑波大学附属盲学校から京都大学に進学し、同大学院にて文学博士号取得。日本宗教史・民俗学・障害者文化論・触文化論を研究。2023年12月には 令和5年度文化庁長官表彰を受けました。

先生は非接触が強調されるコロナ禍の中、触れ合いの大切さを訴える「ユニバーサル・ミュージアム展」を大阪で開催しました。全ての展示物を自由に触ることができる「ユニバーサル・ミュージアム展」の全国巡回を目指しているそうです。

私は広瀬先生とは今回で三度目の御目文字となりますが、その変わらぬ若々しさと純粋さに驚嘆しました。今回は受講者ではなく、司会者の立場での再会となりましたが、そばに居るだけで幸せな気分になりました。

数分間の打ち合わせ(ご挨拶)の際、私は先生に一言だけ申し出たことがあります。それは、ご講演中 私は先生の傍、司会者席に(待機して)いる旨です。何か予想外のことが起こった場合には “対応する” という意味合いでした。そしてご講演中は邪魔をしないように気配を消すことに努めました。

障害をお持ちの方への対応はナイーブなことが沢山あります。大切なのはその方その方が望む手助けをして差し上げることです。然しながら 人それぞれ、ゆえに難しいです。ただ、少なくともお声がけは必要だと思います。私は『小さな親切、大きなお世話』にならぬよう気をつけました。

ご講演は予想通り 素晴らしいもので、時には冗談を交えユーモアたっぷりに話されました。心に響きました。講演の中にリラックス体操までご用意されていて、私は広瀬先生のご指名により、先生と両手を合わせて即興のパフォーマンスをしました。心の温かさを感じる先生の両手でした。

後日、広瀬先生と面識のある知人は仰いました。『広瀬浩二郎先生には何度かお会いし、お江戸の町をご案内したことがあります。お酒好きで豪快な方ですね。』と。




暮夜の湯島天神