2021年2月25日木曜日

114) 【徒然に】青林檎と病理学者のイシイちゃん

コロナがなかなか収束せず 高齢者施設での敬聴ができません。とても口惜しい
です。そこで【徒然に】と称し、今回も私の素敵な友人の一人、イシイちゃんのことを書かせて頂きました。

彼は大学病院に勤務している病理学者です。かなりの肥満体で大食い男子です。人柄は温厚でいつもニコニコしており、一緒にいても気を遣わずに楽しく過ごせる友人です。彼は教え子である医師や学生さん達からも慕われています。

一度、青林檎という 私の自宅近くにあるビアレストランでの飲み会に、イシイちゃんが以前 教鞭をとっていた大学の教え子さんが、医師国家試験に合格したお礼とプレゼントの富士山ビアグラスを携えて現れ、合流したことがあります。

その学生さんにとって もう指導教官ではないイシイちゃんに、合格の報告とお礼に来るなんて見上げた学生さんです。私は感動しました。イシイちゃんの(学生さんに向けた)優しい眼差しと学生さんの彼に対する信頼感がひしひしと伝わってきて、私まで幸せな気分になったものです。

イシイちゃんはかなりの大食漢で人の2倍は食べます。たくさんの料理を注文した後も、隣のお客さんのテーブルに並べられた料理をみて「うまそうだなあ。あれも頼みましょうよ!」と真顔で私に勧めます。一方 私の方は彼の食べっぷりを見ているだけでお腹がいっぱいになり、食欲がなくなってしまいます。

大抵はもう一人の友人Kさん(微生物学者)をまじえ 3人で青林檎に集っております。このメンバーでの飲み会予約時には「大食いを一人連れてきます!」と私は冗談交じりに言いますが、ママも「ほほほ。」といつも笑いながら応じてくれます。

因みに、青林檎は仲間うちでは知る人ぞ知るお店で、私は友人・知人、そして兄弟や甥姪にまで紹介し長く通っております。

ただ、イシイちゃん等との3人会は忙しい人ばかりなので、会える日は限られております。そして昨年3月に、しびれを切らしたイシイちゃんから「忘年会も新年会も出来ませんでしたね。残念です。青林檎でまた3人で飲みたいのですが、ご都合はどうですか?」というメールが届きました。

私はコロナが危惧されていた時期でしたので返答に困り「ウイルスの専門家 Kさんにきいてみましょう!」とKさんに判断を一任しました。イシイちゃんも納得です。

もちろん、Kさんからの回答はNO! 「今回のようなウイルスはみたことがない。暖かくなってからにしようよ。」でした。でも・・、コロナは第2波、第3波と続き 結局 未だに実現していない幻の飲み会となってしまいました。

それから半年後の9月、イシイちゃんから久しぶりに電話がありました。車中からのようで、騒音で言葉がよく聞こえず、おまけに声が若くハンサムなものだったので(失礼!)、私は間違い電話かと思い「失礼ですが、どちらさまでしょうか?」と尋ねてしまいました!

彼は長野に向かう新幹線の中から電話をかけていたそうです。大学の同級生が長野の病院におり、病理診断を頼まれたとのことでした。イシイちゃんは「長野は未だコロナ感染者があまり出ていないので、気兼ねなく飲める!」と嬉しそうに説明してくれました。にこにこ顔が目に浮かぶようでした。

(東京の「青林檎」には行けなかった・・。ああ、なるほど。 それで長野で「
(青)りんご」か。よっぽど林檎が好きなのね、イシイちゃんは。)

その後もたびたび「青林檎が心配です。つぶれないかなあ。大丈夫かなあ。」というイシイちゃんからの熱いメールが届きます。

錦糸公園 河津桜















2021年2月15日月曜日

113) 脳外科医 まこっちゃん 【追悼】

まこっちゃんが昨年10月に亡くなりました。まだ60才そこそこでした。

元職場の同僚から訃報のご連絡を頂きました。「あの、まこっちゃんが・・・?」私は呆然とし何度も文面を読み返しました。とても信じられませんでした。

最後にご一緒したのは、2018年10月 大阪の学会だったと思います。私は事務局のメンバーと反省会という名の夕食会に参加しておりました。そこに まこっちゃんからのメールです。もう20時30分を回っておりました。「美味しい店を見つけた。今から出てこられない? 一緒に飲もうよ!」と。

私のお腹はいっぱいでしたが、「(こんな時間に連絡が来るとは)何かお話でもあるのかな?」と思い、重い腰を上げて指定されたお店に向かいました。

瀟洒なお店の奥の席にまこっちゃんはひとり座っていました。心なしか少し寂しそうでした。既に瓶ビールが一本空になっており「後から、○○さん(学会の運営会社の方)も来るからね。」と言いながら、いきなりノートパソコンを開き始めました。

お父さまが亡くなられたとのことでした・・。PC画面にはM大学の小児科教授だったという 白衣姿の優しそうなお父さまが映っていました。とても穏やかでハンサムな方でした。お父さまのご友人達が、その業績を30分程のビデオにまとめて下さったそうです。一緒にみせて頂きました。まこっちゃんの解説付きで。

まこっちゃんは目を赤くし 目を潤ませながら「親父はすごい!」と仰いました。息子として、お父さまが大学病院で診療している姿や学会発表の様子などは見たことが無かったそうです。いささか興奮気味でした。

そして・・仰いました。「人は亡くなった時にその真価が問われるんだよ。どのくらいの人が葬式に来てくれたかだよね。」と。私はその言葉が頭から離れませんでした。そして今、胸に突き刺さります。

このコロナの時代でなかったら、まこっちゃんの葬儀にはどのくらい大勢の方々が参列されたかと思うと涙をぬぐえません。胸が締めつけられます。

私は退職してから一年半余りになります。まこっちゃんからは退職後 何度かご連絡を頂いていたのに、いつも私の都合がつかずお会い出来ませんでした。悔やまれます。

まこっちゃんはT大出身の脳外科医です。腕がよく とても優秀ですが、何より情にあつく 人間性がピカイチでした。全然 偉ぶらずユーモアがあり、先輩や後輩や部下の面倒見のよい方でした。また学閥を超えた交流もお持ちで、何人かの先生をご紹介して頂きました。

都立病院の脳外科部長をされていて、看護師さん達にも支持され 慕われていました。年に数回 看護師さんや検査技師の方、また事務の方々にもお声をかけ、新年会をはじめ、お花見やバーベキュー、また忘年会等などを催しておられました。バーベキューには*馴染みのお寿司屋さんご夫婦もいらしてました。

私も何度かお誘いを頂き ご一緒させて頂きました。食通で美味しいもが大好き。まこっちゃんはそれを皆で分かち合いたいのです。特にワインには目がなく *お気に入りの寿司屋さんにはイタリアから取り寄せた 白ワインを特別にキープしてもらっていました。

兎に角 まこっちゃんはよく連絡を下さり、私は何度も国分寺まで足を運びました。雪の中 看護師さん等と4人での土曜寿司ランチは、楽しく美味しかった思い出があります。

学術総会中にもお食事(飲み)に誘って頂き、まこっちゃんの同窓で仲良しの先生方とB級グルメも楽しませて頂きました。先生方は高級料理など食べ慣れていらっしゃるせいか、豪華な会長招宴の晩餐よりも、気が置けないお店の料理の方がお口に合う(?)ようでした! 

しかし、私にとっては どちらも捨てがたく迷うところでした。「8:10 pm ロビー集合!」と、まこっちゃんから 会長招宴の真っ最中に メールで呼び出しをかけられ、私はメインディッシュである豪華なステーキに後ろ髪を引かれながら、待ち合わせのロビーへと向かうのでした。(今となっては懐かしい思い出です。)

何故あんなに良くして下さったのでしょうか。私は単なる学会誌の編集担当者なのに・・。ただ まこっちゃんは学会誌の編集委員もされていました・・。査読はそれほど早い方ではなく、私は何度も催促の電話をおかけしておりましたが。

脳外科の先生方は通常の診療や手術、そして時には大学での講義などもあります。さらに様々な小学会やセミナーもあり、論文の査読はたいへんな ご負担だったはずです。まこっちゃんは遅くても 丁寧な査読をして下さいました。

昨年、一昨年は、まこっちゃんが会長である学会を多く抱えていらっしゃいました。私はお邪魔をしないように 落ち着いてからご連絡をさせて頂こうと思っておりました。ところが、このコロナ騒ぎです。少々 疎遠になりました。時間が経ち過ぎました・・・。

2019年5月18日0:56分:まこっちゃんからのメール「今日の挨拶良かったよ」
これは、パシフィコ横浜での学会で 120名のお偉い先生方(教授や病院の部長先生)の前で私が述べた ‘退職の挨拶’ に対してです。 

その後も 最高級のホワイトアスパラを出張先の札幌から送って下さいました。私は例年のごとく 山形からさくらんぼをお送りする手配をしておりましたが、先生は札幌の学会から そのままNYでの学会に行かれ、7月も10日程 過ぎてしまいました。残念ながら、さくらんぼの出荷時期はすでに終わっていました・・。

そして最後のメールは2019年12月7日17:08分です。国分寺のお寿司屋さんでの「カニの会」のお誘いでした。総勢12名位とのこと。でも・・、残念無念。私は熊本・鹿児島の坂巡検があり伺えませんでした。

そのお返事は「遅かったか。。」「じゃまた次回」で終わっています・・・。

先生から頂いた たくさんのSMSを私は未だ消せずにおります。
こころより、心よりご冥福をお祈り申し上げます。                          合掌                             

湯島天神